月別アーカイブ: 2017年5月

手練の「食エッセイ」をどうぞ — 平松洋子「夜中にジャムを煮る」(新潮文庫)

食エッセイというものは、得意不得意が当然あって、食べ歩き的なものが得意な筆者もおれば、手料理もの・自分ちの台所ものが得意な筆者もいるのだが、どちらも「良し」という作者はなかなかいないのだが、そんな稀有な例が、平松洋子氏であろう。

収録は

Ⅰ 台所で考える

こんなものを食べてきた

漆と別れる、出会う

飲みたい気分

夜中にジャムを煮る

Ⅱ 鍋の中をのぞく

わたしのだし取り物語

ぴしり、塩かげん

おいしいごはんが炊きたい

手でつくるー韓国の味

手でつくるーうちの味

旅日記・韓国のごはん

Ⅲ わたしの季節の味

お茶にしましょ

夏はやっぱりカレーです

麺をつるつるっ

蒸しもの名人になりたい

炭を熾す

Ⅳ いっしょでも、ひとりでも

今日は何も食べたくない

ひとりで食べる、誰かと食べる

となっていて、手料理ネタから、外食ネタまでが色とりどりに収録されている。

例えば手料理ネタは

酒の肴はおいしすぎてはいけない。あくまで主役は酒なのだ。脇に控えてくいっと酒の味わいを引き立ててくれれば、もう、それで。(P54)

酒の肴はちょっとものさびしい暗いのが好きである。焙ったお揚げにはなんとはないひなびた風情がまとわりつき、あたりの空気がしんと鎮まる。けれどもいったん箸でつまんで味わえば、確かな滋味をじわりと滲ませて満足をもたらす。これがいったいに酒を引き立てる肴の条件であり、ごはんとおかずとの境界線ではないか(P55)

や表題作の「ジャムを煮る」の

ジャムを煮るのである。

おたがい、いちばん幸福なときに鍋の中で時間を止めてしまう。そうすれば哀れにも腐らせたり、だめにすることもない。今がいちばんいいとき。そのときにおたおたしていたら、容赦なく時間に打ちのめされる。だから、先回りしてジャムをつくる。(P67)

ジャムは夜更けの静けさの中で煮る。

世界がすっかり闇に包まれて、しんと音を失った夜。さっと洗ってへたをとったいちごをまるごと小鍋に入れ、佐藤といっしょに火にかける。ただそれだけ。すると、夜のしじまのんかない甘美な香りが混じりはじめる。暗闇と静寂のなかでゆっくりとろけていく果実をひとり占めして胸いっぱい幸福感が満ちる。(P70)

のように、単に原を塞ぐ、あるいは美味を堪能するための手料理ではなく、「生活を楽しむ」という視点からの「手料理」を提案しているように思えるし、食べ歩きのジャンルでも

韓国では、野菜を和えるとき、決して箸を使わない。頼りにするのは、自分の手であり、指である。(P130)

指先に力を託すのではない。にんげんの指を使うことで、すでにごく自然な力が野菜に伝わっているところをよしとする。微細な動きが野菜の繊維をかすかに壊し、調味料はそのすきまに染み込むことを了解したうえで指を使うのである。ここが日本の料理法と大きく道を分けるところだ。日本料理では、野菜は鋭く研ぎ澄ました鋼の包丁でぴしりと切り揃える。だいこんの千六本もにんじんのせん切りも、断面はきりっと切り立っている。その美しさを最大限に生かしながら、菜箸で「ふわあっ」と盛り付けるのだ。野菜の扱いひとつとっても、韓国と日本では要諦は間逆である(P131)

といった感じで、美味自慢というより、料理人たちの「手仕事」の素晴らしさに着奥するあたりが只者ではないところ。

さらには、

食べたくないとき、今日は食べるのをよしておこうというとき、わたしがいそいそ齧るのは煮干しです。(P231)

煮干しにはいろんな味がある。うまみ、塩味、苦み、えぐみ、甘み、カメば噛むほどじわりじわり。天日に干されていっそう濃度を増した海の生命が踊っているような。(P232)

のようの食欲のない時の「煮干し」の味であったり、腎臓病を患っていた愛娘の入院先での食事の悲しさ、とか「食」エッセイを「生活」のエッセイにしてしまうのが、はり手練の技でありますな。

まあ、こういった手練の技はあれこれ論評するより、味わってみるのが一番。どうぞ御賞味あれ。

懐かしい味わいの「新婚アジア放浪記」 — 鈴木みそ「アジアを喰う」(双葉社)

日々の繰り返しの多い生活が続くと、なにかしら澱のようなものが溜まっててくるもので、活動的で身軽な人は、「えい、旅行でも行ってしまうか」といった気分転換が図るものなのかもしれないが、スケジュールが本当に立て込んでいたり、場所的な拘束の多い仕事であると、そうおいそれと日常生活を離れることも難しい。そんな時には「旅行記」を読むことが、気分を立て直すに有効であるように思う。

それも、難しい国を歩く「ルポ風」のものではなく、アジアを中心とした「放浪記」ものがもってこいであるのだが、「限界集落(ギリギリ)温泉」の作者による本書もそんな類で、しかもコミックなので活字本よりふわふわと読める。

旅の時期は、1993年から1994年までで、世相的には1993年が今の皇太子ご夫妻の婚約発表や、Windows3.1の発表、米不作でタイ米の大量輸入があった年、そして1994年が、社会党の村山内閣発足、SONYがプレイステーション発表、といった年。

個人的に、このあたりの年代で、生活を変える大エポックは「Windows95」の発表にあろうと思っているので、大変革の直前といった認識でいてもらえばよいだろう。

そして、旅する国は、タイ、ベトナム、シンガポール、インドネシア、フィリピンといった東南アジア、旅するシチュエーションは、漫画家とライターの新婚夫婦のハネムーンを兼ねた長期滞在の旅というものなので、スリには遭うものの大動乱に巻き込まれたりすることもなく、下痢をしたり、ひがなホテル内やホテル近辺でダラダラしたり、といった「ゆるい」旅である。そのあたりは、漫画の途中にはさまるコラムの題名も「◯◯を漂う」といったもので、ゆらゆらとした旅の生活が垣間見えるというもの。

スケジュールやタスクに追い込まれれる日常でささくれている時は、こうした、「何もない旅の記録」が結構、心の凝りをほぐしてくれるに良いものである。

筆者とともに、アームチェア・トラベルをしているうちに、おいたてられていた気持ちが、なにかしら落ち着いてくるのが、こうした「バックパッカーもの」の良さであろう。ただし、年代的はかなり昔で「旅行プラン」の参考にはならないのでご留意を。

ベンチャー企業こそ「働き方改革」は必要であるし、効果的であるかもしれない — 駒崎弘樹「働き方革命ーあなたが今日から日本を変える方法」(筑摩Books)

「働き方改革」という言葉が声高に言われれば言われるほど、その実態がよくわからなかくなっているような気がする。というのも、本来は、「Work」の形を考え直してみようという「ライフスタイルの変革」の問題としてとらえるべきものであったと思うのだが、「生産性の向上」とか「仕事の効率化」という、いつもながらの第2次産業の効率的操業的なベクトルで語られることが多くなっているようの思えるからだ。

ただ、まあ労働時間を短くすれば、仕事以外のことにも目が行くじゃね、と割り切って考えるのも、「ライフスタイルの変革」にとっては一つの方策といえ、本書のように「ベンチャー企業で如何に仕事時間を短くするか」というのも、単純ではあるが、有効な手法であるのかもしれない。

構成は

序章 なぜこのような本を書かざるを得なくなったのか

第1章 自分が働くことで、誰かを壊している

第2章 自分のライフビジョンて、何だろう

第3章 「働き方革命」の起点ー仕事のスマート化

第4章 「働き方革命」でたくさんの「働く」を持つ

第5章 「働き方革命」が見せてくれた世界

終章 「働き方」を革命し、日本を変えよう

となっていて、筆者が、国の審議会の委員としてその会議での「なんともいえない齟齬感を感じるところから始まっていて、そのあたりが執筆の動機でもあるようだ。

さて、執筆動機は置いておいて、ベンチャー企業での「時短」の技術論は

目標を言語化し、明示化することによって、とりあえずやることが分かって安心するし、モチベーションが湧いてくる。そう思うと、今まで考えたこともなかったが、仕事を含めて人生全体、それ自身も仕事の、あるいはプロジェクトのようなもので、こうありたいな、というものを描いて、それに向かって手と足を動かしていくとゴールまでは意外と行けるのかもしれないぞ、と。これまで仕事は仕事のやり方でやり、プライベートは仕事よりも相当優先順位が低いところで、特に何も考えず受身でやってきた。けれど、「働き方革命」によって仕事もプライベートも統合(インテグレート)して、それを一つのプロジェクトとして捉えることで、日常の日々そのものが歯ごたえのある、やりがいのある毎日に変わっていくのではないだろうか?

とか

①一つの会議は1時間半を越さない。

②議事録はプロジェクタで映し出しながら、その場で取る

③議題は前日までに出し、議題にないものは議論しない

④タスクは会議の場で期限を決め、次の会議が始まる前までに進捗をグループウェアに貼る

⑤定例会議ごとにファシリテーター(司会)とロガー(議事録作成者)を決め、彼らが会議の内容と時間に責任を持つ  こうしたルールを決め、それを実行させた。

とかあるのだが、「働き方改革」の一番の肝要は

ダイエットと言っても、仕事の量を減らす、ということではない。仕事にかけていた時間を絞る、と言った方が良いかもしれない。つまり、これまで湯水のごとく使っていた時間を節制しつつ、同じだけ、いやそれ以上の成果を出す、ということだ。

と「労働」「働く」というものを捉え直すことにあるような気がするのである。

その反面

社員に残業するなと言う手前、僕がたくさん残業をして働くわけにはいかなかった。その代り朝4時に起きて、彼女が起きてくる7時まで仕事をすることにした。その日にやるべきことで最も重要なことを、朝の3時間で片付ける。朝はタイムリミットが明確なので、集中が強要される。重要だけれども気の重い仕事のオンパレードを、朝のテンションの高さで乗り切る。

といった風に「綺麗事ではないよね」というところをきちんと書いてくれるところが筆者の誠実さであろう。ま、こういった仕事のスタイルの変革が「働くスタイル」の変革に結びつくのが一番よい進め方であるとは思っていて、とりわけ、ブラックと紙一重、あるいは成り上がるためには時間外労働なぞ屁でもない、といった「ベンチャー」から、こういった取組が出るのは、目出度きことであるよな。

さてさて、政府のいう「働き方改革」の行く末がどこなのか、当方のはいまいち見えてこないのも確かではある。それは、地方創生→一億総活躍→働き方改革という流れで進んでいるところに、何かしらきな臭いものを感じて、「進め一億火の玉だ」を連想してしまうのは考え過ぎではあろうが、うーむ、なんとも、という感じである。願わくば、「労働生産性向上」といったことではなく、「ライフスタイルの改革」にまで、この「働き方改革」がすすめばよいのでありますが。

「お客様のために」ではなく、「お客様の立場で」の意味とは — 鈴木敏文「売る力ー心をつかむ仕事術」(文春新書)

その時代をリードする企業の経営トップの経営書というものは、どうしてもその時代のトレンドその企業の栄枯盛衰の影響を受けるものである。本の内容とは別に、様々な評価がくだされるので、手放しで褒めておけばよいというものではないらしく、さて今回はどうするか、ということであるのだが、なんにせよ、今は勢いの衰えぬセブンイレブンの創業者の書籍ゆえ、その経営理念をあれこれとレビューしておくとする。

構成は、

第1章 「新しいもの」は、どう生み出すのか?

第2章 「答え」は「お客様」と「自分」なかにある

第3章 「ものを売る」とは「理解する」こと

第4章 「本気」の人にチャンスはやってくる

であるのだが、冒頭のあたりで、

「売る力」とは売り手側から見れば、文字通りモノを売る力です。しかし、裏返すと、お客様に「買ってよかった」「食べてよかった」「来てよかった」と思ってもらえる力ではないでしょうか(P7)

といったように「お客様」へ対する立ち位置が本書を通じるキーワードとなる。で、その「立ち位置」というものは、

売り手は「お客様のために」ではなくて「お客様の立場で」考えなければならない(P94)

「お客様の立場で」考えるときは、ときには、売り手としての立場や過去の経験を否定しなければなりません(P96)

というもので、世間の通念をどぅと揺さぶるところが、「コンビニ」という業態の発明者らしいところである。

さらに、レビューしておきたいのは、その新しさへの継続した訴求で、

人間にはみんなと同類でありたいという心理とともに、そこからまた抜け出して「自己差別化したいという自意識」もあります。そのため、流行が一定量になると飽きて、新しいものへと移行していきます。結果、流行は長続きしない。つまり流行に乗って商売をするということは、お客様に飽きられるものを売っている、ないしは、お客さまがその商品が飽きるような状況をつくり出しているわけです。その意識をもって、どこまで流行に乗るか、どこで新しい流行に切り替えるかを見極めることで、常に「飽きられない商品」を提供できるのです(P26)

と、「新しいもの」が古びていく、コモディティ化していくことを踏まえながら、

ポイントは「上質さ」と「手軽さ」という。タテとヨコ、二つの座標軸で市場をとらえたとき、競合他者も進出していなければ、誰も手をつけていない「空白地帯」を見つけ、自己差別化することです(P55)

参入が容易で誰もが狙う六割のお客様に目を奪われず、空白地帯にいる四割のお客様のニーズに確実に応えることで大きな成果を得る。市場の大小に目を奪われるか、自己差別化で勝ち残る道を見出すか、違いがここにあるのです(P60)

と、絶え間ない「ブラッシュアップ」を提案し、実践するところが、トップランナーとしてある所以であろうか。

こうした創業リーダの経営書というものは、その人の今までの実践録や、経営経験をこれでもかと披瀝されることは多いのだが、本書で、「おう」と思うのは、秋元康氏や佐藤可士和氏など、鈴木氏が対談したり、一緒に仕事をした時の、様々な「知恵」がおしげもなく紹介されているところであろう。一つの道を究める人は、他の道を究める人のこともよく理解できるということの現れであろうか。

さてさて、こうした目線というか、仕事のスタイルというのは、「小売業」「流通業」だけでなく、多くの仕事に共通するものと思えて、それぞれの仕事や立場に応じて、翻案していくっていくのが、それぞれの「読み方」であろう。

水温が上昇して百度を超えると沸騰するように、人間社会でもある仕掛けや働きかけが一定段階まで積み上がると突然、ブレークする爆発点があります。これは、お客様の心理にもあてはまります。何らかの働きかけにより認知度が一定レベルまで高まると、ブレークし、行動に表れるようになるのです(P160)

という言葉を胸において、精進いたしましょうかね、

たかがラーメン、されどラーメン — 武内伸・大泉孝之介「ラーメン人物伝 一杯の魂」(グループ・ゼロ)

ラーメンは、すでに国民食の域を脱して、「民族食」「日本文化食」のレベルに達していて、そうなると、それをつくる調理人も「料理人」「職人」として扱われるようになってきているのだが、有名店のラーメン職人たちの物語を紡いだのが本シリーズ。

収録は

第1巻

1杯目 麺屋武蔵/山田雄・佐藤吉治

2杯目 柳麺 ちゃぶ屋/森住康二

3杯目 ぜんや/飯倉洋孝

4杯目 中村屋/中村栄利

5杯目 なんつっ亭/古谷一郎

6杯目・7杯目 支那そばや/佐野実

第2巻

1杯目 東京・荻窪/春木屋

2杯目 東京・池袋/大勝軒

3杯目 飛騨高山/まさごそば

4杯目 札幌/純連(すみれ)

5杯目 白河/とら食堂

6杯目 和歌山/井出商店

第3巻

1杯目 久留米/大砲ラーメン

2杯目 月形/むつみ屋

3杯目 京都/天下一品

4杯目 函館/マメさん(丸豆岡田製麺)

5杯目 福岡/博多一風堂

6杯目 大阪/日清食品

となっていて、全てとは言わないまでも、多くの店の名前が記憶にあることと思う。

で、こうした料理を含めた職人の物語は、たいていの場合、苦難を乗り越えて、その天性が開花する、といったのが定番で、一話、二話はよいのだが、多くをよむと満腹感が漂ってきて、その努力臭が鼻についてくるものであるのだが、有り難いことに、このシリーズはその臭いが少ない。

というのも、大衆食でもあるラーメンらしく、その料理人が店を繁盛店にもっていったり、ラーメン屋を始めたりする経歴が多種多様であるせいであろう。例えば、通商産業省の役人あがり(ぜんや/飯倉洋孝)であったり、戦後の動乱の中で子どもたちを育て上げるための母親の大奮闘(和歌山/井出商店)であったり、「天才」と呼ばれた父親を乗り越えようとする息子の努力(白河/とら食堂)であったり、ラーメン屋を開業してしまった、製麺メーカーの社長であったり(函館/マメさん(丸前岡田製麺)、とラーメンの種類の多様さそのままに、ラーメンに携わる人も多様である。

そして、3巻目の〆に、インスタントラーメンの発明者「安藤百福」をすえるなどメニュー構成もよく考えてある(風に思える。ひょっとすると、とりあげるラーメン屋に詰まったせいかもしれないが)。

とはいうものの、そこはラーメンに携わる人々の物語である。菓子や日本料理の料理人の物語につきものの辛気臭さ、説教臭さはほとんどない。ビジネス本に疲れた時の箸休めにいかがでありましょうか。

「働き方改革」はWorkの根本課題に取り組めるか — 常見陽平「なぜ、残業はなくならないのか」(祥伝社新書)

過労死問題をきっかけに「働き方改革」が声高に主張されはじめているところで、管理者側、労働者側あるいは政府側から、様々に論じられている最中なのだが、感情論が混じってしまいがちで、熱っぽい議論ほど薄っぺらに感じてしまう。

そうした中にあって、どちらかというと斜向いから論じてくる常見陽平氏の論は、先の「就活」や「モバイルワーク・ノマドワーク」を論じていた時と同様に一面的でない視点を提供してくれて貴重なものといえる。

本書の構成は

第1章 日本人は、どれぐらい残業しているのか

第2章 なぜ、残業は発生するのか

第3章 私と残業

第4章 電通過労自死事件とは何だったのか?

第5章 「働き方改革」の虚実

第6章 働きすぎ社会の処方箋

となっていて、そもそもの労働時間の分析から始まって、

イギリス、スウェーデン、フランス、ドイツなどよりも一人あたり平均年間総実労働時間は長いものの、日本「だけ」が長いわけではない。1980年代から現在にかけての30年の変化をみると、労働時間は徐々に減ってきている

と冷静に現状を分析するあたり、熱に浮かされた議論が始まりがちな労働問題にはちょうどよい冷たさであろう。さらに、こうした「働き方」論における欧米礼賛に向かって

これはシステムの違いとして捉えるべきである。好況期には残業で対応し、不況期には残業と賞与を抑制して乗り切る国と、その分の人員を削減することで乗り切る国のモデルの違いである。

というあたりも小気味よくはある。かといって、単純な「日本優位論」ではもちろんなくて

日本における残業の根本的な問題は、仕事の任せ方である。残業は仕事の任せ方に起因する部分があるのだ。

言うなれば「仕事に人をつける」のか「人に仕事をつける」のかという違いである(P67)

「仕事に人をつける」という世界観では、業務内容や責任などを明確にすることができる。そうであるがゆえに、仕事が定型化しやすい。仕事の引き継ぎもしやすい。採用時も仕事が定型化、標準化しているので、選考時にその業務にあった人材かどうかを判断しやすい。

一方、「人に仕事をつける」という世界観においては、ある人に複数の業務が紐付けられることになる。特に中堅・中小企業においては、営業、企画など職種を超えた仕事が任されることになる。これを繰り返していくと、仕事の範囲が無限に広がっていく (P68)

といったように、日本型の「働き方」の功罪を的確にいいあてるところは、労働問題・働き方について厳しくはあるが冷静な視点が揺るがない筆者らしいところであろう。さらに「労働生産性」「ダイバー・シティ企業」といったものについての

(国際比較でいわれる)労働生産性が高い国とは、金融センターか資源を持っている国、あるいは都市国家など小規模の国だ(P178)

このコンテスト及びレポートについて、1点目は「ダイバーシティ」「ワーク・ライフ・バランス」を推進するメリットについて、擬似相関の疑いがあることだ、2点目は、紹介されている取組の成功要因が、真因だと言えるのかという疑いである。 (P182)

というあたりは少々手厳し過ぎるかもしれない。

途中、電通過労死事件の教訓として、会社の認識の甘さを指摘しつつも、「社内ではいつも新しい仕事が生まれており、変化している」「「なんでもやる」「成長を求められる」日本型正社員モデル」「会社と居場所」という新たな問題の提示もしつつ、最後のほうで

・1週間のうち、働く時間を決める

・一つの仕事にかける時間を決める

・時間が美しく流れるようにする

・仕事の命中率を上げる

・時間のへそくりをつくる

・楽しいアポから先に入れる

・朝の時間を活用する

・自分だけで抱え込まない

・お金で時間を買うという手もある

・自分のキャラを理解してもらう

という筆者なりの「すり減らない働き方」の提案もあるので、詳細は原本で確認してほしいとこ。

筆者も言うように

「働き方改革」は所詮「働かせ方改革」である。・・だからこそ「いかに働かないか(働かせないか)」「いかに一生懸命働かないことを許容するか」という発想がないかぎりは、画餅に帰してしまうのである(P234)

というところを踏まえて、昨今の論議が、「時間外短縮」という些末なことではなく「働き方」の論議となれば、と思うところなのである

リベラル・アーツとは何なのか — 池上 彰「おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」(NHK出版新書)

「教養」あるいは「教養主義」というのは、特に日本においては毀誉褒貶の幅が広いもののように思えて、半藤一利氏や出口裕明氏は「世界史としての日本史」あたりでも「教養主義」の重要性を口を酸っぱくして言われるのだが、新自由主義や効率のみが基準となりがちなビジネスの現場では、旗色が悪いと言わざるをえないだろう。

で、本書の構成は

序章 私たちはどこから来て、どこへ行くのか

第一章 宗教ー唯一絶対神はどこから生まれたのか?

第二章 宇宙ーヒッグス粒子が解き明かす私たちの起源

第三章 人類の旅路ー私たちは突然変異から生まれた

第四章 人間と病気ー世界を震撼させたウイルスの正体

第五章 経済学ー歴史を変えた四つの理論とは

第六章 歴史ー過去は絶えず書き換えられる

第七章 日本と日本人ーいつ、どのようにして生まれたのか

となっていて、「ギリシャ・ローマ時代に源流を持ち、ヨーロッパの大学で学問の基本だとみなされた七科目のことを指します。具体的には①文法、②修辞学、③論理学、④算術、⑤幾何学、⑥天文学、⑦音楽の計七科です」とされる「リベラルアーツ」を、現代流に翻案して、タイムリーな話題を語るといった構成である。

で、リベラル・アーツを学ぶ効用といえば(こんな風に「効用」を言うってのは「リベラル・アーツ」の本旨とは離れるのかもしれないのだが)「歴史」学を例にとると

私自身は、イラン・イスラム革命は言ってみれば宗教ルネッサンスではないかと考えています。この革命の後、イスラム原理主義が中東で広がっていきます。こうした動向を見ると、あの革命は、力の衰えた宗教に改めて命を吹き込もうとする動きだったのではないでしょうか。

とか

こう見ると、これまでの過去の歴史は、ある意味ではとても単純でした。勝った者が記録を残し、負けた者の記録は残っていないからです。  過去のさまざまな歴史というのは、勝者が残した記録を後世の学者が分析をしてつくり上げたものです。一方で敗者の歴史というのは、この世界から抹殺されています。  ですから、私たちが学んだ歴史は言ってみれば氷山の一角で、実はそれ以外にも知られざる歴史がたくさんあるということを、常に頭の片隅にとどめておいてほしいのです。

といったことがあって、総じて言えば、「自分を相対化する」視点を得ることができるということであるようで、それはとりわ、最近のように「自国ナンバーワン主義」や自国意識が肥大化する時代にあって

国家意識というのは不思議なもので、自分たちの中だけでは生まれてきません。つまり、自分とは異質な人たちと接触をして初めて、彼らとわれわれは違うという認識が生まれてくるわけです。

健全な愛国心というのは、上から押しつけられるものではなくて、みんなが自然に持つものです。オリンピックのときみんな日本を応援するのも、別に誰かに押しつけられたわけではない。普段は日の丸を意識しなくても、オリンピックのような場では自然と日の丸を意識し、みんなで日本を応援するという意識が生まれてくる。

自然に湧き出てくる健全な愛国心というものはあると思います。ところが愛国心を政治的に利用しようとすると、やがて居心地の悪いものへ傾いていく

といった、醒めてはいるが、適切な「愛国心」というものに結びつくような気がしてならない。

ともあれ

現代に生きる私たちにとって、知識の重要さもそこにあります。単に受け取るだけではなく、それを現代に生かし、より良い社会をつくり、より良い人生を築いていく。それがリベラルアーツというものの価値なのです。

ということであるらしいので、目線と興味は幅広めに持って、目先の成功や小粒の利益にアクセクしない、という心構えを持たないといけないのかもしれませんね。

新聞は”読み飛ばす”だけが能ではない — 池上彰「池上彰の新聞勉強術」(文春文庫)

以前レビューした「新聞活用術」の対といっていいのが、この「新聞勉強術」。エピローグのところをみると社会人にはじめてなるか。あるいは就活中の学生さんたち向けかなとも思うのだが、「新聞」に親和性があって、なおかつ聖域感があるのは、当方のような中高年であろう。

構成は

プロローグ 一本の新聞記事が世の中を動かす

第1章 「ニュースを見る目」は、新聞で養う

第2章 まず、何から読んだらいいのだろうか

第3章 速読から読解まで 池上彰流・新聞の読み方作法

第4章 「新聞の読み比べ」で身につく情報力

第5章 ネットにテレビに! 池上流・メディアミックス新聞術

第6章 知れば知るほど面白い、新聞の取材現場

第7章 新聞の情報整理術&知的活用術

エピローグ 新入社員の新聞勉強術

となっていて、新聞から情報収集を始めたばかりの学生からスクラップにはまり込んだ人まで、かなり幅広い「新聞好き」をレンジにおさめている。

こうした「新聞」の話となると、とかく新聞を褒めて、その神話化を図ってしまうことがあるのだが、筆者の場合、

数字が重要な記事を見つけたら、必ず他の新聞の見出しと見比べる。・・事実の中に盛り込まれた「主観」を見つけ出すことから、私達の新聞勉強術がスタートする。(P30)

社会の多数が「けしからん」と怒っているときに「ちょっと待てよ」ち、「アナザービュー」(異なる視点)を持つ姿勢が大切(P37)

「アナザービュー」とは「本当にそうなのか」を、別の角度から考える癖をつけること(P38)

といった感じで、「新聞」そのものを疑ってみる、違うポジションに自分を置いてみる大事さを主張するところが、その誠実さを現しているというものか。

で、本書の場合、「新聞」のあらゆる側面をとりあげているので、どういう読み方をしてもよいのだが、当方としては、新聞取材の方法論や新聞報道の優秀性というよりは、その使い方の方に関心があって、例えば

自分でも気づかない自分自身の関心は、デジタルでは決して発見できないのです。

新聞をスクラップするために必要な記事を探していると、その横に思いもよらないような記事を発見することがあります。

そんなとき、まったく関係ない記事同士が結びついて、いままでにない発想が生まれることがありました。スクラップは”新たな発見”の喜びを与えてくれるのです(P221)

新聞に文章だけで記述されている内容を自分なりに図解してみるのです。

図解しようとすると、その問題について深い知識を持っていないと図解できないことに気付きます。そこから、何を学べばいいかがわかります。

こうして理解できたら、図解します。

そのうえで、その図解を今度は言葉で表現してみるのです。

この言葉での表現こそ「まるで図解をしてくれるようにわかりやすいですね」と言ってもらえる説明になるのです(P223)

といったところは、新聞を使った発想の手法、表現力を磨く手法として「ふむ」と思わせるし、

スクラップは、ひとつの事件を追いかける場合のように「この記事を切り抜かなければ」とテーマを決めて行う方法もありますが、どんなジャンルでもかまわず「これは面白いな」と思った記事を切り抜く方法もあります。

実は、このノンジャンルで切り抜くやり方が、意外な発見をもたらすのです。・・・自分自身がこれまで気づかなかった自分の興味・関心の分野が、次第に明確に姿を現してくるのです。(P230)

短歌や俳句でも、釣りやドライブであってもいいと思います。それを積み重ねておいておく。そしてときどき棚卸しをしてスクラップを見返してみると、いつのまにか、自分が本当に趣味にしたいものは何なのか、「自分探し」をすることができるはずです(P231)

といったところは、隙と時間ができた定年後に、それからの人生をうっちゃっていくものを見つけるに良い方法かもしれないな、と無芸大食の輩はつぶやいてみる。

さて、筆者のように五紙以上の新聞を購読して、スクラップするといったことは小遣いも限られている身としては難しいものではあるが、せめて、複数紙をとって、やってみると少しは賢くなれるでありましょうか?