2006年04月09日

岸本葉子 「やっぱり、ひとりが楽でいい!?」

ひさびさに岸本葉子さんのエッセイを読む。リサイクルショップで岸本葉子さんの本を2、3冊買い込んだのでまとめて読んでいる。なにかしら私には、固め食い、というか、気に入ると同じ作者の本をまとめて読む性向があるのだが、この作者のものも、その傾向に近くなっている。

書かれたのは1994年で、今から13年ぐらい前のエッセーなのだが、実は作者と同じ様な年代(管理人の方が若干年上ですが)ののため、私の30年代の記録を重ね合わせるように読んでいるのだろう。

章立ては

「ひとりでも退屈しない」
「こんな、私も、結婚したい・・・」
「自分で自分がわからない」
「私はいつでもマイペース」
「こだわってはみたものの・・・」
「見栄も外聞も捨てたい・・・」
「私にも楽しいことはある」

の7章立てで、乱暴に総括すると「独身女性の、やっぱり一人暮しになっちゃうんなよね」ということか。
途中の「結婚したい願望」をめぐる話とかテレクラにかけてみた話とか、ちょっとこの人の性向からすると無理して体験したりしているよなー、と思うものもあるのだが、それなりに時代を反映していて面白い。

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2006年03月05日

古今亭 志ん生 「なめくじ艦隊」

もともとは旧幕の槍の指南晩の家で三千石の知行をとっていた家で、父親も警察官をしていた家に生まれたのだが、道楽が過ぎて落語家(「咄家」というほうがぴったりくるか)になってしまった昭和の名人といわれた古今亭志ん生の半生記の自伝である。

本書の由来は、志ん生が、とんでもなく貧乏だったころ、本所の業平町の貧乏長屋(なんと家賃がタダの長屋だ)に住んでいたのだが、無料だけあって、ジメジメと湿気が多い。尼が降ると、たちまちあたり一面泥の海になってしまうようなところで、ナマクジが、夜となく昼となく大量に這い回っている。
そうしたナメクジの多い長屋の風景を、徳川夢声が、日本海軍の大艦隊になぞらえて「なめくじ長屋」と称したのを拝借したもの。


道楽者で酒が好き。おまけに咄家といういろんなエピソードにあふれた世界に生きてきただけあって語られるエピソードも破天荒なものが多い。


いくつか引用すると

 ライスカレーを食ったために給金を下げられた前座がいた。というのも、その頃(大正のころか?)は、よっぽど金持ちか偉い人でないかぎり、西洋料理なんて食えるものではないと諦めていた。「ライスカレーなんて大変なもの」だったから、前座の分際で食うなんて、とんでもない、ということで給金を下げられたらしい。
(当時、前座の給金が15銭ぐらいで、ライスカレの値段が8銭ぐらいしたようだから、今の時代でいうと8万から10万円ぐらいの料理か)

といった時代を感じさせる話とか

 旅のドサ回りの途中で、お金がないまま宿屋に泊まり、翌朝金がないのがわかったところ、宿屋荒らしと間違えられて留置場行き。そこで地元のヤクザの大親分と仲良くなって、その大親分の差し入れをご馳走になりながら、噺を毎日聞かせていた

とか

 戦時中、大辻司郎の紹介で、ビールを料理屋でこっそり飲み、帰りの土産に、大きな土瓶にビールを入れてもらったはいいけれど、途中で空襲警報。
「爆弾が落ちて死んだら。これ(土瓶に入ったビール)がもったいない」と地面に座って飲み始めたはいいが、すっかり酔ってしまい、そのまま寝入ってしまった。翌日、土瓶を下げて家に帰ったが、

「はげしい大空襲の下で飲んだ時のビールの味なんてものは、忘れられるものじゃやありませんナ」

といった話を、ちょっと伝法な江戸っ子らしい語り口そのままに読んでいると、まるで高座から志ん生の噺を聞いているような心持がしてくる。

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2006年02月08日

阿川佐和子 「タタタタ旅の素」 (文春文庫)

阿川佐和子さんの旅本・・・というより旅をテーマにしたエッセイである。阿川佐和子さんといえば、週刊文春の、上品だが切れ味鋭いインタビュアーである。こうした人の旅エッセイだから、きっと切れ味鋭すぎて・・うー、と思ったら大間違い、なんともほぁっとしたエッセイである。







舞台となる国というか地域は、それこそ多種多様。でも、どちらかというと外国でいうとアメリカ、香港、シンガポール、ヨーロッパ、日本では京都、軽井沢、長野、広島といったあたりが舞台となるのは、そこらのバックパッカーの旅本とは違うところ。どことなく上品である。


しかし、文中にでてくる話やエピソードは、ありきたりの旅本と違って、うーむとうならされるところが多い。

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2005年11月27日

北 杜夫 「どくとるマンボウ青春記」(中公文庫)

どくとるマンボウこと、北杜夫さんの旧制高校入学から大学医学部卒業まじかの時期までの青春記。

時代としては、第2次世界大戦終了後まもない頃で、旧制高校から新制大学に切り替わとるころ。この本で、一番精彩を誇るのは、なんといっても、シュトルムウントドランクだかバンカラの名の下に、噴出す力を、そのまま無統制に噴出させた印象にある旧制高校の寮の話である。

学生時代というのはもともと金がないことが多い上に、終戦直後の食糧難がかぶさるから、やっていることも今の学生の生活に比べたら貧しいことはいうまでもない。
寮の火鉢から灰の中に埋もれたタバコを掘り出して吸ったり、無上の至福は腹いっぱい白米をくうであったりする時代である。。

そのかわり、哲学に(意味もよくわからないのに)妙にかぶれたり、奇妙な風体でインターハイ参加(当時は、ろくにユニフォームもない、ある意味、気楽なスポーツ大会だったようだ)や寮を壊しそうななった寮祭。学内試験では答えと関係のない詩や絵を描いてお情けの点数をもらって、追試を4回も受けるが、なお落第判定の会議では当落選上をうろうろしたり、といった青春時代である。


そうした破天荒な学生生活を営みながら、「蛙の子は蛙」ということか、斉藤茂吉の次男である筆者が徐々に「文学」というものに惹かれ、どっぷりとつかっていく様も興味深い。
人間は、皆、なりたいと思うものになっていくものらしい。

「旧制高校」といっても歴史書の中に単語になってしまっているが、いつの時代も共通する、金を持ってないが、力と熱情はたっぷりあって、暇に恵まれているが、異性には縁がないという、今でもありそうな青春が、この本の中には息づいている。

(そういえば、石原慎太郎の「太陽の季節」とほぼ同時代の青春記であるはずなのだが、「どくとるマンボウ青春記」の方に共感とノスタルジーを覚えるのは、なぜだろう)

2005年11月13日

島田洋七 「がばいばあちゃんの 笑顔でいきんしゃい!」(徳間文庫)

「佐賀のがばいばあちゃん」の続編。続編だけでも楽しいが、本編を読んでからだと、なおいっそう楽しめる。

一言でいうと、この続編も元気の出る本である。筆者が幼少時に一緒に暮らした「ばあちゃん」の言行録が、さらにパワーアップされている。

けして金持ちではない、というか、むしろかなり貧乏な生活で、なんかの拍子に横道に行ってもおかしくない境遇なのだが、筆者が明るく、障害者のアラタちゃんも守りながら、元気に生活していたのも、「ばあちゃん」の人格、人徳なのだろう。

エッセイだから、筋らしい筋はないが、ネタばらしとして、「ばあちゃん」の名言を少し紹介

「死ぬまで夢を持て。叶わなくても、しょせん夢だから」

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