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川崎昌平 「ネットカフェ難民」(幻冬社新書)

もともとは、日本テレビのドキュメントに端を発したものらしいのだが、その放映が2007年1月で、本書の刊行が2007年9月だから、ほぼ同時代的な「ネットカフェ難民」の記録として考えていいだろう。

筆者は、カバー裏を見ると、ひきこもり&ニート生活後、電話で連絡を受けて日雇い生活をするワンコールワーカーの生活に入ったらしい。
まさに現代社会のある一面をきちんと一人で体現している。

さて本書は、筆者が実家を出て、ネットカフェ暮らしをはじめ、貯金が心細くなると、携帯で登録して、携帯で連絡を受けて日雇い労働に出かける生活に入り、実家近くで、その日の日雇い労働を終える、という1ヶ月間の暮らしが綴られている。

正直なところ、ネットカフェというものには、ほとんど縁がない。インターネットというものが今のように普及した頃には、既に就職してから十数年が過ぎ、子供もいる境遇で、おまけに実社会に出るには、サラリーマンが普通で、自由業は、それこそ恵まれた才能のある人たち用のもの、会社を辞めるのは倒産した時かリストラされた時という時代を生きてきたため、今のようなフリーター、あるいは非正規が普通という世相は、なんとなくいごごちが悪い。
そうした個人的な感覚を持ちながら本書を読むと、なぜか妙な「明るさ」が漂っている感じがするのが不思議だ。

書かれているのは、けして波瀾万丈のことがあるわけではなく、派遣労働といっても、千葉の鞄会社での鞄の中敷きを入れる作業や、スーパーでの実演販売、イベントの後片付けといったん、なんとも平凡なもの、女性との出会いといえば、その千葉の会社でバイトの間だけ、同じバイトの女性を一緒に作業をするだけのものだし、寝泊まりは、題名どおりのネットカフェかマクドナルドという生活。

ネットカフェ難民に象徴される生活は、最近の陰惨な事件を連想させるように、けして将来に向けての夢とか野望といったことは、かけらも感じさせない生活なのだが、なにか妙な白夜のような明るさを漂わせている。

きっと、夜とも昼とも属さず、その間に妙なバランスで挟まれているような生活であるか故の「明るさ」、虚無の前の「黄昏の明るさ」といったものなのかもしれない。


ただ、本書が書かれた2007年の当初から2008年と時が経っていくにつれ、何かしら壊れていっているものが多くなっているという印象を持つのは、私だけではないはずだ。
「ボヘミアン」という美しい言葉はあるが、本書の内容が指し示していく未来は、黄昏から、夜の暗闇へと移行していく未来のような気がしてならず、願わくば、それが万民の未来でないことを祈るばかりなのである。


夜明け前が一番暗く、夕暮れ時が一番柔らかく明るいのかもしれない。


最後の余計事を一つ。


それぞれの一日の終わりに、用語解説みたいなコラムっぽいのが載ってて、「おじさん」には非常に役立ちます。

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