”京都ラーメン”の「醤油・こってり」に生卵をトッピングしたら、かなり美味であった

年齢がいくとあちこちがガタがきているので、本日は、昼過ぎまで休暇をとって、病院のはしご。

終了後、久々に「京都ラーメン」で昼食。ここの売りは、「野菜たっぷりラーメン」、あるいは「醤油ラーメン」に「九条ねぎ」のトッピングであるらしいのだが、今回は、店のカウンターの「お勧め」に従って「醤油・こってり」に生卵をトッピング。

ラーメンに生卵というのは、チキンラーメンのCMでも新垣結衣ちゃんがすすめてはいるのだが、あの「生」感にちょっと抵抗があるのが本音。なので、おっかなびっくりで、麺を生卵に絡めながら食すと・・・。

旨いではないですか。細麺にからみついたスープの”こってり”したところに生卵の”ねっとり”としたところが絡まって、ほどよい甘さを感じるのである。で、合間合間に、シナチク、チャーシューを摘んで味に変化を付けながら、九条ねぎで舌を洗う、という食し方がなんとも良いのであります。

次は「九条ねぎ」も大盛りにするぞ、と誓ったのでありました。

いろんな読み方のできる経済小説。組織運営論としてもお勧めであるな — 百田尚樹「海賊と呼ばれた男」上・下(講談社文庫)

昨年、昭和シェルとの合併をめぐって、創業家がどうこう、と騒ぎになった「出光興産」の創業者、出光佐三をモデルにした企業小説である。

構成は、上巻が

第一章 朱夏 昭和二十年~昭和二十三年

第二章 青春 明治十八年~昭和二十年

下巻が、

第三章 白秋 昭和二十二年~昭和二十八年

第四章 玄冬 昭和二十八年~昭和四十九年

となっていて、終戦時の国岡商店の再興のところから始まって、戦前・戦中の創業・隆盛第一期から敗戦、欧米の石油メジャーとのビジネス戦争とイランからの石油輸出、そして日本唯一の民族系石油会社としての第二期隆盛、といった流れである。

こうした創業系の企業小説の楽しみは、創業者のとんでもなく個性溢れる姿に自分の心象を重ね合わせながら、成り上がったり、没落したりにハラハラするというところにあると思うのだが

国岡商店は明治四十四年(1911)の創業以来、ただの一度も馘首がない。これは創業以来の絶対的な不文律だった。・・・店主である鐵造の口癖は「店員は家族と同然でる」というものだった。(上巻 P25)

鐵造は石統ができるときから、これに真っ向から反対してきた。自由な競争がなくては本当の商売にならず、また国民のためにも国家のためにもならないという信念のためだった。(上巻 P37)

といった信条をもち

国岡商店には創業以来、五つの社是があった。「社員は家族」「非上場」「出勤簿は不要」「定年制度は不要」、それに「労働組合は不要」というものだった。戦前においても、これらの制度は、多くの他の経営者から「非常識」と嗤われてきたものであったが、鐵造は「家族の中に規則がある方がおかしい」と言って信念を貫き通した。出勤簿のこときは、経営者が社員を信用していないものとして、蛇蝎のごとく嫌っていた(上巻 P120)

といった会社の、日本のライバル石油会社とそれと結託する国・軍隊、そして日本を支配下に置こうとする外資系企業との大死闘であるから、まあ、ほいほいと流れに沿って読んでいるだけで、「ワクワクハラハラ」、「ふぃー」という感じで読了してしなうことは間違いなくて、本筋のレビューはほかの方々に任せておいて、当方は、組織運営というところでいくつかとりあげる。

前述のように、かなり家族的なポリシーをもつ企業であるから、その理念もウエットかなと思うと、小説中で出てくる国岡商店の社員や役員からは

GHQのミラーに石油配給会社の問題点を説明するくだりで

「これは日本のすべての組織について言えることですが、日本ではまず「組織」が先に作られ、トップが決まります。そして下部組織が作られ、その管理者が決まります。順次、そうして下部組織が作られていくために、最終的に非常に大きな組織になってしまうのです。」(上巻 P146)

「末端の職員には決定権がなく、小さなことを決めるにも、上に伺いをたてることになります。そのために巨大な組織はしばしば非常に柔軟性のない組織になります。」

「大事なことは、まずその仕事にどれぐらいの人員が必要なのかということです。そしてそれを適材適所に配置する、そとはそれを管理する上の者を最低限揃えればいい」(上巻 P147)

が聞かれたり、店主の国岡鐵造の

「ぼくの指示ば、ただ待っとるだけの店員にはしとうなか」鐵造は言った。「今の国岡商店は店舗場ひとつしか持っとらんばってん、いずれいろんなところに支店ば出していきたいち思うとる。彼らはその店主になるわけやけん、大事な商いばいちいち本店に伺いば立てて決めるごたる店主にはしとうなか。自分で正しか決断ができる一国一城の主にしたか」(上巻 P296)

といった言葉や

他店を驚かせたのは、国岡商店の支店長には商いのいっさいの権限が与えられていたことだ。本店の店主である鐵造は支店のやり方にはいっさい口出ししなかった。任せたとなれば、全権を与えなければならないというのが鐵造の信念だったからだ。それが店員への信頼であり、それだけの教育をしてきたという自負があった。同業者たちは「無茶なやり方だ」と言ったが、鐵造は意に介さなかった。むしろ、いちいち本社にお伺いを立ててくるような店員では使い物にならないと考えていた。(上巻 P339)

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日本人を支配する行動理念は「言霊」の次は「朱子学」? — 井沢元彦「動乱の日本史 徳川システム崩壊の真実」(角川文庫)

日本人の行動性向に「言霊」という概念を持ち込んで、当方的には「ほーっ」と稀代の理論を教えもらったような気がしていたのだが、「江戸幕府」という日本が世界に誇る安定政権が「安定」していた仕掛けと、それが日本の現代にまでもたらした悪癖といったところまで論及しているのが本書。

構成は

第1章 幕藩体制と危機管理 ー 徳川家康のグランドデザイン

なぜ「徳川三百年の泰平」は到来したのか

なぜ薩長の江戸攻略は不可能だったのか

なぜ水戸徳川家は「天下の副将軍」と言われたのか

第2章 平和崩壊への序章 ー 朱子学という劇薬の作用

なぜ幕府は最後まで開国を渋ったのか

なぜ田沼政治を「改革」と呼ばないのか

第3章 黒船とは何だったのか ー 幕府と薩長土肥の明暗を分けたもの

なぜ日露友好は夢物語に終わったのか

なぜ幕府は黒船の問題を先送りにしたのか

なぜアメリカは日本との通商を熱望したのか

なぜ朱子学では外国から学ぶことが悪なのか

第4章 ペリーが来た ー 連鎖する日本人の空理空論

なぜ「ペリーは突然やってきた」が歴史常識になったのか

なぜ攘夷派は目の前の現実を無視し続けたのか

なぜ明治革命ではなく明治維新なのか

となっているが、筆者の「今の◯◯」はけしからん編まで読みたい人は最後まで、「日本人の心理構造にはこんなからくりが」ってなとこで良い人は第3章ぐらいまで、といったところか。

で、本書のキーワードは「危機管理」と「朱子学」

最初の「危機管理」は徳川家康が、徳川幕府が攻め滅ぼされないために講じた「ハード」の側面で、仮想的である薩摩、長州をはじめとした西国大名から、江戸を守り抜く、熊本城、小倉城、広島城、そして駿府。脱出先としての甲州といった武張った防衛論が語られるのが第1章である。「戦国BASARA」的な活劇が本旨という人はこのあたりで満足かもしれない。

ただ、本書の真骨頂は第2章からと、当方は思っていて、家康が幕府防衛のためにとった最終ウェポンである「朱子学」が語られるところは、「ほうっ」と思わず嘆息する。

というのも、徳川幕府がその体制維持のため、「士農工商」という身分制度を今日こに保ち、上下の関係の厳しい道徳を維持したことや、水戸徳川家が勤王家であった理由などは、いろんなところで論説があるのだが、その身分制度を維持する「名分論」が徳川幕府 にとって諸刃の刃となったあたりや、幕末の開国騒ぎとそれにつづく倒幕も「朱子学」がもたらした失策であったといったところは審議は別にして、歴史モノとしてはワクワクすること請け合いである。

人によって好き嫌いはあるかもしれないが、「異説」の面白さというのはそそるもんでありますな。

「辺境」から思う、電子書籍の有用性

R-Styleで「電子書籍と辺境の人たち」というエントリーを読んで、そちらの本稿とはほとんど乖離してしまうのだが、辺境に住まうプチ単身赴任者として、電子書籍の有用性は身にしみるのが実感である。

なにせ、地方の書店数といったら恐るべき少なさで、当方が今住まう地方都市は人口15万人程度のそこそこの規模であるのだが、こちらの地方寡占書店以外はほとんどない(いわゆる「町の本屋さんは絶滅状態なんである)。なおかつショッピングセンターなどの人が集まるところに集中しがちであるから、一般の住居地ではコンビニの書籍・雑誌コーナーがせいぜいというところなので、いまのところ買う「本」は「電子書籍」といった状態。

なおかつ、居住環境も1Kのレオパレスであるので、まあ狭いことは請け合いで、本を買い込んで並べておく環境にはほとんどない。なので、実は紙の本もスキャニングして、タブレットで読むといったことが状態化していて、実物の紙の本はほとんど所有していない状態である。

だた、「電子書籍」の難は、リアル書店に出向いた時の、自由に本をブラウジングデキる環境がいまいち出来上がっていないところである。ネット書店をはじめ多くのところでは立ち読み機能もあったり一部は閲覧できるのだが、どうしてもリアル書店のような自由さがないところである。

書店の店頭で、ぱらぱらと様々な本をめくる楽しみを提供できるようになれば、おそらくは紙の本を買わずに電子書籍一択になると思うのでありますな。

「新聞」はまだまだ面白いメディアだ — 池上 彰「池上彰の新聞活用術」(ダイヤモンド社)

新聞の発行部数は、日本新聞協会のデータによると2016年現在で一般紙、スポーツ紙あわせて43,276,147部であるらしく、2000年の53,708,831部に比べると15年ほどで1000万部減らしている勘定になるらしい。だが、1世帯あたり部数は2000年が1.13部、2016年が0.78部と、まだまだメディアとしての力、影響力は計り知れないものがあるね、ほとんど世間様への影響力を持たない当方としては恐れいるしかない。

本書の著者の池上彰さんはテレビ出身とはいっても、ニュースキャスターも長年努め、読書術や新聞のスクラップや情報入手の方法など、「紙」ベースの情報収集にもとてつもなく見識のある人で、「新聞の読み方」なども様々な媒体で論じておられているのだが、そんな池上彰氏の「新聞愛」にあふれた著述が本書。

構成は

第1章 ニュース力を磨こう

第2章 数字力を磨こう

第3章 伝える力を磨こう

第4章 書く力を磨こう

第5章 想像・推理力を磨こう

第6章 見せる力を磨こう

第7章 発想・コミュニケーション力を磨こう

となっていて、筆者の朝日新聞の連載コラムをまとめたものである。なので、とりあげる範囲も新聞の活用術だけというわけではなく、「世の中が物騒になった、昔がよかった」という論調に対して、

凶悪事件は減っていても、「凶悪事件報道」は増えている(P76)

といった冷めた視点を提供したり

現場の臨場感を伝えることができない新聞記事は、優れたものとはいえません(P81)

と新聞記事批判を展開したかと思うと、最近、さるスキャンダルのせいか画面や紙面で見かけなくなった、女優の江角マキコさんの早世した「お父さん」と、家族を残して癌に倒れた「弟さん」についての記事を紹介(P120)して「ホロリ」とさせたりと、技は冴えているのである。

で、「うむ」と思わされたのは、新聞記者の資質に関しての

新聞記者に必要な資質、それは世の怒りをいち早く察し、切れ味するどい短文で表現する能力(P154)

であったり、「後期高齢者」という名称をめぐっての騒動に際して、同じく

記者の資質として大切な要素の一つは想像力。世の中の人は、どんな思い出暮らしているのか、何に怒っているのか、そんな気持ちへの想像力です(P165)

といったあたりで、ここらは、「新聞記者」だけでなく、「公」に携わる者が心に刻んでおかねばならないことであろうな、我が身を振り返ったのでありました。

新聞の読み方指南、新聞情報の活用指南というよりは、「新聞にまつわるエッセイ」といった感じで読んだほうが、すっきりする一冊でありますな。

ノートはデカイほど良い? — 横田伊佐男「一流の人は なぜ、A3ノートを使うのか(Gokken)

情報整理や発想のツールはいろいろあれど、「ノート」に拘る人は一番の多数派であって、これはデジタルなガジェットがどれだけ普及しようが、いまだに変わらないように見受けられる。で、そのお勧めされるノートのサイズも、人によって様々ななのだが、中でも最大なのは、この「A3ノート」であろうが、A4はポピュラーではあるが、A3となると「デカすぎる」の一言で片付けられそうにもなりかねない。

構成は

1 なぜA3ノートなのか

2 なぜ「ノート」なのか?PCではダメなのか?

3 書く前に何を知っておくべきか?

4 A3・1枚にあらゆる発想を書き出す

5 A3・1枚をフレーム分割して、発想を整理する

6 A3・1枚で「全体像」を網羅する

7 A3ノート徹底活用術

となっていて、そのあたりを考慮して、なぜA3といあたりから始めないといけないのがまわりくどくはある。

で、その理由は

日本を代表する世界企業のトヨタ自動車では、社内資料はA3で徹底されている

また、大前憲一氏はA2(A4用紙4枚分)という巨大な方眼紙を使って左下から右上に向かって書く(P23)

といったところであって、あまり根拠らしいものは感じられないのだが、当方としては、市販されているものの中では、ノートパッドや用紙ではA3が一番デカイくて入手しやすい、というところであろうと落ち着いた。

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いつでも、どこでも「デキる」人の行動法則 — 相原孝夫「ハイパフォーマー 彼らの法則」(日経プレミアムシリーズ

どこの職場でも「エース」と言われる人はいるものなのだが、コンスタントに懸案課題を解決したり、実績を出す人というのはいるようでいない。本書は、そうした人材へのインタビューやゔょうさを通じて、恒常的に高いレベルで成果を上げる人についてのレポートである。

構成は

第1章 前向きなあのひとが、なぜ結果を残せないのか

第2章 良くも、悪くも、すべては循環する

第3章 期待の新人は、なぜ「平凡な社員」になったのか

第4章 失敗から学ぶ彼らにとって、「ゲーム」だ

第5章 彼らは、とにかく「小さな行動」を続ける

第6章 彼らは身近な人を支援し、成功を助ける

第7章 彼らは、たまたまの成果を喜ばない

第8章 彼らは、環境が変わっても瞬時に溶け込む

終 章 職業人生を終える時、どういう思いをもちたいのか

となっていて、こうした「デキる人」のレポートは、能力自慢や明るい性格傾向といった、とてつもなく「正」の部分が強調されすぎるきらいもあるのだが、本書は

どんな境遇もポジティブに捉えて前向きに進むことは生きていく上でたしかに重要なことである。それ自体、否定されるべきことではない。しかし、様々な事象を見てみると、ポジティブ思考が必ず良い成果を引き寄せるとは限らない事が多い。(P26)

ネガティブ思考の人は、「もし別の方法を採っていたら、うまくいっていたかもしれない」と考える。この考えは次回への教訓になるため、次のいい結果をもたらす可能性が高まる。ポジティブ思考の人は、「今回採った方法が最善であったに違いない」と考えてやり過ごす。こうした感揚げは、あまり落ち込まずにすむという点においては有効だが、物事を改善し、次回以降のパフォーマンスを高めたい場合にはあまり役にたたない(P26)

「問題解決力に自信」が悪循環を招く(P42)

自分の技術力や交渉力に自身があることがかえって災いしており、問題の予兆を見過ごしている可能性があり、それが悪循環を招いている可能性があった。問題が発生してから対処するので、付け焼刃的な対応になったり、他のプロジェクトに遅れが生じたりする。(P43)

といったあたりは、世間よくある「成功のためのメソッド」へ高らかに反旗をひるがえしており、「うむ、なかなかですな」と頷くところも多い。

そして、結構以外なのが、ハイパフォーマーとされる人の、行動傾向、性格軽傾向で

「プロセス重視」の姿勢や「他者尊重」「周囲との関係性重視」の姿勢は好循環につながりやすく、一方、「過度な結果重視」や「周囲との関係軽視」は悪循環を招きやすい (P74)

ハイパフォーマーの多くは、失敗体験についても躊躇することなく語った。しかも、成功体験を語り場合とほとんど変わりなく、事細かにその時の状況を記憶していた。自分の役割だけでなく、関係していた人たちの特徴や役割についても詳細に語った。

一方、アベレージパフォーマーの多くは、成功体験については雄弁に語るものの、失敗体験となると途端にトーンダウンした。(P99)

ハイパフォーマーたちを分析していて分かったことがある。失敗の受け止めは「楽観性」とセットになっているということだ。深刻になり過ぎずに比較的さらりと受け止めることができる。感情面はスルーし、事実だけ受け止めるため、必要以上にダメージを受けない。

「ビジネスは所詮ゲームだから」という意見をハイパフォーマーの人たちから幾度も聞いたことがある。これも不思議にハイパフォーマー以外の人たちからは聞くことのない意見である。もちろん、不真面目なわけではない。仕事に対して真剣に取り組んでも、深刻にはなり過ぎない。「最悪でも、会社をクビになるくらいなもの」といった割り切った意見が聞かれる。

そのような人たちは、失敗しても、自分自身を否定するわけではなく、その時の状況やその中での自分の判断や行動を客観的に振り返れるのだ。(P106)

といったところは、ハイパフォーマーと呼ばれる人は、能力がべらぼうに高いというよりは、精神的なしなやかさ、強さといったものの特性によることが多いようであり、

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News Week 「イギリスで進む「脱」民営化」で思う「顧客」の変化と民営化の理念の風化

News Weekで「イギリスで進む「脱」民営化」という記事がでていて、サッチャー時代に一世を風靡し、日本でもいまだに影響力の強い「民営化」について批判的な内容。

この記事の筆者は電気サービスとか年金とか、公営から民営に移管されたサービスを比較し、最後に

どうやら公営企業は、民間企業に改善を促すような新基準を打ち立てる役割を果たしているようなのだ(たとえば公営のNESTの「脅威」に対抗するために、民間企業の年金ファンドは手数料を下げるようになってきた)。

さらに公営企業は、民間よりしっかりと顧客ニーズに対応できる(民間企業では株主と経営者の利益が最優先だ)。そして公営企業は、大量の顧客を獲得し、効率的な経営ができる。

僕は民営化に対して賛成、反対の確固たる自説があるわけではない。でも僕(自由市場でいろいろな情報を手にしている一消費者だ)の最近の行動を見てみれば、おのずと見えてくる。僕が「消費行動という投票」によって、民営化に反対票を突きつけているということが。

といったことで締めくくっている。

サッチャー首相以来のイギリスの民営化といえば、鉄道からエネルギー産業、年金システムまで、ほぼありとあらゆるものを民営化の対象とし、国営や公営は非効率の極みであるような扱いがされていたもの。この影響は、日本にも強く及んで、いまだに行政改革といえば「民営化」「民間委託」がいの一番にでるぐらい。

その民営化の本国というところでの「批判」なのだが、記事を見て思ったのが、「民営化」のシステムがどうこうというのではなく、民間企業ではあるが、サービスの基本、「顧客は誰」というところがおろそかになっているのが原因では、と思った次第。

もともと、国営や公営の欠点といわれるのが、いわゆる「お役所仕事」で顧客たる国民や県民をみていない、ということであったのだが、どうやら、物事が安定化すると「顧客」を見失ってしまうのは、国営だろうが、公営だろうが、民営だろうが関係なくて、要は「惰性」によるシステム疲労を来しているかどうかということであったのかもしれない。

となると、運営主体をどうこうすれば物事は解決するんじゃなくて、いかに「顧客」をブレさせないシステムを維持するかっていうのが大事であって、それは、競合状態を常に確保しておく、つまりは「独占」をいかに排除するかっていうことにつきるのかもしれないですね。

フェイスtoフェイスなしのSNSでは孤独感は癒やされない

c-net Japanに「SNSで過ごす時間が長い人ほど孤独感を強く感じている」という記事が出ていて

Primack氏の研究チームは今回、19~32歳の1787人を対象に聞き取り調査を実施した。そのデータに対し、社会的孤立の程度を測定する一般に受け入れられた手法を適用した。

結論はこうだ。社会的要素と人口統計的要素を除外した場合でさえ、1日のソーシャルメディアの利用時間が2時間を超える人は、30分未満の人と比較すると、社会的孤立を2倍強く感じていた。

「人間は生まれつき社会的な生き物だが、現代の生活は、われわれをひとつにまとめるのではなく、区分する傾向がある。ソーシャルメディアは、そうした社会的な隙間を埋める機会を提供するように思えるかもしれない。しかしこの調査は、ソーシャルメディアが人々の望んだ解決法ではない可能性があることを示唆していると、私は考えている」(Primack氏)

ということであるのだが、SNSだのなんだの、と難しい理屈でなくて「リア充」かそうでないかということでは、という思いにかられる。

というのも孤独感を感じるかとどうかというのは、かなり原始的なもので、他者と皮膚的な接触があるかどうか、物体的に近しい状態にあるかということが重要であって、精神的な近さ、特にSNSのような「ユルイ」関係で孤独感がなくなるようには、多くの人は進化あるいは変化しきれていないように思う。

それは、テレワークやモバイルワークが、面談とか会議とかでフェイスtoフェイスという物理的なこと抜きではうまくいかない例が多い、というのと共通であろう。

生物的な衣をまとっている以上、身体的な接点をまったくもたずに「ネットワーク」するということでは「孤独感」という根源的な感情は払拭できないんでしょうな。

「デザイン」という視点からの仕事術の提案 — 佐藤オオキ「問題解決ラボ」(ダイヤモンド社)

仕事術にも流行り廃りがあるのは当然のことで、一頃は数値やデータをやけに強調した分析的な仕事術の流行が、その几帳面さゆえか盛りをすぎたように思ったら、「デザイン」という直感的なところに基礎を置く仕事術が隆盛となってきた。

その先頭にいると思えるのが、デザイナーであるとともにアイデア、発想法の著述など八面六臂の活躍している本書の筆者「佐藤オオキ」氏であろう。

構成は

第1章 デザイン目線で考えると、正しい問いが見えてくる

第2章 デザイン目線で考える、とありそうでなかったあ「アイデア」が見えてくる

第3章 デザイン目線で考えると、ホントの「解決法」が見えてくる

第4章 デザイン目線で考えると、刺さる「メッセージ」が見えてくる

第5章 デザイン目線で考えると、見えない「価値」が見えてくる

となっていて、「デザイン」という視点から、仕事の様々な面をとらえ、うまいやりかた(あえて効率的とはいわない)を提案するのが本書。

ただ、「デザイン」目線でやればすべてがうまくいくとは思うべきではなくて、むしろ、データや数値に重点を置いた経営分析、効率一辺倒の仕事のやり方の行き過ぎ部分を修正したり、うまくいってないところの置き換えといった形で考えるべきかなと思う。

その意味で

間違えてもいいからできるだけ早く行う(P81)

といったところは、一般の仕事術と共通するところであるし、

「半歩前がちょうどいい」

「誰も見たことがないもの」は「誰も求めていないもの」と紙一重(P7)

本物の「いいアイデア」とは1つのアイデアからどんどん派生していく、広がっていくもの。

多くの人の頭の中で化学反応を起こし、様々な問題解決に応用され、自分の知らないところで成長して独り歩きしていくのが、本当に良いアイデア(P13)

アイデアは探さないほうがいい。周りにあるものを「ボヤッと見」する(P40)

アイデアの原材料となる情報を収集するコツとしては、白黒をつけずに「グレー」な状態を維持すること

数字でも文字でも人の感情でも、どんな情報であっても必ず頭の中で「ビジュアル化」する

できるだけ、ポジティブに物事を考える(P70)

といったところは、通常の仕事術で壁にぶつかった時に有用な「デザイン」目線ならではのものであるだろう。

さらに

「めんどうくさいこと」こそ、全力でトライするように意識すれば、チャンスは自然と寄ってくる。めんどうくさいことを避けていると、決して真の問題に気づかない(P37)

ものごとをフラットに観察し、新しい切り口を発見する「眼」と、それをしっかり形にしていく「根気強さ」、それと自分の考えを正しく伝える「コミュニケーション能力」さえあれば、デザイナーとして食いっぱぐれることはない。その適性を見分ける方法は「例え話が上手かどうか」(P165)

といったあたりは、「デザイン」目線をこえて、仕事術の根本の提案ともいっていい。

ともすれば、我々の仕事のスタイルは硬直しがちである。「デザイン」という文系・理系どちらの視点にも属さない立場からの「仕事術」「アイデア術」は、軽いショックとともに新しい視点を提供してくれるのではないかな。