プレイングマネジャー向け「説教」にならない部下の「コーチング」のコツ

先だって、レビューした『中原淳・金井壽宏「リフレクティブ・マネジャー 一流はつねに内省する」(光文社新書)』では、マネジャーのほとんどがプレイングマネジャーとなりながら、プレイヤーとしての実績を求められる部分が多くて、「指導」という場面が弱くなっているということを紹介した。
 
でも、今どき「管理」だけに特化できるマネジャーは「絶滅危惧種」に近くなっているという状況は間違いなく、全ての「プレイングマネジャー」の仕事に「部下育成」が含められるのが大多数であろう。でも「仕事をするコツ」は今まで教えられてきていても、「人を育てるコツ」はなかなか伝授されることが少なく、以外に時間をとることに驚いている人も多いはず。
 
同書から、「プレイングマネジャー」向けの「部下指導のコツ」的なところを抽出してみた。
 

【指導のコツは4つ】

 
まず、(理屈っぽく)分類されているのが
 
第一に、タイミングを考える
第二に、成功経験だけでなく、失敗経験も語る
第三に、プロセス(出来事の連鎖)をつまびらかにする
第四に、吟味や反論の可能性を認める
 
ということで、第一のコツは「文字通り」であるのだが、第二のコツ以降はちょっと補足しておきたい。
 

【「失敗体験」を積極的に語る】

 
第二のコツの「失敗体験」を語るべきなのは、上司による部下指導、特に「呑み屋」での部下指導は、自慢話、内輪話に陥ることが多いので、それを防止するためなのだが、失敗体験を多めに語ったほうがよい。というのが、成功体験というのは、それぞれの条件(幸運なことも含めて)に依存することが多いのだが、失敗には多くの共通点があるので、むしろ、その共通点を知ってもらうほうが、若手職員がこれから事をなすのに、前轍を踏まないようにサポートできる。さらに成功体験でも中には「プチ失敗」あるいは「失敗の未然防止」的なことは隠れているので、そこらを中心にしたほうが良いと思う。
「成功体験」は「失敗」とあわせて伝えるほうが、しっかり人の心には残りますので。自慢話をしたい向きもご安心を。
 

【背中を見せる】

 
第三のコツは、そのまま読めば、「5W1H」、自分が思ったことと教訓をはっきりさせなさいということなのだが、「言葉」で語るよりも、プレイング・マネジャーであれば、その姿を実地に見せる、という方法を組み合わせたほうがいい。
 
同書でも
 
彼ら彼女らがプレイングしている様子」は、つねに部下の視線にさらされている。となると、マネジャーは直接、教えてはいなくても、部下の方ではマネジャーの行動の観察を通じて、「そうか、あんなふうにプレイすればいいのか」というふうに学ぶ機会を得るのではないだろうか
 
とか
 
マネジャーがプレイングな状況にあるからこそ、何かを言われた部下は、言われた内容が腹に落ちるのではないだろうか。「プレイしているあの人が言うんだから、そうなんだろう」という感じ
 
とあって「背中を見せる」ことの効果を挙げている。この「背中を見せる」のは、いわゆる「管理」だけをしているマネジャーには出来ないことなので、「プレイイング」している現場を使えるという、プレイング・マネジャーの利点をしっかり使ったほうが良い。ただ、最近は人員も限られて、現場に部下を同行させられないことも多いから、背中の「見せ方」は、リアルな方法だけでなく、いろいろ考えないといけないな。
 

【持論に拘わらない】

 
第四のコツには
 
経験はつねにどんな状況にもあてはまるとは限らない。上司の経験の中には、今のビジネス環境に照らせば時代遅れになってしまっているものもある。そのエピソードが今に通ずるものななのか。教訓に妥当性があるのかを、きちんと部下と話し合えることが重要になる。
 
と同書も補足されているのだが、これを担保するの「プレイングマネジャー」側の心構えとして、「持論に固執しない」ということが必須で、同書では
 
貴重な経験を積み、十分な振り返りをへてせっかくつくり上げた持論でも、それが絶対化し、安定化し、変わらぬものになったとき、あるいは、いつでも、どんな人にも、どんな状況にも適用されると思い込んでしまったとき、それは「危険な持論」に変貌する。
 
と「第2章」で「持論」が障害になる場合が記されている。
 
ここで「持論に固執しない」とあえて補足したのは、経験に基づいて抽出した「持論」がきちんとしていなければ、部下への説得力もないし、部下の「ハウツー本」で手に入る方法論を求めてはいないので、効果的な指導に「持論」は不可欠なのだが、オールマイティに使える「持論」は存在しない、と思って置く必要があるからである。「指導」が「説教」に変化してしまわないためにも、ここの辺はこころしておかないといけないでしょうね。
 

【すべてのプレイング・マネジャーへのエール】

 
以上、『中原淳・金井壽宏「リフレクティブ・マネジャー 一流はつねに内省する」(光文社新書)』から抜粋しながら、プレイング・マネジャーの部下指導のコツをまとめてみた。「働き方改革」といわれながら、「改革」の効果が一番届きにくいのが、この層。こうしたTipsを参照していただいて、自己防衛を図ってくださいな。
 

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「組織内の教育」を再生する方法は?ー中原淳・金井壽宏「リフレクティブ・マネジャー」

「組織内の教育」を再生する方法は?ー中原淳・金井壽宏「リフレクティブ・マネジャー」

「会社」あるいは「組織」の中での「伝承」が風化していると感じることが多い。本書『中原淳・金井壽宏「リフレクティブ・マネジャー 一流はつねに内省する」(光文社新書)』はもともと、マネジャー論として書かれたものなのかもしれないが、多くの部分が「会社内の教育、上司からの指導」ということに言及されており、当方としては、組織のノウハウやナレッジの伝承の方策や部下への指導・コーチング手法といった方向で読んでみた。

【構成は】

第1章 上司拒否と言う前に
第2章 内省するマネジャーー持論をもつ・持論を棄てる
第3章 働く大人の学びー導管から対話へ
第4章 企業は「学び」をどう支えるのか
第5章 企業「外」人材育成

となっていて、教育学者・中原淳氏と経営学者・金井壽宏がそれぞれ、相手の論述を下敷きに、冊子上で議論を重ねていくといった構成。

【注目ポイント】

まず、今の職場が直面しているのは

おそらく彼らは、自分たちの周りにいる上司が現状に追われてばかりいるようなのを見たり、難問を背負い込まされ、四苦八苦しているようだったりするのを観察しているうちに、だんだん上司との距離を置くようになり、「自分たちはああはなりたくない」と思うに至ったのだろう。その意味では、「上司拒否。」は「学習された結果」

というような、上司と部下の「分断」という現実で、ノウハウがうまく伝承されないのは、企業社会がマネジメントする時間のない「プレイング・マネジャー」を量産し、しかも教えるべき部下もろくに供給してこなかった、というように、むしろ企業側に原因のあることも多い。

ではあるのだが、企業側の非を鳴らしていても、やることはやらされるのが、勤め人の常。であるなら、自己防衛の意味でも、「教えること」のノウハウを味見つける必要があるよね、ということで、本書内で注目すべき、その一つが「裏マネジメント」という手法。
本書内では「裏マネジメント」とは「マネジメントの基本(=表マネジメント)だでは対応できない場合のマネジメントに光を当てた呼び名」とまでで明確な定義はないのだが、

裏マネジメントでは、目標そのものをみんあと一緒に探したり、手順がわからない仕事に取り組んだり、試行錯誤を繰り返したりする。端的に言えば「みんなで一緒になんとかやってみる」世界が開けている。表マネジメントが、ついつい管理に走って人をがんじがらめに縛りがちであるのに対し、裏マネジメントは、未知のテーマに挑戦する人を支える。また裏マネジメントでは、マネジャーは階層で上位だから知識の上でも上位だという発想は通じない。とりわけ未知への挑戦においては、知らないことは知らないと素直に認め、組織のメンバーたちがそれぞれの経験と思考を踏まえて議論し合い、新たな知識が創造される場をつくり出す必要がある。

と言うことから見れば、管理する立場だけの「垂直方向のマネジメント」ではなく、コントロールしつつも部下と協働する「斜め上からのマネジメント」という風に当方は解釈した。この「斜め上」というのが肝だと当方は思っていて

もうひとつは

「働く大人は社内だけで学んでいるわけではないかもしれない」ということだ。すでに見てきたように、「同じ職場と社外」に〝かかわり先〟をもっている若手・中堅は、成長感もモラールも高い。

ということで、伝承したり、指導するメンター的存在は、社内だけに求めず、広く「外部」に学びに行かせる、という手法もありだな、というところ。当方的には、これは大学とか学校とかに再び行かせるという意味ではなく、部下に、経験を積んでメンターになりうる人を紹介する。彼ら彼女らから話を聞く機会をつくる、といったことがメインであると考えていて、これは例えば会社の接待に場に同席させる、とか、相手方の訪問の時に同行させるとか、なんとなく、昔の「背中を見せて育てる」といった手法のリメイクといった気がするのである。とりわけ、

右肩上がりの成長が見込めた時代なら、人はハードシップで鍛えられながらも、喜びを感じやすかっただろう

しかし今後はどうだろう。私と同世代である現在の若手・中堅たちや、これから大不況の中で働く場所を見つけなくてはならないもっと若い人たちに、「修羅場を経験しろ」とはっぱをかけるだけで、彼ら彼女らはそれに挑戦しようとするだろうか

といった疑念の出てくる、「長い低迷時代」にあっては、修羅場で人を鍛える、という手法より有効であるかもしれない。

そして、

上司がなすべきことは、個人の熟達を手とり足とり支えることや人材育成のすべてを担うことではない。「人が育つ実践共同体(この場合は職場)」をつくること、職場のメンバーが成長するような社会的関係や職場の風土をデザインすることではないかと思う。そしてさらに重要なことは、上司が実践共同体の「一部」として、上司自らも「学び続ける存在」として「成長」をめざすことにある。

と、「上司の役割」を明示的に限定しながらも、「やるべき役割」を明確にされているあたりは、「上司による指導」を語る面で外してはいけないところであろう。

【まとめ】

レビューの方向性を「ノウハウの伝承」「指導のノウハウ」といった目線からしたので、取り上げる方向性も限られてしまったが、現在の「組織の弱体化」の原因は、今までの階層性を壊したと同時に、「経験を伝授する機能」も壊してしまったことにあると思っている。

ただ、組織が再生するためには、今一度「教える」システムを取り戻すしかないと思っていて、本書のアプローチはかなり「ツカエル」気がする。

すべての企業内研修の企画者が目を通しておくべきであろうな。

「響〜小説家になる方法〜」は「青春マンガ」の掘り出し物

「欅坂46」の「平手友梨奈」初主演の映画化で話題になっている、女子高生小説家を主人公としたのが、この『柳本光晴「響」〜小説家になる方法〜』。映画化を記念して、KindleやKoboで2018.10.09まで、1〜3巻が期間限定無料本、4〜5巻がお試し増量版の対象となっている。

【第1巻から第3巻までのあらすじ】

主人公は東京近郊らしい公立高校に通い始めた「鮎喰 響(あくい ひびき)」という女子高生。彼女が高校に入学したところから物語はスタート。

彼女は幼馴染の椿了太郎とともに、高校に文芸部に入部するが、そこは不良の溜まり場。入部させるさせないの騒動の中、響は上級生の「タカヤ」の指の骨を折り・・・、と言った感じで、およそ、「文芸マンガ」とは思えないスタートなのだが、主人公の「奇人」ぶりは十分表現されている。

一方、「木蓮」という文芸誌の主催する文学新人賞に、直筆で、しかも作者プロフィールもなし、連絡先もなし、といった規定外の応募原稿が送られてくる。規定外なので「ゴミ箱」行になる運命なのだが、今の出版界、特に純文学をめぐる状況に不満を抱く若い女性編集者・花井の目に偶然とまり、その「凄さ」に注目する。

彼女は、この作家を探し出そうとし・・・、といったところで、二つの話が交わっていく。

最後のほう、文芸部に入部した響は、部長の「凛花」や他の部員とともに「部誌」を作成を始め・・・、といったところが第1巻。

第2巻は、第1巻の滑り出しを受けて、部誌を作成し、図書館で供覧するところから、物語が加速を始める。

部誌に掲載した「響」の作品を読んだ、中堅作家が筆を折ったり、「凛花」の父親が有名な作家であることが判明したりといったといったことが「響」の日常の出来事。

一方で、新人賞の選考作業では、かなりの風を巻き起こし始めていて、多士済々の選考委員たちの評判でそこを表現しているのだが、サクセスストーリーの成功前夜という感じがしてきてワクワクするところであるんこだが、そこは原書でご確認を。

途中、花井が、「響」の作品の扱いに関連して、編集長と言い合う場面で、編集長が

文芸が売れなきゃいけない時代は、もう終わってる。
今の純文学の仕事は売れることじゃなく、存在すること。
文化の礎を築く「芸術」として、存在し続けることが僕たちの仕事だ

ってあたりは、編集長の自己弁護にすぎない言葉ではあるが、今の純文学や「本」を取り巻く状況を表しているし、このマンガが気勢を上げる隙間を示してもいる。

そして、「響」の乱暴癖はおさまる気配を見せず、文芸部長で親友の「凛花」が父親(祖父江秋人)の引きで作家デビューすることをよく思わない先輩作家・鬼島にいびられているところを救出すべく、彼を蹴り飛ばすところで、第2巻は幕。

第3巻は、第2巻の、鬼島への乱暴のフォローをすべく、「響」が「鬼島」のいる文壇バー(かなり古い用語だな)へ出向くとこからスタート。

このバーでの一時期の勢いを失ってしまった「鬼島」に対して言う

面白い小説が書けなくなって
生きてる意味がなくなっても、
生きなきゃいけないだよね・・

といったところや彼と同席していた、大きくて「美」に恵まれない作家「吉野桔梗」と原宿で買い物をするところでの、

あなたは
どうして
小説家になったの

といったところは、「作家」「小説」というものに、純粋な畏敬と憧れを抱いている「響」に言わせてはいるが、著者の「小説家」を始めして(自身を含めた)クリエイターに対して「存在証明」を求めているようでもある。

今巻は、この二人の作家、鬼島と吉野と「響」とのやりとりで、彼女の「小説家」としての姿が描かれるのと、新人賞の審査会の様子とかが、本筋。

このほか、「涼太郎」の「響」への想いとか、文芸部の合宿の「タカヤ」と「花代子」のやりとりとか”高校生”チックなところもあるので、本筋以外にも、「響」や「凜花」の高校生活の一コマとしても楽しめますな。

【まとめ】

「無料本」と「映画化」ということで読み始めたのだが、なかなかの「出来物」でありました。

「小説家」特に純文学の作家というのは、正直な所、ひと昔の綺羅びやかさを失っている気がしていて、芥川賞の際には話題になるが、あとは・・・、という感じがしている。
そんなところで、「小説家の卵」が主人公のマンガってのは、いろいろ難しいところもあるのだろうが、「響」という主人公をはじめとしたキャストで、青春ストーリーに仕上がっております。

当方は、無料本でお試しする予定が、結局、全巻、有料版で書い直しました。

 

地方の人口減対策の決め手は「キャッシュレス決済」

最近、当方の住んでいる地方都市の近くの町で、地元の金融機関が支店を廃止すると発表して、地元自治体と大バトルになっているところがある。
こういうサービスは、どうしても地方部から割をくうのが通例なんだが、ちょっとここで利用できないかなと思うのは、QR決済やスマホ送金といったことは、アフリカやアジアの金融機関が少ないところから爆発的に始まったということ。

人口の多寡は別として、金融などの公共インフラの設置が難しいという点では、共通しているし、日本の地方部では隙あらば撤退しようとしている金融機関や物販店も多いのは自明のこと。

日本全体が人口減少トレンドに入っている中で、Iターン・Uターンによる人口増促進といったところで、全ての地方部に人口を集めるってのはトレンドではないし、無理がある。
さらに、IターンやUターンで田舎に帰ってきたいと思っている人は、自然派志向が多くて、いわゆる「ホワイトカラー志向」でない人も多い、といったジレンマが存在する。

であるなら、お金の送金や預金、あるいは決済といった「金融」サービスは、実店舗はすっぱりあきらめて、デジタルに疎い人へのサポート・システムをしっかりつくって、「バーチャル」に地域をあげて移行してしまう、ってのも一種の戦略かもしれない。

経済産業省をはじめ国のほうでも、「キャッシュレス社会」に向けて本腰を入れ始めたようだが、その中心は、店舗であるとかの「キャッシュレス」をして、外国人観光客対策をなんとかしようというのが主流のようだ。
それよりも、「地域の生活」の日々の生活の「キャッシュレス化」を進めていけば、誰が、どこに住んでも同じサービスが享受できる「分散型社会」の実現にも一役かえると思うのでありますが、どうでありましょうか。

”近江商人”方式は、普通の人を幸せにする道の一つー西口敏宏・辻田素子「コミュニティ・キャピタル論」

会社寿命は50年ということを聞いた事がある。ひところは、会社人生=個人の人生で、会社が繁栄することが個人の幸せを意味していた時代があった。しかし、いまや、会社と個人の紐帯はくずれてしまい、会社と個人は離れてしまったのだが、では、才能少ない「普通の個人」が個人として放り出されて、「満足」し、「幸せ」な状態にあるかというとそうでもない。
そうした時に、ある地域の出身者による企業群や組織群が長い期間にわたって繁盛し、そのコミュニティに属する人が「自分の存在価値」を見出している姿は目につくもので、日本では「近江商人」中国では「温州企業」がその最たるものだろう。
本書『西口敏宏・辻田素子「コミュニティ・キャピタル論」(光文社新書) 近江商人、温州企業、トヨタ、長期繁栄の秘密』は、その二つと「TOYOTA」を分析することによって、昔と今の長寿な組織群の「秘訣」を解き明かし、そこに属する人々の「姿」を切り取ってみせている。

【構成は】

はじめに
第1章 広がってつながる近江商人
第2章 生きる術としてのコミュニティ・キャピタル
第3章 温州人コミュニティーの伸展
第4章 異国で反映する企業家たち
第5章 進出先社会との共存共栄を求めて
第6章 企業間コミュニティーが成立するには?
第7章 危機マネジメント能力
第8章 繁栄のためのコミュニティーとは

となっていて、前半が「近江商人」、中盤が「温州商人」、終盤に向かって「TOYOTA」についてとりあげ、地域性と出生地の制約がある前の二者から、現代企業である「TOYOTA」のノウハウへと分析対象をずらすことによって、より普遍化した「原則」を導き出そうという展開である。

【近江商人、温州人企業の共通点とは】

◯まず挙げるべきは「つながりの強固さ」

近江商人の場合は

近江商人は互いに競争相手でありライバル関係にあったが、同郷意識は強かった。彼らは、確実な情報をつかむために、行商先別、出身地別の仲間組織を結成して、機能的に情報を収集し、活用した

であるし、温州人企業の場合は

国内外における温州人の繁栄メカニズムを解くカギとして注目されるのが、血縁や同郷縁をベースとする強い結束型のコミュニティー・キャピタルと、遠距離交際に長けた「ジャンプ型」企業家を核とする集団的ネットワーク能力である。温州人は、国内外に広がる同郷人のつながりを駆使し、ヒト、モノ、金、情報に関するさまざまな制約を克服してきた

といったような、「同郷人としてまとまること」「同郷人のつながり」が継続することであると本書は分析する。このほかにも、両者とも、従業員は”近江”なり”温州”の出身者に限ったりといったことや、結婚相手もその地域出身の人とがほとんどといった、「地域的」「血縁的」な制約をし、さらに「つながり」を深める、強くする仕掛けが施されており、精神的な「閉塞性」は高まるが、その分結束力を強くする結果となっている。

◯二番目は「サポートの丁寧さと強固さ」

近江商人の場合は

近江商人で際立つのは、「 乗合 商い」とよばれる、合資企業体の結成である。商人や地主が資本や労力を出し合った。

豪商となった近江商人は、このように物心両面から、後輩の成長を支援していたことがうかがえる。また、その支援も絶妙である。彼らは、行商を始めたばかりの商人に、いきなり資金を与えるのでも、単純に債権を放棄するわけでもない。奮起を促し、ビジネスベースで資金を貸しながら、返済が困難になれば、債務の返済時期を明確に定めない出世払いの「借用証書」で対応した。

というところで、温州人企業の場合は

チャンスを求めて海外に飛び出した温州人は、親戚や友人が経営する、あるいは、彼らから紹介された温州人企業で、アルバイトをしながら資金を貯め、いったん経営者に転じると、今度は自分と同じように企業家を目指す同郷人をアルバイトで雇用する。そんな循環構図が浮かび上がってくる。そして、そこでは、血縁・学縁・業縁などが、等し並みに〝同郷縁〟で包括され、同郷者である限り、面識の有無を超えて信じ合う「準紐帯」が機能している

この準紐帯は、資金調達でも、強力なパワーを発揮する。温州人は、地元温州で高度に発達させてきた民間金融を、進出先にももち込み、親戚・知人等からの直接貸借や「会」からの調達によって、事業資金を容易に確保できる環境を作り出していた

といった風で、国こそ異なれ、両者の「成功した先輩が、同郷の後輩に儲けぬきの支援をする」、それも「継続して行う」というのが「繁栄」の方程式であるようだ。ただ、同郷意識の強いところは、近江や温州以外にもあるのだが、なぜ近江や温州が「経済活動の全体的成功」システムを、作り上げることができたのか、といった点については、もう少し深掘りする必要がありそうだ。

【両者を現代の企業に応用するには】

そして、「近江」の場合は明治期が最盛期、温州の場合も最近陰りが見られるということで、「地域」「出身」を核とした、繁栄システムづくりも、そう盤石ではないようで、筆者が、「現代の「近江・温州商人」システム」として注目しているのが「TOYOTA」方式で、

トヨタのサプライチェーンは、約3万点の部品からなる自動車を生産・販売するという複雑なコミュニティーだったが、トヨタのリーダーシップによって、日常業務をこなす「近隣社会」に、〝非〟日常的な情報や知識をもたらす「遠距離交際」のバイパス、「自主研究会」(自主研) が埋め込まれており、そこでは、ふだんつきあうことのない企業同士が直接結びつき、脱日常的な次元で、緊密な交流、情報交換、知識創造を行うことを可能にしていた

と、かなりの「べた褒め」である。

さらに終盤近い「第7章」は、東日本大震災で壊滅的打撃を受けた、半導体の生産システムを、TOYOTAの社員、系列の社員が中心になって、他企業のシステムを短期間で再生する「サクセスストーリー」で、終盤にさしかかかると理屈っぽくなってしまうビジネス本には珍しく、最後まで「血沸き肉踊る」ストーリーが展開されるのが嬉しい。

【まとめ】

さて、本書の最終目的は、最初の方で明確にされていて

そんなコミュニティーであれば、家が貧しくても、勉強ができなくても、芸術やスポーツの才能がなくても、つまりふつうなら希望を失う「負け組」になりかねない存在であっても、人生のさまざまな局面で仲間の支援が期待でき、敗者復活の機会も多い。そして「持ちつ持たれつ」の手助けが繰り返されるため、コミュニティー・キャピタルが脆弱な集団に比べて、ごく普通の個人が、物心両面で豊かさや幸せを、仲間とともに享受できる機会は増す。

ということで、グローバリズムの進展とともに、「普通の個人」が疲弊し、幸福感を感じられない状況に対して、何らかの「解決策」を見出そうという試みである。

もちろん、地域的なつながりが強いことの陰の面も本書では取り上げられており、全てバラ色のものではない。
ただ、「普通の個人」が、他者の利益を阻害することなく「幸せ」になる方策の「一つの解答」であることには間違いないようだ。

Kindle Fire7を最強にするスタイリッシュなUSBアダプタはこれ

Google Playを入れてアプリ的には最強のエンタメ端末になったのだが、記憶容量という「ハード」の部分については、8Gという寂しい限り。

これでは、読書端末としては数年前のKindle並。
SDカードスロットはついているので、64GマイクロSDを入れて拡張しているので、Kindle本や自炊本のPDFファイルは容量的に大丈夫であるのだが、DVDなどから”あれこれ”したMP4ファイルの動画も見たい、ということで、昨今はかなり安価になったUSBメモリを活用することにした。

Seriaには、こうしたSDアダプタも売っていて、これはこれで十分使えるのだが、

どうにもプラプラしてデザイン的にはちょっと・・という感じである。

本体から出っ張ることの少ないアダプタがないものか、と検索して見つけたのがこれ。

装着してみるとこんな感じである。少々出っ張るが、本体と一体感があって、オススメでありますね

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戦で「風流」を尽くす「婆娑羅な男」の一代記ー大塚卓嗣「天を裂く」

戦国時代は、人の「総カタログ」でもあって、天下の覇者から、悲運の武将、裏切り者、日和見者などなど、小説や話の宝庫なのであるが、そんな中でも、その人物の人生をトレースしてワクワクするのは、本書『大塚卓嗣「天を裂く 水野勝成放浪記」(Gakken)』の主人公・水野勝成のような「婆娑羅者」であろう。

【構成は】

第一章 風狂
第二章 流転
第三章 血河
第四章 命の光
第五章 関ヶ原
第六章 友誼

となっていて、時代的には、織田信長が本能寺で斃れた後の甲斐の国でおきた「天正壬午の乱」のはじまりから、徳川幕府が成立し、水野勝成が福山の地を治めるまで。

【注目ポイント】

水野勝成の人生の前半は、水野家の嫡男に生まれて、若い頃にその武勲を信長に称賛された経歴からわかるように、かなりの武辺者である。
だが、その乱暴が災いして、父親から勘当、さらには、豊臣秀吉の勘気にもふれて大阪から逃亡、以後、四国、九州と各地の諸将のもとで戦績をあげながら、放浪を続ける、といった具合で、このあたりは乱暴者が大暴れといった感じで、例えば「小牧・長久手の戦」の場面

今も昔も、戦は最高の娯楽である。なにしろ数千数万の人間が、武器を手に取って 相 食むのだ。少し離れた所から見物する人々は、どこにでもいた。そんな衆の耳目 を 惹くことこそ、勝成の趣味であった。浴びる 喝采 が、たまらない。いつだって、そのための風流だった。

といった風で、戦場を格好の舞台とするよう、その暴れぶりが小気味いい。

ところが、再びの出奔を経て、備中(岡山県西部)の鎌倉以来の名家ながら落魄している「三村家」に仕官し、徳川家復帰後は芸風ががらっと変わる。「関ヶ原」では、石田三成の最後の逆転の策を見抜いたり、「大阪夏の陣」では

「真田の列を千切りたい。茶臼山を獲る」  勝俊は、奇妙な位置を狙うものと感じたのだろう。
「その理由は? 無視しても構わない衆です」
「騎馬が駆ければ、軍は伸びる。今の我らのようにな。それでいいんだ。疲れれば引くことができる。だが、後ろがなければどうなる?」
「当然、大軍の中で孤立します。そのまま潰されます
「そうだ。大御所様にまで、真田が届くかどうかは知らん。だが、やれることはやっておこう。我らの一撃で、真田を潰す」

つまり、万が一を考えての処置である。

と、真田幸村の大阪方大逆転の秘策を潰す、という巧みな「政治家」と「政略家」の側面が前面に出た、「ああ、差し手が盤面に乗って闘う碁はないだろう。そういうことだ」という言葉に似合った活躍ぶりが、また格好よいのである。

【まとめ】

「戦国歴史もの」の多くは、信長、秀吉といった綺羅星の全国制覇の話であるとか、武田、北条、浅井、といった彼らに押しつぶされた者たちの物語が多く、「立身出世」か「滅びの美学」か、といった視点にかたよりがち。
だが、ああいう煮えたぎった坩堝のような時代であるから、自分の才覚と思いに従って、大騒ぎしながら生き抜いた人物も当然いる。
さらには、現実の人生の場合、皆がトップにたてるわけではなく、多くの真ん中どころの多くの人々の参考になるのが、それが本書の主人公「水野勝成」であろう。
なんとなく、先行きが「もやもや」して消化不良気味の時の「消化薬」として本書を読んで、「戦国の婆娑羅」を服用してみてはいかがであろうか。

【筆者の他の作品】

「日常」には”忘れたい過去”が隠れているー西條奈加「いつもが消えた日」

神楽坂に住む、祖母と一緒に住む中学3年生の滝本望が、ワトソン役になって、祖母である「お蔦さん」とともに事件を解決するシリーズの第2弾が、本書の『西條奈加「いつもが消えた日」(創元推理文庫)』。

【構成は】

第1章 いつもが消えた日
第2章 寂しい寓話
第3章 知らない理由
第4章 サイレントホイール
第5章 四次元のサヤ
第6章 やさしい沈黙
第7章 ハイドンの爪痕
第8章 いつもの幸福

となっていて、望の同級生でサッカー部の彰彦、幼馴染の洋平、下級生でサッカー部の有斗が、神楽坂の望に家で、賑やかに夕食をとるところからはじまる。

【人のつながりの暖かさは健在】

事件は、はじめの方で唐突に始まる。「有斗」が食事後、帰宅すると、家には、同居している両親・姉もいない。しかもキッチンには血溜まりがひろがっいて、というのが始まりで、ネタばらしを少しすると、起きる事件はこの家族の失踪事件がほとんどなので、まあ、本格もののミステリーファンからすると物足りないかもしれない。

ただ、このシリーズの魅力は謎解きの部分というよりも、一番は、望を中心とする祖母や神楽坂の商店街の人々、同級生とのつながりの深さと暖かさを堪能するということにあるので、事件の多い少ないは関係ないといっていい。その点は、第一作以上に濃厚で、サッカー部の先輩・後輩のつながりや、顧問の教師の教え子をかばうあたりであるとか、裏金融の強面の業者を、商店街一同が撃退しようとするところなど、若干の空回り的なところはあるのだが、読んでいて、どことなくホッと暖かくなるのは間違いない。

【本書を彩る料理の数々】

そして、本書の魅力のもう一つは、主人公の望がつくって、披瀝する料理の数々で、事件が起きた後、後輩の有斗やお蔦さんに夜食としてつくる

大鍋で湯を沸かしながら、具の調理をする、豚肉とキャベツという焼きそば風の具に、風味付けに天かすをたっぷり加えた。紅ショウガがなかったから、代わりに目玉焼きをのせる

「焼きうどん」とか、心配して訪ねてきた、望が好意を抱いている女の子「楓」につくる

パスタを茹でながら、となりのコンロでクリームソースをつくる。多めのバターと小麦粉を弱火でかるく炒め、だまにならないように気をつけながら、少しづつ牛乳を加える。グラタンのホワイトソースと同じ手順だが、心持ちとろみをゆるくするのがこつだ。
別のフライパンで、たっぷりの舞茸とシメジを炒め、ホワイトソースには、茹でたパスタと皮をとった明太子を投入する。明太子は火の通りが早いから、ここから先は手早さが勝負となる。火を通しすぎると、ぼそぼそした食感になるんだ。ピンクの粒々が麺にまんべんなく行き渡ったら皿に盛り、炒めたキノコを上に載せた

という「キノコと明太子のクリームパスタ」などなど、事件の合間合間に登場する料理の美味そうなところも、前作に続いて健在である。

【まとめ】

事件の謎は、少々ネタバレすると、有斗の「謹厳実直」な父親が若かりし頃、携わっていた職業に関連していて、その仕事で手を染めた悪業が原因になるのだが、それに関係してくる人物が意外な広がりを見せるのがポイント。当方も、そこまでの広がりは考えつきませんでしたな。

なんにせよ、本格ものを読む時のように「謎解き」にしゃかりきになったり、社会派もののように、社会の不合理の教訓を得ようとしたりといった読み方は、このシリーズでは厳禁。「神楽坂」に住む人々の人情のつながりや、地域のまとまりにほっこりしたり、「望」と「お蔦さん」の信頼関係であるとかの、「人情噺」を読むのが、本シリーズのお決まりである。しばし、多くのところで失われた「あったかさ」を存分に味わってみてくださいな。

【ほかの「お蔦さんの神楽坂」シリーズ】

イギリスの女性冒険家の古き「日本」の冒険記ー佐々大河「ふしぎの国のバード」

日本の時代的には、明治初期、ハワイ諸島、朝鮮、中国などのアジアの多くの国を旅して、その当時の住民やその地の風土の記録を残してくれたのが、アメリカの女性探検家の「イザベラ・バード」。そんな彼女の冒険譚をマンガにしたのが、本書『佐々大河「ふしぎの国のバード」(KADOKAWA)』
彼女は、日本の各地も旅をして、失われていく日本の風俗や、当時の日本の庶民の様子の記録を残してくれているのだが、そのうち、横浜への日本到着から、江戸、会津、新潟を経て、北海道(蝦夷)への旅行記をマンガ化したのが本シリーズ。

【構成は】

当方が読んだKindle版は4巻までが出刊されていて、収録は(第1巻)
第1話 横浜/第2話 江戸/第3話 粕壁/第4話 日光①/
第5話 日光②(第2巻)
第6話 日光③/第7話 二荒山温泉/第8話 会津道①/第9話 会津道②

(第3巻)
第10話 会津道③/第11話 津川/第12話 阿賀野川/第13話 マリーズとパークス/第14話 新潟

(第4巻)
第15話 伊藤の記憶/第16話 越後街道/第17話 山形①/第18話 山形②/第19話 ファニーの憂さ晴らし

となっている。

いまのところ、山形に到着したところであるので、まだまだ「蝦夷地」までは遠い道のりではある。

【注目ポイント】

主なキャストは、イザベラ・バード、

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全ては、たった一人の情熱から始まるー四角大輔「人生やらなくていいリスト」

元売れっ子の音楽プロヂューサーで、綾香、平井堅といった著名シンガーのプロデュースを務め、ミリオンヒットを創りだした経歴をもちながら、今は、ニュージーランドの移住し、半年は森で半自給生活、あと半年は「旅」という生活をおくっている、四角大輔氏による「人生指南書」が本書『四角大輔「人生 やらなくていいリスト」(講談社+α文庫)』。

【構成は】

第1章 表現
第2章 孤独
第3章 仲間
第4章 共創
第5章 仕事
第6章 信念
第7章 感性
第8章 挑戦
となっていて、統一的な流れがあるものではなく、章ごとのテーマに沿って、含蓄ある人生についてのエッセイが綴られているというもの。

【注目ポイント】

まずは自分の内面に掘り込め、ということぎ、本書の一番言いたいことのように思う。
個人の最初の思いつきというのは、妄想に近かったり、無謀だったりする、でも、この「空想力」こそが、人間の創造性の源であり、無限の可能性を生み出す宝のような存在(P119)
というあたりは、他者の比較の中でしか評価できず、とかく縮こまってしまう我々の背中をドンと押してくれる景気良さがあって嬉しいところだな。
さらには、夢を抱いても、最初から軌道に乗ることはほとんどないわけで、大抵の場合
長い低迷期間が続くことを覚悟しないといけないわけだが、そんな時に心折れないように
大切なのは「形から入ってみること。」これを否定する人も多いが、それこそが貴重な一歩。そして、最初の歩幅はなるべき小さなほうがいい。
みんな、突然、無理して大きなことをやりだそうとするから、怖くなったり、面倒になったりして、結局、一歩も踏み出さないで終わってしまう。(P76)
とした上で
大ヒットは、たったひとりの情熱から始まる。
100万人が同時に動いて、100万枚ヒットが生まれる訳ではない。
最初のひとりが発火点となり、ひとり、またひとりと「熱」が伝播していった結果なのだ(P196)
というところは、暗いなかで、一所懸命、前に進もうとしている時の、前を照らす松明になる言葉であるな。

【まとめ】

数々のヒット曲を生み出した人の啓発本なので、熱く煽られるのかと思っていたら、物静かに、頑張ろとしている人に自分を信じること、信じて前に進むことを励ましてくれる本であった。
心折れそうで、今までやってきたことをやめてしまいたい時は、誰しもあるのだか、そんな時に、手にとってほしい本ですね