「AIは仕事を奪うか」についての再びの考察

Wiredの2015.3.25のWeb記事で「人工知能やロボットには奪われない8つの職業」が出ていたので、再びにAi、ロボットと我々の仕事について考えてみた。
この記事によるとAIやロボットに奪われない仕事は
・記憶の演出家
・コミュニティ・オプティマイザー
・ロボット・アドヴァイザー
・企業文化のエキスパート
・単純化の専門家
・輸送アナリスト
・健康ガイド
・3Dプリンタの構造設計者
が挙げられているのだが、いずれも聞いた覚えのない職業であることには間違いなく、それ以外の共通点としては
必要な能力として浮かび上がってくるのは「横断的な能力」とでもいえばいいだろうか、社会科学やコミュニケーション技術などが結びついたものだ。

といったことが結びとなっている。当然、現在、そこかしこにある仕事はちょっと違っていて、「奪われない」のは間違いないのだろうが、今のありふれた仕事を再構築しないとやっていけないような気がする。

一方で
President Onlineの「日本の農業復活の鍵はロボット化だ」といったクボタの社長の主張とか

東京新聞「大手行 スマート窓口化 人口知能・ロボット接客活用」の

問い合わせは現金自動預払機(ATM)の場所や営業時間、通帳の切り替え方法などさまざま。ワトソンは蓄積した膨大なデータから、音声入力したキーワードに関連する回答候補を分析して、瞬時に示す。オペレーターは通常、二十冊近い分厚いマニュアル本を机に並べて対応している。ベテラン職員なら即座に必要なページを開き対応できるが、力量の差が出てしまうという。橘正純所長は「ワトソンを使うことでサービスの均質化が期待できる」と話す。

といった記事が出てきていることを見ると、膨大化するいっぽうの業務情報に対応するためには、人間がコンピュータを統御することはおよそ不可能な時代に突入していて、コンピュータ、AIのアシスタントあるいは共棲、もっとひどい言葉でいうと「人間のAiへの寄生」なくしては、どうにもうまくいかない時代に突入し始めているような気がする。

そうした中でBlogosで湯川鶴章氏が主張するような『「働かない人がいてもいい」がこれからの時代の価値観に』すんなりと移行できるかどうか、近世以来培ってきた、先進国の発展モデルである「勤勉礼賛」が、そんなにすんなりと価値転換できるかどうか、というのがAIやロボット社会の軟着陸という面では課題でもあるのだろう。

そうしてみると、今までともすれば揶揄の対象でもあったつげ義春的な生き方とか、東南アジアの労働観であるとかは、今後の注目株かもしれないですね。

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