2009年07月02日

塩野七生 「ローマ人の物語 ⅩⅡ 迷走する帝国」(新潮社)

いつもは安価な文庫本で済ますのだが、今回はちょっと奮発して単行本で読むことにした「ローマ人の物語」である。

時代背景としては、セプティミウス・セヴェルスがイングランドで客死した後、後を継いだカラカラから始まり、ローマ帝国の危機ともいわれ、軍人皇帝が乱立した時代、ディオクラティヌスの即位直前までの3世紀のローマ帝国が描かれている。

紀元211年から284年の、百年間にも満たない期間なのだが、あれあれ、という声が出てしまうほどに様々な出来事、国難満載の世紀である。

例えば、カラカラ帝がローマ帝国の市民権を、帝国住民全員に広げ、ローマ軍の弱体化を招き、オリエント出身のあやしげな(失礼!)宗教の祭司も務める皇帝ヘラガバルスが登場したりして、なんか雲行きが怪しくなったぞ、と思ったら、案の定、新興国ササン朝ペルシアが登場して、皇帝が捕囚の身になるという前代未聞の失態はおきるは、ゲルマンの蛮族がやたら暴れ出して、あろうことか、ガリアが独立したり、シリアのあたりがパルミラとして割拠したり、といったいったことが、次々とおこるのである。

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2009年06月30日

中谷 巌 「資本主義はなぜ自壊したのか」(集英社)

ご存じのように中谷 巌氏は、小泉内閣の「経済戦略会議」の議長代理をはじめ、数多くの政府委員を務め、構造改革の旗手として大活躍していた人。

その人が、構造改革を推進してきたことを自己批判し、「転向」を表明したのが、本書である。

構成は

序章 さらば「グローバル資本主義」

第一章 なぜ、私は「転向」したのか

第二章 グローバル資本主義はなぜ格差をつくるのか

第三章 「悪魔の碾き臼」としての市場社会

第四章 宗教国家、理念国家としてのアメリカ

第五章 「一神教思想」はんぜ自然を破壊するのか

第六章 今こそ、日本の「安心、安全」を世界に

第七章 「日本」再生への提言

終章 今こそ「モンスター」に鎖を

となっていて、著者がなぜ「市場原理主義」に惹かれていったか、を若い頃の留学経験などを語りながら延べ、「アメリカ」という国家の特異性、実は「市場原理主義」も特異な存在であることと、その欠陥というよりは害悪が、まず語られていく。

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2009年06月28日

西原理恵子 「ぼくんち」(小学館)

「いけちゃんとぼく」をとりあげたら、なんとなく西原理恵子さんのものをとりあげたくなったので、続けてレビューをすることにする。


で、そうなると「ぼくんち」である。
というのは、全編を通じて流れるハチャハチャさともの悲しさ、そしてラストの泣かせどころといい、「いけちゃんとぼく」にひけをとらない出来だと思うのだが、どういうわけか、大々的に取り上げられているのを最近見ない。やはり、西原さんのいう「下品さ」が影響しているのか?けして、そんな下品ではないぞ、とこの作品を援護したくなったという訳である。


始まりは、「山と海しかないしずかな町」に住む男の子「二太」のところに、三年前に家出していた母親が帰ってくる。なんと「おねえちゃん」と一緒にだ。「おねえちゃん」の名前は「かのこ」といって、ここにくる前は「ピンサロ」で働いていて・・・・、といったところから。まあ、なんとも乱暴な出だしではあるが、西原さんの漫画らしいといえばいえなくもない。

そして、再び母親が家出して、二太は、(たぶん)この血のつながらない「おねえちゃん」と暮らし始めるのだが・・・

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2009年06月27日

西原理恵子 「いけちゃんとぼく」(角川書店)

 西原理恵子さんの初めての絵本。

 
 いけちゃんは
 ずっとまえから
 そばにいる

 いけちゃんは
 なんとなく そばにいる
 

から始まる、丸くて、ふわふわの「いけちゃん」と「ぼく」の日々の暮らしと生活と、ぼくの成長と別れを描いた絵本、といっていいのかな?

このあたり大筋は言い得ていると思うが、いまいち、この絵本の全体を通した感覚を表現できていないようでもどかしい。


西原さん特有の、露悪的なギャグを含んだお話、例えば、ぼくが友人にバナナの皮やナフタリンを食わす話などや、喧嘩やいじめ、父親との死別のエピソードが、いつもそばにいる「いけちゃん」とのふれあいが、この人特有のパステル調ではあるが、原色に近い、なんとなく、南国のアジアっぽい色使いとともに語られていくのだが、ワハワハと読みながら、時折うむ・・・とかうならされて、なんとなくもの悲しくなってしまうのは、いつもの西原理恵子調絶好調である。


例えば、父親を亡くした悲しみは、海で100回おぼれるほどの感じ、「100うみ」だと「ぼく」と語りながら、

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2009年06月25日

堤 未果 「ルポ 貧困大国アメリカ」(岩波新書)

サブプライムローンの破綻後、いわゆる新自由主義に対する批判やアメリカ社会の現実のような本が、かなり出てきているが、本書もその一つであることは間違いない。

ただ、本書は、いわゆるルポルタージュという形がとられることによって、「実は新自由主義は間違ってました」「間違いは実は私は気がついていたんですがね」といった風見鶏的な論調とは、かろうじて一線を画していることができている。

ただ、本書が刊行されたのが2008年1月で、初出はしらないが、もし同時期とすれば、サブプライムローンの破綻する2007年から2008年の時期に附合することにもなり、「おいおいもっと早く言ってもいいだろ」と後出しジャンケン的なものを感じるのは否定できない。

と悪口を書いてしまったが、ルポとしては、かなり上出来ののものと思う。アメリカの貧困をきちっとリポートしながら、けして、グローバル資本主義がなくなればOKとか、大きな政府にすれば万事解決、悪いのは「大企業」だったのよ、というような、ある種、楽天的な論調に陥ることなく、アメリカの貧困の底の深さ、解決の難しさを記述していて、ルポとしての好感がもてる仕上がりになっている。

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2009年06月24日

椎名 誠 「全日本食えば食える図鑑」(新潮文庫)

食エッセイあるいは、日本食べ歩きといっていいのだが、題名で想像がつくとおり、食べるものが尋常のものではない。というよりは、フツーは食わないだろ、といった代物や「うーむ、ちょっとね」といった食べ物の食エッセイである。

収録は

睾丸のようなもの。ぐねぐねするやつら(沖縄県 与那国島・石垣島)

なんてこったの肛門チンポコ生物(佐賀県 有明海・唐津)

決め技はコリコリとずるずる(京都府 伊根・丹後)

奇食ではなく貴食なのであった(北海道 阿寒湖)

ヒトは禁じられると求めるものだ(岩手県 遠野・宮古)

高知の山海秘密の三本勝負(高知県 安芸・大方)

食うか食われるか。ミキにはキミの夢がある(鹿児島県 奄美大島)

でっかくて黒いやつ。小さくて黒が好きなやつ(青森県 鰍ケ沢。下北半島)

輝け!第1回全日本麺の甲子園大会(日本全国)

でらうまの謎(愛知県 名古屋)

愛と策略の蜂の子まぜごはん(長野県 白馬・穂高)

鮒ずしへの詫び状(滋賀県 琵琶湖)

一見して、どんな食べ物かがわかるものもあるから、一部を紹介するだけにしておくが、椰子蟹、うみへび、いそぎんちゃく、ゲンゲのナンダもしくはババアないしはグラと呼ばれるもの、ゴカイ(エラコ)、ウツボ、納豆サンド、といった代物がオンパレードである。


いったいにこういうゲテモノというのは、一種の怖いモノみたさのようなものがあって、自分が食べるのは別にして、他人が食べるのを見たり、読んだりするのは、妙に自虐的な快感がある。

といったことで、あえていくつか引用すると

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2009年06月23日

杉浦日向子 「うつくしく、やさしく、おろかなりー私の惚れた「江戸」」(筑摩書房)



江戸に惚れ込んでいた、杉浦日向子さんの「江戸」についてのエッセイ集である。この人の江戸ものはコミックでも葛飾北斎を描いた「えひもせず」や怪談集の体裁をとった「百物語」などなど、数々あるのだが、いずれも「江戸」が好きで好きで堪らない雰囲気が伝わってきて、筋立てのほかに「江戸」が楽しめて、なんとも風情のあるものだった。

そういう人の江戸エッセイであるから、そこかしこに作者が惚れ込んだ「江戸情緒」がこぼれだしてきて、江戸流にいえば、「なんとも粋」な出来である。

構成は

江戸の粋と遊び

江戸のくらし

江戸の食事情

の三部構成で、それぞれ江戸の暮らしを描いてある。

全体に、該博な江戸時代の知識をそこかしこに散らしながら、けして嫌みになっていないのが、この人の人柄なのだろう。


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2009年06月22日

下川裕治 「日本を降りる若者たち」(講談社現代新書)

若者の貧乏旅といえば、汚いジーパンに、使い古したナップザックを背負い、安宿に泊まり、地元の人と同じ貧相な(失礼!)食事をし、国から国へと渡っていく、というイメージであったし、旅本を読む楽しみも、家庭と暮らしと仕事に雁字搦めになっている我が身を一時、解放するというものであったのだが、本書によると、どうも「若者の旅」が変質しているらしい。

なにもせず、どこへも行かない旅行者たち

外こもり。日本で引きこもるのではなく、海外の街引きこもる若者たち

が出現しているらしい。

章立ては
「旅から外こもりへ」
「東京は二度と行きたくない」
「人と出会える街」
「ワーキングホリデーの果てに」
「留学リベンジ組」
「なんとかなるさ」
「これでいいんだと思える場所」
「死ぬつもりでやってきた」
「こもるのに最適な場所」
「帰るのが怖い」
「ここだったら老後を生きていける」
「沖縄にて」
「ラングナム通りの日本人たち」
で序章から付章までの13章立て。

で、この章の題名でもわかるように、この本に出てくる日本人は、優しく、そしてナイーブで、傷つきやすく、元気がない。

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2009年06月21日

高橋克徳ほか「不機嫌な職場」(講談社現代新書)

 成果主義あるいは、市場主義の浸透によって、何が変わったかというと、個人的な実感としては、職場の人間関係が一番かな、と思わざるをえない。 私なぞが勤め始めた1980年代は、今に比べるとかなり牧歌的な時代といえなくもなくて、勤務管理もかなりいい加減であったし、なにかしら、のんびりとした風情が残っていた。具体的な例を挙げれば、週休2日制は、まだ大企業にしか導入されてなくて、大半の会社は土曜日は「半ドン」という形で、勤務時間は午前中までだったので、昼からは同期で集まって麻雀をしたりとか、遊ぶ仲間が集まらないので、 やることがなくて残業したり、といった具合であったし、職場の泊まりがけの忘年会やレクリエーション、運動会もまだまだ健在であった。  それがいつの間にか、妙に人間関係の薄い、どこなく尖った職場になってきている。そして、こうした職場の在り様を、さほど抵抗なく、皆が受け止めてしまっているという状況のような気がする。


本書は、そうした出口のない「職場の問題」に対して、なんとか解決のアプローチを探ってみようとしている。

こうした状況がなぜに生まれたのかというのは、本書でも示されているように、1990年代後半から、様々な側面で進められた「効率化の圧力と成果主義」の動きが、「仕事の定義」の明確化を進め、それは、個々の職場のサラリーマンの専門性を深化させる。そしてそれが、日本の組織の生産性を高めるともに、「調整」「束ねる」といった力を弱める、組織力を弱める、といった方向へと誘導した、というのは恐らく正しいのだろう。

ただ、それをかなりの力で加速したのは、当時の職場を覆っていた一種の「閉塞感」であったように思う。こうした閉塞感の打破が、当時、アメリカ風で、ぴかぴか輝いていた、専門職化とIT化に包まれ、べたべたした人間関係から離れた労働、というものに人々が傾斜していったせいもあるような気がしているのである。

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2009年06月20日

下川裕治 「12万円で世界を歩く」(朝日文庫)

旅本というのは、一種の歴史書といえなくはなくて、ちょっと前の旅本は、旅のガイドブックやルポルタージュとしては使えなくなるのだが、歴史的なドキュメントとしては、直に経験した人が書き記しているものだけに、妙な迫真性と懐かしさをもたらしてくれる。

この「12万円で世界を歩く」も、そんな位置関係になってしまった本で、実際の旅は1988年から1989年にかけてなので、昔の旅本でお馴染みの中国の「服務員」さんも健在だし、香港は返還されていないし、インドはIT大国とはほど遠いし、社会主義国も元気だ。

収録は

「バンコクから尻にアセモの二千キロ。赤道には白線が引いてあった」

「高度四千メートルめざすヒマラヤ・トレッキング。ヒルの森にヒルむ」

「韓国をぐるーっと一周バスの旅。かかった費用は五万七千二百一円」

「神戸から船に乗り続けて十三日。長江(揚子江)の終点にたどり着く」

「ついにニューヨーク到着。アメリカ大陸、一万二千二百キロ」

「北京発ベルリン行き列車、二十八日間世界一周」

「インド大陸を列車とバスで横断。ラダックに青空を見に行く」

「念願のカリブ海リゾート。キューバのドル払いアリ地獄に泣く」

「東シナ海、南シナ海、四つの中国めぐり。超たいくつクルージング」

「ロサンゼルスからひたすら北上。カナダ最北端、北極圏突入」

「タイ国境線をなぞる戸惑いの旅。気がついたら”密入国”」

「神戸からアテネ、一万五千四百七十二キロ。シルクロードを揺られぬく」

で、アジア、北アメリカ、ヨーロッパと幅広い。

趣向は、十二万円でどこまで行って帰ってこれるか(当然、交通費と滞在費と合わせて)というもので、それぞれの旅の最後に使ったお金の明細表がついているのも興味深いし、また1997年ぐらいに書かれたらしい、補筆がついているのだが、それすらもすでに歴史になっているところが二重に面白い。

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