「働き方改革」の行方を暗示する、日本人の”勤勉性” — 礫川全次「日本人はいつから働きすぎになったのかー<勤勉>の誕生」(平凡社)

どうやら、「働き方改革」の目指す方向は、”生産性の向上”という極めて日本的な方向を目指し始めたようで、その意味で、多くの経営者・労働者や、コンサルタントの方々には扱いやすい話になりはじめているようだ。

本書はそんな情勢に棹さすという意図はないのであろうが、結果的に、日本人の「働く」ということの根底をぐらりと揺らしているのが面白い。

構成は

序章 日本人と「自発的隷従」

第1章 日本人はいつから勤勉になったのか

第2章 二宮尊徳「神話」の虚実

第3章 二宮尊徳は人を勤勉にさせられたか

第4章 浄土真宗と「勤勉のエートス」

第5章 吉田松陰と福沢諭吉

第6章 明治時代に日本人は変貌した

第7章 なぜ日本人は働きすぎるのか

第8章 産業戦士と「最高度の自発性」

第9章 戦後復興から過労死・過労自殺まで

終章 いかにして「勤勉」を超えるか

となっていて、日本人が「勤勉」になった歴史的な時期の解明に始まって、日本人の「勤勉性」に及んでいくといったところ。

本書によれば、日本人の勤勉性は

日本では江戸時代の中頃に、農民の一部が勤勉化するという傾向が生じた(P27)

能登国鹿島郡の農民たちは、江戸中期以降、長時間労働を苦にしなくなり、むしろ「労役に耐ゆる」のを誇りとするようになったらしい。経緯は不明だが、江戸中期のある時点において、彼ら農民の間に、勤労を誇りとするような「倫理的雰囲気」(勤労のエートス)が形成され、彼らを内側から、勤労へ勤労へと突き動かしていったのであろう(P30)

と言った風で、その象徴として「二宮尊徳」があげられるのだが、そうでありながら、下野国桜町領のように

江戸後期の日本には、断固として「勤勉」になることを拒む農民たちが存在していた、という厳然たる事実である(P71)

といったことは、「日本人は勤勉」という固定観念をぐらつかせていて小気味いい。

とはいうものの、この勤勉性が

「日本的経営」の本質は。従業員の「参加意識」の形成にあった

(中略)

企業への「参加意識」を高めた労働者は、自ら進んで労働し、会社のために働くことを「生きがい」と感ずるようになってくる。「我が家は楽し」ならぬ「わが社は楽し」の世界である。日本の高度成長を支えたのは、このように、働くことを「生きがい」と感ずる労働者の存在であったと言ってよいだろう。(P216)

と、今の日本の経済的な地位を築き上げたことは間違いないのだが、

今日においては、日本人の美徳であるはずの勤勉性が、深刻な社会問題を引き起こすという事態に立ちいたっている(P10)

といったことも事実であろう。

さりとて「働き方改革」が「生産性の向上」改革に変わったという日本のメンタリティを考えると、筆者が最終章でいう

本書が、この終章で主張しようとしているのは、なぜ人間は「勤勉」でなくてはならないのか。なぜ「怠惰」ではいけないのか、「怠惰」でもいいではないか、いや「怠惰」であるべきではないか、といったことである。(P228)

も、なかなか難しいのでは、と思わないでもないのだが、さて、どうなりますか。

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