「1992年以降の小学校入学+バブル崩壊後+スマホほぼ全員普及+SNS隆盛」という世代の特徴は? — 藤本耕平「つくし世代」(光文社新書)

「世代論」というのはいつの時代でも根強い人気があるもので、たいがいは年齢の上の世代から、下の世代に向かってなされるもので、たいていは「今時の・・・」とかで始まり、「時代も変わった・・・」「あの頃の世代は・・」てな繰り言で終わるのが常であまり生産性がないことが多い。

本書の分析の対象と対象としているのは、1992年に小学校に入学した世代より若い世代で、筆者は1980年生まれと、分析対象に近い世代であるせいか、「今時の・・・」臭から逃れているのが本書の特徴でもある。

構成は

序章 さとっているだけじゃない今時の若者は何を考えている?
第1章 チョイスする価値観ー世間の常識より「自分ものさし」
第2章 つながり願望ー支え合いが当たり前じゃないからつながりたい
第3章 ケチ美学ー「消費しない」ことで高まる満足感
第4章 ノット・ハングリーー失われた三つの飢餓感
第5章 せつな主義ー不確かな将来より今の充実
第6章 新世代の「友達」感覚ーリムる、ファボる、クラスター分けする
第7章 なぜシェアするのかー「はずさないコーデ」と「サプライズ」
第8章 誰もが「ぬるヲタ」ー妄想するリア充たち
第9章 コスパ至上主義ー若者たちを動かす「誰トク」精神
第10章 つくし世代ー自分一人ではなく「誰かのために」
終章 若者たちはなぜ松岡修造が好きなのか

となっているのだが、なぜ、この時代区分なのかというと
・教育環境の変化ー小学校の学習指導要領が大きく改定されたのが1992年
・統計上、共働き世帯数が初めて専業主婦世帯数を上回ったのが1992年
・一家に一台パソコンを持つことが当たり前になり、インターネットも急速に普及し
た時代が中学校に入学する前に始まった世代
・バブルが崩壊したのが1992年
ということであるらしい。

で、この世代の特徴は

かつての若者には、世間で流行っているものや高級とされるものをいち早く入手することが自慢になる、ステイタスになる、という感覚があったと思います。
(中略)
今の若者には、そういう感覚がほとんどありません。「世間の評価が高いもの」よりも、彼らが大事にしているのは「自分っぽさ」「自分のフィーリング」といったものです(P49)

地域に住んで生活しているだけで、自然と人とのつながりを得られる時代ではなくなった一方で、ラインやSNSといったコミュニケーションツールの発達により、つながりを広げようと思えば、いくらでも広げられる時代になった、というのも、今時の若者たちが育ってきた環境だと思います。
その結果として起こっているのが、コミュニケーション能力が極端に高い若者と極端に低い若者の二極化という現象です。
(中略)
この傾向はまた「リア充」と「ぼっち」の二極化と言い換えてもいいかもしれません(P75)

とか

所有欲の少なさ、というのも今時の若者たちの特徴です。(P86)

といったことがあり、ざっくりというと

仲間たちの喜びのために奉仕し、尽くそうとすることが、より日常的な行動原理、消費の原理にもなっている若者たち。それが、私が考える「つくし世代」です(P34)

であるとのこと。
で、こうした世代の特徴が形成されたのは、当方が思うに、やはり経済情勢と、技術環境が大きく影響しているような気がしていて

昔、日本が右肩上がりの経済成長を続けていた時代に人格形成期をづ後した世代には、「努力すれば報われる」という価値観があると思います。
今時の若者たちには、そういう価値観があまりありません。努力が自分のためになるとは限らないし、真面目に頑張れば頑張るほど馬鹿を見ることもある。それよりも「ほどほどに頑張って、ほどほどの生活ができればいい」というマインドを持つようになっています。
それが「物」に対する飢餓感を失わせている面もあるでしょう(P102)

といったところには、戦後や高度成長期のように、まだ「飢え」とかが現実のものであったり、その記憶が生々しく残り、物資がまだ豊かではなかった経済情勢と、物資がそこそこに豊かであるが上昇期のような活気が失われている経済情勢との違いが如実にでていると思うし、

若者たちの通信する手段がパソコンであり、SNSの中心がミクシィであった時代には、ログインしている間だけつながっていればいい、という気楽さがありました。
しかし、スマホを持つのが当たり前になり、連絡手段の中心がメールからラインに、SNSの主流がミクシィからツィッターに移っている現在では、「ログイン/ログオフ」という感覚は消滅しています。スマホの電源を入れている間は、四六時中つながり続けていなければいけない(P138)

状態で「複数の自分のチャンネルを持っている」ことが要求される背景には、インターネットの普及というよりもスマホの急速普及で、個人の領域が融合し始めているという「技術革新+社会環境変化」が色濃く反映している気がする。

さてさて世代論というのは、あまり詳細に分析し、論じてみてもあまり益がないところがあって、しばらくすると「脱・ゆとり世代」「後・つくし世代」といった論もでてくるであろう。ポイントは、こうした世代の違いを理解しつつ、全体最適を導き出すことができるのか、世代対立が高じて全体の破壊をもたらしてしまうのか、といったところでありましょうか。

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