「エネルギーを選ぶ時代」はなぜ来なかったのか?

 
エネルギー基本計画の原子力を含むベース電源と再生エネルギーの将来比率や二酸化炭素削減の目標数値が先日、政府案が出された。
「原発再稼働」については様々な意見があり、対立している状況は承知しつつも、「辺境」から「中央」の様子を横目で眺めながら、一極への集中の中で溢れそうなものをすくい取ることが、このブログの在りようなので、その話題には踏み込まない。
今回のブックレビューは東北大震災後、燎原の火のように「再生可能エネルギー」とりわけ太陽光発電が、狂乱のように広がっていく前夜の雰囲気をよく伝えている『NHKスペシャル「日本新生」取材班 「総力取材! エネルギーを選ぶ時代は来るのか」(NHK出版新書)』を取り上げる
 
構成は
第1章 「エネルギー自立」への試み
第2章 自然エネルギーと電力行政
第3章 スペインの模索 固定価格買い取りセドの光と影
第4章 スウェーデンの選択 半世紀にわたる試行錯誤
第5章 どう選ぶ? 私たちのエネルギー
となっていて、被災地の状況をリポートしながら、再生エネルギーの導入が進まなかったのか、そして再エネ先進国であるスペインなどはどうなのかといったレポートである。
 
本書の創刊が2011(平成23)年12月なので、固定価格買取制度の法案が成立(平成23年8月)してから4月後で、制度スタート(平成24年7月)のほぼ半年前という新しい期待にあふれていた時代背景のもとであるせいか、スペインの買取制度の負担金やスウェーデンの電力自由化などの課題は認識しつつも明るい様相を見せている。
 
その後の日本の展開は、買取制度開始のあたりは順風満帆に見えたのだが、その後の受入線の貧弱さや投資目的の太陽光バブルなどを経て、再エネ導入はかなりトーンダウンして現在に至っている。その原因は確かに、課題を認識しつつも導入を優先せざるを得ないままの制度的未熟さもあるだろうが、一番の原因は、再エネ、太陽光に限らず、一つの国是に向かって一路邁進し、狭い通路だろうが押し合いへしあいしてしまうという国民性を見誤っていた、ということが一番ではなかろうか。
 
大震災後のエネルギー危機という事情はありつつも、生活や産業の基礎となるエネルギーをどうしていくかは、もっと冷静な議論と、冷徹な誘導施策が必要であったような気がする。
 
いずれにせよ、エネルギー施策は再びの転換をすることは必至であろう。そうした時に、本書のP162に掲出の「ハゲタカ」などで知られる小説家の真山 仁氏の
電力には、自由化に適している需要と、それよりも安定こそが最重要という需要があると思います。例えば地方と大都市、あるいは個人と企業。地方と個人は、いわゆる自然エネルギーを柔軟に使った地産地消のエネルギーということがもっと増えていい。逆に、大都市や大企業にとっては、とにかく大容量のエネルギーが必要です。そうすると自由化という経済的合理性だけで、安定的かつ大量の電力が必要というニーズを果たせるのかということは、時間をかけて感揚げるべきだと思います。
という言葉は、地方と大都市、個人と企業という単純な二極化させた分類は?とは思うものの、FIT法成立後の混乱に対する解決への一つの示唆といっていい。
 
「地方創生」という言葉で再び地方の開発や活性化が図られようとしている今、地方部におけるエネルギーをどうするか、ということも、先例のような過熱した沸き立つだけの議論ではなく、冷徹で冷静な議論が今一度、必要とされていると思うのだがどうだろうか。
 

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