「AI]に追い抜かれるのはいつなのか、と「親」のような気分で考えてみる — 斎藤和紀「シンギュラリティ・ビジネス ーAI時代に勝ち残る企業と人の条件」(幻冬舎新書)

新しい技術というものは当然。光の部分と影の部分があって、どちらにその目を向けるかがくっきりと分かれるものだのだが、「AI」については、職が奪われるという否定的な側面が結構強く主張されているような気がする。
もちろん「AI」が人間の知能を追い越す「シンギュラリティ」が来るかこないかなんて当方が予測できるものではないんだが、少なくとも「来るかもね」といった態度で鋳たほうがなんとなく良さそうな気がしている昨今ではある。
本書の構成は
第1章 シンギュラリティとは何か
第2章 爆発的進化で起きる、六つのD
第3章 人間が死なない、働くなくてもいい社会
第4章 第四次産業革命が始まっている
第5章 エクスポテンシャル思考でなければ生き残れない
第6章 これが世界最先端のシンギュラリティ大学だ
第7章 シンギュラリティ後をどう生きるか
対談 AIと人間これからどうなる
となっていて、「シンギュラリティ」あるいは「AI」開発の直近の状況をレポートしながら、「シンギュラリティ」後の人間の暮らしについて言及しようという意図。
こうした技術の進展は、とてつもない進度で進む時があるので、「直近」というのが、すでに遅れている状況なのかもしれないが、当方のような一般人には十分なレベルの新書であろう。
で、「AI」の進化状況については当方がつたない要約をするよりも、原書のあたったほうがよいと思うので省略するが、気になるのは、こうしたAIを始めととする最新科学の進化によって
第四次産業革命は始まったばかりですが、今後はこの世界規模の大変革が第五次、第六次・・・と立て続けに起こると予恕されます。
いまのうちに基本的ななマインドセットを変えなければ、国も、企業も、個人も、時代の変化に置き去りにされてしまいます。
国家レベルげの事業について考えると、これからの革命できわめて重要な意義を持つスーパーコンピュータの研究・開発がひとつの鍵になることはいうまでもありません。まさにエクスポネンシャルな進化を続けている分野ですから、いったん外国に性能の点で引き離されると、二度と追いつけないぐらいの庄が生じτしまう可能性があります。Aーをはじめとするテクノロジー革命の根底にあるのがスーパーコンピュータですからその性能の差はそのまま国力の差となって跳ね返ってきます。(P109)
といったところでは、一頃の「事業仕分け」が「国家戦略」とは違う「もったいないかどうか」といった議論で全ての物事を割り切ろうとしたことの国家的な不幸を思うし
シンギュラリティという想像を超える現象に向けて、エクスポネンシャルなテクノロジー進化がさまざまな分野で破壊的な局面を迎えることが感覚的に理解できれば、好むと好まざるにかかわらず、生き方や考え方を変えざるを得ません。
(中略)
米国では、二OO五年以降に生まれた新しい職種はすべて「非正規雇用」の仕事です。遅かれ早かれ、日本でも正規雇用の職業は生まれなくなると与えたほうがいいでしょう。(P131)
といったところでは、雇用論と科学の進化とがぎりぎりときしみあっている音を聞くようである。
発想法として「おや」と思ったのは
アクト・オプ・ボックス」という発想です。
私たちは既成概念という「箱」の小で物事を考えがちですが、「箱」の外にも開界があるとすれば、小さな箱を少しずつ大きくするのではなく、一気に10倍を目指す姿勢にもなれます。さらにいえば、そして、そもそもそこに「箱」があるのかどうかを疑ってみる。そもそもその「箱」は、私たちがっくりあげた幻想かもしれないからです。(P141)
といったところで、知らず知らずの内の「限界」を突き抜けるためは、革命的な技術革新への期待がないまぜになる必要があるのかな、と夢想してみる。
ともあれ、AIのこれからの課題は、どこまで「不完全な情報の下で適当にやる能力」を習得すること、であったり、、感情移入や、物事に因果関係を見出す能力を身につけること、であるらしく、人間になろうとするかに見える「AI」をなんとなく身近に感じされてしまうのは幻想でありのでしょうか。

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