月別アーカイブ: 2016年3月

敗れた者の物語再び —  伊東 潤「城を噛ませた男」(光文社)

先だっての、”敗れた者”の物語の続編というべきのなのが本書で、時代背景は戦国末期の天下統一の頃。というのも、「敗れた者」の物語に心惹かせるには、強大で、しかも狡猾な敵方の奸計に落ちたり、あるいは奸計に落ちつつあると知りつつも・・、といったことが必要であるような気がする。

その点で、本書の収録は

「見えすぎた物見」

「鯨のくる城」

「城を噛ませた男」

「椿の咲く寺」

「江雪左文字」

となっているのだが、すべてが敗者の物語ではなく、敗者をつくった者の物語など、敗者にまつわる様々な物語ということで、”変形版”というのが正しいか。

例えば、「鯨のくる城」は豊臣秀吉軍に包囲された北条氏の支城で鯨を使って奇想天外な撃退戦を挑む物語であるし、「城を噛ませた男」は、今の大河(真田丸)でおなじみの真田昌幸の謀略物語で、ちと苦味のある話である。そしてこういった「敗者」の話をと読み続けると、敗者になるべきしてなる条件というものはほとんどなくて、いわば運次第というものであると思うのだが、敗者と敗れなかった者の分け目は「江雪左文字」の主人公が父親に言われる

「人は望んでも手に入らぬものには妬心を抱く。それゆえー」

「刀は鈍いように見せておかねばならぬ。いざという時にだけ、その切れ味を見せればよいのだ」

といったところにあるのかもしれない。

といっても「敗者の物語」は結構な苦味を持つものもあるので、あまりたくさんを一挙にはよくないかも。すこしづつ服用すれば、よい薬となりましょうね。

たまには「敗れた者」の物語を — 伊東 潤「国を蹴った男」(講談社文庫)

大河ドラマの「真田丸」がまずまずの滑り出しのよう。やはり大河は戦国モノ、しかも難しい理屈は置いといて成り上がりストーリーか強い敵に対応するストーリーでないといかんよな、と単純な歴史ドラマ好きは思う次第。

そうした単純な歴史ドラマ好きにとっては、強敵に挑みながら敗れていった者というのも好物の一つなのだが、この「国を蹴った男」は、そうした「敗者」の物語。

収録は

「牢人大将」
「戦は算術に候」
「短慮なり名左衛門」
「毒蛾の舞」
「天に唾して」
「国を蹴った男」

となっているのだが、「戦は算術に候」の石田三成、「毒蛾の舞」の佐々盛政のような有名な敗者も登場するのだが、「牢人大将」の那波藤太郎、「短慮なり名左衛門」の毛利名左衛門秀広といった、ほとんどの人は知らないのではないか、といった人物が主人公であるのが斬新なところ。

さらにこういった「敗者」の物語では、敵役をどう据えるかといったところが大事なのだが、そのあたり、この作品集は、戦国の世に歴々と功績を遺している人々を据え、さらに豊臣秀吉のように毀誉褒貶ある英雄もいるが、直江兼続、お松の方といった賞賛する人がたくさんという人が、いかにも憎々しい感じで登場するのが肝でもある。

また、「国を蹴った男」のように普通の物語であれば、暗愚の極みのように描かれる今川氏真が、武者振りの嫌いな蹴鞠好きの平和主義者として描かれるというのも、ああ、こうした見方もあるのか、と歴史小説の視野の多彩さを感じさせてくれる。

信長、家康、政宗といった戦国の英雄英傑モノも良いのだが、あまりそうした成功物語を読んでいると疲れてしまうのも確か。箸休めに、その英傑たちに力及ばず蹴散らされて敗者に思いを致すのも一興ではないでしょうかな。

Tayの停止で改めて「教育」の大事さを考えた。

Techcrnchで「MicrosoftがAIチャットボット、Tayを停止―人種差別ジョークで機械学習の問題点が明らかに」という記事がエントリーされていた。

Microsoftは昨日(米国時間3/23)、ユーザーのメッセージに返事をする人工知能ボット、Tayをリリースした。Twitterに加えてチャット・サービスのGroupMeとKikが対象だ。しかしMicrosoftはこのTayをスタート早々停止してしまった。問題はこの人工知能が侮辱的ないし人種差別主義的メッセージをそれと認識できないところにあった。

ということで、まあMicrosoftの技術者の方はお気の毒であるのだが、ある意味面白がって絡んできそうである、Twitterで実権してみようと思うのが無茶であったことの実証でも有る。

AIであるから知能や学習機能は高いといっても、ある意味赤ん坊状態であるのだから、世間の悪い風にさらされたら染まってしまうのも当然でしょ、と何やら昭和世代の青春ストーリーを復習しているような思いでもある。

なにより今回の事例で心せねばならないのは、AIであるからといって潜在的に善悪をわきまえているわけではなくて後天的にそれを知るのだ、ということで、古来からの「タブラ・ラーサ」の概念の正当性を思う次第でもある。

なんにせよ、これからあらゆる場所や機械に導入されて、私達の暮らしの多くの部分のイニシアティブをとるであろうAIであろうから、「教育」はしっかりしてほしいですね、と願うばかりである

「AIに奪われる職業」で「教育現場もAIに」と妄想してみる

最近再び、Aiに仕事を奪われる、という種類の記事(「AIに負ける仕事は公務員事務職、政治家、会計士、金融、記者・・・」(週刊朝日))がでていて、それによるとAiに負ける職業は経理や出張の手続きなどを行う事務職、ルーティーンワークが中心の公務員・秘書、会計士、税理士といった職業も負けてしまう可能性大であるそうだ。

当然、表題は大げさなところもあって、正確なところは、こうした仕事の多くの部分に単純作業的なところも含んでおり、そこが集約されて人数が減るだろう、ということであるのだが、学校現場で起こる教師が要因の事件などの記事を読む度に、学校現場でこそAIの積極導入が必要なのでは、といったことを感じる。

特に、生徒の病気などへの配慮不足や過去の事件の記録ミスなど、どうにも人為ミスとして言えないような事件がおこるたびに、である。

例えば、ごく最近の生徒の白血病と授業中の体調不良とが即座に結びつかなかったり、といったケースでも確かに教師は忙しいかもしれないが、生徒の個人的に重要な情報はきちんと把握しておかないとな、と残念な気持ちになりつつも、生徒全体の情報や様子に気を気張りながら「それぞれの個人の進度や学習環境にあわせて教える」という行為は、そろそろ「人」の手に余ってきたのかな、と思ってもしまう。

もっとも、この記事では「人口知能やロボット等による代替可能性が低い100種の職業」として「教員」はあがっているので、今のところ代替可能性は困難そうなので、教員の方々が安心して仕事に励んでもらっていいのだが、あわせてAIの記事をみると、大学教師などでもカメラ認識で生徒の反応とかを見ながら抗議の様子をAiなら適宜対応できるとかの技術開発も進みつつあるようはある。

囲碁の世界もAIがプロ棋士に勝つのはまだまだ、と言われていながら先日のような結果でもあったし、意外に早く、教師という職業のメインの「教える」という行為はAiに変えていき、「人格教育」とかカウンセリングとか人間がやったほうがいいともろの部分を「人」が受け持つといった役割分担が進むのかも、と思ってみるのである。

”スローシティ”は”懐古主義”ではない — 島村菜津「スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町」(光文社新書)

「現代都市というものは、足を踏み込んで、最初はなかなか刺激的だ。わくわくする。し かし、ものの半時もすれば、友を見失ってしまうんだ。」

冒頭で、イタリアのスローシティの日本視察団が漏らす言葉である。

ゆるやかに流れる時を観光に、あるいは地域振興にと軽い動機で読むと、少々当てが外れるかもしれない。確かにそれぞれに地域を元気にし、観光に訪れる人も増えているのだが、それぞれに個性と主張があり、手強い。

構成は

第1章 人が生きていく上で必要なもの、それは人間サイズの町だ

第2章 スピード社会の象徴、車対策からスローダウンした断崖の町

第3章 名産の生ハムと同じくらい貴重な町の財産とは

第4章 空き家をなくして山村を過疎から救えーアルベルゴ・ディフーゾの試み

第5章 ありえない都市計画法で大型ショッピングセンターを撃退した町

第6章 絶景の避暑地に生気をもたらすものづくりの心

第7章 モーダの王者がファミリービジネスの存続を託す大農園

第8章 町は歩いて楽しめてなんぼである

第9章 農村の哲学者ジーの・ジロロモーニの遺言

となっていて、取り上げられているのは、トスカーナ州、ウンブリア州、フルウリ=ヴェネツィア・ジュリア州、リグーリア州、エミリア・ロマーニャ州、カンパーニャ州、トスカーナ州。ブーリア州、マルケ州の諸都市。

イタリアの地図を見るとかなり全土に散らばっているので、このスローシティの動きは、イタリアの限定地域の動きではないようだが、共通項はやはり「過疎」で、このあたり、都市への集中は日本だけの特異事項ではないということを思い知らされる。

さらに共通するのは「町を大きくしないこと」(グレーヴェ・イン・キアンティ村)や「人間サイズの、人間らしい暮らしのリズムが残る小さな町づくり」(オルヴィエート市)であるように、程よい小ささの追及と維持であるようで、このあたり、観光が盛んになると巨大化と広域化へ進む通常の在り様への反論でもある。

ただ、とかくこうした運動は、コンピュータなどの現代的なアイテムや暮らしを排除しようという復古運動に向かいがちであるのだが、オリヴィエート市のスローシティ運動の事務局長オルヴェーティ氏の

イタリア人が、古い建築物や伝統食にこだえあるからといって、スローシティの運動を、

ただの懐古主義や保守的な伝統主義と混同しないで欲しい

古いものと新しいもの、ローテクとハイテク、伝統の保存と最新の技術、それらが、うなく調和することが大切なんだ。そこから何か面白いものが生まれる

という発言に心を留めておくべきであろう。

最後のあとがきのところはちょっとありきたりの小言っぽくていただけないが、本書の主張の底流にある「それぞれの地の場所の復権」ということは地域の行く末を考えるうえで再認識してよい。地域活性化あるいは地域振興に携わる人であれば抑えておいて損のない一冊である。

落語フリークのミステリーここにあり — 愛川 晶「神田紅梅亭寄席物帳 道具屋殺人事件」(創元推理文庫)

落語がテーマで、主人公ないしは主要人物が落語家というミステリーといえば、北村薫の「わたしと円紫さん」シリーズが有名ではあるのだが、愛川晶の「神田紅梅亭」シリーズも、病気療養中の落語家の師匠をアームチェア・ディクティティブに仕立てて、弟子の落語家のおかみさんがワトソン役になって、落語家や落語がからんだ事件を解決していくという仕立てで、これもなかなか粋な出来上がりのミステリー。

収録は

 

道具屋殺人事件
らくだのサゲ
勘定板の亀吉

 

となっていて、おおまかな筋立てをレビューすると

 

「道具屋殺人事件」は、「紅梅亭」シリーズのデビュー作で、作者が親の介護で作家業のほうが閑古鳥が鳴いている状態の時の作品、とあとがきにある。そうしてみると、作者が妙に自分の趣味の赴くままに書いている感があるのは気のせいか。大筋は紅梅亭で前座が「道具屋」を演じているのだが、最後のサゲで扇子から、血糊のついた仕込みの小刀が飛びだしことに始まる、女性から金をだまし取っていた男の殺人の謎解き。二重三重に男女の因縁が交差して、ちょいと生臭い謎解き。

 

「らくだのサゲ」はワトソン役の亮子の旦那で落語家の福の助が、兄弟子福太夫の奸計で「らくだ」の新しいサゲを披露させられるというのが発端。「らくだ」という噺は、葬式の酒をせしめるため大家のところで死体にかんかんのうを踊らせたり、弔い酒で酒乱の屑屋が管を巻いたりと賑やかなせいかサゲ(落ち)が難しい話らしい。事件は、福の助の弟弟子が交際していた女性を殺したという嫌疑をかけられるもの。

 

「勘定板の亀吉」は、福の助の弟弟子の亀吉の噺が下ネタが多いのをみかねてのあれこれが伏線ではあるのだが、メインは亮子の務める学校の教師が、紅梅亭のネタ帳のコピーが欲しいといったことに秘められた内緒事の謎解き。

 

このシリーズ、探偵役は福の助の師匠の馬春師匠なのだが、脳血栓で言葉と体が不自由になっているので、片言の筆談しかできないので、アームチェア。ディクティティブとはいえヒントをいくつか出してくれるところまで。後は福の助と亮子が判じ物のように解いていくという筋なので探偵役はホントは誰かは渾然としているのは確かではある。

 

さらに、このシリーズの特徴として作者の落語フリークが如何なく発揮されていて、落語の引用はさかんに出るし、師匠の謎解きのヒントも落語という、かなりの落語色にベタ塗りされている。ミステリーを楽しむ底地に、興津要氏の落語の口述本や古屋三敏の「寄席芸人伝」、雲田はるこの「昭和元禄落語心中」あたりを一緒に読むと一層味が深まること請け合います。


人事異動にイラツイている人へのアドバイス

多くのところで3月は人事異動の時期であることは変わりがないらしく、東洋経済オンラインでも『「3月人事」にイラつく人にかけている視点』と題して、東レの元役員の佐々木常夫さんが、人事異動で主として、自分は評価されていない、あるいは、他人の昇進にイラつく人へ「普通の人は自分の脳力を40%のインフラで、他人の能力を40%のデフレで考える」というロッキード事件の堀田力検事の言葉を引用して、

 

・過大評価も過小評価も避けること

 

・自分自身に対して客観的になるのは難しい。なので周りの人に聞く。それも「自分がどうなるのかわからなくて迷っている。意見を聞かせて欲しい」と素直に聞く

 

というアドバイスがされている。

 

このあたりの自己分析で納得できる人は良いのだが、大概の場合は、そうはいってもなんやらモヤモヤ、イライラして落ち着かないというのが通例のはず。

 

そこには、自己分析とは別に、じゃあこれからどうしたらいいんだよ、という心理があるだろうと思うからで、それには
「起こった事案には必ず理由があるもの。どの時点でも、どんな問題があっても、正しい理由をつかもうと努力すること」
といったアドバイスが効くと思える。

 

なんにせよ、凹んでも起き上がる、というのが大事で、「その人に、その時必要なことしかモノゴトは起きない」といった感じにポジティブにとらえて再起を図るほうが運勢的にも、精神衛生的にも良いのかもしれないですね

少女マンガ的な味わいのミステリー — 森福 都「ご近所美術館」(創元推理文庫)

美術館ミステリーといえば、美術品の贋作話や、盗難といったことにまつわるものが多いのだが、一時は売れたが今は忘れられている漫画家の記念館的美術館が舞台とあって、そうした定番美術館見ミステリーとは程遠いのが本書。

 

登場人物は、その美術館(西園寺英子四コマまんが記念館)のオーナー兼元館長の、オタクマンガ家 川原あかねと、その姉の薫子さんに一目惚れした海老野くんがメイン。
周辺人物はは薫子さんの元婚約者や海老野くんの恋敵の古美術商・南万堂のやりて経営者の南田氏といったところ。

 

そして、収録は
ペンシル
ホワイトボード
ペイパー
マーカー
ブックエンド
パレット
スケール

 

といった命名で、美術館らしい表題かどうかは個人の好みによるが、いくつかをネタバレ部分を含みながらレビューすると
「ホワイトボード」は探偵役の「海老野くん」がお見を寄せる薫子さんの妹のあかねの知り合いの母子家庭のまんが家の友人(ああ、面倒くさい)の殺人事件を解決するもの。未亡人を狙った結婚詐欺に端を発した単純なものかとおもうとそうでもない、意外とネクラでモテナイ男たちには面白く無い話

 

「ペイパー」はチロリアンハットが特徴の、通称「チロリさん」が美術館の常連になった理由をつきとめる話なのだが、意外と、えっ、そっちもっていくわけ、という感が漂う。

 

「マーカー」は女子高生の娘さんをもつ父親のよくある「娘に嫌われる」悩みの解決譚。父親は再婚をきっかけに娘に嫌われたと思っているが、実は娘は父親の健康を心配していて、といった心温温まる謎解きに終わる筈が、年頃の娘を持つ父親には一番ショックな結末が隠れている。

 

といった感じで、一筋ではいかないところが、このミステリーのクセのあるところではある。さらに、複線的気になるのが、「海老のん」こと海老野くんの薫子さんへの恋の行方。なんとなく劣勢気味に推移していくのだが、たぶん最後は・・・、てな感じで思っていたら、なんだよ、まるで少女マンガあるいは足立みつる的なオチではないか、と虚をつかれた。

 

なんとも最後まで二転三転してくれるミステリーではあるな。

スーパーはくとの無料Wifiが少し残念であった

子どもの入学準備で、本日は京都へ。

そうした時、山陰東部の交通手段としては「スーパーはくと」がメインである。

この路線、三セクで開業して、なかなかの営業成績で、全国的にも健闘している路線である。

そんなスーパーはくとに無料Wifiがあるというので、本日早速試してみた。

パスワードは各車両の先頭に掲示してあって誰でもアクセスできる。無料Wifiで時折ある、別途、土管だけが用意されていて、FretsspotやSoftbankのWifiなどのサービスに別途加入しておく必要がないのは良心的である

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しかし、しかしである。この日は乗客が多かったせいか、アクセスが確立しづらいのと、時折かなり遅くなる。この智頭線、山陰線区間は電波状況がかなり悪くて、トンネルに入ろうものならブチブチと接続が無情にも切れてしまうところが多いので、Wifiのおかかげで「切れない」というのは有り難いことではあるので贅沢はいってはいけないのだが、もう一声、レベルアップをお願いしたいところでありますな。

森谷明子「花野に眠る」(東京創元社)

東京の郊外、秋葉市の秋葉図書館を舞台にした図書館ミステリーの第2弾。
今回の構成は
第一話 穀雨
第二話 芒種
第三話 小暑
第四話 白露
第五話 寒露
となっていて、それぞれが独立した話で秋葉図書館の寄贈者であった秋葉家の孫の佐由留くん父親の実家の秋葉家に滞在中の出来事の謎解きや両親の離婚話の顛末が大きな流れではある。
ただ、途中、第一作の「二月尽ー名残の雪」の秋葉家の現在の当主が子供の頃に見た「雪女」の謎や「冬至ー銀杏」の深雪さんと若き日のの恋愛話の遅まきながらの決着といったことが並行した流れとしてでてくるので、できれば一作目を読んでから、二作目にかかったほうがよいのではないかと、老婆心ながら思うところ。

 

図書館や美術館を舞台にしたミステリーは、世間離れしたところと認識される図書館・美術館で世間のドロドロを持ち込んだような殺人事件や、あるいは贋作・盗作ものといったところが通例であるのだが、この秋葉図書館シリーズはそれとは一線を画すもので、秋葉図書館を舞台にして地域の人々が持ち込んだり、地域の人のそばにある謎解きをするという、ホンワリ系のミステリーといっていい。

 

今回は「雪女」の謎のところで、どことなく暗いイメージが漂うのだが、最後に「希望」を遺した感じで終わらせていて、そのあたりに筆者のこのシリーズに対する温かい目線を感じないでもない。
心荒む時に、しばし殺人や社会的陰謀や深い怨恨のないミステリーで時間と精神をうっちゃるのもいいのではないかな