”人生”は「ゼロ」に「イチ」を足していくこと — 堀江貴文「ゼロ」(ダイヤモンド社)

ち込んでいるが、這い上がりたいときには、堀江貴文氏の著作は、かなり特効薬的な効果があっって、特に仕事で不遇感にかられている時なぞは、薬が効きすぎて、「別にこの会社に拘らなくてもいいんだ」というような違った効用が出ることもあるのだが、まあ、そこは個々人が咀嚼していかざるをえないだろうし、「ここだけが居場所ではないよ」という言葉にはかなりの真実があるのも確か。

本書は、氏がライブドア事件で服獄し、刑があけてから最初の著作というだけあって、罪に問われる前にくらべて、論述も良い意味で変化を遂げ、大きな影響力をもつインフルエンサーとして再デビューしたかっきてきなものという印象が強い。

構成は

第0章 それでも僕は働きたい

第1章 働きなさい、と母は言ったー仕事との出会い

第2章 仕事を選び、自分を選ぶー迷い、そして選択

第3章 カネのために働くのか?ー「もらう」から「稼ぐ」へ

第4章 自立の先にあるつながりー孤独と向き合う強さ

第5章 僕が働くほんとうの理由ー未来には希望しかない

となっていて、氏の幼少期の家族のことから始まって、ライブドア事件を経て、執筆当時(2013年)までの半生記である 。

で、本書で一貫して語られるのは「働く」ということで、それは、「金」とか「地位」とかの追及ではなくて、「誰かとつながっていること、社会とつながっていられこと」という、およそ「ネット時代の寵児」の頃には語れなかった言葉であるところに特徴があると言っていい。

とはいうものの、当方が堀江氏の著作を読むのは、出世争いに負けた時とか、不遇感を抱いている時の「カンフル剤」として読むことが多いので

チャンスとは、あらゆる人の前に流れてくる。大きな桃じゃないかもしれない。

葉っぱ一枚のこともあるだろう。そrでも、目の前に流れてきたチャンスに躊躇なく飛びつくことができるか、そこが問題なのである。(p100)

僕はこの「チャンスに飛びつく力」のことを、向上心とか目的意識とか、そんな堅苦しい言葉で語りたくない。もっとシンプルな、人ととしての「ノリのよさ」だと思っている。

チャンスを見極める目なんて、必要ない。少しでも面白いと思ったら躊躇せず飛び込む。そうしないと、せっかくやってきたチャンスは流れる桃のように過ぎ去ってしまう。(p101)

ゼロからイチへの足し算を繰り返し、自分に自身が持てるようになる。

何事に対しても「できる」という前提に立って、「できる理由」を考えていく。

そうすると、目の前にたくさんの「やりたいこと」が出て来るようになる。あれもやりたい、これもやりたい、という状態だ。自分がほんとうにやりたいことは何なのか、道に迷うこともあるだろう。

僕からのアドバイスはひとつ「全部やれ」だ。(P154)

といったあたりが、とても力強く感じるのはいたしかたないであろう。

さらには

僕らは「自分の時間」を生きるのか。それとも「他人の時間」を生かされるのか、を常に意識化しておく必要がある。(P208)

僕らの人生には「いま」しか存在しない(P211)

といったところでは、他人の評価を気にするあまり、「自分」というものが小さくなっている我が身を反省するのである。

本書の最後のメッセージは「はたらこう」だ。

年齢や、今の地位がどうであれ、大事なことは「前へ出ること」「やりたいことは全部やること」が本書のメッセージであるようだ。

さて、その声に後押ししてもらって、踏み出しませんか。

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