マタギ食堂へ迷い込んでみたー田中康弘「マタギとは山の恵みをいただく者なり」

前のエントリーに続いて、「マタギ」のレポートをしたい。


今年は、職場の異動もなく例年に競べて落ち着いてもいるので、何かテーマを決めて、数週間、それについての本やらブログエントリーやらなにやらを集中して学習してみようと思い立っているのだが、今のテーマは「猟」。



このテーマには「鳥獣駆除」やら「ジビエ料理」やら「狩りガール」やら種々の枝道があるのだが、その中でも結構太い枝道が「マタギ」というもので、その中でも「マタギの食べもの」を取り上げているのが、本書の田中康弘「マタギとは山の恵みをいただく者なり」である。
構成は、

マタギ食堂へようこそ

第1部 山のメインディッシュー獣肉の狩りと調理

 第1章 雪に隠れた熊がもたらす恵み

 第2章 マタギのメシから生まれた郷土料理

 第3章 しのびで捕ったウサギを食す

 マタギが伝えてきたもの

第2部 山で芽吹く幸ー茸・山菜の採り方、味わい方

 第4章 マタギと犬と茸採り

 第5章 食卓を彩る旬の山菜

 第6章 マタギの家の豊かな食卓

 マタギが行商で生み出した食

第3部 川や海からの恵みーマタギの身近な魚たち

 第7章 川とマタギと魚

 第8章 マタギの里にやってくるハタハタ

 消えたカヤキと囲炉裏
終章 マタギの過去、現在、そして未来
となっていて、「マタギの生活まるごとレポート」といった体裁である。
ただ、やはり、「マタギ」といえば、やはり「狩猟」「山の生活」がメインな印象で、筆者が「イベリコ熊」と称する
(吊し竈に)鍋を掛けて熊肉を軽く炒める。そこへ酒(このときはビール)を加えてさらに加水。採れたてのアイコ(ミヤマイラクサ)を入れて味噌で味を付けた。脂もほどよく付いた熊の肉が山菜と絡んで美味しい。・・・
骨鍋も同じような味付けだ。もちろん骨を食べる訳ではなく、骨に付いた肉をしゃぶり一緒に煮込む野菜を楽しむ料理。・・骨からは出汁が出る上に、かなり肉が付いているから捨てたものではない。・・・
内蔵料理は非常に面白い。内蔵を食べれば、その熊が何を食べていたかがはっきりとわかるのだ。美味しいと思ったのは、やはりブナばかりを食べた熊。・・・ブナが不作の年は熊がどんドングリばかりを食べることもある。この内臓がまたかなり珍味で美味しい。見た目には少し驚かされる。ドングリのアクのせいで内蔵が赤みがかっているのだが、口に運べばかすかな渋みがあって大人の味である。(P31)
や、狩猟に欠かせない携行食であり、、寒風に晒すことで乾燥し、長期保存でき、「これをかじって沢で水飲めば腹で膨れるからな。それで山の中でも耐えられるんだ」という「マタギ乾し餅」の
藁やスゲを使い、編むように吊す乾し餅の作り方は、普通の餅とは少し違う。まず餅をつく時の水分が多めである。蒸かした餅米にお湯を掛けて柔らかめでつく。それに小豆やカボチャ、シソ、紫芋などを混ぜ込む。この時にさらにお湯を加えてゆるゆる状態にする。
この柔らかめの餅を型に流すように入れて、固まるのを待つ。固まったら切り分けてスゲひもで編むように挟むのだ。しかし大変なのはこれからで、一旦水に潜らせてから、二度三度と吊す場所を変えていき、一ヶ月近く掛かってやっと完成するのである。
とか
餅にバターや砂糖を混ぜ込んだものだ。氷点下の山中でも堅くならずに腹持ちが良いため、猟に行くときに持参するマタギも多い。(P135)
というバター餅あたりは、直接の「マタギ暮らし」といえなくもないが
究極のキリタンポ鍋をいただく。
いやこれがまた美味い。マイタケはしゃきしゃきとした歯応えとあの独特の香りが嬉しい。そして三つ葉、これがまた美味い。この辺りで三つ葉は、長い根をつけて売っている。それがそのまま入っているのが実に良い味だ。・・・スープを一口飲むと至福が訪れる。実に深い味わいで比内地鶏の真骨頂だろう。肉は噛み応えがあってふにゃふにゃのブロイラーとは全然違う。・・・そして一番驚いたのはやはりタンポ。煮崩れていないのである。入れてからあれだけ時間が経っているのに柔らかくなっただけだ。そしてそのぶんタンポが汁を吸って、飯の美味さと汁の美味さが融合しているのだ。

阿仁でマタギたちが採る茸は限られた種類だけである。マイタケやブナカノカ、サモダシの類がメインで、これらは大量に採れるものばかりだ。茸好きの食通が珍重するようなアミガサタケやトリュフには興味がない。たくさんとれなければマタギにとって食料としての意味をなさないのだ。(P98)
とマイタケなど茸の入ったキリタンポ鍋や真冬にスコップ一本で魚をごっそり捕る”ジャガク”漁、さらには「カヤキ」という
まずはホタテの貝殻に水を入れて火に掛ける。・・そこへ出汁用の煮干しを入れて煮立たせる。煮干しを引き上げて味噌を溶かせば普通の味噌汁と同じだ。しかし、ここへ卵を加えながら味噌を絶妙の加減で調整する。・・とろとろなのだ。これは決して汁物ではない。
「やっぱりカヤキはこうして箸で挟めないとね。これをご飯に載せて食べるのが凄く好きで・・」
カヤキにはいろいろなものが入った。熊やウサギそしてたまにフナを買っていれることもあったそうだ。(P169)
という食べものの登場などなど、マタギというのは、「狩猟をする人」「狩人」という類では収まらず、
マタギは何も狩猟の現場だけでマタギであると私は思っていない。マタギの里に住み、マタギとしての意識を持ち日々生活する。これが基本であり、巻物や呪文はおまけみたいなものだ。人それぞれに生活のパターンは若干違うが、山の神の授かりものは等しく喜ぶを与えてくれる。それを共有できてこそ始めてマタギの基礎ができるのではなかろうか。(P174)
という「山の暮らし」「「山とい生活文化」そのものの体現が「マタギ」というものであるのだろうと思い至る。
そして、それは「古からの日本」がそこかしこで綻び、彼方此方で滅んでいるように、けして盤石なものではない。本書のような「マタギ」へのエールが、さてさて、深い谷底の暗闇に吸い込まれてしまわないよう祈るばかりである。
筆者が最後のところで言う、
「おらマタギだ」
この台詞を言える人がいる限りマタギの集落は命脈を保てるはずだ。
といった言葉を引用して、この稿の〆としよう。

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