「野生動物とともに」という「狩猟」のあり方 ー 狩猟始めました ー新しい自然派ハンターの世界へー

筆者の猟師、ハンターへのデビューは遠慮がちで
狩猟者になろうと準備を始めた7年前は、動物を殺す残酷な趣味だと、世間から否定的な空気を感じることが多かった。だから、「狩猟を始めたい」と、妻以外には打ち明けなかった。猟銃管理の心配もあって、世間に知られないように、ひっそりと楽しむことにした。

といった具合だったらしい。そうした猟師・ハンター生活の始まりが象徴しているように、本書は「狩猟生活」の記録というよりは、「野生動物とともにある生活」の柱の一つとして「猟」「ハンター生活」があるという感じの「猟師本」である。
構成は

まえがき「狩猟を通じて、自然を慈しむ心が育つ」
第1章 狩猟との出会い
第2章 動物観察と狩猟
第3章 自然暮らしの狩猟〜どうしてハンターになったのか
第4章 動物を慈しむ心で野生肉を得る
第5章 皮や骨も大切に使う
第6章 野生動物と人間の暮らし
第7章 ハンターとなるために必要な手続き
あとがき「農と狩猟のある子育てに憧れる」
となっていて、都会の居住者が「ハンター」になった時によくあるように東北大震災が動機の一つでもあるようだが、狩猟を通じて、「野生動物」と関わりを深めていく体験記。
筆者の野生動物との出会い、そして始めての猟の
撃てなかったけれど、全身の毛穴が開いて、雷に打たれたかのようにビリビリとした衝撃を感じていた。偶然ではなく、会おうとして、初めて鹿に近づけた。ようやく彼らの暮らしのなかに立ち入ることができた興奮と、ついにやってきた仕留められたかもしれないチャンスを逃した悔しさから、身体中でアドレナリンが大爆発していた。
とか
鹿には、まだ息があった。それは追跡してきた狩猟者に気づいて立ち上がろうとしていることから、遠くから見ていても分かった。  そして、撃たれた怪我で思うように身体を動かせず、同じ場所で何度かもがいてはみるものの、立ち上がれずにいた。しばらくすると、自分が逃げられないことを理解したかのように動かなくなった。ただ顔をこちらに向けて物憂げに見つめていた。
(中略)
止め刺しをしなければならない。その場で背負っていたザックを下ろし、猟銃に新しい装弾を1発送り込むと、無心で狙いを定めて引き金を引いた。・・・ついに鹿を仕留めたという興奮は長くは続かなかった。倒れた牡鹿を見つけて小さくガッツポーズをしたときの達成感は、自らの手で命を奪うという一線を越えてしまったことのショックに変わった。
といったところは、原書で確認をして欲しいのだが、筆者の狩猟という行為には、一種、自然科学的なアプローチのような感じすら受けて
狩猟とは緻密な動物観察なのだと思う。知識と経験による観察力、その結果を分析するセンス、わずかな情報から動物たちの暮らしを浮かび上がらせるイマジネーションといった能力を使いこなすクリエイティブな行為だ。
狩猟者は野生動物を殺したいのではなく、観察したり食べることで動物や自然に近づきたいのだ。
といったあたりに、顕著であろう。
それゆえ、鳥獣捕獲という現代の山村の宿痾ともいうべき問題については
現在行われている駆除は市町村から指示されたノルマの頭数を捕獲することが目的だけれど、狩猟は地域の人たちが扱える範囲で獲物を仕留めて、肉や皮を使い尽くすような個人的な行為
鳥獣害は社会問題化しており、それに関わることには意義があるだろう。しかし、こうした活動と狩猟が混同されている。狩猟は登山と同じような個人の行為だ。一方の鳥獣害対策は農業や林業といった営利事業の一部だ。もしくは人命や財産を守る災害防止策だ。そして、狩猟者が農業者であるならまだいいが、当事者でない場合はどのように考えればいいのだろう
とか
狩猟者は豊かな気持ちと、少しの実益を期待して獲物を追ってきた。そうした立場から考えると、鳥獣害対策の担い手としては馴染まない。生息頭数が激増したし、駆除する技術を有するのは狩猟者だけだったから、担い手にされてしまったけれど、それは本心ではない。  しかし、そういった困惑とは裏腹に、鳥獣害が社会問題化していることから、狩猟の存在意義がより一層問われることになっている。有害鳥獣捕獲を担っていくのか? 安全で安価な食肉がどこでも購入できるのに、野生動物を食べることに社会性はあるのか? そういった声に一つずつ答えていくことは、森という同じフィールドで活動する登山のように、狩猟が社会的な行為であると認知を得ることにつながる
といった複雑な思いが吐露されている。
どちらかというと、よくある野生肉を求めるハンター本や、食料の自給自足を求める「猟師本」や、昔ながらの「猟」の文化をルポした「マタギ本」でもない。
自然保護に熱心な人のなかには、人間が自然をわずかでも変化させることは自然破壊だから慎むべきだという意見がある。だからある観察会では葉を1枚でもちぎってはいけないし、触れずに観察しなさいと指導された。しかし、キノコ採りなどの経験から、土を少しほじくるとか具体的に山と関わりを持つ方が、たくさんの気づきが得られると知っていた。
(中略)
実際には、狩猟の経験が自然保護につながっている事例は多い。
子どもたちが夢中になって読んでいる『シートン動物記』を書いたアーネスト・トンプソン・シートンはハンターだったが、野生動物の生態に精通し、愛しむ思いから多くの作品を残している。
という「野生動物と狩猟との関係」の考察として本書は読み解いていくべきなのだろうな、と思った次第である。

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