2008年11月02日

吉越誠一郎 「デッドライン仕事術」(祥伝社新書)

元トリンプ社長の吉越浩一郎氏の仕事の能率をアップさせて、時間外をなくす仕事のやり方を開陳したビジネス本。

トリンプ当時から、独特の仕事の進め方で、業績を上げてきた
吉越氏の著作らしく、明解で、わかりやすいノウハウが満載である。

「デッドライン仕事術」とは簡単に言えば「就業時間も仕事も、すべてに明確な締切りを設定する」ということで、この締切りを意識して仕事をするからこそ、時間外もなくなり、能率も上がる、というものなのだが、よく読むと、単純にそれだけではないらしい。

例えば、

締切りを意識し、守らせるために、会議で、かなり厳しく、ボトルネックになっているところを確認して、鞭をいれたり

時間外をなくす意識づけをするために、終業時になると、自動的に電気が切れるシステムを導入したり、

勤務に集中できる時間を確保するために、会社外からの電話を取り次がない時間を設定したり

などなど、「デッドライン」を守るために様々な工夫がされている。

たしかに「締切りを守れ」といったスローガンを叫んでいても、守られないのが「締切り」といったものだから、

そのほかに

「仕事のスピード」は「判断のスピード」だ

とか

社内の「常識」のレベルを上がれば、判断力も高まる

など「うんうん」と頷けるアドバイスも数々。


ところどころ「ワーク」と「ライフ」はまったく別物だ(この時の「ライフ」は私生活という意味らしい)

「社員教育」は無駄だ

など、ちょっと欧米っぽすぎたり、過激過ぎるところがなきにしもあらずだが、かなりぐいぐいと引き込まれて読めるビジネス本である。

ただ、このうちの時間外禁止の話は、聞くところによると、吉越氏が社長の時は実行されていたが、社長が変わって、トリンプでも実行されなくなっている、という話を小耳にはさんだことがある。変遷というものは、どこの世界にもあるものなのだ。

まあ、そんなところを割引しても、ちょっとやってみようかな、と思わせるところの多いビジネス本であることには間違いない。さらに、かなり論旨が明快なので、サクサク読めることも確かである。

ちょっとした時間の合間に読むビジネス本としておすすめ。

2008年10月19日

たかのてるこ 「ダライ・ラマに恋して」(幻冬舎文庫)

なんで「ダライ・ラマ」なんだ?と思ったら、どうやら前作で恋仲になったラオス青年に大失恋したのが原因らしい。

前作は、かなりまとまりのない、純愛路線満載で、この旅行記はいったいどうなるんだ、ってな具合だったのだが、今回は恋愛ネタなし(もっとも、ダライ・ラマさま〜ってな具合はあるのだが)のチベット旅行記である。


チベットというところは、ググってみればわかるように、中国の自治区であるところと、インド領とに分かれていて、ダライ・ラマはインド領の方に亡命していて、今回の旅行記は、そのどちらも旅することになる。


チベット自治区では、インド領のダラムサラへの亡命を夢見るチベット人青年や、「もともとチベットは中国のものだから」と言う、近々、チベットの娘さんと結婚する中国人青年に会ったりして、それなりに今のチベットの置かれている状態を考えさせられたりするのだが、まあ、そうした生臭い話は、ちょっとおいておこう。

で、ダライ・ラマと面会できるかもしれないとわずかな期待を抱いて訪れたインドのラダックやダラムサラは民間のシャーマンと会ったり、ナグラン祭りのシャーマンにおもちゃの剣でどつかれたり、前世の記憶のある少女に会ったり、とか、それなりに様々なことはあるのだが、全体として静謐な印象を与えるのは、チベットという土地のもつ性格ゆえなのだろうか。


最後は、ダライ・ラマに会って、目出度し、目出度しになるのだが、このシリーズの中では、ドタバタ感の少ない旅行記であります。

2008年10月12日

たかのてるこ 「モンキームーンの輝く夜に」(幻冬舎文庫)

「モロッコで断食(ラマダーン)」に続く、たかのてるこさんの旅本第4弾。

この人の旅本は、冊数を重ねるに従って、恋愛モードが高まっていくのだが、今回の「モンキームーンの輝く夜に」は、もう恋愛、恋愛、恋愛・・・・、と恋愛モード満開といったところである。

訪れる国は「ラオス」。
お決まりのように、「ラオス」ってのは? と、Wikipediaで調べると、


ラオス人民民主共和国(ラオスじんみんみんしゅきょうわこく)、通称ラオスは、東南アジアの内陸国。北西のミャンマーと中華人民共和国、東のベトナム、南のカンボジア、西のタイの5カ国と国境を接する。

といったところで、社会主義の国らしいのだが、他の社会主義国と同じく西側諸国とのつながりも必須となっているらしく、また、地理的な面からタイやベトナムとの関係ぬきにしては経済が立ち行かない状態のようだ。

で、今回は、恋愛の相手となるラオス青年(なんと10歳年下だ)に、ピエンチャンで、日本語で話しかけられるところがプロローグになっている。

今回は、最初から恋愛モード炸裂である。まあ、本編は、最初は、ピエンチャンの市場で、土産物店の親子に昼ご飯をご馳走になったり、途中で知り合った青年たちとビアパーティーに行ったり、と、いつもの人懐っこい筆者の旅で始まるのだが、途中、今回の純愛旅のお相手であるラオス人青年「シノアン」と出会ったあたりから、話は、どんどん、どんどん、恋愛モード全開になってくるのである。

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2008年10月11日

たかのてるこ 「モロッコで断食」(幻冬舎文庫)

前作の「サハラ砂漠の王子様」では、ちょっと場違いっぽい恋愛旅物語を演じた、たかのてるこさんの、文庫本3作目。

今度の舞台は、「モロッコ」である。

で、モロッコでどこなんだ?とWikipediaを見ると


「モロッコ王国(モロッコおうこく)、通称モロッコは、アフリカの国。首都はラバト。アルジェリアとサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)とスペインの飛び地セウタ・メリリャに接し、大西洋と地中海に面している。アフリカで唯一のアフリカ連合未加盟国。」

というところらしく、気候も温暖で、経済的にもアフリカ諸国の中では豊かなほうらしいのだが、日本人にはあまりなじみのない,
イメージの薄い国といっていいだろう。
(Wikipediaには「40才以上の人には「性転換のメッカ」という印象の強い国」といった表現があるが、私も40才以上だが、あんまりそんな印象は持たなかったぞ。)

そんなところで、何をするんだ、ということになるのだが、まあ、有り体にいえば、「断食(ラマダーン)」体験記とモロッコの田舎でのちょっとした純愛旅物語といったところ。

全体に、たかのてるこさんの旅本は、人との出会い(恋愛っぽいものも含めて)が中心で、食べ物には冷たいところがあるのだが、
今回の本は、「断食(ラマダーン)」が根底に流れているせいか、おやっと思う「食べ物」の話が今回は多い。

もともと、ラマダーンも、路線バスに乗り合わせて、地元の人の視線に逆らえず、一緒にラマダーンをやることになったのだが、その日のラマダーン明けの食事のシーンはこんな具合。


 混雑した店内をかき分け、兄ちゃんと席に着くと、すぐにイフタールのセットが運ばれてきた。早速、ハリラを飲んでみる。ハリラはすり潰した豆のスープで、とろみあるドロッとした舌触りだった。細かく刻まれたトマトやタマネギも入っていて、確かにお腹にやさしい感じのする料理だ。
 私はものスゴい勢いでパンを引きちぎってはハリラで流し込み、ゆで卵を口に押し込んでは、水をガブ飲みした。五臓六腑に食べ物と水分が染み渡っていく快感。

どうです。ちょっと「イフタール」が食べたくなるではないですか?

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2008年10月05日

早瀬圭一 「鮨に生きる男たち」 (新潮文庫)


鮨に生きる男たち
Amazonで購入
書評/ルポルタージュ
「鮨」の名店を紹介する本と思いきや、「鮨」に人生をかけた男たちあるいは家族たちの物語である。もちろん、「鮨」に全身全霊をかける職人たちであるから、その店はいわゆる「名店」になっていくのは必然ともいえるのだが、その軌跡をたどる、という性質のものではなく、「鮨」に魅せられ、「鮨」に人生のほとんどを費やしてきた職人たちの歩みの軌跡というべき本である。

とりあげられているのは17人というか17店。

掲載されている店をあげれば
「喜(正式は 七が三つ)寿司」、「鮨 水谷」「神保町鶴八」「新橋鶴八」「奈可久」「鮨 青木」「鮨 徳助」「あら輝」「鮨処 喜楽」「すし処 司」「鮨処 成田」「寿し銀」「吉野鮓」「千取寿し」「松乃寿司」「鮨処おざわ」「すきやばし次郎」
といったところで、鮨通なり美食家の人が聞けば、「あー」と頷く店ばかりなのだろうが、残念何ら、辺境に住まう私としては、一つとして入ったことのない店ばかりだ。

場所は東京はもちろん一番多いが、千葉、金沢、名古屋、京都、静岡とかなり広範囲にわたっているし、店の思いでも、筆者が学生の頃の戦前から始まっているから、時代的な幅も広い。

一体に鮨店というのは、緊張を誘うもので、これは「お勘定」の話もあるのだが(だって、「時価」なんて値札のある食い物屋なんて、滅多矢鱈にないと思う。フランス料理やイタ飯屋、高級割烹にはたしかにあるが、鮨屋はどんな場末の店でも、しっかり「時価」っていうのがあるからなー)、それよりなにより、カウンター
が店の中心で、鮨職人と直接相対するってあたりにあるのではないだろうか。

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2008年09月27日

佐々木俊尚 「フラット革命」(講談社)

「ウェブ世界」の水先案内人として確かな判断を示してくれる筆者の2007年の論考。


今回取り上げられているのは「インターネットのつくるフラットな空間がマスメディアや人間関係、政治などにどのような影響を与えつつあるのか」ということ。

構成は
第一章 フラット化するマスメディア
第二章 よるべなく漂流する人たち
第三章 組み替えられる人間関係
第四章 公共性をだれが保証するのか
といった構成で

インターネットとマスコミュニケーション、とりわけ、「ネット君臨」に見られる新聞系のマスコミから発信されるインターネット不信あるいはクズ論への論考

から始まり、

インターネットの普及とともに、崩壊と希薄化を増してきた戦後社会の「企業社会にくるまれた」家族主義の姿から、「ミクシィ」で象徴される、個々人を媒体とした新しい関係性の構築の姿

へと展開し、

集団である一定の価値観を共有(それが半ば強制された共有であっても)していた時代、いわば「われわれ」の時代から、インターネットによて、個々の価値観がいくつかの繋がりは持ちながらも、混じらない個体として存立する時代の「公共」のあり方、へと結ばれていく。


 純粋に個人的な感想をいえば、最初の旧来のマスコミが、インターネットの出現によりその足場を侵食されていく姿、本書の言葉を借りれば「匿名言論の出現」「取材の可視化」「ブログ論壇の出現」により、自らの不可侵性を失い、報道する、表現する自らが、報道・表現される客体となってしまう姿は、一種、旧勢力の崩壊の爽快さを感じてしまうところがなきにしもあらずではある。
 だが、章が進み、それでは、旧制度がまがりなりにも担保していた「公共性」あるいは「ぶつかり合う価値観の調整機能」を誰が、どう担っていくか、という問題には「うーむ」と唸って、立ちすくんでしまいそうになる。

インターネットが、個々人の自由なコミュニケーションの領域を開き、あらたな情報共有と議論の場であることを牧歌的に信じていればよかった時代は過ぎてしまい、インターネットの世界が、現実の世界と同じように人間関係の泥臭さにまみれていることがわかり(学校「裏掲示板」なんてのはその典型だろう)、その一方で旧来の人間系の情報システムを破壊してしまっている時代に突入してしまっていることは、おそらく間違いなくて、それは、戦後の「会社」を中心として生活や人生設計すればよかった時代が、「グローバル化」とともに、よるべない「個」の世界へ解体されていっていることと並行している。

そうしたネットの世界を象徴する言葉として。「サラダボウル」という表現が書中にでてきて、それはいわゆる「坩堝」と対比されて使われていて、文章を引用すると

ネットの世界では、坩堝という言葉はあまり使われない。坩堝は投げ込まれたいくつもの素材を溶かし、それらの素材を融合させてひとつにしていく。だが、ネットの世界では、投げ込まれた人々や情報は、決して融合するわけではない。差異はそのままで残されて、融合されることなく混沌とそこに存在しているのだ。
 だからネットの世界は、坩堝ではなく「サラダボウル」のようなものなのだ。サラダボウルの中にはトマトやレタス、キュウリ、セロリなどさまざまな野菜が投げ込まれ、しかし決して交じり合うことなく、しかしひとつの調和を保ってそこに存在している

とうことらしいのだが、そのボウルの中で、トマトとキュウリのぶつかりあいの調整や、レタスとセロリの味の違いを調和を、図っていくのかということが「公共性の確保」ということなのだろう。

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2008年08月15日

川崎昌平 「ネットカフェ難民」(幻冬社新書)

もともとは、日本テレビのドキュメントに端を発したものらしいのだが、その放映が2007年1月で、本書の刊行が2007年9月だから、ほぼ同時代的な「ネットカフェ難民」の記録として考えていいだろう。

筆者は、カバー裏を見ると、ひきこもり&ニート生活後、電話で連絡を受けて日雇い生活をするワンコールワーカーの生活に入ったらしい。
まさに現代社会のある一面をきちんと一人で体現している。

さて本書は、筆者が実家を出て、ネットカフェ暮らしをはじめ、貯金が心細くなると、携帯で登録して、携帯で連絡を受けて日雇い労働に出かける生活に入り、実家近くで、その日の日雇い労働を終える、という1ヶ月間の暮らしが綴られている。

正直なところ、ネットカフェというものには、ほとんど縁がない。インターネットというものが今のように普及した頃には、既に就職してから十数年が過ぎ、子供もいる境遇で、おまけに実社会に出るには、サラリーマンが普通で、自由業は、それこそ恵まれた才能のある人たち用のもの、会社を辞めるのは倒産した時かリストラされた時という時代を生きてきたため、今のようなフリーター、あるいは非正規が普通という世相は、なんとなくいごごちが悪い。
そうした個人的な感覚を持ちながら本書を読むと、なぜか妙な「明るさ」が漂っている感じがするのが不思議だ。

書かれているのは、けして波瀾万丈のことがあるわけではなく、派遣労働といっても、千葉の鞄会社での鞄の中敷きを入れる作業や、スーパーでの実演販売、イベントの後片付けといったん、なんとも平凡なもの、女性との出会いといえば、その千葉の会社でバイトの間だけ、同じバイトの女性を一緒に作業をするだけのものだし、寝泊まりは、題名どおりのネットカフェかマクドナルドという生活。

ネットカフェ難民に象徴される生活は、最近の陰惨な事件を連想させるように、けして将来に向けての夢とか野望といったことは、かけらも感じさせない生活なのだが、なにか妙な白夜のような明るさを漂わせている。

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2008年08月12日

佐々木俊尚 「次世代ウェブ ー グーグルの次のモデル 」(光文社新書)

インターネットのビジネスモデルをリードする「グーグル」を超えようとしているビジネスモデルの動向を知らせてくれるのが本書。

こうした新しいビジネスモデルを紹介する場合は、アメリカの最新モデルが紹介されることが多くて、なにか遠い世界で起こっている出来事のような印象を受けるケースが多いのだが、本書は、どちらかといえば、日本の新たなビジネスモデルの胎動の紹介に多くのページが割かれていることを評価したい。

取り上げられているのは、ミクシィ、ビジネス寄り、文系寄りのソーシャルニュースコミュニティや日本の新しい検索エンジン開発の動きなど、ネットの世界の住人の方々には、既によく知っている事例も入っているのだが、こうした新書として、広く一般の人々をターゲットとして書かれているものとしては、やむを得まい。

また、若干、時期がずれるせいか、YouTubeは取り上げられているが、「ニコニコ」は出ていないといった、ちょこちょことした不満はあるのだが、ネットビジネスのトレンドを大きく捉えるという目的で読むとすれば、十分目的を達することのできる一冊である。

このうち、気になる言葉などを少し。

それは、楽天のビジネスの話をとりあげている「変化」という章で、faddict.net blogというブログの引用あおしながら語られる「Web2.0」は「地主制度2.0」ではないかという主張だ。

少し引用すると

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2008年08月07日

梅田望夫 「ウェブ時代 五つの定理」(文芸春秋)

おなじみの経営コンサルタントというか、ウェブ時代の適切な水先案内人である梅田望夫さんが、シリコンバレーの第一級のビジョナリーたちの言葉を紹介しながら、ウェブ時代の新しい作法や起業の道案内をしてくれるのが本書である。

ビジョナリーとは、テクノロジー業界の最先端を走る起業家や投資家、「普通の人」よりも何歩も先を行く天才的技術者、日々の濃密な経験から世界を俯瞰して眺めている企業経営者、複数の専門性を極めた大学教授といった人たちの中で、とりわけ言語表現能力が高い人々のことで、こうした人々が英語で発する切れ味の良い言葉を読み、その言葉の背景にある思考や発想に寄り添って深く考えることで、

未来を見通すことなど誰にもできないが、こうすればクリアに想像できる

世界の成り立ちなど誰にもわからないけれど、こうすれば見晴らしがよくなる

といったことができると発見し、それを繰り返すことで、変化の予兆を捉えるというのが、筆者の勉強法のようだ。


もとより英語力のない私なぞには、及びもつかないが、こうした先達の言葉を紹介し、その意味と示す未来を魅せてくれる本書のような存在は非常にありがたい。


そしてこうしたビジョナリーの言葉は「五つの定理」として整理され、それぞれのテーマ毎に分類・整理され、構造化されている。

「五つの定理」とは
①アントレプレナーシップ
②チーム力
③技術者の眼
④グーグリネス
⑤大人の流儀

で、いずれも、こうした「ウェブ」の世界を端的に現す言葉であるようだ。

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2008年08月02日

梅田望夫 「シリコンバレー精神」(ちくま文庫)

1996年秋から2001年夏にかけて、筆者のシリコンバレーの経験に基づくエッセイというか、シリコンバレーの一時期を切り取った、現地にいた当事者の記録の集合体である。

いくつか、ネット関連のエポックとなるものがいつ起こったのか調べてみると

windows95の発売が文字通り1995年
グーグルの創業が1998年
ネットバブルの崩壊が2000年

となっている。

そうした意味で、単なるネットに関するエッセイとしてではなく、インターネット時代の幕開けとして「シリコンバレー」が輝き初め、ネットバブルの波の到来と崩壊、そして再生へ、といっためまぐるしくはあるが、私たちの生活に大きな変化を与えた一時代の記録としても貴重な一冊である。

ただ、「シリコンバレー」あるいはそれに代表される「ネットの世界」に住む人たちのスタイルも丁寧に書かれているので、時代の記録集としてだけではなく、「ネット」あるいは「ウェブ」という、一種特殊ではあるが、確実に私たちに浸透してきている思考スタイルや行動スタイルのついての評論集としても読むべきであろう。

いくつか、その一端を引用すると、ベンチャー企業の興廃著しいシリコンバレーのビジネススタイルは


第一に、事業の成功・失敗はあくまでもビジネスというルールのある世界でのゲームで、それを絶対に人生に反映させないこと
第二に、事業とは「失敗するのが普通、成功したら凄いぞ」というある種「いい加減な」遊び感覚を心の底から持つこと。「成功するのが当たり前、失敗したら終わり」という「まじめ」発想を一掃しなければならない。
第三に、失敗したときに、「投資家や従業員や取引先といった関係者に迷惑がかかる」という考えを捨てること。皆、自己責任の原則で集まってきているのだと、自分勝手に「都合良く思いこまなければならない
この3つの知恵は、不運や失敗をしたたかに乗り切っていくための救命胴着

なのであり、その中で挫けることなく挑戦を続ける人々の心の有り様を「マドル・スルー」という言葉で表現している。

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