2006年5月アーカイブ

前作「赤ちゃんをさがせ」で、ワトソン役の聡子さん、陽奈ちゃん、ホームズ役の「伝説のカリスマ助産婦」明楽先生の最強の助産婦シリーズの2作目で、今回は長編。


ところが、聡子さんは、元ダンの宝田さんとヨリを戻して、2番目の子供ができた為に、育児休業中である。大事な収入源と栄養調達源が休業中に、なんと陽奈ちゃんは。アルバイト先の助産院をリストラされてしまうのである。

始まりは、陪審の場面から、というちょっとかわったスタートである。

この本の主人公のエリノアが、メアリイ・ゲラード殺人の疑いで裁判にかけられているところからこのミステリーは始まる。

「スタジアム 虹の事件簿」で自費出版デビューした、青井夏海のユーモアミステリー第2弾。


今度はワトソン役もホームズ役も助産婦さんである。ワトソン役を務めるのは、自宅出産専門の出張助産婦の聡子さんと陽奈(ひな)ちゃんの二人組。そしてホームズ役は、二人の報告を聞いて推理をめぐらす「伝説のカリスマ助産婦」明楽先生という設定である。

分類すれば、安楽椅子探偵の分野に入るのだろうが、ワトソン役の一人、駆け出し助産婦の陽奈ちゃんのドタバタした、とんでもなく明るいところが、こうした安楽椅子探偵ものによくある取り澄ました感じをなくしている。

「覆面作家は二人いる」でデビューした、外弁慶(?)のお嬢さま 新妻千秋さん登場の第二作目である。 収録は「覆面作家のお茶の会」「覆面作家と溶ける男」「覆面作家の愛の歌」の三作
ミステリ雑誌の「推理世界」に、新人賞応募〆切をすぎた原稿が送られてくる。 箸にも棒にもかからない応募原稿かな、な、と思ったら、「面白い。着想といい展開といい、非凡である。・・・ただ、ところどころ確かに妙である。テレホンカードというものが何なのか分っていなかったり、突然世にも難しい言葉が出てきたり、取ってつけたような手順(!)のおかしなベッドシーンがあったりする」というわけで、「推理世界」の中堅編集者の岡部了介は、有望(そう)な新人ミステリー作家を担当することになる、といったところからスタートする。
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ミス・マープルもののミステリーなのだが、いつまでたっても、マープルは登場してこない。

殺人事件もふたつ起きるのに、素人みたいな青年が、村の中をうろうろして、殺人事件が起きた家の娘にちょっかいだしたり、美人の家庭教師にぽーっとしたり、生意気そうな妹とおしゃべりしたり、なんか犯人捜しとは、あんまり関係なさそうな話が結構続く。


ま、それはさておき、舞台は、「リムストック」という田舎町。主人公というか、この話の語り手のジェリーは飛行機事故で足を怪我していて、静養も兼ねて、この町に妹とともにやってきた。という設定。

なーんにも事件の起きそうにない田舎町の風情なのだが、どうしてどうして、なんか陰湿な「匿名の手紙」が横行している。それも、秘密を暴き立てるというより、根も葉もない中傷の手紙のようなもの。ジェリー青年も、リムストックで一緒に暮らしているのは、妻でも妹でもない、といった手紙を受け取ることになるが、この内容が、ふーんといって受け流せないほど「嫌らしい手紙」という扱いをされるのは時代のゆえか。

しかし、この「匿名の手紙」が事件の引き金というか、原因になってしまうのだから、たかが手紙といってもあなどれない。


弁護士のシミントン氏の夫人が、この手紙を受け取って内容を見たが、それを苦にして、青酸カリで自殺してしまうのだ。
このシミントンの家っていうのが、夫人の連れ子で美人そうなのだが、蓮っ葉そうな娘(ミーガン、という名前だ)がいたり、自殺した夫人も結構キツそうな女性だ。

家政婦さんが次々とかわる札付の家に派遣されてきた家政婦の「私」と数学者の「博士」、そして「私」の息子「ルート」の物語である。


若い頃の事故のせいで、物事を記憶する能力が失われ、1975年で記憶の蓄積がとまり、それ以降は80分だけ記憶が蓄えられると、自動重ね録りのように1975年に戻って記憶が上書きしてしまう、という「博士」。


彼は、毎80分後に更新される記憶をとどめるため、生活に必要なことは全てメモに書き留め、背広にピンでとめておいている。そして、「私」は毎回毎回、毎日毎日、いつも初対面の家政婦勤めを始めることとなる。

また、「私」の子供がいることを知った「博士」の強い要請で、「私」の勤め先に学校が終わると立ち寄り、勤務時間が終わるまで一緒に時間を過ごすことになった息子の「ルート」。

三人の少し奇妙な生活は、「博士」が医療施設に入るまで続く。といった流れなのだが、これは、ちょっと乱暴な要約をすると、「新たに出会った家族」の「家族としての暮らし」の記録である。


80分間という短い時間の連続の中で、血のつながらない、あくまで偶然に出会った人達が、「家族」としての関係をつくりあげていく物語、といえよう。

その「家族」をつくりあげていく道具は、数学上の様々なもの、「素数」であり「三角数」であり、完全数「28」を背番号に持つ江夏 豊と、「ルート」も「博士」も大ファンの「阪神タイガース」。
「数学の数式」と「阪神タイガース」が「家族づくり」の上で等価に扱われて行くのは、今までにない斬新さを覚える。


結局、身体というか、脳の衰弱で、「博士」の記憶は1975年より先に進むことを止めてしまうようになるのだが、成長した「ルート」が中学校の教師になったことを報告する場面、身を乗り出し「ルート」を抱きしめようとする「博士」の姿に、記憶や想い出を共有できないまでも成立した、ひとつの「家族」のお互いへのあふれんばかりの愛情を感じるのである。

映画の方からブレイクして大ヒットになったのかもしれないが、「小説」として読むのもいい。最後の方で、ちょっと、鼻の奧が"つん"として目頭が熱くなること請け合いである。

最近、めったに見かけなくなった、岸本葉子さんの「旅エッセイ」である。行き先は、国内が主だが要所要所で海外がはさんである。 構成は、「なつかしい旅」「からだで知る旅」「くつろぎの旅」の三部構成。 まず、「なつかしい旅」では、「石垣島」「下諏訪温泉」「伊勢志摩」「軽井沢」「台湾」を訪れる。いずれも、今とは違ってしまった昔の残る地を訪ねる旅である。 例えば、「石垣島」では筆者の叔父(父親の弟)を数十年ぶりに訪ねる旅であるし、「軽井沢」は日本の別荘第1号の復元されたものを訪ねるものである。こうした、「昔」「古」の姿は、台湾を訪ね、台北の街で、


路地をさらに入っていけば、大通りの喧しさが嘘のような、ひっそりとした家並みだ。どこの家からか、蝿のうなるような、低いラジオの音が聞こえる。
家の前に出した椅子で、涼む老人。同じように涼むとなりの人と、腰かけたまま世間話だ。その家の嫁とおぼしき女性が、木陰で赤ん坊をあやしている。小学校に上がる前ぐらいの女の子が、母親をまねて妹を抱きあげようとし、つぶれてしまい、ふたりして笑いくずれる。
どうかするとその中に、瓦屋根の日本の家が残っていたりする。懐かしい、と感じてはいけない。台湾を戦前の五十年間日本が支配したという、歴史の証しにほかならないのだから。
けれども、軒下に立っていると、胸の中の記憶の揺りかごで、何かがそっと呼び覚まされる。ひと昔もふた昔も前、私が子どもだった頃、家族とはご近所とは、こんなものだった。
なぜだろう。台湾も日本と同じかそれ以上に急な経済成長をしてきたのに、日本人が失ったものが、こうした通り角などに、残っている。そのたびに私は、足をとめる。
はじめてなのに、ほっとする。その感じは、日本時代の名残のためではないはずだ。

というあたりで、昔の姿が、はっきりしてくる。

最近のはやり言葉ではあるのだが、何のことやら、いまいちよくわからないweb2.0をはじめとした、インターネットを中心としたウェブ社会の、これからをとりあげた本。

基本としては、「子供の頃から、こうした新しい道具を与えられた世代からは、明らかに旧世代とは違うリテラシー(表現能力)をもった人たちが数多く育っていくに違いない」ということを背景に、「これから始まる「本当の大変化」は、着実な技術を伴いながら、長い時間かけて緩やかに起こるものである。短兵急ではない本質的な変化だからこそ逆に、ゆっくりとだが確実に社会を変えていく。「気づいたときには、いろいろなことがもう大きく変わっていた。」というのが主旨。

そして基本スタンスとして、そうした変化を望ましいものとして捉えているように思えるのだが、
「人は、ネットの世界に住まなくたって、これまで通りのやり方で生きていける。そう思う人たちがマイノリティになる時代はそう簡単にはやってこない。
ゆっくりと確実に変わっていく社会の姿とは、二つの価値観が融合し、何か新しいものが創造される世界だろうか。それともお互いに理解しあうことのない二つの別世界が並立するようなイメージとなるだろうか」
といったあたりが、よくある進化論的なネット崇拝の議論とは違うところ。

へーと、関心させられた一つは、

「次の10年への三大潮流」を「インターネット」「チープ革命」「オープンソース」と定義づけ、それらが相乗効果を起こし、そのインパクトがある閾値を超えた結果、リアル世界(バーチャルなインターネットの世界と対立させるように、筆者は現実社会をこう表現している)では絶対成立し得ない「三大法則」とも言うべき全く新しいルールに基づき、ネット世界は発展を始めた。その「三大法則」とは

いまさら「義経伝説」かなー、おやじの定番 大河ドラマも戦国時代に移ったしねー、とは思ったのだが、リサイクルショップに安く出ていたので、あまり考えずに購入。


で、読みはじめたのだが、そこらあたりの「義経北行伝説」を無責任に煽るものではなかった。
むしろ、奥州平泉の当時の情勢や仏像の様式まで、幅広くとりあげながら、岩手の地元大企業におこる殺人事件と「義経北行伝説」を双方とりまぜながら展開していっている。


文庫本の解説で「物書きの世界には「化ける」という言い方がある。ある瞬間に大きく飛躍した状態を言うのだが、まさに井沢君はこの作品で化けた」と、歴史ミステリーを得意とする同業者の高橋克彦に言わしめているように、信長もののミステリーから「逆説の日本史」にまで至る、「言霊」「怨霊」をキーワードにした歴史理解へとつながっていく、記念碑的作品といってよいであろう。

と、いうことで、筋立は、岩手県で幅広い分野の事業を一手におさめる佐倉グループの一人娘の婿探しのところからスタートする。
実の息子達が三人もいながら、末娘に婿をとって事業を継がせるっていう設定は、匈奴や蒙古の遊牧民族の末子相続でもあるまいし、ちょっと設定としてどうかいな・・・と思っていたら、最後の方で、しっかり「義経」と結びつける仕掛けになっているので要注意。

事件自体は、この一人娘の佐倉志津子の結婚相手となった森川義行が殺される。しかも、婚約披露のパーティーに酒樽に切断された首をいれた状態で発見されるという、ちょっとグロな設定。
義行が殺されたと思われる時刻に下関で、志津子の兄とシンポジウムに出席していた、このミステリーの探偵役の古美術商、南条 圭は、昔、志津子の結婚相手に所望されながら断った経緯から、この謎解きに乗り出すことになる、っていうのがおおまかな筋立。

この現代での殺人の謎解きを主テーマに最初のうちはしておきながら、「義経は平泉で本当に死んだのか」という現代の事件とは、およそ関係のなさそうな歴史の謎解きを並行させていき、実は、この歴史の謎の解答が、現代の事件の解答にもなっているというアナグラムを成立させる、という典型的な歴史ミステリーに仕上っている。

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