かなり辛口のアングロサクソン流「文化財論」 — デービッド・アトキンソン「国宝消滅ーイギリス人アナリストが警告する「文化」と「経済」の危機」

「新観光立国論」で一般の人や地方の観光関係者にも超有名となったアトキンソン氏による「文化財」論。

構成は

はじめにーなぜ今、「文化財の大転換」が必要なのか

第1章 経済から見た「文化財」が変わらなくてはいけない必要性

第2章 文化財で「若者の日本文化離れ」を食い止める方法

第3章 文化財行政を大転換するため、まず「意識」を変える

第4章 文化財指定の「幅」が狭い

第5章 文化財の入場料は高いか安いか

第6章 文化財の予算75億円は高いか安いか

第7章 職人文化の崩壊

第8章 なぜ日本の「伝統文化」は衰退していくのか

第9章 補助金で支えるのは「職人」か「社長」か

となっていて、最初の第1章~第2章と「おわりに」のあたりは、他の著作でも共通の主張である、「人口減少時代に日本の繁栄は観光立国化がキー」「日本は文化財で観光立国するべき」、しかし、「日本人の生活から日本文化が消えているのでなんとかしないと」「日本の特有性の多くは幻想」といったところなので、前著の読者にはおなじみであろう。

本書で前著あたりとちょっと違った論調があるのは、第5章から第9章あたりの、文化財の拝観料や「職人の育成」といったところで、例えば

拝観料が安いということは、ユーザーメリットがあるように思われますが、むしろ文化財に関わる人たちにとっての恩恵のほうが大きいのです。一見消費者主義に見えますが、実はこれは供給者主義的な考え方だと思います。

入場料を挙げたくないと強弁するのは、利用者のことを考えてのことではなく、今の価格設定がサービスをしなくてもよい最低ラインだからではないか、と思えます。それ以上に高くして、たとえば600円を1500円なりに挙げてしまうと、余計な仕事が増えてしまいます。「入場料を上げるな」というのは、「余計な仕事をしたくない」という言葉の言い換えではないか、と真剣に考えています。

とか

今は時代が変わってしまいました。家庭や地域から伝統工法を使った仕事が消えると、職人が生きる道は文化財しかないのです。

そこではやはり、発想を変えないといけません。職人の技術が消えないようにするためには、文化財の補修だけで職人を1年中養えるだけの仕事を、文化財行政が要ししないといけません。

といった感じで一読すると、職人文化の衰退を単純に憂いているようではあるが、いやいやアングロサクソンの辛口は侮ってはいけなくて

「プロ」と呼ばれる仕事ならば、一人前になるのに時間がかかるのが当たり前であって、何も職人だけが特別なわけではない、ということがいいたいのです。・・・全体的に見れば「職人」だからといって何か特別なわけではなく、他の産業と同様の人材育成上の問題を抱えているのです。

職人側もまだまだすべき「努力」があるということであり、それを阻害しているのが、職人だけは他の職業や産業で当たり前のように行われていることをやらなくていいという「特権意識」であり、さらにそのような勘違いを助長しているのが(職人が少ない」「職人は一人前になるのに10年かかる」というステレオタイプの職人イメージだと言うことです

と一般的に言われる「職人文化擁護論」では手厳しくて

伝統技術の世界ではこれまで申し上げてきたように、個人経営の「家業」なので、合併や買収は簡単には起きません。みな経営が苦しくても、息子や娘が跡を継いで、完全に事業が続けられなくなるまで、最後の最後まで歯を食いしばって頑張ります。そのなかで、家族ではない第三者の職人がいれば、簡単に首を切って中国人に外注します。職人が経営者を助けるための犠牲になるという、きわめて非効率的な事態が起きるのです。

私にとって、守るべきものは「職人」です。日本の職人が行う「ほんまもん」の伝統技術を残すのであれば、分業制という生産ラインを見直さなくてはならない

宣伝をして余計な仕事は増やしたくないという思いが強くなると、やがて自分は日本の文化を守っている特別な存在だという「驕り」が生まれます。しかし、それで食えないとなると、税金で支えられるのが当然だという「勘違い」が始まります

と、職人の世界もきちんとビジネスということを考えろよ、とかなり辛口の結論に至ってしまうのだが、さて、これを耳障りと思うか、うむうむと思うかはそれぞれが立脚するスタンスでの違いがでるということか。

黒船効果ではありますが、こういった辛いものを戴くと、しゃっきりしますな

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