社会起業の成功は”熱気”が不可欠な気がしてきた ー 佐野章二「社会を変える仕事をしよう」(日本実業出版社)

「ホームレスに仕事を与える」という難題を解決するため、仕事を失ってホームレス状態になった人たちに、雑誌の販売の仕事を提供する。・・具体的には、300円の雑誌10冊を無料で提供し、販売者となったホームレスの人はその売上3000円を元手に、以後は1冊140円で仕入れ、それを得れば160円がその人の収入になる、それを繰り返すという「ビッグイシュー」という仕組み。本書は、その「ビッグイシュー日本」の創設者による「社会企業」についてのメッセージである。
構成は
第1章「誰かが困っている問題」を仕事で解決する手法
 困難な状況をビジネスで解決する「ビッグイシュー」
 問題の当事者を「主人公」にする仕組み
 貫け!自分流
第2章 普通の人にこそ、社会的企業は起こせる
 お金以上に、言葉とアイディアが勝負
 ピンチをいかにチャンスに変えるか
 ここぞというときに、「アホさ加減」を発揮できる人になろう
第3章 思い立ったら、すぐに組織はつくれる
 この指とまれ!ー魅力的な組織のつくり方
 チームづくりの基本は「自発性」
 現場では何でもありー「フラット」「オープン」そして「納得」
第4章 笑うマネジメントー組織をいかに動かし、自発性を育んでいくか
 「人」と「協力」は動きながら集める
 仲間は、笑いながらつくる
 人が交わって、社会が変わる
 「しんどいけど、うれしい」のが働く幸せ
第5章 問題を解決するには、仕組みづくりから
 「活動」を「仕事」にするには
 「本当に困っている問題」なら解決できる
 社会問題を解決するには、まず仕組みづくりから
エピローグ 1人ひとりに「出番」と「居場所」のある社会をつくる
となっていて、日本版ビッグイシューの生い立ち、今までの記録というより、ビッグイシューを通しての筆者の「社会問題解決」への思いが綴られている。
しかも、その解決手段が「NPO」「ボランティア」という形でなく、「企業」「株式会社」という形態をとっての問題解決であるが故の特殊性はあって
お金が集まるようなアイディアになるまで、アイデアを練る。(P53)
ビジネスが回り出すまでの時間を短くするための近道なんてない。あるとしたら、働く時間を増やし、集中して働くだけ。一刻も早くかたちにするために、とにかく働くしかない。(P31)
新しい事業が必要になっても、その事業がすでに社会にあれば、それを活用すればいい。一方で、社会にないときには。自分たちが別に新たな事業体をつくればいい。{P34)
といったあたりは、むしろ「起業」のアドバイスに近いものがある。
さらに、筆者が会社という形態を選んだのが「やめやすい」ということをあげ
NPOは社会にとって必要なことを社会のために立ち上げるものだ。意思決定の方法や所轄庁の認証が必要になるなど、NPOは「固い組織」だ。
これに対して、会社は事業を行うため、事業の展開がもっともしやすい「機動的」な組織であるともいえる。結果が出ずに赤字を出すと否応なく倒産し、やめなければならない。
(中略)
起業したけれど、しんどくなった。情熱が続かなくなった、そんなときは、もうやめて会社をたたんでしまったほうがいい。
と主張するのは、社会的課題の解決は、一時の「情熱」や美しいが硬直的な「理念」では当然無理であることと、続けるためには粘度の高い「熱」と「柔軟さ」を必要としているということであろうかと思う次第である。
今のところ、「NPM(ニューパブリックマネジメント)」が力を失った後、「新しい公共」が声高に語られる割にぱっとしない印象を受ける。
「制度の行政」「現場に強いNPO(ボランティア)」と言えるかもしれない。そこで現在は、行政が制度や政策の枠組みをつくり、NPOが現場に近い公共サービスを担うという分担が進みつつある。(P154)
という形がまだまだこなれていない証なのであろうが、筆者の
まず「問題」があり、その問題を解決しようという「活動」があって、次に、それが「仕事」になっていく。社会には数多くの問題があり、問題が多くあればあるほど活動が生まれる。そして多くの問題解決がなされるための仕事がつくり出され、それらの仕事が社会を網の目のように覆い、それらが互いに連携できれば、生きやすい社会になっていくのではないか(P137)
という循環を起こすためには、「社会的起業」「社会企業」の成立条件や育成・発展のメソッドなどさらに深掘りをしていく必要があるのかもしれない。
それと並行して
いま現代社会を、「窮屈で居心地の悪い社会」と見るのか、「個人が社会問題の解決に関われる時代になった」と見るのか、どちらに重点を置いて見るのかで社会の味方がまったく違ってくる。ソーシャルメディアの発達も含めて個人が力をもつようになったのが今の時代である。(P139)
ととらえ、個人の力を再評価すること、そんなところに閉塞した時代に穴を開けていく可能性があるのかもしれないね、といったところで、この稿は「了」としましょうか。

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