2008年10月19日

たかのてるこ 「ダライ・ラマに恋して」(幻冬舎文庫)

なんで「ダライ・ラマ」なんだ?と思ったら、どうやら前作で恋仲になったラオス青年に大失恋したのが原因らしい。

前作は、かなりまとまりのない、純愛路線満載で、この旅行記はいったいどうなるんだ、ってな具合だったのだが、今回は恋愛ネタなし(もっとも、ダライ・ラマさま〜ってな具合はあるのだが)のチベット旅行記である。


チベットというところは、ググってみればわかるように、中国の自治区であるところと、インド領とに分かれていて、ダライ・ラマはインド領の方に亡命していて、今回の旅行記は、そのどちらも旅することになる。


チベット自治区では、インド領のダラムサラへの亡命を夢見るチベット人青年や、「もともとチベットは中国のものだから」と言う、近々、チベットの娘さんと結婚する中国人青年に会ったりして、それなりに今のチベットの置かれている状態を考えさせられたりするのだが、まあ、そうした生臭い話は、ちょっとおいておこう。

で、ダライ・ラマと面会できるかもしれないとわずかな期待を抱いて訪れたインドのラダックやダラムサラは民間のシャーマンと会ったり、ナグラン祭りのシャーマンにおもちゃの剣でどつかれたり、前世の記憶のある少女に会ったり、とか、それなりに様々なことはあるのだが、全体として静謐な印象を与えるのは、チベットという土地のもつ性格ゆえなのだろうか。


最後は、ダライ・ラマに会って、目出度し、目出度しになるのだが、このシリーズの中では、ドタバタ感の少ない旅行記であります。

2008年10月12日

たかのてるこ 「モンキームーンの輝く夜に」(幻冬舎文庫)

「モロッコで断食(ラマダーン)」に続く、たかのてるこさんの旅本第4弾。

この人の旅本は、冊数を重ねるに従って、恋愛モードが高まっていくのだが、今回の「モンキームーンの輝く夜に」は、もう恋愛、恋愛、恋愛・・・・、と恋愛モード満開といったところである。

訪れる国は「ラオス」。
お決まりのように、「ラオス」ってのは? と、Wikipediaで調べると、


ラオス人民民主共和国(ラオスじんみんみんしゅきょうわこく)、通称ラオスは、東南アジアの内陸国。北西のミャンマーと中華人民共和国、東のベトナム、南のカンボジア、西のタイの5カ国と国境を接する。

といったところで、社会主義の国らしいのだが、他の社会主義国と同じく西側諸国とのつながりも必須となっているらしく、また、地理的な面からタイやベトナムとの関係ぬきにしては経済が立ち行かない状態のようだ。

で、今回は、恋愛の相手となるラオス青年(なんと10歳年下だ)に、ピエンチャンで、日本語で話しかけられるところがプロローグになっている。

今回は、最初から恋愛モード炸裂である。まあ、本編は、最初は、ピエンチャンの市場で、土産物店の親子に昼ご飯をご馳走になったり、途中で知り合った青年たちとビアパーティーに行ったり、と、いつもの人懐っこい筆者の旅で始まるのだが、途中、今回の純愛旅のお相手であるラオス人青年「シノアン」と出会ったあたりから、話は、どんどん、どんどん、恋愛モード全開になってくるのである。

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2008年10月11日

たかのてるこ 「モロッコで断食」(幻冬舎文庫)

前作の「サハラ砂漠の王子様」では、ちょっと場違いっぽい恋愛旅物語を演じた、たかのてるこさんの、文庫本3作目。

今度の舞台は、「モロッコ」である。

で、モロッコでどこなんだ?とWikipediaを見ると


「モロッコ王国(モロッコおうこく)、通称モロッコは、アフリカの国。首都はラバト。アルジェリアとサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)とスペインの飛び地セウタ・メリリャに接し、大西洋と地中海に面している。アフリカで唯一のアフリカ連合未加盟国。」

というところらしく、気候も温暖で、経済的にもアフリカ諸国の中では豊かなほうらしいのだが、日本人にはあまりなじみのない,
イメージの薄い国といっていいだろう。
(Wikipediaには「40才以上の人には「性転換のメッカ」という印象の強い国」といった表現があるが、私も40才以上だが、あんまりそんな印象は持たなかったぞ。)

そんなところで、何をするんだ、ということになるのだが、まあ、有り体にいえば、「断食(ラマダーン)」体験記とモロッコの田舎でのちょっとした純愛旅物語といったところ。

全体に、たかのてるこさんの旅本は、人との出会い(恋愛っぽいものも含めて)が中心で、食べ物には冷たいところがあるのだが、
今回の本は、「断食(ラマダーン)」が根底に流れているせいか、おやっと思う「食べ物」の話が今回は多い。

もともと、ラマダーンも、路線バスに乗り合わせて、地元の人の視線に逆らえず、一緒にラマダーンをやることになったのだが、その日のラマダーン明けの食事のシーンはこんな具合。


 混雑した店内をかき分け、兄ちゃんと席に着くと、すぐにイフタールのセットが運ばれてきた。早速、ハリラを飲んでみる。ハリラはすり潰した豆のスープで、とろみあるドロッとした舌触りだった。細かく刻まれたトマトやタマネギも入っていて、確かにお腹にやさしい感じのする料理だ。
 私はものスゴい勢いでパンを引きちぎってはハリラで流し込み、ゆで卵を口に押し込んでは、水をガブ飲みした。五臓六腑に食べ物と水分が染み渡っていく快感。

どうです。ちょっと「イフタール」が食べたくなるではないですか?

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2008年08月01日

西川 治 「世界ぐるっと朝食紀行」(新潮文庫)

旅本でうまいもの紀行というのは、よくある話で、そういうテーマで1冊をものしようとすると、かなりの工夫か味付けか、あるいはグロものか、といったことが必要になるのだが、「朝食」だけにテーマをきめた旅本というのは、ほかにあまり例をしらない。

しかも、とりあげられている国は

トルコ、モロッコ、イタリア、フランス、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スコットランド、イギリス、カナダ、アメリカ、メキシコ、オーストラリア、フィジー、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、インド、モルディブ、モンゴル、韓国、香港、台湾、中国、そして日本

とアフリカ、南米以外の国を幅広くカバーしている。

おまけに、旅本というとあやしげな屋台やポン引き、あるいは美しいが危険な美女や、おカマといったものが登場するのがおきまりなのだが、「朝食」をテーマにしているため、そうした胡散臭い色合いはなく、非常に健康的で明るい旅本である。

で、どんな朝食がいいかなー、というのは、もうそれぞれのお好み次第だ。こうした「食べ物」をテーマにした旅本は、冷静な態度
で読むもんじゃなくて、読者それぞれの偏見と独断で、これは美味そうだ、とか、これは勘弁してくれ、とか、こんなスカした食い物はいやだ、とか我が儘勝手な評論をしながら読むのが一番正しい読み方だと、これも勝手に決め込んでいる。

なんにしても、朝、昼、晩の三食の中で、朝食は旅先で食べるのが一番美味い気がしていて、それは国内外を問わず、ホテルのありきたりのバイキングだろうが、市場のガタガタいうベンチとテーブルで食べる食事であろうと変わらない。
そうした「旅先の朝食」が、これでもか、というぐらいにでてくるのだから、これはもう食べる、というか読むしかないだろう。

で、いくつか引用させてもらうと、まずは最初の一篇のトルコのバザール

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2008年07月19日

奥田英朗 「港町食堂」 (新潮文庫)

直木賞作家の奥田英朗氏(といっても、すいません、私、この人の小説呼んだことがありません、ゴメンナサイ。)の日本の港町を訪ねる旅行記。

なんだ、よくある日本の田舎の港町旅行記かと最初は思うのだが、この旅行エッセイは、すべてフェリーか何か船を使って寄港するあたりが斬新なところ。

訪れる港町は
  土佐清水
  五島列島
  男鹿半島
  釜山(プサン)
  新潟、佐渡
  稚内、礼文島
といったところで、貿易やら観光やら、それなりに盛んなところであるはずなのだが、どういうわけか礼文は真冬に訪れたり、なんとなくうらぶれて印象をもってしまうのは、この作家の持ち味なのだろうか。

作家と雑誌社の旅行でありながら、フェリーの個室に泊まらせてもらっているのは最初の時ぐらいで、後は、二等かそれ以下の雑魚寝といった扱いで、そのあたりも、なんとなく貧乏旅行っぽさが漂う。

旅行エッセイというと、初めキャピキャピ、最後は説教、といったところに堕してしまうのが、私の最も嫌いなパターンなのだが、大丈夫、この「港町食堂」は、きちんとそれぞれの港町の定番名物料理から、なんということはない喫茶店のカツカレーまで食べて、余計な美食談義はしない。そこで味わえる料理に、うまければ素直に感心し、夕食のあとの〆は、近くのスナックで、そこの若いおネエちゃんと盛り上がるという具合で、なんというか、安心して、サクサクと読めてしまうのである。

ということで、一番うまそうで、この旅行エッセイの旨味がでていると思う場面の一節を抜粋(「食い意地のせいなのか? 日本海篇」)


 
 イカの刺身、なかなか到着せず。忘れてるんですかね。時間はかからないでしょう、捌くだけだから。
 タロウ君に厨房をのぞかせると女将さんの姿がなかった。ええと、どこへ?
 窓から外の様子をうかがう。女将さんが港からイカを一杯ぶら下げて歩いてきた。あらま、注文も受けてから仕入れに行ったのか。なにやらうれしくなってきた。
 出てきたイカ刺しは甘くて弾力があって、最高の逸品であった。獲れたてとはこんなにおいしいものなのか。ワサビを醤油に溶かし、ちょいと付け、熱々のご飯に載せて、わしわしとかき込む。ほっほっほ。高笑いしたくなるではありませんか。


どうです。

ちょっと、暇で、でも気難しい気分にはなりたくない時にオススメの旅行エッセイであります。

2007年07月15日

下川裕治 「新・バンコク体験」(双葉文庫)

旅行記や滞在記というのは、ちょっと旅行のガイド本とは違う、少し昔を書いた歴史書といった愉しみかたをすべきものではないかと思っている。というのも、旅行ガイド誌などに掲載されてから時間を経過してから、単行本や文庫本にまとめられた形になったとき、その国ではすでに昔のできごとになってしまっているし、こちら側としても日本の状況も変わってしまっているからだ。

そういった意味で、1998年頃に初出された本書は、20世紀の最後のタイ、バンコクの一シーンを切り取ったものとして楽しむべきだろう。
この1998年当時、タイは通貨危機の最中にあったから、書中にもでてくるバイクタクシーの衰亡の話や、バンコクから渋滞が消えた話、そしてバンコクっ子がワインをありがたがるのをやめて、再びタイ・ウィスキーに回帰しはじめた話などは、再度、経済成長を開始し、アジアの工業国としての立場を確立している現代のタイでは、すでに過去の話となっているかもしれない。ただ、その「当時」をタイではなく日本ではあるが、共有していた人間として、その時代を再度ふりかえって妙になつかしくなるのは間違いない。

章立ては

「道端のバンコク」
「バスの迷宮」
「タイ料理の進化論」
「南国の時間」

の4章

今の「タイ」であるかどうかはわからないが、我々のイメージの中にある南国の「タイ」にぴったりした旅のエピソードを提供してくれるのは間違ない。

それは

タイのタクシーはメーター制が主流になっているが、ひとたびスコールとなると、昔の交渉制の料金体系に変わっていく

とか

タイの野菜は、厳しい陽射しと肥料ももらえない状態でないと、あの辛味はでない

といったエピソード群であり、タイに浸って長い筆者によって紡がれる安心して読める「タイ」である。

2007年06月25日

沖縄ナンデモ調査隊 「沖縄のナ・ン・ダ」(双葉文庫)

沖縄に生まれ育ったライターや沖縄に移り住んだライターで結成している「沖縄ナンデモ調査隊」による、とりあえず、沖縄のナンデモ本。

収録されている内容は

・沖縄でなぜ低収入で暮らせるか
・なぜ沖縄の定食は大盛りなのか

といった話題から

・沖縄人はなぜ歩かないのか(近所でもなぜ車を使うのか)

・沖縄の飲み屋にはなぜ子供がいるのか

はたまた

・妖怪キジムナーは存在するか
・沖縄の墓はなぜあんなに大きいか
・マブイ(魂)を落とす?

などなど。

「オキナワ」のあれやこれやに触れてみたい人に、とりあえずおススメしよう。
ダラダラと「沖縄」を読むのも、また楽しい。
ただし、新刊本では手に入らない可能性が高いので、古本をチェックしてね。

2007年06月06日

仲村清司 「ドタバタ移住夫婦の沖縄なんくる日和」(幻冬社文庫)

沖縄に魅かれて沖縄移住までしてしまった仲村清司氏とその奥さんの沖縄移住記。 下川裕治氏との共著でも出ていたが、自称「強度の恐妻家」で、この本でも、通称「ガメラ妻」のパワーの凄さは、いたるところででてくる。 なにせ、ベンチャー会社を立ち上げたばかりの旦那さんに、その会社を畳まさせて、沖縄移住をさせてしまった御仁なのである。ただ、旦那さんも売れなかった時代は、かなり面倒をみてもらった感じもあって、どっちもどっち的な感じが漂うのであるが。

それはさておき、沖縄移住記なのだが、移住記というよりどちらかといえば生活記という感じ。それは、移住してきて10年という年月がさせているのもあるだろうし、沖縄で、ツアーコンダクターとかインストラクターやホテル経営といった職業ではなく、物書きとそれに付随する会社経営という、どちらといえば定着系の仕事であるせいもあるのだろう。「沖縄」の移住記というと、ピカピカした沖縄ばかりが語られることが多いだが、うらぶれた沖縄を含めた、「オキナワ」の暮らしが垣間見えるところが、この本の良いところだろう。

個人的な好みをいえば、沖縄のチャンプルの誕生話とか、通常の店の3〜6倍の量があって、もちかえりが通例であった超大盛り食堂「かっちゃん食堂」の伝説とか、やはり大盛り系の食べ物の話題が一番。

やはり旅本の圧巻は、「喰い物」だな。

2007年05月26日

下川裕治「5万4千円でアジア大横断」(新潮文庫)

ひさびさの骨太バックパッカー旅行記というべきだろう。 以前は「タイ」、最近は「沖縄」と、放浪系というよりは定着系の旅行記が多かった下川裕治氏が、東京からトルコまでの27日間の、なんと15車中泊のバス旅行である。

この旅行をしたとき、筆者は51歳らしいのだが、そこは長年の旅で鍛えられているだけあって”元気”である。アームチェア・トラベラーの私など、爪の垢を煎じて飲まないといけない。

しかし、まあ、この観光もない、食事といったら、およそ風情といったものの感じられないバスターミナルの冷えたコロッケ、サモサとかうどんといった、ただ、ひたすら、憑かれたようにバスを乗り継いでいく旅に爽快感を感じてしまうのはなぜだろう。
そこは、旅が豪華で贅沢であればあるほど、しっくりこなくなる貧乏性もあるのかもしれないが、やはり、「旅行記」というものの根幹が、各地の観光スポットのレポートや、名物料理のレシピではなくて、「移動する」ということ、あるいは距離的、時間的な移動の周囲に発生するさまざまなログないしはノイズであるということなのであろう。
あるいは、そこで指向されているのが、一定の方向を目指す目的性というものでなく、日々、移動し、存在することによって生ずるさまざまなものを、「記録」していく、ということであるからかもしれない。

ま、こんな小理屈は置いといて、”バスタブの湯の色が、中国では1週間で真っ黒になるが、インドではわずか1日の旅で真っ黒になる”とか”18年前は地獄の振動バスであったイランのバスが今では、非常に快適なバスの生まれ変わっている”とか、”インドには豪華長距離バスというものが存在しない、長距離の路線バスがあるだけだ”とか、この種の旅行記には必須である旅の一つ話の類もきっちりと載せられている。

ひさびさに貧乏旅行記が読みたいなー、というときにお薦め。
以前、読んだ貧乏旅行記のはしばしを思い出させてもくれる旅行記である。

2007年04月01日

蔵前仁一 「旅で眠りたい」(新潮文庫)

おなじみの旅本作家 蔵前仁一さんの旅本。 今回は、アジアを通ってアフリカに行く予定の旅なのだが、収録されているのをみると

「長い旅へのあやふやな出発」

「台湾の退屈、香港の腰痛」

「タイの島でひと休み」

「インドは今日も暑かった」

「パキスタンの砂漠を越えて」

「不思議の国イラン」

「アジアの終着駅トルコ」

といったもので、おいおい、アフリカにいつ着くんだよ、といった塩梅である。

それもそのはず、日本を出るまでも、芦屋の知人のマンションで1週間過ごしたり、沖縄の波照間島の2食つき3500円の民宿(晩ごはんに冷奴の巨大鍋、刺身の特大盛り、サラダ大盛り、野菜の煮付け大量、ソーメンの土鍋、親子丼、さらには具だくさんのカレーうどん、知合いの漁師が届けてきたたくさんのとれとれの魚の焼き物が毎日でるような宿)で、飽食の毎日を過ごしたり、といった具合である。

さらに海外に出たら出たで、台湾では、高地の村まで足を伸ばしたり、タイのピピ島ではなんともやる気のないバンガローに1週間以上ダラダラと宿泊したり、沈没のメッカ インドでは、病気にかかったせいもあるがカルカッタに2週間、カトマンズに5週間といった感じで通算6ヶ月滞在といった具合。
今回は、いつもの旅に比べても、なおさらゆっくり、ダラダラと旅を続けている感じがする。

最近、旅本に顔を見せなくなったイランといったところや、人気が高くなっているトルコとかもきっちり収録されていて、まあ、アジアの旅総集編といったところか。でも、同じようなルートを辿った沢木耕太郎の「深夜特急」が、求道的で、どことなく悲壮な感じがしていたに対し、この人の旅は、のほほんとした感じで味があるんですよね。

結局は、アフリカへの旅は、この本には収録されなくてアフリカ間近のアジアでこの旅本は終わるのだが、時間のある昼下がりに、ダラダラと読んで楽しい旅本であります。

2007年03月25日

中谷美紀 「インド旅行記 東・西インド編」(幻冬社文庫)

北、南と続いた中谷美紀さんのインド旅行記もこれでインド完全制覇の「東・西インド編」である。


この旅、忙しい女優業の合間を縫って断続的に、2005年の8月から2006年の1月にかけての4回にわたった合計3月の旅である。
しかし、しかしですよ、3ケ月のインドの一人旅といえば、立派なバックパッカーのような旅ではないですか。うーむ、やるなー。


東インドの旅の主要な部分は、シッキムを出発点にした、カンチェンジェンガへのトレッキング。トレッキング中のできごともそれなりに面白いのだが、一番は、近くのナーランダやブッダガヤで珍しく宗教談義になっていくのが興味深い。高地っていうのは、人間を神秘に近しいものにしてしまうのかな。


東インドに続く西インドではゴア(この地名で昔のとあるTV番組を思い出してしまうのは、中年の証拠か)、ムンバイから始まる旅。
高地の空気を反映してか少し冷たい感じのした東インドの旅に比べ、熱を帯びてきているように思うのは、西インドが歴史も古い上にエローラの寺院やら人臭い観光地がたくさんあるせいか、それとも、ベジタリアンをちょっと緩和して、魚ならオッケーとした筆者の心のゆとりのせいだろうか。

北インドのちょっとどぎまぎしていたインドの旅も、さすがに4回目ともなり、インドのそこかしこをまわった後となると、どこかしら、筆者の筆致にも旅行作家っぽい風格が出始めている。


インドの旅の最後は、こんな言葉で締められている。
「いかなる形にせよ、この瞬間をただ生きているということが何にも勝る価値のあることなのだと、改めて気付かせてくれたインドを、大好きだとは言わないが、今は好きだと言いたい。」


3ヶ月の旅を終わり、控えめなインドフリークが誕生したように思うのは私だけかな。

2007年03月24日

中谷美紀 「インド旅行記2 南インド編」(幻冬社文庫)

北インドへの一人旅であった「インド旅行記」の続編である。


今度は南インドである。「インド」というところは、人により好嫌いがはっきり分かれる国だとは、さまざまな旅行記に書かれてあって、どうやら中谷美紀さんは、インド好きの方に分類されてきたようだ。

今回の旅は、バンガロール、チェンナイ(マドラス)、コーチン、マイソールなどなど、地図でみると、インドの逆三角形の大陸のとんがった方への旅。


こうした旅行記を読む楽しみの一つに旅行先の食べ物の話や地元の人とのやりとりを読むことがあって、地元で有名なベジタリアンレストランでの食事や「インド人の家庭の味」あたりのマドゥライのガイドの家庭で家庭料理を御馳走になるあたりやココナツミルクの匂いにやられて、だんだんと食が進まなくなり、イタリア料理やインド式タイ料理に逃避したりといった話は、インドにずぶずぶ浸かってしまって、「インドのものはなんでも一番」になろうとしない結構意地っ張りの女優さんらしく、妙な好感を抱いてしまう。

ガイドらしい働きをしないガイドとか、ヨガのクラスに関係していそうなのだが、怪しげな薬の臭いがぷんぷんする怪しい人物とか、インドにありがちで、やはりインドらしい、インド定番のキャストもきちんと登場してくるし、どちらかというとストイックにヨガの修行をできるところを探していたような北インドの旅と趣が変わって、どちらかというと「なじみのインド」らしい仕上りになっている旅行記である。

2007年02月26日

蔵前 仁一 「インドは今日も雨だった」(講談社文庫)

近頃、旅本といえば蔵前仁一さんのものを読むことが多いのだが、本書はひさびさに蔵前氏のお得意の地「インド」である。

旅本作家によって、お得意というか、取り上げる地に偏りがあることは、この前のレポートに書いたところだが、やはり、お得意の地となると、作者の思いの入り方も違うのは、この本の場合も変わらない。


インドといっても、そこは大国なので、北から南、あるいは東から西まで、行くところによって風情も何もかわってしまうのだが、この本で主にとりあげるのは、北インド(ダラムサラ、ニューデリーカルカッタ)、チベットあたりである。


で、北インドの旅はどうかというと、そこは、やっぱりインドはインドで、

おまけに旅慣れた筆者のようなバックパッカーは、なおさら現地の人に近い安いホテルや、路線バスでの観光を目論むものだから、本当に出発するのかどうかわからないバスチケットを買って、やはり、お決まりのように行き先の違うバスに騙されて乗せられたり(「ダラムサラは遠かった」)や、山中で車のシャフトが折れて立ち往生したトラックに遭遇し、乗客たちが力をあわせて工事中の排水溝を埋めて道をつくってすり抜けたり(「キナウル・カイラスを求めて」)、といったアクシデントには事欠かない。

おまけに、

ダライラマは外国の観光客とも会ってくれて(もちろん予約制らしいのだが)握手までしてくれるといった話や、

バスで通勤している物乞いのばあさん(「ダラムサラの日々」)とか、

よそ者と触れると穢れると信じていて、外国人に土産物を売りつける時も、足下に投げ出して売ったり、村の至るところに外国人がさわってはいけない聖なる石がころがっているマラナの村(「マラナ伝説」)

とか、

なぜインドには「野良牛」が多いのか(「街の中で暮らす牛」)といった「インドだよねー」というか「外国だよねー」といったエピソードは、いつもながら豊富である。


最後の締めは、カルカッタで一番汚いところといわれている「サダムストリート」の安宿紀行。

こういった旅本の場合、旅先の美しい風景とか、現地の人との心温まる交流とかよりも、こうした安宿街の、ザワザワとしていながら何かしら儚いエピソードの方が興味深く読めるのは、私だけではないはずだ。

いつの間にか消えてしまった物乞いとか、相も変わらず怪しげなものを売っている絵葉書売りとか、いかにもボリそうなリキシャの親父とか、あやしげな安宿街の風情を楽しむことにしよう。

そして、この章には、汚いだけと思っていたカルカッタが美しい街に変わった瞬間のエピソードが紹介されている。あえて、まるごと引用すると

「初めて僕がカルカッタにやってきたのは、もう十年以上も前のことだが、最初は僕もその不潔さに動揺した。見方が変わったのは、サダルから少し歩いた安食堂に入って食事をした夜からである。テーブルからふと外を見やると、ドアの外に広がっている景色がまるで映画のスクリーンのように見えたのだ。
 小さな食堂には裸電球がひとつぶら下がっており、ドアの外にはオレンジ色に輝く街灯が立っていた。通りはほこりっぽく、街灯の光はほこりに反射してオレンジ色にきらきら光っている。その中を、色鮮やかなサリーをまとった女性が通り過ぎ、リキシャが鈴を鳴らしながら走り去っていく。
 熱帯のうだるような暑さの中で立ち上る人々の汗、食べ物の臭い。あれほど汚いと感じていた街から、その瞬間、現実感がすーっと消えていき、自分がまるで映画の場面の中に投げ込まれたような錯覚に陥ったのである。」(「美しきカルカッタ」)

埃っぽいだけの街が一瞬にして変わっていく姿を、鮮やかに感じさせる一文である。
旅本の良さは、こうした他人の経験を追体験できるところにあるのだろう。

2007年02月14日

蔵前 仁一 「旅人たちのピーコート」(講談社文庫)

最近、蔵前仁一さんの旅本にこっている。

旅本作家の旅先は、行き先が自然に偏ってくるのが通例みたいで、例えば下川裕治さんの旅先は、沖縄、タイといったところが多くなっているし、今は旅本を出すことも少なくなった岸本葉子さんの場合は、中国・台湾がメインで、ときおり北方領土といったところだ。

そうした目で蔵前仁一さんの旅本をみるとアジア、それもインド、チベットあたりが一番多いように思うのだが、この本の場合は、そういうことではなく、それまでの蔵前さんの旅を集大成するかのように、アジア、中国、インド、アメリカ、ヨーロッパなどなどと幅広い。
アメリカやヨーロッパを取り上げる旅本は最近珍しいのだが、それよりもまして珍しいのは、「イエメン」が取り上げられていること。


ところで、「イエメン」ってどこか知ってます。実は、私もとんとどのあたりか御存じない状態だったのだが、章前の地図を見ると、アラビア半島のさきっちょである。


昔はシバ王国であったとのことで、歴史的には日本よりずっと老舗なのだが、そこはアラビア、なんとも風情が違う。部族国家であったことを反映して、未だに半月刀をもった男がいたり、ライフルで武装していたり、砂漠に残る巨大な廃墟であったり、アジアの豊饒で湿っぽい感じのたたすまいとは、まったく違う、なんというか乾燥してパリッとしたアラビアが広がるのである。


おきまりの安宿、香港・重慶(チョンキン)マンションにまつわる旅行譚や「舌が痺れるほど辛い」のであって、「ご飯を大量に口にかきこんでなんとか辛さをしのぐ」元祖麻婆豆腐を体験したり、インドの「ホテル・ラクシュミ・ナラヤン・ババン」の想像を絶するほど大量で、しかも最後まで食べないと、その内容をすべて味わえない仕組みになっている南インドのミール(定食)とか、定番っぽい旅本のワハハ的エピソードは満載である。

そのほか1979年のアメリカ留学と1999年の再びのアメリカ・ニューヨーク旅行まで、アジアからアメリカまで世界に様々な旅の姿が楽しめる一品。

ちなみに表題の「旅人のピーコート」とは筆者がギリシア・アテネで同じような境遇の日本人の旅人からもらった厚手の紺色の分厚いコートのこと。このコートを着て寒いヨーロッパを旅したらしい。まさに袖すりあうも他生の縁を地でいく旅のエピソードである。

2006年12月01日

中谷美紀 「インド旅行記1 北インド編」(幻冬社文庫)

旅本というのは、旅の記録を読むというほかに、著者を読んでいるようなところがあって、著者の旅ぶりがしっくりくると、その著者のものを続けて読んでしまうが、そりがあわなかったりすると、どうにも読み進められないきらいがある。

そういった意味で、女優さんや歌い手さんの書く旅本というのは、あたりはずれがおおきいのだが、中谷美紀さんのこの本は、美人で神経質な雰囲気がそこかしこにでているあたりが、かえってしっくりきた。

なにしろ、旅の発端というかきっかけは「嫌われ松子の一生」の映画撮影に、とことん絞り尽くされたあげくなのだが、その目的が、「ヨガ」「インド」なのである。
キレーな女優さんなら 「ヨーロッパ」やろー!! 「エステ」やろー!!と思わず呟いてしまうのだが、そのインドを一人旅してしまうところが、この旅本がありきたりの女優の旅本とは違うところだろう。

で、インドはというと、やっぱりインドはインドである。こうした女優さんがヨガをやりに来ようが、その女優さんが、インドで突然ベジタリアンに目覚め、野菜のカレーなどばかりを食して、タンドーリチキンなぞには目もくれなくなろうが、やはりインドはインドらしくて、バクシーシはあるし、ガイドやリキシャの運転士は、隙あればボロうとするし、盗難にはあうし、でも、親切な人はしっかり親切で、やっぱり暑い、という具合なのである。

こうしたインドに対して、チューブ入りワサビをもちこんで消毒(といっても、食後になめるといった乱暴なものなのだが)したり、たまには中華料理、タイ料理を食べて、東アジアの人としてのアイデンティティを取り戻したりするのだが、最終的には、「インド」に屈伏して結構ボロボロになってしまう、という定番的展開となってしまうのが、やはりインド旅行記らしい。

一定の地歩を確立している女優さんの一人旅なので、ほかのバックパッカーものと違って、きれいなところが多いし、危ないところは少ないのだが、中谷美紀さんの違った一面が覗ける旅本である。

2006年10月02日

たかのてるこ 「サハラ砂漠の王子さま」(幻冬社文庫)

大学4年の春のインド一人旅から数月後、やっとの思いで「東映」に就職を決めた筆者の卒業旅行の旅本。

目指すは「モロッコ」!!!である。

でも、この「モロッコ」ってな選択、普通の女の子はしないんじゃないかな、と思うのだが、モロッコまでの行き道はパリ、スペインと経由していくので、著者も普通の若い女の子の部分あったのね・・・と、ちょっと安心する。

で、そのパリからスペインまでなのだが、前作のインド旅行とはちょっと違う。パリでは、同じく卒業間近の美大生と同行したり、スペインでは高校の同級生と再会して、シエラ・ネバダ山脈でスキーをしたり、なんか前作と雰囲気違って、チャラついてるぞー、と思っていたら・・・

・・・・モロッコでもそうでした・・・・

なにしろ、モロッコ行きのフェリーの中で、乗組員から「結婚しよー」と迫られたり、タンジェという町のレストランでは、トイレで店のボーイに抱きつかれたり、カサブランカで泊まったYMCAでは、アベックの彼女同意のもとで男のほうから襲われそうになるし、このフェロモン出しまくり状態、危険度満載の滑り出しなのである。

なにやら、モロッコの男ってのは、イスラムの戒律が厳しい分、肌を見せてる女性はとにかく口説こうってな感じになってしまうのか?ってな誤解をしてしまいそうなぐらいなのである。
で、最後の極めつけは、バルセロナっ子の男の子と、サハラ砂漠の野宿をきっかけにした、ほんの短い間の恋物語である。


今回のこの本は、どっちかというと「旅本」というよりは「青春記」みたいな感が強くて、モロッコの雰囲気に浸りたいなー、という人や、旅の風情に浸りたいなーってな人には、ちょっと食いたりない仕上り。


若い娘さんの青春卒業旅行記と思って読みましょう。

2006年09月17日

たかのてるこ 「ガンジス河でバタフライ」(幻冬社文庫)

なんとなく精神的にというか、人付き合いや世間のあれこれが面倒臭くなって疲れてきた時に、旅本をやたら読み耽る癖があって、今がその時期である。 力が戻ってきたら、ミステリーやSF、果ては歴史物までわしわしと読み進めたいのだが、ちょっと今はダラダラと疑似旅行をしているところ。


で、そんな今、書店で思わず手にとったのが、本書である。
表紙は若そうな女性がでかい河か海で泳いでいる姿がどんと写っていて、「なんじゃこりゃ」と思ったのがきっかけだった。


女性の旅本の書き手といえば、私的には岸本葉子さんを一番にあげたくて、彼女のちょっと上品っぽいというかお嬢さんっぽい旅行記やら留学記が好きだったのだが、この本の作者、たかのてるこさんの語り口はちょっとそれとは違う。下品っぽいのだが猥雑ではない、チャラついているようで以外に根をはっている、そんな感じである。

収録は

TRAVEL アジア編

TRAVEL インド編

のふたつで、「アジア編」の方が、初めての海外旅行。それも当然,貧乏バックパッカー旅行。インド編が、その数年後の大学の卒業旅行である。


海外一人旅にでかける動機っていうのが、「自分を変える」というか「変わりたい」っていうところで、この辺はそんじょそこらの旅行記とあまり変わらないのだが、思わず笑ってしまうのが、一人海外旅に出ると決めた後、死ぬかもしれん、日本に帰ってこれへんかもしれん、と友人にやたらめったら電話をかけまくるあたり。
かけられた友人も、海外のおっかない話をわんさと喋ゃべくる、とんでもない友人だったりする。

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2006年09月06日

下川裕治 「沖縄にとろける」(双葉文庫)

本ブログ再開が、「食べ物本」で「沖縄本」だったので、今回も下川さんの沖縄本をとりあげよう。下川さんといえば、東南アジア、とりわけタイやミャンマー、ラオスあたりの旅本が多いのだが、最近は「オキナワ」ものも増えてきた。

この本を読んだらわかるのだが、タイ入りするときも最近は那覇経由で行くぐらいの「沖縄フリーク」になっているらしい。

もっとも、「沖縄フリーク」といってもスキューバをやったり、釣りをしたりといった類ではなく市場や夜の街をうろついたり、ぼんやりと短いながらも島暮らしをしたりといった、ダラダラ系である。

本書の収録は

「沖縄カツ丼はチャンポンだったか」
「インスタントラーメンを食べにいく」
「沖縄式自動販売機、裏街道をゆく」


「南の島のサービス論」
「ルートビアお替わり自由という愛の踏み絵」
「歩かないウチナーンチュとの虚しい戦い」
「非合法島豆腐、沖縄の島々に君臨す」
「放っておいてくれない居酒屋物語」
「沖縄式ビーチパーティーの顛末」
「頼りない男たちのいるビーチ」
「宮古島に敷かれる泡盛本位制」
「カビの匂いを求めて那覇ホテル放浪記」
「風の島・沖縄の石敢當」
「沖縄そばを食べてアジアに向かう」

の14編

いずれも、ダラダラ、フワフワ、ノンビリといった形容詞が読むと頭に浮かんでくるエッセーである。

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2006年02月19日

開高 健 「もっと広く 南北両アメリカ大陸縦断記 南米篇」下 (文春文庫)


さて、このシリーズも最終巻である。この巻はペルーから始まり、旅の終わりのマゼラン海峡を望む地、リオ・ガジェゴスまで。

ペルーでは一種、豪快な釣りに同行する。

なにせ、荷物が氷520キロ、水600リットル、米50キロ、ガソリン270リットル、石油60リットル、以下ジャガイモ、トウガラシ、サラダ油・・・と合計2トン、同行者ニ十数名というコルビーナ(イシモチの一種らしいが、体重12キロ、体長1メートル20にまで成長するらしい)や畳のように巨大なヒラメ釣りを数週間にわたって釣る一大旅行というか大イベントである。

しかも旅行の主催はペルーで大規模な日本料理店を営む人だから、当然料理人つきであり、ここで供されるペルー料理が、また食欲をそそるものばかりだ。

それは、

鍋の底にタマネギやトマトやシジャガイモを敷き詰め、軽く塩をふる。その上に魚をのせる。その上にまたタマネギやトマトを敷き詰め、塩をふり、アヒ(トウガラシ)を入れる。その上にまた魚、その上にまたタマネギやトマト。こういう具合にしたのを、水を一滴もいれないで、トロトロ弱火で煮た、「スダド」というスープ

魚(コルビーナ)のとれとれの端麗な白身を刺身にして大皿に並べ、そこへタマネギやトウガラシをふりかけ、新鮮なライムの鋭い果汁をたっぷりとふりかける。魚の肉が酸に焼けてチリチリと白くなる。はんなりと白くなったところをいただく「セビチェ」

であったり、

牛のコラソン(心臓)をワインビネガー、つぶしたニンニク、コショウの粉、クミンシード、塩、小さいトウガラシ(タカの爪)などにおよそ8時間から12時間つけ、それをコマ切れにして太い青竹の串にさし、炭火で焼いた「アンティクーチョ」

などである。

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開高 健 「もっと広く 南北両アメリカ大陸縦断記 南米篇」上 (文春文庫)


「もっと遠く」に続いたアメリカ大陸縦断記の南米篇である。
南米篇は、メキシコから始まる。もちろん、南米にメキシコを入れるのは筆者も躊躇しているが、スペイン人の征服によるアステカ帝国の滅亡から現在までの宗教、風俗、史的体験からして北米とは異なるものとして南米篇にいれたものだという。そういえば、今までのオリンピックの開催国で、オリンピック開催後、国威を著しく落としたのはメキシコだけだ、という逸話をどこかで読んだことがある。

そんなメキシコから始まり、コロンビアまでいたるのがこの南米篇の上巻である。

メキシコに入ると、すぐさま「モクテスマの復讐」に襲われる。とはいっても事件ではない。下痢である。コルテスに滅ぼされたアステカ帝国の最後の皇帝 モクテスマ二世が、メキシコにくるあらゆる外国人に、皮膚の色や国籍おかまいなしに、下痢でたたって歩くのだそうだ。アメリカやヨーロッパにやられっぱなしのメキシコのささやかな復讐というわけか。

メキシコで釣った魚は、タイの一種のワティナンゴとハタぐらいでたいしたことはないが、出会う料理は、捨てたものではない。
「ワティナンゴ・ア・ラ・ベラクルサーナ」という料理は、ワティナンゴという魚に軽く衣と油をつけて熱い油で揚げ、それにトマト、タマネギ、ピメンタなどを入れた熱い透明なスープをかけたものなのだが、その味は


魚は赤いけれども肉は白身で、もろく、高雅である。ピメンタは日本のピーマンにそっくりだけれど、とびあがりたくなるくらい辛くて、食べていると、額からタラタラと汗が出てくるほどである。しかし、香ンばしい油、はんなりとした塩味、気品のある白身のまざりぐあいは、まことに逸品であった

というぐらい旨いもののようだ。

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2006年02月16日

開高 健 「もっと遠く! 南北両アメリカ大陸縦断記 北米篇」下 (文春文庫)


下巻は、ニューヨークからニューオーリンズまで。北米というからメキシコまで入るのかと思ったら、どうやら生粋の「アメリカ」まで。

この巻は釣りだけでなく、食い物についても唸る一節の多い巻である。

一体に、開高 健の「食い物」「旨いもの」の表現は、汁(つゆ)がしたたるようであり、湯後が沸き立つようであり、なんとも唾を飲み込みそうな表現が多いのだが、この巻もその期待に違わない。

例えば、ニューヨークのオイスターバーで貝(ハナグリ)を食べるところでは


かわいいハマグリの淡桃色を一刷き。あえかに刷いた、白い、むっちりとした肉、それにレモンをしぼりかけると、キュッとちぢむ。オツユをこぼさないようにそろそろ口にはこび、オツユも肉も一息にすすりこむ。オツユは貝殻に口をつけて最後の一滴まですすりこむ。ムッツリだまったまま、つぎつぎと一ダース、二皿で合計二十四個。

同じニューヨークのチャイナタウンで小汚い中華料理屋に飛び込み、


魚片の入った熱アツの粥をたのむとうれしいことに香油(ゴマ油)を一滴ふりかけてくれた。油條をちぎりちぎりその粥に浸し、香菜(コエンドロ)をふりかけ、垢だらけの欠けレンゲですくう。口にはこびつつ、粥とゴマ油の香りと油條を少しずつ呑みこみ、ついでに声も呑みこんでしまう。

といったところや、

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2006年02月12日

開高 健 「もっと遠く! 南北両アメリカ大陸横断記 北米篇」(上)文春文庫


一時期は、熱狂して読み漁っていたのに、なにかの折にパタンと読まなくなってしまう作家というのがある。私の場合、「開高 健」もその一人だ。「最後の晩餐」といった食エッセーから、ベトナムを題材にした数々の小説群、釣りのエッセイや対談集など、買い漁っては、読み、その書癖というか、熱狂を秘めながら、冷めているという特性のある表現を好んでいたのだが、なんとはなしに冷めてしまった。

それは、いわゆるフライやルアーの「釣り」が匂わせるスノッブさが嫌になったのかもしれないし、ベトナム戦争から現在までの時代の流れの中で、いわゆる社会主義が色あせるどころか瓦解していくといった変化に、これらの小説群を読む、こちらの視線が、あてどなく、他所へいってしまったせいかもしれない。


そんなあまり理由のないことで遠ざかっていたのだが、ふと書庫の片隅から引っ張り出したところ、なんとなく懐かしい。なにか昔よき時代の話を聞いてるような感じがしてきてレビューしてみたくなった次第。




さて時代背景だが、1979年から1980年にかけてのアメリカ大陸横断である。世界史的には1979年10月の韓国の朴大統領が暗殺されたり、イラン革命がおこっている。
1980年にはモスクワオリンピックのボイコットやイラン・イラク戦争がおきている。またレーガンがアメリカ大統領となり、ジョン・レノンが暗殺された年だ。


いわゆる冷戦構造が健在で、共産主義と資本主義の牙城は双方健在であった頃。ロシアはまだソビエトで、アメリカはアメリカだった頃だ。この頃は、現代でも「宗教」が国を動かす、あるいは国を脅かす存在であるとは思いもしない頃だ。

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2006年02月11日

岸本葉子 「「和」の旅、ひとり旅」(小学館文庫)

おひさしぶりに読んだ、岸本葉子さんの旅本、というか旅エッセイである。 岸本葉子さんといえば、「アジア発、東へ西へ」や「旅はお肌の曲がり角」あたりから旅本として読み始めたのだが、最初の頃の、元気な北京留学娘をほうふつとさせるものから、年を経るにつれ、段々と「上品」になってきているような感じがする。

そういえば、表紙カバーのお写真も、(大変失礼ながら)ちょっとお年を召されたセレブの奥様といった雰囲気を醸し出されているのである。でも、キレーで賢そうな人だな、と思わせる風情十分である。

とまあ、容姿の話はさておき、この本の構成は
自分の中の「旅」を問い直すような内への旅を思わせる「「私」と出会う」
日本のあちこち、とはいっても騒々しい観光地ではなく、北海道・ニセコ、安曇野、天草などなどの、謂れや風情のありそうなところが多い旅行記、「元気をもらいに」と「時間を超えて」
季節の移り変わりを、花や野草をネタにとりあげた「季節を感じる」

旅行記の中で、おろ、と思ったのが「南大東島」

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2006年02月08日

林 巧 「アジアもののけ、島めぐり」 (光文社文庫)

副題が「妖怪と暮らす人々を訪ねて」で、訪問するところは、バリ、沖縄、ボルネオである。それぞれの地を訪ね、人に会い、それを綴る、という旅行記の基本はおさえてあるのだが、ちょっと普通の旅行記とは違う。


それは、目に見えるもののレポートだけでなく、目に見えないもの、いわゆる「おばけ」を見ようとする、あるいは感じようとする旅でもあるからだろう。
そして、いわゆる異世界探訪ものとは、また違うのは、そうした目に見えない世界を、我々の住む世界とは異なる世界としてリポートしようとするのではなく、我々と地続きの世界としてレポートしようとしているからだろう。




訪れるところの人々もまた”異世界””おばけ”に非常に近しい。


異界へのゲートがあちこちに開いていて、そこからさまざまなおばけたちが、島へ入り込んでいると考えているバリの人たち


魔物はいつでもあちこちを徘徊しているものだと想定していて、毎日の暮らしの中で魔物をどうやって避けるかに心を砕いて、”石敢富”や”シーサー”を祀る沖縄の人たち




マレー半島やインドネシアから精霊らちが大挙して還っていく、おばけたちの故郷となるような”町”をかかえるボルネオの人たち


そして、そうした人たちの感ずる”おばけ”は


「黒魔術の体系に身を投じて、その次元で、もう一つの生を獲得した妖術使いのレアック」


「古くて、太くて、根っこがまるで生き物のように曲がりくねっているような老樹の精霊ともいえるキジムナー」


「はらわたをひきずって飛び、人の生き血を吸うポンティアナ」


といった、生活の中の隣の暗闇にいそうなものばかりである。

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阿川佐和子 「タタタタ旅の素」 (文春文庫)

阿川佐和子さんの旅本・・・というより旅をテーマにしたエッセイである。阿川佐和子さんといえば、週刊文春の、上品だが切れ味鋭いインタビュアーである。こうした人の旅エッセイだから、きっと切れ味鋭すぎて・・うー、と思ったら大間違い、なんともほぁっとしたエッセイである。







舞台となる国というか地域は、それこそ多種多様。でも、どちらかというと外国でいうとアメリカ、香港、シンガポール、ヨーロッパ、日本では京都、軽井沢、長野、広島といったあたりが舞台となるのは、そこらのバックパッカーの旅本とは違うところ。どことなく上品である。


しかし、文中にでてくる話やエピソードは、ありきたりの旅本と違って、うーむとうならされるところが多い。

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2006年01月15日

小林紀晴 「ASIA ROAD」(講談社文庫)

デビュー作「ASIAN JAPANESE」の4年後の続編。

旅するときは1995年の夏から翌年の夏までの1年間。東京からバンコクにわたり、タイ、ベトナム、中国、台湾、沖縄、東京とめぐる、ASIAN JAPANESEの旅をなぞるかのような旅である。文章だけでなく、ふんだんに挿入されている写真がよい効果を出している。文書だけでなく、写真を読み取っていく必要のある本である。

1995年夏から1996年夏にかけてに何がおこっていたのか、Wikipediaで調べてみると、1995年は、7月にPHSサービスがはじまり、8月にベトナムがアメリカと国交回復、11月にWindows95が発売されている。7月以前に阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件がおきているから、騒然とした年であったことはまちがいない。芸能的には、安室奈美恵、TRFといた小室ファミリーが大ブレークしていた時だ。1996年は、1月に村山首相退陣、橋本首相の誕生。3月に台湾初めての総統選挙で李登輝氏が当選、7月にアトランタ五輪が開催されている。

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2006年01月07日

鴨志田 穣・西原理恵子 「煮え煮え アジアパー伝」

アジアパー伝の三作目。他のシリーズ本と同じく、西原理恵子さんの漫画と鴨志田 譲さんの旅というかアジア滞在記エッセイのダブル搭載。漫画とエッセイとは別物だから、一冊で二度美味しいということか。

鴨志田さんのエッセイのほうは、まず韓国から始まる。韓国を出て東京へ留学、就職、その後再び韓国に帰って不遇を抱えているカクさんと取材旅行をしているところから始まる。とはいっても取材の様子はほとんどなく、飲む。飲む。飲むの記録である。

こんな調子で、神戸の震災の際のルポ、ミャンマーでの出家、タイでの暮らしやまわりの人々を綴っていく。だから、本音のところ、真面目なミャンマーやタイの滞在記と思ってはいけない。自らの生活と体を、わざと壊していく印象を受ける。


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2006年01月04日

長崎快宏 「アジアケチケチ一人旅」(PHP文庫)

旅行記の楽しみは、日本とかけ離れた異国の情緒を、実際に旅することなしにふれあうこと以外に、ちょっと古い旅行本だと、今は失われてしまった外国の一時代に触れるという、ちょっとうがった楽しみがある。

この本も1998年3月に書き下ろしされたものだから7年前か、それ以上前のアジアの姿と暮らしが描かれたものといってよい。だから、旅の新しい知識を仕入れたり、穴場を発見するつもりで読むと痛い目をあうことになるが、ちょっと昔の歴史の記録やルポルタージュを読む気で読むと、かなり面白い。

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2005年12月18日

星野知子 「トイレのない旅」

実際の旅は1992年頃の星野知子さんの旅本

赴くところは、ペルー、シベリア、中国雲南省

美人の女優さんに似合わず行く場所は、かなりハードである。
おまけに、ペルーは日本人殺害などテロが頻発している時期だし、シベリアはペレストロイカの失敗が、見えかけた時期で物資などが不足しがちの上に社会主義特有の無愛想さが健在な頃。雲南省は政情不安とはいえないが、世界になだたる田舎である。