勤め人の最大関心事「人事と左遷」を分析してみる — 楠木 新「左遷論ー組織の論理、個人の心理」(中公新書)

会社であれ公務組織であれ、勤め人ぐらしをしていると、いつの間にか組織内の序列や出世の速い遅いの月旦が身に沁みてくるもの。
当方のような定年間際の年齢ともなると、勤め人最後のところの上がりのポストも見えてくるのだが座る席は限りがあるので、それなりに納得してみたり、イソップの「酸っぱいブドウ」のようなつぶやきをしてみる事も増えてくる。
本書の構成は
第1章 菅原道真、失意の晩年ー左遷とは何か
第2章 定期移動日は大騒ぎー人事異動と左遷
第3章 転職か、じっと我慢かー欧米に左遷はない
第4章 誰が年功序列を決めているのかー左遷を生み出すしくみ
第5章 出世よりも自分なりのキャリアー消える左遷、残る左遷
第6章 池上さん大活躍の理由ー左遷は転機
第7章 「道草休暇」が社員を救うー左遷を越えて
となっているのだが、「左遷人事」の大御所である菅原道真や森鴎外に始まり、定期異動時の「会社員心理」や、退職後大飛躍の池上彰さんまで取り上げてあって、「左遷」だけというよりも、「人事の陰陽」を扱ったものといっていい。
その中で「人事部は左遷をつくっているのではなく、人事部のやることは欠員のところに人をがはめるだけ」とか「自己評価は、他人のそれより3割増し」とかは当方の人事部経験に照らして納得するところが多い。ただ、ふと我が身に当て嵌めて、自己評価を3割減してみると「ああ」と我が身と才能の小ささに嘆息得ざるをえなくなって、「いやいや」と2割ぐらいは自己評価を戻してみたりするのである。
そして左遷という概念は
終身雇用や年功賃金に加えて、日本の組織には共同体的な正確が強いことも特徴である。欧米のように転職市場が十分ではないので、その共同体は唯一のもおであると社員に思い込まれやすい。これが左遷という概念を補強している(P96)
新卒一括採用は、決まった業務しかやらない職種別採用よりは、はるかに柔軟性のある運用が可能になる。・・単に採用方式の問題ではなく、日本型の雇用システムの表れに一つなのである。
同質的な社員を一列に並べて競争させることが左遷を生み出す一つの要因にもなっている(P114)
とあるように日本固有の概念に近くて、
欧米では、個々の仕事が個人と結びついているので、そもそも定期異動自体が存在しない。欠員が出た時にその仕事に見合った人材を募集して補充すれば足りるからである。そのため、左遷という概念は生まれにくい。(P74)
なのであるが、
欧米の人事評価の特徴は、エビデンス(証拠)を求めることだという。・・・評価しtあ根拠を社員に対して言葉で説明できなければならない。上司と部下との人間関係が人事評価に入り込む余地は小さく、逆に実績数値に酔って短期的に評価が行われがちになる。(P87)
ともあって、どちらが良いかは昨今のグローバリズムの陰陽もあわせて即座に判断できることではない。
そして本書では、NHK退職後の池上彰氏の大活躍を例にしながら
左遷を会社という組織の枠組みの中だけで考えていれば、挫折や不遇だという受け止め方しかないかもしれない。しかし池上彰氏のように、あらたな世界が開けることがある。
窓際になると本人は左遷されたと思うかもしれない。しかし視点を変えてみれば、余裕のある恵まれた場所ということにもなり得る。開き直ってその余裕を自分のたじぇに十分活用することも考えられる。(P174)
といった提案や
会社を辞めて独立・起業するわけでもなく、また会社の中のしごとだけに埋没して扠せんや不遇をかこつだけでもない。第三の道を目指すことが可能になる、会社を辞めずに、仕事以外に、もう一人の自分を発見するというやり方である。もちろん、いきなり「もう一人の自分」を作り上げることはできないので、コツコツと時間をかけて取り組めばいい(P218)
といった、別のルート、第三のルートも示されている。
なんにせよ「左遷」という言葉が気になってくるのは、出世レースの最中で火花を散らしていたり、レースに勝ち残っている時ではない。レースの終盤にさしかかり、結果も予測できるようになり、自分の位置も自覚されて、なんとなく黄昏れる時に気になる言葉。ただ本書の「そのまま最後まで上位職に上がれないという意味では、ほぼ全員が何らかの左遷体験をすると言えなくもない」であることも事実。
不遇をかこって愚痴をいっているよりは、別天地の青空や今まで気づかなかった足元の花に目を向けることがよいのかもしれないですね。

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