月別アーカイブ: 2017年11月

「ミス」は続くよ、どこまで、といってもいられないあなたへの処方箋 — 中田亨「事務ミス」をなめるな (光文社新書)

ミスや意図しない手抜きといったことが組織の命運や行く末を左右することが多くなったご時勢である。しかも、「ちょっとしたこと」というのが、以前に比べて比較にならないほど影響力を持っているように思える。
そんな時代にあって、「ミス」が起きる原因、そして組織的な防衛の方法についての、新書ながらしっかりまとめてあるのが本書であろう。
 
構成は
 
Ⅰ 理論編 なぜ人はミスをし続けるのか
 第1章 人は「有能」だからこそ間違える
 第2章 間違えのメカニズム追究はきりがない
 第3章 そもそも「間違い」とは何か?
 第4章 時代が事務ミスを許さない
Ⅱ 実践編 ミスはこう防ぐ
 第5章 ミスの解決は「6つの面」から考える
 第6章 「気付かない」から事故になる
 第7章 異変のはじまりはどこか
 第8章 「ミスをしないこと」は目標になりえるか
 第9章 御社の「手順」はムダだらけ
 第10章 氾濫する「ダメ書式レイアウト」
 第11章 「ミス」に強い組織に変える
 
なっていて、まず、「おおっ」と思うのが、ミスが起きる原因で
 
「能力が無いからミスをする」ではなく、「むしろ能力の副作用でミスをする」
「ミスの大半は素人がしでかす」から「玄人のミスも警戒すべき」
 
といった方向にミスが起きる原因を修正すべきといったところであるし、
 
人間の頭は、意思とは関係なく、強制的かつ即時的に、情報の乱れを除去してしまうことがわかります
 
といった人間の能力の高さゆえのミスの発生といったことも気づかせてくれる。
 
そして
 
各作業を失敗せずに実行できる能力を、作業確実実行力と言います。
ミスをせず、無駄を出さず、締め切りに遅れずに、所定の品質を満たす結果を出す技能のことです。
しばしば、この技能に優れている人は優秀であると表彰されます。
しかし実際には、作業確実実行力は、事故防止に対してあまり効果がありません。
 
といったところは、いわゆる世間の「優秀」という概念が「ミスの発生」という観点とは全く別に考えるべきであると提案するあたり、世間の「デキる人」思想への挑戦でもあるらしい。
 
もっとも、ミスの発生防止には
 
ミスの対策を考える人は、必ず現場に足を運ばなければいけません。
現場に行き、現物を見て、現実を知ることが肝腎なのです。
これを「三現主義」といいます。
 
「ご視察」は三現主義とは全く異なるものです。
現場を見るには、抜き打ちで気まぐれなコースを歩み、閉ざされた扉を自発的に開ける探求心がなければいけません。
 
とか
 
第二次世界大戦中、イギリスのチャーチル首相は、自分に送付される文書の膨大さにしびれを切らし、ついにお触れを出しました。
 
◯どの文書も1ページ以内に納めること(書ききれない場合は、詳細情報へのアクセス方法を付記すればよい)。
◯要点を箇条書きする。
◯明確に言い切ること(何をすれば良いのかが曖味な指示や、「ご参考まで」の情報を書かない)
 
といったあたりは、やはり現場主義、物事は単純にしる。といった基本原理が有効であることを示しているのかもしれない。
 
なにはともあれ、仕事をしていればフツーの人は「ミス」は付き物。うまい具合に付き合いながら、できるだけ大きな被害ないようにやっていく方法を、それぞれに模索するしかないようで、本書はそんなあなたの一助になる(かもしれない)一冊ですね。
 
 

幕末の落語家の周辺で起きる事件の数々 — 和田はつ子「円朝なぞ解きばなし」(時代小説文庫)

料理人季蔵シリーズとは同じ作者の噺家の三遊亭円朝を主人公にした推理譚。今回の主人公は岡っ引きでもなく、裏稼業をしているわけでもないので、日々の暮らしの周辺で起きる事件なのだが、物語が進行するにつれ、有名な盗賊が絡んでくるのが捕物譚の所以。
 
収録は
 
「幽霊師匠」
「怪談泥棒」
「黄金往生」
 
の三話。
 
ざっくりとレビューすると、最初の「幽霊師匠」は円朝の師匠の二代目円生が幽霊となって家族の住む家のあたりに現れるという話。円生は、自分より芸達者な円朝に嫉妬して数々の意地悪をいたが、まだ恨みが残っていて、この世の現れるらしい。円生の家族の家の近くでは、その噂を嫌ってか、引っ越しが相次ぎ、今や1〜2軒を残すばかりなおだが、その幽霊話の裏で企まれていたのは・・・、という話。少々、シャーロック・ホームズものを思い起こさせますな。
 
「怪談泥棒」は、円朝が、おとうと弟子の遊太を助けるために、遊太の知り合いの金持ちの隠居のところで、四谷怪談を音曲無しで演じるというもの。ところが、この席で隠居が所蔵する高価な茶道具が盗まれ、円朝がその嫌疑をかけらっれる話。謎は謎として、円朝の自分でも気づかなかった「恋心」に気付くのが、次の三話目の伏線となる。
 
最後の「黄金往生」は、円生の娘のお園と円朝を添わさせようという、円生の妻「おりん」の動きと並行するように、知り合いの岡っ引きやら、隣家の番頭やらが変死する。いずれも有名な盗賊が関わっているようなのだが・・・、という話で、ネタバレっぽくいうと、犯人は身内にいるっていうオーソドクスな仕立てではある。
 
三遊亭円朝はWikipediaで調べると、江戸末期から明治時代の噺家で人情噺や怪談話の名手。真景累ケ淵や牡丹燈籠の創作者でもあるらしい 。本書でも、その名人ぶりや真面目な暮らしぶりは、丁寧に描写されている。ただ師匠の二代目円生にひどく嫌がらせされたり、師匠の奥さんの「おりん」に岡惚れしているなんてことはWikiには出てこないので、この辺は”お話”として読んでおくところか。
 
どちらかと言えば、捕物風が強くて、江戸末期の寄席ものの風情があまりないののは残念だが、円朝の真面目な人柄が良い味を出している。また、当時の落語家の楽屋裏、ネタ裏みたいならところも感じられて、変わり種の芸人ミステリーといったところでありましょうか。ただ、シリーズものにはなっていないようで、この辺は、円朝や師匠の円生遺族の近辺でおきる事件の謎解きまでで、広めに物語が展開で行きなかったせいもあるかと推察。激動の時代を生きた噺家なので、この一冊で終わるのはちょっと惜しい気がしますな。

長次郎が残した幻の料理は復活できるか? — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 おとぎ菓子」(時代小説文庫)

シリーズもの、特に書き下ろしものは、一冊一冊の趣向が決め手になるものなのだが、今回の7巻目は、季蔵の師匠の長次郎が残した料理帖に記された謎の料理を復元していくのが、今回の工夫。
 
収録は
 
「春卵」
「鰯の子」
「あけぼの薬膳」
「おとぎ菓子」
 
の四編。
 
最初の「春卵」は文字通り「卵」の料理の復元。そのために、塩梅屋の名物である「煎り酒」の変わり種が作り出されていくさまが楽しい。事件の方は、粋香堂という香の店で起こる惨事。もともとは、店を継ぐ孫息子が、道楽にはまってしまうというのが発端なのだが、とんだ色恋沙汰での人殺しである。
 
次の「鰯の子」は、おき玖の昔の三味線のお師匠さんであった「おうた」が話の引き回し役。彼女の元の嫁ぎ先の海産物問屋の撰味堂が、店を江戸一番に復活させていと少々欲を出したやり手の主人が罠におちいってしまう話。話としては、最後の所で、「おうた」と撰味堂の娘が和解するところで救いはあるのだが、苦味の強い話である。
そのせいか、ちりめんじゃこのかけ飯の「千疋飯」や
 
まず、漬け汁をつくる。酢、水に味醂風味の煎り酒と少量の醤油、ごま油を鍋で煮立たせ、ここに小口切りにした唐辛子を入れ、小指半分ほどの大きさで、縦割りに切り揃えた葱、薄切りの椎茸、戻して千切りにした木耳を加え十数えて、火からおろす。
頭と臓物を除き、水洗愛した鰯を笊に上げ、よく水気を切ってから、小麦粉をまぶして、油でからりと上げ、熱いうちに漬け汁に漬けてよく味を染み込ませる。
 
という鰯のカピタン漬けがことさら魅力的に感じる。
 
三話目の「あけぼの薬膳」も長次郎の幻の料理の復活が伏線。主筋としては、季蔵の実の弟の堀田成之助が登場と彼の縁談話とその相手先の「良効堂」という薬種問屋の火事の原因究明。この話で、一話、二話の裏筋にいるらしい医者の姿が見えてくる。
 
最後の「おとぎ菓子」は一話から三話の全ての謎解き。その原因となるにおは、長崎奉行の任官騒ぎにあるらしく、役得の多い職はとかく騒動を起こすもととなるらしい。伏線となる料理は、白餡に求肥を加えて、弱火にかけた鍋の中で混ぜ練る菓子「練り切り」でお伽話の登場人物をかたどったもの。事件の鍵となる殺された赤蛙屋の幼い娘の描写がいじらしい。年齢を重ねると、幼い子供の姿や描写にほろりとしてしまうな。
 
ということで、7巻目もおしまい。全体の構成は、一話一話が独立しつつも、最後の第4話に向かって謎が解きほぐされていくといった構成。料理も多種彩々であるので、そちらもお楽しみあれ。

大きすぎる「幸運」はでんぐり返ると、とんでもない「不幸」になる — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 時そば」(時代小説文庫)

シリーズものは登場人物や設定が落ち着いてくると、ちょっと変わり種が忍び込まさされるものなのだが、この6巻目がそれに相当するのかもしれない。
 
収録は
 
「目黒のさんま」
「まんじゅう怖い」
「蛸芝居」
「時そば」
 
の四話。大筋は、元噺家で今は廻船問屋を継いでいる、長崎屋・五平が、女房の元娘浄瑠璃の水本染太夫こと「おちか」の頼みで、店で噺を聞かせる会を開くことになったのだが、そこへ出す料理を、季蔵が出すことになる。その料理、噺に負けない工夫があって、しかも旨いことが求められるのだが・・、というもの。ただ、単なる噺会ではすまずに、殺人事件などが起きるのが捕物帖のお決まり。
 
最初の「目黒のさんま」は、長屋の小町娘・お恵が、大店・和泉屋の若旦那に見初められて玉の輿に上がる話なのだが、その父親が嫁入り支度の費用捻出に悩んでいると占い師の予言でおもわぬ大金が手に入ったり、あやしげな娘霊能力者が、お恵の事故を予言したり、とあまりめでたくない話が振られる、この四話の導入譚。
話を彩る料理は、洗って水加減した米に、おろした生姜の汁と醤油、酒、味醂を垂らして炊き上げ、塩焼きの秋刀魚の身をほぐして入れて、さっくりと混ぜ合わせる「かど飯」が話の糸口となる。
 
二番目の「まんじゅう怖い」で、前話で玉の輿が決まったお恵が、なんと身投げをして死んでしまう。巷の噂で和泉屋の嫁入り修行でいじめられたのでは、といった話が流れる中、和泉屋の態度がひどく冷たくなる。お恵の父親の吉三はその心変わりをいまいましく思っていたのだが、といった感じで、「目出度い、目出度い」で浮かれていたら、すとんと大きな落とし穴にはまって、しかも底に溜まっていた水でずぶ濡れになるような展開である。
 
三番目の「蛸芝居」は、一話目、二話目をうけて、今度の玉の輿話の、裏の筋立てがだんだんと明らかになってくるというもの。この巻で重要な位置を占めるのは、第一話で嫁入り費用が神助で手に入ると予言した占い師・黄泉山日之助と周囲に蠢く商人たちで、この「蛸芝居」では、お恵の幼馴染で、彼女の婚礼にあやかって儲けようとした「おわか」と彼らの意外な関係が明らかになる。
ちなみに「蛸芝居」というのは上方話であるらしく、当方もこの話は全く知らなかった、全話がどこかで聞けないものだろうか。
 
最後の「時そば」は長崎屋・五平の噺会の最後となる話。ここに至って、占い師たちの影が五平の奥さんの「おちず」の懐妊に関連して長崎屋の中にも入り込んでいることが判明する。この占い師と彼とつるんでいる中西屋という商人、そしてその裏側にいる奉行所役人はなかなか尻尾を見せないといったところで、久々に季蔵が「裏稼業」で決着をつける。その時に使う料理は、芝居役者の蕎麦についての発句を書いた箱の蓋に蕎麦切りを盛った「歌仙蕎麦_という料理で、蕎麦切りには、生臭いほど卵を入れた「卵切り」であるらしいのだが、当方には具体像が浮かばなかった・・・。浅学かつ不粋であるな、と反省した次第。
 
さて、この料理人季蔵シリーズの楽しみの一つは、話の合間合間に出てくる料理の数々なのだが、このレビューでは「秋刀魚のかど飯」ぐらいしか取り上げなかった。原書でお楽しみあれ。

若者武士の伸びやかな話が始まったね — 佐々木裕一「公家武者 松平信平 狐のちょうちん」(二見時代小説文庫)

時代小説やミステリーのような小説は、設定の奇抜さ、斬新さで目をひくことも大事である気がしていて、独自性のある設定が誕生すると、それだけで数話は走らせても十分楽しめるものであろう。
本書は、徳川家光の正室・鷹司孝子の弟で、公家の婿になったり、坊主になることを嫌った鷹司信平が、江戸へ下り、家光からわずか五十石の石高で旗本に召し抱えられ、当時は草深かった深川に屋敷をもらう、といった設定で、このあたりは、「おや」と思わせ気を引き設定がされていて、おもわず頁をめくろうというもの。
 
収録は
 
第一話 公家武者誕生
第二話 るべうす事件
第三話 約束
第四話 狐のちょうちん
 
となっていて、おおまかにいうと、信平が出仕したところから、奥さんに紀州大納言・徳川頼宣の娘・松をもらうが別居状態。だが、信平は剣術道場の仲間と、同心の五味とともに江戸のあちこちに巣食う悪党退治に乗り出すのであった、といった筋立てである。
 
ざっくりとレビューすると
 
「公家武者誕生」は表題どおり、このシリーズの発端となる話で、信平の東下りの段。ここで、爺や的な立ち位置となる善衛門とお目付けの女中お初とともに深川で貧乏旗本暮らしを始める話。
 
「るべうす事件」の「るべうす」とは「ルビー」のことで、江戸初期にルビーが抜け荷として流通していたかどうかは寡聞にして知らないが、そこは目くじら立てずに宝石の代名詞と考えればよいか。この話で、紀州藩主・徳川頼宣の娘と結婚することになるのだが、頼信のワガママで信平の禄高が千石にならないと姫を渡さぬ、といった羽目になる。もっとも、話の本筋は、徳川直臣が絡んだ抜け荷事件で、信平が意外に剣の手練であるのが明らかになるのは定石どおりといったところか。
 
「約束」は、信平の剣術道場の朋輩の恋愛譚。これに。同じく道場仲間が殺人を請け負っているにでは、といった疑惑が絡んでくる話。
 
「狐のちょうちん」は後日、吉原となる場所で、美しい女が夜毎、男をたぶらかすという噂がでる。ここに、殿様の借金の返済証文を盗まれた田舎武士が出てきて、信平・善衛門主従がその危難を救う話。悪いやつは実は近くに、といったところはよくある話であるが、すいすいと読ませ、最後のすっきりさせるのが、いわゆる典型的な勧善懲悪もののよいところであるな。
 
さて、最近の時代小説には珍しい、「すっきり」「さわやか」といった読後感の時代小説で、こうした感覚は最近見ないので、かえって新鮮である。まあ、時代小説が読みたくなるのは、なんとはない閉塞感にかられている時に、しばし、うさを晴らすように心を遊ばせてみる、といった時であることも多い。そんなときには、こうした「明るい」時代小説がしっくりくる。難しいことはあれこれ言わず、楽しんでみるのも一興でありますな。
 

慢心を捨てた先に光明がある、ということかな — 畑村洋太郎「技術大国幻想の終わり」(講談社現代新書)

日本の「ものづくり」の力が落ち込んでいくにつれて、「日本、実はスゴイ」「日本、やっぱりエライ」といった番組や主張が増えてきた。最近になって、こうした主張へのアンチテーゼの言説が出てきているのだが、今度は、「日本はやっぱりダメ」的なところへ大きく振れるものが多くて、「中庸」ってなことはないのかと思う次第。
 
本書は
 
第1部 日本の状況
 1 エネルギーと食料
 2 自然環境
 3 人口と社会階層
 4 産業構造の変化
 5 産業が停滞するのはなぜか
第2部 日本がこれから意識すること
第3部 日本の生きる道
 1 市場のあるところでつくる
 2 それぞれの社会が求めている商品を売る
 3 日本の経験を売る
 4 ものづくりと価値
 5 決定的なのはトップ
 
と言う構成になっていて、有り体に言えば、「失敗学」の提唱者で大権威でもある畑村洋太郎氏の日本の「ものづくり」への大苦言でありつつも、日本の技術者・開発者への助言とエールである。当方的には、こうした悪いことは悪いと言うが、良いところは良いという本書のような立ち位置が清々しい。
 
で、「苦言」の部分であるが
 
技術を扱っている者は、製品や機械が壊れるときのモデルやシナリオを把握し、あるいはのメカニズムを正確に考えることが非常に重要です。
 
しかし、そういうことを考えようとしないのが、今の日本の特徴になっています。ダメになるプロセスを考えないということは当然、対応策も考えていないということです。
 
ところでなぜ日本は、このような傲慢な国になってしまったのでしょうか。・・これはかなり近年のことではないでしょうか。とくに今の日本人のメンタリティに大きな影響を与えているのは、1945年から94年までの50年間の「成功体験」でしょう(P15)
 
と、日本の成功に基づく「慢心」がその根底にあったのではと看破する。
で、よくある言説では、「だから日本は・・」ってなことになりがちなのであるが、筆者の場合
 
品質幻想が日本をダメにする
・日本人がつくるものが優れているという幻想
・職人の技幻想
・品質という言葉に対する間違った理解。品質とは、あくまで消費者の要求に応えているかどうかで決まってくる(P58)
 
といった反省点を明らかにした上で
 
国や土地が違えば生活環境は異なるし、民族や人種が違えば風俗や生活習慣なども異なります。本書ではそれを人々が感じている「価値」と表現していますが、価値を製品開発に取り込むことが求められているのが今の時代です(P120)
 
とか
 
日本としては、運用や保守のシステムを含め、セットで販売することにこそ意味があるし、だからこそ簡単には真似のできない日本の独自性が売りにできるのです(P132)
 
といったように、次への道筋を助言がでてくるところが、氏の日本の技術・開発者への期待を失っていない証でもあろう。
 
とはいうものの
 
いまの日本の社会、企業を覆っているいちばん大きな問題は、「考えの硬直化」だと考えています。(P176)
 
日本に必要なのは、このように自分自身で状況を把握し、自分なりの考えをつくることができる人材です(P181)
 
と、我々が我が身の様々な錆を落としていかなければならないことは数多く指摘されている。ただ、錆を落とすためのアドバイスも多数書き込まれているので、今は「失敗」の苦さを噛みしめながら、未来を信じての精進する時なのでありますかね。
 

大店や武家の中には「事件」が隠されている、ってなことか — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 旅うなぎ」(時代小説文庫)

江戸市中で居酒屋「塩梅屋」の跡を継いだ元武士の季蔵(としぞう)の捕物シリーズも5冊目となった。
 
収録は
「想い筍」
「早水無月」
「鯛供養」
「旅うなぎ」
の4話で、江戸の闇を支配する巨悪のどうこうとかは今回は登場しないものの、闇の中に潜んでいる中ボスキャラが出現して、季蔵の板前稼業も脂が乗ってきたのと並行して、出会うキャラもそれなりに闇が深くなってきている感がする。
 
さて、最初の「想い筍」は、塩梅屋の春の名物で二日間にわたる「筍づくし」に使う筍を掘りに行くところから始まる。この季蔵とおき玖が筍掘りにでかける場面で、おき玖の「雛次」という幼馴染の思い出が語られたり、中段でも彼との甘酸っぱい初恋話が語られるのだが、それは四作目の前振りとして仕込みがされている。
話の大筋は、貧乏暮らしの長そうな浪人者・木崎吉五郎が「筍づくし」の筍田楽や筍の蒸し物を、労咳に病む妻に土産で持って帰る、という夫婦情愛物仕立て。ただ、一本松藩の侍が自害に見せかけて殺されるあたりから雲行きが怪しくなる話。
 
話の最初の方の
 
筍の田楽とはゆがいた筍を昆布だけの薄味に煮て、半月形に切り、青竹に刺して、さっとあぶり、赤・白の田楽味噌、木の芽味噌を塗り分け、赤の田楽にはけしに実をふり、白の田楽には木の芽をあしらうというものである。
 
といった田楽料理が妙に気を引きますな。
 
「早水無月」は、季蔵の師匠の長次郎が残した日記に書かれてた、幻の料理「早水無月」を再現しようとする話。この再現の協力者として登場するのが、江戸一、二を争う菓子屋・嘉月屋の主人・嘉助。彼は、菓子づくりに邁進すると、美人で有名な妻の「お市」(どうも、この名は美人の代名詞っぽくてありきたりではありますな)のことも放ったらかし。まあ、ひと頃の「ワーカーホリック」である。で、旦那が仕事のことしか考えてないが、家業は順調で大儲け状態。妻は放置状態で、贅沢好きの美人。といったことになると、嘉月屋の手代が蔵の中の変死事件の犯人・真相は、御想像のとおりなのだが、話の最後で再現される「早水無月」も見た目に騙されてちゃいけないよ、という教訓として読むべきか。
 
「鯛供養」では、おき玖が、幼馴染の雛次(成人して「清次良」と名乗っている)に再会し、昔の恋が再燃して・・、といった目出度い展開。これとは別に、「鯛料理」で有名な(当然、お高価い)「みつ芳」という店の食品偽装の話。鯛の刺身で休止する子供の話は、現代の期間をおいては再発する食中毒事件がモチーフか。
ただ、この店で北町奉行の烏谷に提供される
 
いわば、鯛を使った贅沢この上ない蒲鉾である。擂り身にした鯛に卵白、水溶きした葛粉を加え、さらに、小指の先ほどに切った三つ葉の軸、千切りにした木耳、人参、赤貝と合わせて鉢に入れ、よく練って、平たくしておく。これを蒸篭で蒸し上げ、すっかり冷めたところで、箆ですくって器に盛り上げる。冷やせば冷やすほど美味な夏の料理であった
 
という「ささら鯛」は、作中では生臭くて食える代物ではない設定なのだが、「塩梅屋」できちんと調理すれば美品であろう。
 
最後の「旅うなぎ」は、おき玖と清次良との関係に結論がでる話。表題の「旅うなぎ」は「常陸、上総、房総などの産」のうなぎ。三冊目の「あおば鰹」や「ボーロ月」に出てきた海鮮問屋・長崎屋の主人・五平が、女浄瑠璃の水本染之介に入れあげて、彼女の歓心をかうために、季蔵につくってもらう
 
まずはうなぎを白焼きにした。・・・これに蒲焼きに使う味醂と醤油のタレをさっとかけて、小指の先ほどの大きさに切り揃えておく。
卵三個のうち、黄身二個分を取り去ったものに、煎り酒と砂糖を加えて味をつけ、玉子焼鍋に流し込む。これに先のうなぎと大葉の千切りを散らしてのせ、焼きながらこれを巻き込む。この時、取り置いてあった黄身を崩して、斑点になるように散らすと、切った時、菜の花のように見える
 
という旅うなぎの「菜の花巻」が、この話の料理の華。この料理が縁となって、五平と染之介の仲が進展することになるのだが、この料理が染之介の楽屋に届けられる影で、前三話の事件の影の影にいる輩があぶり出されてくる。さて、それは・・・、といったところは原書で確認願います。さらには、おき玖と幼馴染・清次良の仲は・・、といったところもここの関係してくるのだが・・。
 
さて、この巻の事件は、大店や武家絡みで起こる事件の数々でありつつも、あいかわらず、季蔵をはじめ、おき玖、五平といったメイン・キャストに関連する事件である。このシリーズの常として、小さな事件の裏に実は巨悪が隠されていた、ってのがよくあるので、次巻以降、どんなボスキャラがでてくるか、楽しみではありますな。
 

市井の事件の背後に、実は大きな闇が隠れている — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控え お宝食積」(時代小説文庫)

「料理人季蔵」シリーズも4冊目。登場人物や設定は大きな変更もなく、しばらくは、季蔵が塩梅屋で料理人を勤めながら、前の主人の裏稼業を継ぐかどうかを逡巡しながらも、徐々に悪を封じる役目を果たしていくといった展開。
 
収録は
「お宝食積」
「ももんじ姫」
「紅白酒」
「精進斬り」
の四編。
 
まず「お宝食積」の「食積」とは食べ物を使った正月の飾り物で、舞台の塩梅屋では先代の主人の時からの新年の名物となっている、という設定。そして、この飾り物の中から大粒の真珠が見つかる、というのが謎の一つで、これが、船宿の主人殺しに絡んでくる、というもの。この話自体は昔の悪行の因縁といったことであるのだが、後の話のエピソードにつながっているのが作者の手のこんだ所。
 
「ももんじ姫」は、獣肉を食わせる「ももんじ屋」の女将が変死する事件。この時代、げてものの部類に入るのだろうが、肉の旨さに抗いがたい上に、女将がとんでもない美人という店が舞台。この殺人事件の横に流れる話として季蔵の旧家の同僚がでてくるのだが。これが交錯するあたりが謎解きの本体。
この話では、このももんじ屋の女将は美人ではあるが高飛車で、お金の亡者といった印象なのだが、第4話でこれがどんでん返しとなるのだが、正直、この転換はちょっと唐突。
 
「紅白酒」は、酒乱で博打好きの武家の亭主をもった妻の売春にまつわる事件。この事件の被害者となる旗本の妻女・時恵が、塩梅屋のなじみの同心・田端の幼馴染であることから、事件は田端に嫌疑がかかったっり、と妙な展開をしていく。最後のところは、よじれた夫婦関係が事件の真相とはなるのだが、次の話で「時恵」の意外なか過去が明らかになるので、亭主ばかりを責めてはならないようだ。
 
最後の「精進斬り」は寺社奉行に変死を発端に、怪しげな加持祈祷をする寺の坊主の犯罪が明らかになっていくのだが、これが昔の大奥の女中たちのスキャンダルが絡んでくる。ここで、前の時恵がスキャンダルの暴露に関係したことがわかってくるのだが、これを知ると、前の話の時恵の行為は果たして、息子の立身を願うだけの理由だったのか、と邪推をしてみる。事件自体は、昔の悪行ふたたびといった坊主が成敗されて大団円ではあるのだが、少々、読後がざらっとした印象を受けるな。
 
この「料理人季蔵」シリーズの事件は、薄皮の一枚目は、市井の庶民や殺人などの事件なのだが、実はその裏に、江戸の闇がうごめいていて、なんていう筋が多いのだが、巻が増すにつれてその傾向が強まっている気がしますな。
 

周りの闇が晴れつつも、事件は続く — 和田はつ子「あおば鰹」(時代小説文庫)

シリーズも三作目となると登場人物や設定も落ち着いてくるもので、本作ものその例洩れない。塩梅屋の新しい料理人となった季蔵、おき玖、弟分の豪介、三吉、北町奉行の烏谷、店の常連の喜平、辰吉、勝二といった面々が、それぞれ自分で動き出し始める頃であろう。
 
収録は
「振り袖天麩羅」
「あおば鰹」
「ボーロ月」
「こおり豆腐」
の四つ。
 
まず「振り袖天麩羅」は、塩梅とライバルでもある「夢さくら」という店の美人姉妹のあげる天麩羅が発端。「夢さくら」の若い看板娘たちと「さつま鯛」という美味な秘蔵の料理で塩梅屋の常連たちが、河岸を変えてしまうかもといったきこがおとずれつ中、その美人姉妹が、天麩羅の火が原因で焼け死んでしまうという事件がおきるというもの。事件の犯人当てというよりも、娘二人の母親の心の中に巣食っていた闇の深さに「うーむ」と唸る話。さらには、娘の取り違いもなお悲しいね。
さつま鯛という料理は、長次郎がおき玖に、「三枚におろした鯛を一夜干しにしてね、味噌につけて後、お砂糖をまぶして蓋付きの小鉢にいれて、すっかりお砂糖が溶けるまで待ってたべさせてくれた」ものらしい。
 
「あおば鰹」は江戸っ子の大好物「初鰹」絡みの話。先の「振り袖天麩羅」の事件の舞台の主人の意外な裏の姿が披瀝されるのだが、それはおいといて、話の主筋は、塩梅屋の鰹料理を食いに通ってくる、落語家と隠居風の老人の意外な関係の話。
 
「ボーロ月」は、珍しく「ボーロ」という菓子の話。先の話に出てきた落語家(五平)が父の商売を継いで廻船問屋になるのだが、その亡父が、毎年ボーロ菓子をつくって、この時代の孤児院に届けていた。これを五平も受け継ぐのだが、その孤児院の寺で幼馴染に出会う。彼女が出家した経緯に同情して援助をか投げている内に、寺の庵主が殺される。この庵主はみかけによらず孤児たちを虐待していたらしいのだが、犯人は孤児の一人なのか・・・、といった謎解き。尼になったとはいえ、人の業の深さってものが、なんとも「ざらっ」とした味がしますな。
 
最後の「こおり豆腐」は、ひさびさに江戸の闇社会を仕切る「柳屋の虎翁」の話。今回の話で、権勢をほしい儘にした虎翁も年貢の納め時となる。旗本の次男で菓子屋の婿養子となった虎翁が、実権を握っていく事情が語られるのだが、その過程で、「菓子屋」を小馬鹿にしていたことが原因とも思えるし、子供の気持ちを汲んでやらないと後で痛い目にあうよ、といったことか。
 
さて、塩梅屋の主要な人々は健在ではあるが、季蔵を取り巻いていた数々の闇が徐々に晴れていく第三巻である。闇が晴れつつある中で、季蔵は、「裏稼業」とどう向き合うことになるのかな、といったところは次巻以降か。
 

江戸の「片隅」の物悲しい事件の数々 — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 悲桜餅」(時代小説文庫)

先代の不慮の死をきっかけに、居酒屋の「塩梅屋」を継ぐことになった、元武家の料理人・季蔵シリーズの第2弾。一冊目で、季蔵が武士を捨てるきっかけになった、主家の2代目に仇をうち、元許嫁を救出したのだが、旧主の因縁は四方八方につながっているらしく、この巻でもその害毒から生み出される事件を解いていく筋立て。
 
収録は
「椋鳥飯」
「焼きみかん」
「悲桜餅」
「蜜紅」
の四つ。
 
まず、「椋鳥飯」は、塩梅屋の旧主の長次郎の残した日記に記された「椋鳥飯」という料理の謎を解く話。「椋鳥」といえば、江戸時代に出稼ぎにきていた人々の蔑称でもあるのだが、果たしてそれに関係するのかどうか・・・。長次郎のし残した仕事を、季蔵が果たす話。
 
「焼きみかん」は、第1巻で成敗された鷲尾影守と関係のあった者が引き続き流している害毒と最後には結びつく話。事件自体は、呉服屋や薬屋で頻繁に起こる万引事件に隠された謎ではあるのだが、犯罪に巻き込まれて入るが、切れない「親子の情」といったことがテーマかな。
 
「悲桜餅」は桜餅にまつわる毒殺未遂事件。季蔵の元許嫁の瑠璃が命を狙われれるという事件なのだが、実は、その影に、鷲尾家の影守が死んだことが遠因となっていっらしく、勧善懲悪は二つの面をもっているのか、と嘆息。
 
最後の「蜜紅」は、これも旧主に関係する悪党が起こした事件の後日譚とその解決。「蜜紅」というのは、蜜が入った口紅のことであるのだが、もっと美しくなりたいという女性の心につけ込む犯罪は、いつの時代もけしからんものではある。
 
さて、第1巻で、過去を精算し、新たな人生の展開かな、と思わせた季蔵ではあるが、どうやら、まだ昔の因縁とその始末にふりまわされている。とはいっても、国家転覆といった昔ながらの時代小説にありがちのお家騒動はでてこず、市井の小さな謎の解決といったところが主。
まあ、そういうところが身近に思えるのも現代風の時代小説の良さもあるのだが、これからどう展開していくのでありましょうか。