月別アーカイブ: 2015年10月

金魚水槽のアクアリウム化失敗

以前、金魚水槽にまずはアナカリスを植えて、アクアリウム化を計画中であることをエントリーしたのだが、見事、失敗いたしました。

なによりの誤算は、金魚たちの悪食というか食欲を見くびっていたこと。さらに、店から買ったアナカリスの根に巻いてあった鉛とスポンジを取って、砂利を入れた小さな植木鉢に植えつけたところまではよかったのだが、金魚に砂利も吸われ、アナカリスも少しづつ抜け、抜けると齧られ、といった事態の連続。

抜けては植え、抜けては植えという作業を繰り返していたのだが、その度に齧られ、ついには全部の水草が葉っぱのない緑の棒状態になってしまったという次第。

たしかに10cm以上に成長した金魚が6〜7匹いる水槽なので、危ぶんではいたのだが、ガガンボとかの金魚草と違って、食味が悪いと言われているアナカリスなのでどうにか保つかなと思っていたのだが、こんなに早く食べられてしまうとは、不覚でありました。

今のところ、石、土管のみの水槽に逆戻りして、捲土重来を狙っているところ。天然水草のほかに人口水草を混ぜるとか、さらに食味の悪い水草にするとか、いろいろ考えてみようかと思っているところであります。

缶つま★レストラン 厚切りベーコン プレーン を食す

少しブームは過ぎたかなという感のある「缶つま」いわゆる缶詰のつまみであるが、買い置きのものがあったのでレビュー。

開封したのは「缶つま★レストラン 厚切りベーコン プレーン」。値段は300円ちょっとであるので、缶つまとしてはお安い方。

 

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中身はベーコンの入った缶詰とカレーパウダーがセットになっていて、カレーパウダーの方はお好みのまま、ということらしい。

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鳥取駅前 ”駅前食堂” で「肉豆腐丼」を食す

出張帰りに、鳥取駅前でちょうどお昼時にさしかかったので、駅前の大通りを横切った真正面にある「駅前食堂:というお店で昼食をとることにする。居酒屋の「村尾」の近くといったほうが、識者にはわかりやすいかもしれない。間口の小さな店である。(店の外観写真は取り忘れたので御容赦を)

この店は、夕方からは立ち呑みの居酒屋となっていて、その系統の利用はしたことはあるのだが、昼食利用は初めて。はいると中は逆「コの字」ぽい変形したカウンターのみ。いす席はない。

注文したのは肉豆腐丼、600円。豆腐系の丼といえば、今 柊二さんの「丼大好き」にもでてくる、日本橋 ”お多幸”の「とうめし」が有名なんだが、そうそう東京駅近くにいけるわけでもなう、なかなかに豆腐系丼は敷居が高い存在である。

しばし待つと到着。味噌汁と漬け物がセットなので、マスターが割り箸と一緒に出してくれる。具はわかめと大根かな?。味噌汁の温度も程良いし、お値頃の定食である。

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豆腐はほぼ一丁分の様子で、味もだし汁が沁みている。脇を固めるのは、タマネギと牛肉を煮た牛丼の具材である。唐辛子がカウンターにおいてあるので好みのままにかける。個人的には、豆腐の片方にたっぷりと多めにかけて、かけない方との味のバランスをとるのが良い気がする。全体的に甘めの味つけなので、ぴりっとした味が好みの人は牛肉のほうにたっぷりかけても良い。

ご飯の方にも出し汁がたっぷりかかっているので、丼は持ち上げてかっこむ。こうした丼系は間違ってもテーブルの上においてしずしずと食してはならぬ気がする。

昼食時を少し外していたので、お客さんは1~2人程度だったのだが、こうしたカウンター席はまったりとご飯を食べていてはいけない気分になるので(居酒屋利用の場合は別だがね)、ぱくぱくと豆腐、肉、タマネギ、ご飯というローテーションをきびきびこなし、間食したのでありました。

酒井順子 「ユーミンの罪」(講談社現代新書)

「負け犬の遠吠え」をはじめ、時代の姿をとらえることでは定評のある酒井順子さんの手による日本の安定成長期、高度成長期に行きた女性の姿を、「ユーミンの歌」という「触媒」を使いながら分析をしてみたのが本書といえるだろう。
構成は
1 開けられたパンドラの箱ー「ひこうき雲」(1973年)
2 ダサいから泣かないー「MISSLIM」(1974年)
3 近過去への郷愁ー「COBALT HOUR」(1975年)
4 女性の自立と助手席とー「14番目の月」(1976年)
5 恋愛と自己愛のあいだー「流線型’80」(1978年)
6 除湿機能とポップー「OLIVE」(1979年)
7 外は革新、中は保守ー「悲しいほどお天気」(1979年)
8 ”つれてって文化”隆盛へー「SURF & SNOW」(1980年)
9 旅の終わりー「昨晩お会いしましょう」(1981年)
10 ブスと嫉妬の調理法ー「PEARL PIERCE](1982年)
11 時を超越したいー「REINCARNATION](1983年)
12 女に好かれる女ー「VOYAGER」(1983年)
13 恋愛格差と上から目線ー「NO SIDE」(1985年)
14 負け犬の源流ー「DA・DI・DA」(1986年)
15 1980年代の”軽み”ー「ALARM ‘ala mode」(1986年)
16 結婚という最終目的ー「ダイアモンドダストが消えぬ間に」(1987年)
17 恋愛のゲーム化ー「Delight Slight Light KISS」(1988年)
18 欲しいものは奪い取れー「LIVE WARS」(1989年)
19 永遠と刹那、聖と俗ー「天国のドア」(1990年)
20 終わりと始まりー「DAWN PURPLE」(1991年)
となっていて、年代としては、1973年(昭和48年)から1991年(平成3年)という時代で、ざっくりいうと、1973年(昭和48年)の1月にベトナムの和平協定から始まって、1991年(平成3年)の12月のソビエト連邦崩壊までに至る18年間である。個人的には少年期から、都会での学生生活、就職、子どもが生まれる、といった、本書で描かれる女性像の、相手方(けしてユーミンの歌に描かれる「彼」的な存在ではなかったですが)としてえ、懐かしくもあり、恥ずかしさもある時代である。しかし、それは私だけの感情でなくて、おそらくは同時代に行きた日本人は、同じように将来を信じて浮かれていてもあったし、その中で時代の求める理想像を演じようとし、演じることによって「幸せになる」と信じられた時代でもあったように思う。

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「若者世代に」ではなく、「現役世代」への提言書と捉えるべきか ー 常見陽平「できる人」という幻想(NHK出版新書)

「ノマド」や「就活」など加熱気味となる様々なデキゴト・モノゴトに「?」をつけることで、時折、物議を醸し出す常見陽平氏がの、辛辣であるが、当たっている所も多い「デキる人」への幻想に対する批判本である。
構成は
第1章 入社式にみる平成「働き方」史
第2章 「即戦力」はどこにいるのか
第3章 「グローバル人材」とは誰のことか
第4章 そこまで「コミュ力」が必要ですか
第5章 「起業家」は英雄なのか
終章 若者の可能性にかけるな
となっていて、批評の対称となるのは、あちこちの会社や就職相談会、ビジネスの商談会などで、したり顔あるいは自慢顔で語られるフレーズにまつわるあれこれで、その切れ味がかなり鋭い。
例えば入社式で語られる「チャレンジ」「挑戦」「プロ」「国際感覚」「創造性」「個性」といった言葉に関連して
入社式の訓示は、経営者こそが意識すべきである。これは正論だ。暗い時代お入社式を振り返ると、本来は経営者が考えるべきことを若者に添加していると感じてしまう。(P37)
と声高に語る会社のエライ人に横から冷水をかける。
さらに、第二章の「即戦力はどこにいるか」では、採用担当者のアンケートで「即戦力とは?」という問いに、「優秀であること」といったなんともな答えが多かったという「即戦力」という言葉の曖昧さというか、中身のなさも白日のもとにしてしまうのである。

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書店が街から無くなると本当に「知的環境」が破壊されるのか?

一月程前のYomiuriオンラインで「増える「書店ゼロ」自治体」と題した記事が載っていた。

内容は日本書籍出版協会の調べで、「本屋ゼロ」自治体が全国で332となり、協会では「私たちは大いに危惧しています。子どもたちが全国どこでも等しく本に触れられる環境が破壊されることを」と緊急アピールを出したといったことや書店関係者の「本は薄利多売が前提なのに、それが崩れた。書店の取り分を増やさないと、廃業が続く」といった声やが寄せられていた。

さらに10月20日には、「新聞・出版文化を守り、民主社会の未来を語る会」シンポジウムで、日本新聞協会から「新聞や書籍、雑誌に軽減税率を適用する」ようアピールが出された。といった記事も出ている。

新聞の軽減税率については、堀江貴文氏の痛烈な批判もあるのだが、それはさておき、今回は「書店が街から無くなったら本当に「知的環境」が破壊されるのか、について考えてみた。ちなみに、全国の市区町村数を調べてみると1742(H26.1.1現在)であるので、書店がない市区町村数は全体の17.4%に当たる。2割弱である。裏を返すと8割の市区町村には「本屋」があるということで、これへけして少ない数ではない。

しかも、本、雑誌を手に入れる場所が本屋だけかというとそういうわけではなく、この調査の「本屋」の定義は定かではないものの、スーパー、コンビニでかなりの雑誌類は手に入るし、ネットが繋がらない市区町村はほとんどないのだから、入手できるかどうかという視点だけで考えれば、Amazonなどのネット書店で本は手に入る。

では、本屋がないと何が困るのかというと、パラパラと立ち読みしたり、本との偶然の出会いといったものがなくなるということなのだろう。

ただ、考えてみてほしい。そうした本との偶然の出会いというのは、かなりの書籍数がないとおこりえないもので、当方が幼いころに合った「街の本屋」のほとんどは学習参考書と雑誌、売れ筋の文庫本といったものラインナップであった。そのあたり、以前から「等しく本にふれる」環境はなかった、のではないだろうか。

むしろ、本屋が無くなる中で、「本」関連の業界の方に期待したいのは、過疎地に住むこどもたちがより多くの「本」の中身の情報にふれる環境を多くつくていただくことで、けして、「本を売る媒体としての本屋」の擁護ではないと思う。「本屋」が少なくなっているのは、人口が少なくなっている影響も否定しないし、情報を得る手段が変わってきたということも否定しないが、「本屋」の存続は、「本屋」になりたいと思う「本好き」の人々の育成であるように思うのだが、いかがであろうか。

下川裕治「「裏国境」突破 東南アジア一周大作戦」(新潮文庫)

旅行記が最近おとなしくなったのは、いわゆる紛争地帯へ旅が少なくなったことがあるのかもしれない。とはいっても、紛争地帯や危険な地帯が少なくなったというわけではなくて、貧乏旅行をする若者の減少と、彼らが安い経費で彷徨っていた「アジア」の国情が良くなってきたこともあるのだろう。ただ、それも首都であるとか、都会地に多く言えることで、利害と利害、あるいは国の思惑のぶつかり合う「国境」となればやはり、なにかしらヒリヒリ感が漂うことは間違いない。
構成というか、旅のルートは
第1章 洪水のタイからアンコールワットへ
第2章 メコンデルタ下り
第3章 南から北へ、ベトナム縦断
第4章 雨降止まぬラオス山中
第5章 最後の難所、ミャンマー
となっていて、タイからベトナムを通り、ラオス、ミャンマーへ抜ける旅である。
そして、その旅は、というと、その国の今の国情を反映したものでもあって、例えば繁栄の中、貧富の差と国情の荒れたものを漂わせ始めたタイでは
北バスターミナルのそれは、どの店もまずいのだ。手抜きといってもいい。テーブルも閑散としている。座るタイ人の顔もどこかさえなかった。
漂ってくるのはバンコクという街の底辺に澱のように溜まった生活のクリ示唆だった。格差社会のにおいといってもいい。
(中略)
数年前まで、北バスターミナルを埋めるタイ人たちの瞳は、もう少し輝いていた気がする。久しぶりに故郷に帰る若者の顔には無邪気さがあった。中年のおばさにゃおじさんの顔つきはもう少し穏やかだった。(P21)

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多言語対応のアンドロイドは必要なのか?

東芝が、3ヶ国語を話すアンドロイドを開発したということで、10月23日から2週間「アクアシティお台場」で公開されるとのこと( C-net Japan「今度はトライリンガル、、東芝から日、米、中国語が話せるアンドロイド「地平ジュンこ」」)。
昨年のCEATEC JAPAN 2014で公開された「手話のできるロボット 地平アイこ」の後継ということのようだが、多言語での応答を可能にするというのは素晴らしいことだが、なぜ「人型」のアンドロイドがやらないといけないの、というところは疑問なところ。
もともと、欧米に比べ日本人は「人型ロボット」への愛着は大きいようで、研究もリードしているようだが、果たして「ロボット研究」ということを考えた場合、「人型」あるいは「人間そっくり」といったことをどこまで求める必要があるかな、という疑問は拭い切れない。
ロボットが家庭に入るようになる、と言われる時、どうも家の中で人型のロボットが、炊事、洗濯、料理をしたり、話し相手になったり、というイメージが描かれるのだが、個人的には違和感が強い。
精神的なケアや痴呆症の防止といった医療的な側面を除いて、むしろ、「鉄腕アトム」の「ロボット宇宙艇」あるいはレイ・ブラッドベリの「火星年代記」の「2026年8月 優しく雨ぞ降りしきる」に出てくる家のように我々全体を取り巻く空気のように、家全体あるいは街全体で、AIやロボット的なものにサポートされるというのが自然なような気がするのだがどうであろうか。

ファーストキャビン築地の「お茶漬け朝食」が意外に良い出来であった件

今回宿泊した、ファーストキャビン築地では朝食がセットできて、これが意外に良い出来であるのでご紹介。値段は500円というお値頃。
内容は、デフォルトで、味噌汁、おぼろ豆腐+鰹節、梅干し、卵焼き、お茶がセッティングされている。メニューはこれ(ただし、このメニューは裏がアンケートになっていて、アンケートに答えると持ち帰れないという仕掛けである)
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お茶漬け用に「一膳茶漬け江戸一」のお茶漬け用の具材を一袋チョイスできる。塩昆布からあさりなどなど種類は豊富である。今回は「細切りぶぶ漬け昆布」をチョイス。
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ご飯はジャーに入れてあって、自分で好きな量をよそうスタイル。お代わりは自由。
さらに、卵焼き、味付け海苔、ヨーグルトもお好みのまま。
個人的には、デフォルトのおかずで軽く一膳食べて、次のお茶漬けを食べると、朝には充分な量。
宿泊される場合は、注文しておいて損はないですよ。

「ブルーオーシャン」戦略にみる国民的嗜好の違い

渡辺千賀さんが自身のブログ「ON OFF AND BEYOND」で「ブルーオーシャン症候群」と題して、
「ブルーオーシャン」について言及していた。


話題にはなるが、知り合いは誰もまともに「ブルーオーシャン戦略」について読んだことがなかったので読んでみた、というふりで、読んだ結果の話を要約すると

・ブルーオーシャンというのはアメリカのまともなビジネススクールの学者が言ったことだが、流行っているのは日本
・ブルーオーシャンの発見方法は「代替市場を狙う」「同じ業界内の異なる戦略グループを狙う」とか6つほどあって、方法論はあるが実際にブルーオーシャンを見つけるのは大変
・「競争が少なくて儲かる事業領域」はあるかもしれないが、「落書で参入できる領域」はない
ブルーーオーシャンは「今の事業領域」の延長線上にあるもので、「今の事業に関係のない濡れ手で粟の楽勝市場はない」

っていったところである。

言われてみれば確かにそうなのだが、こうした冷静な言葉を座右の銘として行動できていれば、騙されたり、夢を追い続けて転げてしまったり、一発逆転の夢を追い求めていたり、ってなことはないはずなのだが、自分も含め、そうした人々が近くにたくさんいるのは事実であるし、どうかすると社をあげて「ブルーオーシャンを探せ」といった活動をやっていなくもないのは事実。

それはさておき、興味を引いたのは、「ブルーオーシャン」という言葉は、日本ではよく言われるのに、アメリカではあまり口の端にのぼらないというところで、日本人のメンタリティーに「ブルーオーシャン」が訴えかけるものがあるに違いない。
そのあたりを勝手に推論するに、日本人の
・「桃源郷(ユートピア)」好き
・ここにはないどこかに自分が活躍できる場所がきっとある(いわゆる都会志向にも通じるよね)
・競争は基本的にはキライ。「和」をもって貴しとなす、なのでブルーオーシャン
で、みんなハッピーになるとよい、というような性向が根底にあるのではと思った次第で、以前レビューした「ラーメン屋VSマクドナルドーエコノミストが読み解く日米の深層」で言われていたように、アメリカ人の性向が「希望駆動型」で”できるじゃないか””ステップアップできるぞ”と励まされると強く反応すると動くタイプが多いとしたら、先天的に「夢」へ向かって走り出す傾向が強いため、あえて「ブルーオーシャン」などと言って自身を鼓舞する必要がないに対し、「危機感駆動型」の日本人は、危機に反応して動き先に。意識的に「ブルーオーシャン」を作り出さないと心理的に保たないのかもしれない。

こうした経済理論の国ごとの好みでも、お国柄がわかるかもしれませんね