中村安希「食べる」

「インパラの朝」という、最近は珍しかった世界放浪の旅、それもアジアだけでなく、アフリカのほぼ全域を含んでいる旅の記録について、このブログでもレビューをしたのだが、その筆者の、今回は食べ物の放浪記である。
構成は
食べる前に
第1話 インジェラ(エチオピア)
第2話 サンボル(スリランカ)
第3話 水(スーダン)
第4話 野菜スープと羊肉(モンゴル)
第5話 ジャンクフード(ボツワナ)
第6話 BBQ(香港)
第7話 キャッサバのココナツミルク煮込み(モザンビーク)
第8話 ビールと屋台飯(タイ)
第9話 臭臭鍋と臭豆腐(台湾)
第10話 ヤギの内蔵(ネパール)
第11話 グリーンティー(パキスタン)
第12話 タコス(メキシコ)
第13話 ラーメンと獣肉(日本)
第14話 自家蒸留ウォッカ(アルメニア)
第15話 自家醸造ワイン(グルジア)
第16話 Tamagoyakiとコンポート(ルーマニア)
となっていて、今回も南アメリカはないものの、世界の「あらゆる」ところの食物記である。

「あらゆる」と書いたのは、アメリカ、西ヨーロッパといった、いわゆる清潔な「先進国」のルポは、たとえば
タコベルに並ぶタコスは、いつも同じ形をしていた。イエローに発色するチーズのてかりと強い油の香りが、摂食中枢を刺激し、効率よく食欲を掻き立てる。肉の味がしないひき肉の食感と食べ慣れた調味料の風味が手頃な安心感と満腹感を約束していた。メキシコの屋台でつくられるタコスはいわばその対極にある、丸ごと調理された子豚の肉は淡いクリーム色を帯びていた。調理人は額の汗を拭いながら、肉片をナイフで叩き切っていく。肉の味、トマトの香り、唐辛子の刺激とピクルスの酸味。そこには食材が持つ味以上の味も、色以上の色も足されていない。(P170)
といったように、それぞれの話の副菜としてしか取り扱われておらず、一応、アジアの先進国の日本、香港も、獣肉であったり、ビル上のバーベキューであって、いわゆる”美食記”ではないからである。
それは、最初の国、エチオピアのルポから象徴的で
店の女性は、丸い鉄のプレートを私たちのテーブルの上に置いた。薄明かりに照らされて、灰色の布のようなものと、その上にほんの少しだけ盛られたじゃがいもの煮込みか何かが見えた。布のようなものの端を少しだけ千切って口に入れた。湿り気があって酸っぱかった。
私は”ゲロ”と”雑巾”にあたる英単語を彼に伝え、それでもまだ思い出せない料理の名前を記憶の中から見つけ出そうとした。(P14)
といったように始まる「美食」の話などあろうはずがない。
かといって、では世界になだたる奇妙な民族食のルポであるかというわけではなく、ナイル川の「水」を飲むくだりの
ナイルの水には味があった。それは深層水のようなかすかなしょっぱさと硬水独特の粉っぽい舌触りを足したような味だった。
「僕たちはペットボトルや井戸の水より、ナイルの水を好んで飲む。健康的でおいしくて、作物だってよく育つ。なぜならナイルの水には、たくさんの栄養が入っているから。」(P50)
や、台湾で臭臭豆腐を食べるくだりの
臭かった。けれど臭みが顔中に広がると、不思議な気持ちよさがあることに気が付いた。それは臭みにはまったついでに、どうせなら、もう一かけ迎え撃ちたいと思わせるような、意欲を掻き立てる味だった。(P128)
日本の北海道で鹿肉を食して
子どもたちは、父親の指示に従いよく焼けた肉だけを食べた。その横で私は、赤い血の滴る肉片を口の中へ放り込み噛み締めた。血の香りがした。確かな歯ごたえがあった。そのわずか数センチの小さな肉の塊は、咀嚼の感覚を深く意識させ、食べるという行為への自覚を迫ってきた。自然界の素朴な恵みは、それを飾り立てようとするどんあ調味料よりも強く、そこに尽くされるどんな調理方法よりも重い説得力をもっている。
といった風に、「悪食」ではあるが、むしろ我々の体の根源に根ざす、地域ごとの「食」のルポというべきであろう。
そして、それはスリランカの辛い「サンボル」を食して
日々の暮らしの中に取り入れ、自分の心身の一部としてずっと長く付き合っていける味は、どれだけ世界が広がろうとも、それほど多くは存在しない(P31)
とまでいれあげるところで明らかであるだろう。
この食物記には、我々の舌をぞくぞくさせるような食べ物や観光客が舌鼓を打つ、流行の食も登場しない。しかし、アルメニアの雪山を越えた小さな町での
私は歩みを止めて、ひっそりと佇む家々を見渡し、息を弾ませて言った。
「冬の間、この村の人たちは、いったいどうやって山を下り、また自分の家に帰っていくんだろう。たとえば荷物を担いで、泥雪の中を登ってくるなんて信じられない。」
「だから、ほとんど家から出ることなく、一冬を過ごすんじゃないかしら」
ヴァレリーはそう言うと、北方に住む民族の、とある村の人々の暮らしについて話し始めた。
「一年のうち半分は、完全に氷に閉ざされているから、人々は家の中でじっと過ごすの。たまに出掛けたとしても、わずか六軒ほどしかなお集落の家の間を行き来するだけ。その代わり、夏の間は長い冬に備えてフル活動しなくてはいけないわけだけど。食料やら燃料やらって、いろいろと」(P202)
のように、静謐であって、確かな日常の「食」のルポがあるといっていい。

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