下川裕治「「裏国境」突破 東南アジア一周大作戦」(新潮文庫)

旅行記が最近おとなしくなったのは、いわゆる紛争地帯へ旅が少なくなったことがあるのかもしれない。とはいっても、紛争地帯や危険な地帯が少なくなったというわけではなくて、貧乏旅行をする若者の減少と、彼らが安い経費で彷徨っていた「アジア」の国情が良くなってきたこともあるのだろう。ただ、それも首都であるとか、都会地に多く言えることで、利害と利害、あるいは国の思惑のぶつかり合う「国境」となればやはり、なにかしらヒリヒリ感が漂うことは間違いない。
構成というか、旅のルートは
第1章 洪水のタイからアンコールワットへ
第2章 メコンデルタ下り
第3章 南から北へ、ベトナム縦断
第4章 雨降止まぬラオス山中
第5章 最後の難所、ミャンマー
となっていて、タイからベトナムを通り、ラオス、ミャンマーへ抜ける旅である。
そして、その旅は、というと、その国の今の国情を反映したものでもあって、例えば繁栄の中、貧富の差と国情の荒れたものを漂わせ始めたタイでは
北バスターミナルのそれは、どの店もまずいのだ。手抜きといってもいい。テーブルも閑散としている。座るタイ人の顔もどこかさえなかった。
漂ってくるのはバンコクという街の底辺に澱のように溜まった生活のクリ示唆だった。格差社会のにおいといってもいい。
(中略)
数年前まで、北バスターミナルを埋めるタイ人たちの瞳は、もう少し輝いていた気がする。久しぶりに故郷に帰る若者の顔には無邪気さがあった。中年のおばさにゃおじさんの顔つきはもう少し穏やかだった。(P21)

という国境への出発点であるし、発展のただ中にあるベトナムは
ベトナム人はとんでもない早食いだった。
(中略)
昔、ベトナムの北部で列車に乗ったことがある。駅のホームには丼めしにおかずを二、三品載せてくれる屋台型の食堂が店を開いていた。乗客たちは、二、三分の停車時間に、この丼めしを注文し、瞬く間にかき込んでいた。(P132)
ベトナムは若い国だ。皆、元気にご飯を食べている。日本のテーブルとは、そこに漂うエネルギーが違った。全員の食べ方が太いのだ。高齢化が進む日本はさまざまな階層で食が細くなっている。(P135)
 

という具合で、国が成長期のま只中にある時は、日本も高度成長期そうであったように、同じような姿をみせるようである。

しかしながら、東南アジアの発展が、一直線な貼って構造を持てないことは、やはり19世紀、20世紀の帝国主義の影響を抜け切れないところと、成長のスピードが近隣ではあっても異なってしまっていることも影響してか、ラオスの
ルアンパパーンの街はいま、妙な構造に変わりつつある。旧市街には欧米人バックパッカーや観光客が集まり、南のバスターミナル周辺には中国人エリアができあがっている。その間をラオス人は右往左往しているようにも映るのだった。(P189)
であったり、ミャンマーの
シャンの土地が、世界の勢力争いに巻き込まれていくのは、アジアの多くのエリア同様、植民地時代からだった。まずビルマ族と非ビルマ族を分け、ビルマ族に非ビルマ族、つまり少数民族を統治させていったのだ。ビルマ族と少数民族の対立は、この時代に明確になっていったとみる人は多い。(P230)
ミャンマー政府と少数民族の間に横たわる憎しみは、そう消えるものではない。互いに肉親を殺されている人も多い。カレン族は民族としての孤高を貫き、シャン族は現実路線をとったということなのだろうか(P235)
といった景色に濃厚である。
こうした国境のヒリヒリした旅も、ぞれぞれの国の国情が安定していけば失くなっていくものであって
国境というのは当たり前の話だが、その国の隅にある。そこで出国を拒否されると、手前の街まで再び長い旅が待っている。・・・
国境ー。そこにはいつも不安がつきまとっていた。トラウマにもなっていた。・・
だから粋がっていうわけではないが、ひとつの国を出国し、次の国のイミグレーションまで歩く時間が好きだった。(P315)
という感覚も過去となるものかもしれない。それが、「旅行家」にとって幸いか不幸かわからないことではあるのだが。

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