司馬史観にちょっとブレーキをかけてみる — 一坂太郎「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松蔭・龍馬・晋作の実像」(集英社新書)

司馬遼太郎氏の著作は、大物経済人や政治家などなど多くの大物の方々が、座右の書としているどころか、坂本龍馬や高杉晋作に関する著作、例えば「龍馬がゆく」とか「世に棲む日々」とかは、多くの若者が熱狂するものでもあるのだが、そういったことに、横からざぶんと冷水を浴びせるのが本書。

構成は

第1章 吉田松蔭と開国

第2章 晋作と龍馬の出会い

第3章 高杉晋作と奇兵隊

第4章 坂本龍馬と亀山社中

第5章 描かれなかった終末

となっていて、時代的には、吉田松陰から始まって、長州征伐、薩長同盟、亀山社中の設立といったあたりの、司馬作品と史実との不具合のあちこちがぼろりぼろりとでてくる。

例えば奇兵隊については

司馬太郎ははっきり書いていないが、庶民が奇兵隊に入っても武士になれるわけではない。兵士になっても身分はもとのままである。戦争が目的だから当然庶民も刀や銃は持たせてもらえるが、姓(苗字)は公認されない。

であったり、高杉晋作が「俗論派」を倒すために功山寺で兵をあげたとされるのも

晋作は、長府や功山寺で「挙兵」したつもりなどないだろう。曹洞宗の功山寺は、支藩である長府藩主毛利家の菩提寺だ。支藩で「挙兵」したなら、おのずと事件の意味は変わってくる。宗藩にケンカを売るなら、やはり宗藩領で決起、挙兵しなければならない。

とかである。さらには新政府が出来上がる時、龍馬が新政府の官職に就かず、世界の海援隊をやるといったあたりでも

司馬太郎は触れなかったが、龍馬と共に新政権の人事案を練った戸田雅楽(尾崎三良)の回顧談(『尾崎三良自叙略伝・上』昭和五十一年)があり、その「職制案」には「参議」として「坂本(龍馬)」の名が出ている。これは三条実美に仕える戸田が草し、龍馬に示した案だという。「坂本之を見て手を拍つて大いに喜んで曰く、是れ今日行ふべし」とある。  これによれば、龍馬はしっかり新政権の、しかも「参議」という権力の中枢に、西郷や大久保と並んで座るつもりでいたようだ。

と手厳しい史料があるようで、なんとも、司馬ファンには心穏やかではない。

ただ、司馬作品を歴史書と読むか、歴史上の人物に託した司馬遼太郎氏の思想書であるかは、読者の手に委ねられているし、例えば歴史書である、「史記」も司馬遷その人の思想を仮託した”歴史書”といっていい。

であるなら、史実に基づくかどうかは別に、司馬史観が日本人の歴史観として根っこをはっているのは間違いなく、そのあたりは司馬ファンも安堵しよかろう。

押さえておかないといけないのは、司馬遼太郎氏の著作は、あくまでも司馬史観の書であって、歴史事実と異なる場面があるということであろう。その意味で司馬史観も、戦前の国史観と共通の危うさをもっているちうこと認識しながら、それに従うということが司馬ファンにも求められるということであろう。事実は苦くもあるが、そこから目を逸してはいけない、ということでもあるのでしょうな。

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