浜 なつ子 「死んでもいい マニラ行きの男たち」(講談社文庫)

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タイや中国あるいは韓国といったアジアの国の旅行記やらそれに類したルポは数々あるのだが、どういうわけか、フィリピンに関する旅行記やルポはあまり見かけないように思う。

それは、やはり、高度成長期の、「買春ツアー」やジャパユキさんに代表される一種のいかがわしさがつきまとうせいかもしれない。


 本書も、東京で売れっ子のホストをしていた人物が、フィリピーナに惚れ、どっぷりとフィリピンにはまり込んでいる様子を、彼へのインタビューをさしはさみながら進行する点で、そうしたあやうさを感じさせるのだが、読み進むうちに、熱帯特有のねっとりとした暑さと、想像上のものに過ぎないのだが、フィリピーナたちがもつ熱っぽさと優しさを感じ取ったようになってくるから不思議だ。


 
構成は

 第1章 恐るべしフィリピーナ
 第2章 吉原とエルミタ
 第3章 女がいっぱい
 第4章 はまる人々
 第5章 アヤラ・アラバンの女
 第6章 たまごっち山崎君
 最終章 永遠なり!フィリピン人のホスピタリティ

 となっていて、最初の方は、前述のホスト上がりの男性のインタビュー、後半の方は、それ以外のフィリピンにはまる、ないしは暮らしている日本人のさまざまに抱え込んでいるものを含んだインタビューとルポになっている。


しかし、読了して、いまいち共感できなかったのが、フィリピンにはまり込んでいく、ということ。下川裕治さんのエッセイなぞで「タイ」に沈没していく感覚には、なんとなくすいっと入っていけるのだが、どうも、そうした感覚が持てなかった。 それは、フィリピンという国情がもつ厳しさや各種の報道で繰り返されてきた一種の「恐さ」が影響しているのかもしれないし、あるいは、同じアジアの国でも、タイやカンボジアのようなインドシナ半島の国と違った、フィリピンの持つ「ケバさ」の違いなのかもしれない。

ただ、そうした点を割り引いても、フィリピンの持つ、一種の魅力は伝わってくるのは間違いない。
それは、フィリピンという熱帯のもつ、あっけらかんとした楽天的な明るさでもあり、

文中の一節を引用すると

 フィ リピン人の本当のよさというものは、何でも分かち合う精神だと俺は思う。例えばここにすごくおいしいチョコレート・ケーキが一個あったとする。日本人だっ たら、ひとりで一個を食べるだろうが、フィリピン人の場合、これをひとりで食べてしまうことは考えられない。まず一緒に食べてくれる人を探す。家族や友人 でなくてもいい。まったく知らない通行人でもいい。誰かと一緒に「それ」をシェアするのがフィリピン人のもって生まれた精神である。

といったフィリピンの人々の明るさでもある。


先行き見えなくて、なんとなく冷え冷えとしている、昨今の日本の御時世。
 こうしたルポを読んで、熱帯の暑さを想起するのもいいかもしれない。

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このページは、が2010年1月 3日 16:32に書いたブログ記事です。

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