「51対49で勝利できれば御の字」と肩を押してくれる先達のアドバイスは嬉しい — 出口治明「本物の思考力」(小学館新書)

最初に乱暴な感想をいうならば、「また叱られたけど、頑張れよ、肩を押してもらったな」というところ

なにせ、昨今の、「日本人エライ」の論調の向こうをはって「誤解を恐れずに言ってしまうなら、僕は「日本人の特性」など存在しないとさえ思っています。」から始まるんである。

構成は

第1章 根拠なき「常識」が蔓延する日本

第2章 日本の教育を再考する

第3章 腹に落ちるまで考え抜く

第4章 怠け癖には「仕組み化」

第5章 構想する力

となっていて、ライフネット生命に会長から、今は環太平洋大学の学長に就任された出口治明氏の、考えることを放棄している日本人への警鐘と辛口のエールが本書。

 

警鐘というあたりは

日本の戦後復興は「ルートが目の前に一本道でハッキリと見えていた状態で臨む登山」だったわけです。

日本人の「考える力」が弱いのは、キャッチアップモデルによる戦後経済の価値観がそのまま続いていることも一因ではないでしょうか。

といったところに明らかで、工業モデルに特化してうまくいっていた日本の戦後復興。高度成長の思考形態・行動形態が制度疲労を起こしているということを認識しなればいけないようで、このあたり、地域振興といえば工業誘致と求人確保がすべてといった、地方政府の役人たちはこの人の声に耳を傾けたほうがよい。

かといって、成長モデルを小馬鹿にして、精神的な豊かさを偏重する輩に対して

「酸っぱいブドウ」の心理は、ある種の退行現象といえます。経済成長を目指さなくてもいい、と唱える人は、これからの日本をどう生き長らえさせていくつもりなのでしょうか。精神的な豊かさを追求すれば、これからの時代を生きる子どもたちに素晴らしい社会を残していけるのでしょうか。

といった論調は切れ味が尖すぎて、怪我人が出そうではある。

 

とはいいつつも、辛口のエールであるのは、日本人の工業モデルに偏した思考形態の硬直性や、英語ができても「話すべきコンテンツ」が「少ない」といった教養不足を批判したり

日本社会の不幸な点は、社長は偉い、部長は偉い、課長は偉い……といった具合に、単なる機能にすぎない組織内でのポストが、社会的評価と同一視されていること

と断じる一方で、「人間はみんなチョボチョボである」という視点を提示しながら

人間、「おもしろそうだ」と思えたら、勝手に手が出てしまうもの。それなら、楽しく仕事ができるように、自分で設計図をつくってしまえばいいのです。

どうしても納得いかないのであれば、その場所にこだわる必要はありません。「この職場は、自分の能力を評価できない人々の集まりだ」と考えて、他の職場を探せばいいのです。置かれた場所で咲くことにこだわる必要は、まったくないと思います。置かれた場所で咲ければそれでいい。でも、頑張っても咲けないのであれば、咲ける場所を探せば、それでいいのです。世界は広いのですから。

自分のことを評価してくれない組織であれば、他に自分のことを評価してくれる組織を探せばいい

といった単方向ではない、複線的な道筋をすすめてくれるあたりで、この辺は、日本生命時代に出世競争で涙を飲みながら、その後ライフネット生命の立ち上げなどの飛躍をした氏ならではの説得力がある。

しかも、こうしたエールは、普通なら次世代を担う「若者」に向けてされることが多く、当方のような定年間近に年配者は放っておかれることが多いのだが、氏の著述の場合は

僕は医師に「どうすれば健康寿命を延ばせますか」と尋ね歩いたことがあります。答えは全員「働くこと」でした。

働く元気があるお年寄りには、できるだけ長く働き続けてもらうほうがいいのです。  そうであれば、政府がまず着手すべきは「定年制の廃止」です。それを政策として打ち出し、法定すれば、それだけで状況は一気に好転すると考えます。

人間は誰でもいまがいちばん若いのです。明日になれば1日分歳をとります。やりたいことや、おもしろいことに、みなさんもっともっとチャレンジしましょう。 「環境が、あなたの行動にブレーキをかけるのではありません。  あなたの行動にブレーキをかけるのは、ただ一つ、あなたの心だけなのです」

といったところが嬉しいところである。

さて、本書によれば「51対49で勝利できれば御の字です。」とのこと。若者を助ける意味で、年配者もひと頑張りしましょうかね。

 

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