「一兵卒」という言葉への批判に思わず我が身を振り返ってしまった・・・

PRESIDENT ONLINEでコラムニストの河崎 環さんが『「一兵卒」という言葉に酔う男たちの限界』という表題で、滅私奉公、軍隊的な組織への忠誠心といったことに象徴される「男中心の会社(日本的組織)社会」についての辛口のコラムを寄せている。

原本は

「一兵卒」という言葉に酔う男たちの限界 器の小さい昭和の奉公精神は迷惑
「一兵卒」という言葉に共感してしまう人たちがいる。「国家や組織のためなら死んでも構わない」という滅私奉公のロマンに酔っているのだ。コラムニストの河崎環氏は「『一兵卒』とは『社会のネジ』になるのと同じこと。多様性が求められる現代社会で、そうし...

で確認してほしいのだが、偏見を恐れずに感想を言えば、女性目線からの切り口が尖すぎて、結構、切れ味するどい。

 

彼女の言う

自覚的なようで無自覚な「一兵卒マインド」の怖さは、その視線が組織の中の人間関係にしか向いておらず、判断基準が組織で共有されるローカルルールにすぎないということだ。したがって本人はグローバルだったり、名が知れたりの大組織の一隅に所属する者として視野が広いつもりが、残念ながら極狭小で、組織外から見る人々の違和感や拒否感、すなわち世間との乖離に鈍感なのだ。

どうやら男にとって、何かに所属して頭と運命を預け、「部品になる」ことというのは、えも言われぬ快感なんじゃないか? そう考えなきゃ、学生時代や若手の頃はあれほどまでに優秀だったはずの人材たちが、喜んで大きな機械に組み込まれ、歯車やネジとなって周りも見えずにうっとりグルグル回っている様子に、納得がいかない。

といったところには、当方も男として「そうはいうが・・」と反論を試みつつも、そういえばな・・、と組織の中にいる心地よさと根拠のない安心感に思い当たって唖然とするのである。

ただ、これが「男性」特有の病理・性向であるといった主張には、素直には首肯できなくて、要は組織内に取り込まれることが男性が多かったゆえであって、現在のように、女性も組織の中に取り込まれることが一般化した企業社会では、男女とも「一兵卒」幻想に取り込まれる可能性は、どちらも一緒、、という気持ちがしている。

もちろん、組織に所属したいという意識がどちらかといえば男性に強いことは否定しないが、女性の過労死の事件などを見るに、好む好まないにかかわらず、男性・女性とも、「組織)の「内部化」される傾向は同じになっているのではないだろうか。

もちろん、こういう組織への一体化がバラ色ということを言いたいのではなく、むしろ、組織と一定の距離をおいた「個」としての働く場、働き方を確保することが必要と考えている。ただ、個人的には、それはフリーランスのような「個人企業」的な働き方ではなく、「モバイルワーク」「ノマドワーク」のように、組織に属しながら、「働く」行為は組織の外にあるという方法論のほうが、実現性が高い、のではないだろうか。

 

まあ、「一兵卒」という言葉に象徴される「組織所属の幻想」からは、一定の距離を置いとけよ、という主張には大賛成。あとは、その方法論をあれこれ考えないといけないですよね。

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