月別アーカイブ: 2018年3月

財務省所有の豪華ビルでの怪しげな事件に涼子サマ、出くわす — 田中芳樹・垣野内成美「薬師寺涼子の怪奇事件簿 東京ナイトメア」(マガジンZKC)

さて、摩天楼での警視庁復活を経た涼子サマの次なる活躍というか乱暴狼藉の場は、東京・三田の高級ホテルの横に立つ「三田分室」という怪しいんだが怪しくないんだかわからないところが舞台。
 
話は、高級ホテルで行われる名族の結婚式のバージンロードに死体が落ちてくるところからスタート。しかも、この死体を運んできたのは「有翼人」らしい、といった具合で、今回は最初のスタートから「怪奇色」満載である。
そして・・・、である。この建物の総工費が500億円、年間維持費が60億円と破格の値段。その所有は、なんと◯◯事件で、その「お力」の凄さがしれた「財務省」という設定である。もっとも、執筆は2005年あたりなので、時代がマンガに追いついた、ってなところか。
 
登場人物は、大蔵省あがりの大物政治家、多くの政治家に影響力を振るうオカルティスト、海外の大学卒の3世議員かつボンボンの国家公安委員長、といったぐあいで、涼子サマが敵意を持つ資格十分な面々が登場するので、彼らとの掛け合いのまたよろしいですね。
 
残念ながら、涼子サマの良きライバル、清楚派のマドンナ・室町由紀子参事官は、今回は、分室潜入などで「色っぽい」アクションが必要となって、かなり涼子サマに引っ張り回されて主導権が発揮できないのが残念。できうれば、涼子サマと対等近くまで張り合ってほしいのだが、ちょっと展開的にムリかも。
 
まあ、あいかわらずのアップテンポの展開。小難しいことは考えず、涼子サマの色っぽい「お姿」に拍手しながらページをホイホイとめくって楽しみましょうよ。
 

Amazon Echoの一般販売開始でスマートスピーカー利用の奔流が起きることを期待

いままでずっと招待制であったので、申し込んでいてもなかなか招待されなかったAmazon Echoなのであるが、明日から一挙に一般販売開始は、まずは目出度い。
 
当方も、数月待ちで先日やっとEchoを手に入れて、単身赴任先のEnfy、実家にAmazon Ehoという2台体制を構築したところ。
なのであるが、スマート家電とかが整備できていない状況なので、Alexaにやらせることが、天気予報を聞いたり、スケジュールを聞いたりといったところと、バックグラウンド・ミュージックをかけさせるといったところで、なんとも頼りがない。
 
もちろん、これは当方のスキル不足のところもあるのだが、日常的に「こう使うとすごく便利」とかの使うアイデアがまだ沸き立っていない、ということもあるように思う。さらには昨年の11月時点(発売開始時点だね)には100〜265のスキルが、今では600以上になっているようにスキル自体も増えていくだろう。そして、使う人が増えていくに従って、Alexaが「賢く」なるという副次的な効果もありそうだ。
 
スマートフォンにしてもiPhone3GからiPhone4で小進化し、iPhone4S、IPhone5あたりで、爆発的に普及。Androidを含めれば、誰でも持っているデバイスとなり、それに伴って、我々の「暮らし」そのものが大変化したという実例が身近にある。
これから、スマートスピーカーと連動する、様々なデバイスが生まれてくれば、そうした「生活の大変化」が現実のものになるかもしれない、と少し期待をしているのである。
 
ただ、寂しいことに、日本メーカーはLINEとかのものはあるものの、ほとんどのものが国内未発売。今のところ、Google、Amazonといった海外メーカーに席巻されている状態である。日本の「ものづくり」は「部品づくり」になってしまったのですかね〜。
 

涼子サマ、都心の高層ビルで大暴れで伝説の獣退治 — 田中芳樹・垣野内成美「薬師寺涼子の怪奇事件簿 1 」(マガジンZKC)

田中芳樹氏のミステリー「薬師寺涼子の怪奇事件簿シリーズ」をコミック化したものの一冊。もとは「摩天楼 薬師寺涼子の怪奇事件簿」かな。
小説のコミック化と実写化は、その出来が極端に出るもので、仮に変なものにあたると、主人公のイメージやらが、固定化されて、どうかすると作品の魅力を損なってしまうことがるのだが、本作の場合は成功例といえる。
 
なぜかといえば、まあゲスな話ではあるが、薬師寺涼子がとてつもなく色っぽく魅力的に仕上がっているから。こうしたコミック化の成功の要因は、読者の想像力、造形力を超えた魅力的なキャラを見せることができるかということであるのだが、本作の場合、「涼子さま」の我儘さも気位の高さも含めて、まあなんとも見事な造形であります。
 
筋立ては、インターポールの出向から警視庁に帰還する辺りから始まる。
事件は、ベイシティホテルでの政治パーティーの参加者の集団監禁と連続殺人である。しかも、大理石の石の中を走る、怪しい影というところで、
まあ犯人は?となると「怪奇」事件簿という名のとおり、普通の人間ではありませんわな。
 
まあ、このシリーズの醍醐味は、謎解きがどうこうというところではなく、涼子さまの傍若無人な大活躍と、このやろーと思う大悪党をたたきのめすカタルシスである。すっきりすることは請け負いますね。
 

起業を企む人への読みやすい山登り地図 — 山口豪志「0 to 100 会社を育てる戦略地図」(ポプラ社)

筆者は、クックパッドを経て、現在は経営コンサルタント+個人投資家という経歴。そういう筆者が、「今の私にできるのは、みなさんが私のような回り道をしなくてもいいように、サポートすることです。」といった動機からから執筆されたのが本書のよう。
 
構成は
 
プロローグ 6つの成長段階(フェイズ)を知る
(→0)起業前夜
(0→1)顧客の発見
(1→10)商品の完成
(10→30)採用と組織づくり
(30→50)新規事業開発
(50→100)上場に向けて
 
となっていて、他の「起業」煽るビジネス本とちょっと違うなと思ったのは、例えば「採用」という案件でも、事業のフレーズにしたがって、草創期の
 
このフェイズで「多様性」のことは考えなくても大丈夫。むしろ、会社の基盤を強化することが最優先なのだ、下手に多様な人材を入れてカラーが減り、組織がバラバラになるほうがリスクです(P157)
 
全体が一丸になって会社の成長を押し上げられるように、「多様性」よりも「均一性」を優先するのです(P158)
 
といった段階から、事業が軌道に乗り安定した後の次の「拡張期」のフレーズでは
 
気をつけたいのは、起業家精神あふれる人ばかりを採りすぎないこと、なぜなら、大切なのはあくまで「人材が多様であること」なのですから(P197)
 
ビジネスの環境は数年で(あるいはもっと早く)変わるから、安定が約束された事業などありません。今が「拡大成長期」で余裕があるからこそ、リスクをとって挑戦し、「次の成長の起爆剤」を仕込むべきなのです(P200)
 
といったように、段階に応じたアドバイスがされていること。
 
事業を起こし、事業を走らせている方々は、そういうことに気を振り向けている余裕はないかもしれないが、ちょいと落ちついた時の振り返りに役立ててもいいのだが、やはり、「(→0)起業前夜」のあたりで
 
(起業の)前段階で創業者たちが想いとアイデアを練り上げ、周囲の共感を獲得するという、泥臭いまでの構想期間がある(P34)
 
強い想いをもつこと。それが起業の大前提(P40)
 
といったことから始まるように、これから起業を考えている人の手引書、道案内として考えておくのがよいでしょうね。
 

AIを行政の施策立案に組み入れるべきと思う理由

AIが仕事を奪うのでは、とか、AIをどこまで使うか、といったネガティブな論調が目立って出てきたように思えるAI論なのであるが、当方として、活用を考えて欲しいのが、地方政府の地域振興、特に移住施策や観光における効果予測である。
 
というのも、この分野、それぞれの自治体の施策が金太郎飴化することが多いし、さらに、首長や担当者の思いに左右されることがとても多いように思うのである。
 
そうした場合、どうしても隣でやっている施策がよく見えたり、おなじレベルのものはなぜできないんだ、と自らの状況とか環境とかをきちんと分析しないで踏み出してみたり、とかなにかと判断が甘くなるような気がしている。
 
この際、効果予測とか、効果のシミュレーションは、担当の甘くなりがちな、バラ色の予測ではなく、機械的な分析を自らの判断をちょっと冷ます意味でやってみる仕組みをいれてみてもいいのではないだろうか。
そして、それをやった上で、修正すべきことは修正してトライしてみるとかをすればいいのであって、最初から、うまくいくかどうかは神任せといったやり方よりは、よほどリスクが下がるような気がするのである。
 
行政が何かと慎重になることが反省される、一転して、思いつき的なものまでトライしろといった風潮になっているように思う。行政は「中庸」が大事、というのは変わっていないようにおもうのであるがどうだろうか。
 

主人公の「お末」ちゃん、頑張れと声援をおくってしまう時代小説 — 西條奈加「上野池之端 鱗や繁盛記」(新潮文庫)

時代は、田沼意次が威勢をふるってから50年ぐらい後、徳川十代将軍家斉の治世も最後のほうに差し掛かった頃、半分以上騙されて、田舎から上野池之端の料理茶屋「鱗や」へ奉公にだされた「お末」を主人公にした時代小説である。
 
収録は
 
蛤鍋の客
桜楼の女将
千両役者
師走の雑煮
春の幽霊
八年桜
 
の六編。いずれも、一話完結型のミステリー仕立てである。
半ば、騙されて、というのは、お末が奉公にでる原因は、従姉妹で、先にその店へ奉公に出ていた「お軽」が持ち逃げした金の責任をとらせるためであったのだが、そのことを知らされずに奉公にだされたからなのであるが、その「お軽」の話も、「鱗や」の店のもっと大きな謎へ結びついているので、読者の方も、あまり信用し過ぎて読み進むと、作者の仕掛けるどんでん返しに、嵌ってしまうのでご注意を。
 
一話ごとの「謎」は、料理茶屋とか名ばかりで、連れ込み宿代わりに使われる店でおきることなので、例えば、「蛤鍋の客」の二人連れの客の煙草入れが盗まれる話であるとか、二話目の「桜楼の女将」での浅草今戸の料亭「桜楼」での病身の主人殺しで、女将が疑われる話など、けして社会全体を揺るがす大事件はない。だが、それに巻き込まれたり、女将の濡れ衣を心配する「お末」の健気さに感情移入させていくに十分な仕立てではある。
 
もう一つの愉しみは、話にでてくる料理。「桜楼の女将」の「桜めし」であったり、「師走の雑煮」の鮟鱇を使った「白雪雑煮」であるとか、描写は控えめながら、その料理の姿と旨味を想像しながら読んでいくところであろう。
 
バリバリの時代小説というより、時代小説の枠を借りたミステリーというイメージが強い本書なので、あれこれと筋立てをレビューするとネタバレがすぎてしまうが、最後の方で明らかになる「鱗や」の先代にまつわる謎や「お軽」が逃げ出した顛末は、ちょっと陰惨な風が漂うのだが、時代小説の大定番である「勧善懲悪」の原理原則はちゃんと守られているので、大安堵でる。
 
 
主人公の「お末」が奉公に出たての頃は、あらゆるものに怯える田舎娘であったのが、鱗やの若旦那・八十八朗の助けを借りながら、同僚の女中・お甲や板長の軍平らとなじみ、成長していく姿は読んでいて、おもわず彼女を応援したくなる清々しさも覚える時代小説でありますね。
 

「乾けない」世代の新モチベーション論 — 尾原和啓「モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書」(NEWSPICKS BOOKS)

マッキンゼー、リクルート、楽天の執行役員を経て、リゾートワーカーをしている筆者が、「乾けない世代」を主な対象にした、「新しいモチベーション」についての本。
 
構成は
 
はじめに モチベーション革命
第一章 「乾けない世代」とは何か?
第二章 偏愛こそが人間の価値になる
第三章 異なる「強み」を掛け算する最強チームの作り方
第四章 個人の働き方
 
となっていて、筆者のいう「乾けない世代」とは「あなたには生まれたときから「ないもの」がない。だから何かが欲しいと「乾けない」層で、その特徴は
 
「自分が頑張る意味が持てるもの」に「自分が好きな人たち」と「とことんハマる」ことを重要視する。金銭や物理的な報酬とは関係なく〝自分の好き〟を追求
 
していく世代で、他の言葉で言えば「ゆとり世代」「さとり世代」あるいは「ミレニアル世代」といわれている世代のこと。で、ちょっと「おや」と思ったのは、あとがきのところで、実は筆者は日本のこの世代がやる気もなくて「キライ」だったという点。
この点があるからこそ、「今時の若い者」論からの、やたらと煽るモチベーション発揚の啓発本に堕さずに、新しい時代の「モチベーション」論となっている。
 
そしてそれは、
 
時代は変化することが当たり前となりました。昨今の米国では、このことを「VUCA」の時代と呼んでいます。これは米国軍事大学が提唱しはじめた造語で、 Volatility(変動が大きく) Uncertainty(不確実で) Complexity(複雑に絡み合い) Ambiguity(曖昧) な時代に突入した
 
ことと無縁ではなく、今までの工業社会の中で育まれたモチベーション論が効能が少なくなっていることでもある。
当然、それは生活様式、仕事の様式の点でも変化をもたらすもので、例えばオイシックスの「50%社員」に象徴されるように
 
1年中会社勤めをするのではなく、まずは自分が生活者として生きることで、世の中の潜在的なニーズを拾ってきなさいという意図が込められて
 
いて、
 
「インサイト」が重要視され、仕事と遊びの境目があやふやとなった今では、なるべく仕事は「公私混同」で取り組んだほうが効果的
 
という、オフィスに集まって仕事を集団でするという20世紀方「働き方」の大変化をもたらすものでもある。
 
で、こういう時代に肝要なのは
 
これからは「他人から見れば非効率かもしれないけれど、私はどうしてもこれをやりたい」という、偏愛とも言える嗜好性を、個人がどれだけ大事に育て、それをビジネスに変えていけるかが資本になっていく
 
時代であり
 
自分が依存する先が一ヶ所しかないと、その一ヶ所がつぶれたときに路頭に迷うことになってしまう。変化する時代を自由に、自立して生きていくことは、何にも依存しないことではありません。むしろ依存先を一ヶ所にしぼらず、複数持つことが大事
 
であるらしい。そんな風に考えれば、こうしたモチベーション論は、なにも「ミレニアル世代」の独占物とするのではなく、当方のような、「ノンポリ世代」ともいわれる「第二」戦後世代のサラリーマン層が、定年後の人生100年時代の生き方として参考となるな、と感じた次第。本書によれば、
 
あなたの「好き」「あなたの歪み」は、他人にとって、今ある世界を新しい意味で楽しむことができようになるための源泉
 
となるらしい。年齢によらず、「好き」に邁進してみてもよいかと思いますね。
 

裏切り者と呼ばれても「家」を再興した男の物語 — 上田秀人「梟の系譜 宇喜多四代」(講談社文庫)

戦国ものの歴史・時代小説の人気どころは、やはり尾張の織田信長・豊臣秀吉あるいは甲府の武田信玄、越後の上杉謙信といったところで、一段下がって、伊達政宗、徳川家康といったところであろう。
 
残念ながら、中国地方の武将は、ときおり毛利元就がでてくるぐらいで、本書の主人公・宇喜多直家が主人公として取り上げられることは寡聞にして知らない。四代とあるのは、直家の祖父・能家、父・興家、本人、息子・秀家の四代に渡る話であるからなのだが、実質は直家が家を再興する話をメイン。
 
構成は
 
第1章 流転
第2章 雌伏
第3章 飛翔
第4章 西方の敵
第5章 輝星の宴
第6章 継承の末
終章
 
となっていて、宇喜多直家(幼名・八郎)が元の居城・砥石城を攻め落とされ、流浪を始めるところから、備前・美作・備中を治めるまでになるが、病に倒れ、息子に家督をゆずるところまでが本編。終章は、息子・秀家が家を継いでから宇喜多家がどうなったか、まで。
 
おおまかな印象をいえば、世間で表裏者(裏切りの多い者)ということで有名な宇喜多直家であるので、故地を取り戻し、領地を増やして行く過程も、妻の父を忙殺したり、織田に味方したかと思うと、一転して毛利に就いたり、とあまり明るくない筋立てではある。
しかも、おなじ表裏者として有名な「松永久秀」のように天下人を衝動のように裏切って、天下を揺さぶったりということがないので、なおさらである。
 
ただ、それでも、最後まで読み進んでしまうのは、一度潰された家を、兄弟の力、家臣の力を信じて、織田・羽柴や毛利、あるいは主家の浦上家、仇敵の三村家などに圧迫されたり、騙されたりしつつも、懸命に家の再興を図るのが、組織の中で思うに任せなかったり、ライバル企業に出し抜けれて涙をのんだり、と我々の身近な暮らしを思い起こさせるからなのかもしれない。
 
まあ、戦国国盗り物語の主人公のような華々しいことはそう起きないというのが現実というもので、出世街道を駆け上がっていく時代小説wp読む一方で、こうしたタイプのものを読んでおくと、精神的なバランスがとれて、悪酔いしないかもしれない。
 
終章の所で、家を継承していくことを切望して病死した直家の死後、宇喜多家におきる出来事は、ありゃりゃ、と、ひどく苦いものを飲ましてくれる。これも、世の常なのかもしれんですね。

瀬能数馬、留守居役としてはまだまだ未熟者である — 上田秀人「百万石の留守居役 5 密約」(講談社文庫)

家綱没後、将軍世子となった綱吉の暗殺未遂事件から将軍宣下のところまでが、今巻。
 
構成は
 
第一章 世子の座
第二章 直参と陪臣
第三章 留守居攻防
第四章 密談の場
第五章 寵臣の交代
 
となっていて、権力が強ければ強いほど、その主役が交代する時は、あちらこちらで暗躍するものがでてくるし、それに乗じて利を得ようとする者がたくさんでてくるもの。
 
今巻は、権力の座を巡っての、酒井大老と堀田老中の争いが激烈化していくのだが、加賀藩中も、江戸家老の横山とその本家の旗本が、瀬能に妙なちょっかいをかけてきたり、と嵐に巻き込まれていく。
 
家綱の後継を巡っては、加賀・前田家や、宮将軍が酒井大老によって画策されていたので、綱吉が将軍になると前田家への仕打ちも相当なものになりそうなのだが、このシリーズの主人公・瀬能数馬は、まだ未熟なため、主家を助けるというよりも邪魔をしないのが精一杯という状況である。
邪魔をしないどころか、外様組の接待で、あてがわれた女郎を断って、後の火種をつくってしまったりと、足を引っ張る行いが目立つ
 
もっとも、加賀の国元での、琴姫のおつきの侍女の「さつき」と「やよい」の強さを考えると、琴姫推薦の妾候補の「佐奈」のことが怖くて手を出すどころではないのかもしれない。
 
今のところ、数馬の働きは、藩主警護といった武張ったものが主で、およそ留守居役らしくない。本人も自分が留守居役に向かない気がしているが、加賀藩きっての重役・本多政長と藩主・綱紀の命令であるのでいかんともしようがないという状況。しばらくは、将軍相続のどさくさの大老・老中と加賀藩や御三家の権力闘争と、秘められたエピソードに「ほう」と声をあげながら、右往左往する数馬に声援をおくるとしましょうか。
 

古い習慣の強固さは、日本だけの専売特許ではないと思うが・・・

少し前になるのだが、THE PAGEで「新しいITに否定的な日本、もはやアフリカよりも前時代的?」といった記事があってたのだが、ようやく当方も考えがまとまったのでエントリーしておく。

 

記事の要旨は

・アフリカで起業した女性が日本に帰国すると驚くことがある。あらゆる席に喫煙席があること、や回覧板の文化があること、紙の本をよむ人が多いこと、そしてモバイルで送金できないことや、現金しか決済できない店が多いこと

・アフリカでは、経済発展にともなって新しいインフラを使いこなす人も増加している

・新しいITインフラやビジネス習慣と人々の思考回路には密接な関係がある。古い制度にしがみついていると、物質的・生活様式でも遅れをとる。新しいことに貪欲になることが日本人に求められている。

といったもの。

 

ただ、こういう古い政府度が強固に残って、新しい動きに乗り遅れてしまうってのは、別に日本だけでなく、世界中どこでも起きているのではないですかね。例えば、産業革命は当時、大陸より遅れていた「イギリス」から始まったのであるし、生産現場でのAI導入でドイツが先んじられたのも、生産の合理化で周回遅れだったせいで、かえって新しい技術が導入できたから、といった話がある。日本だって、戦争で古い制度や基礎インフラがまっさらになったからこそ、戦後の工業社会化や高度成長があったといえなくもない。記事のアフリカの例も、要は国土を網羅したシステムや、経済の安定といったことがなかったから、白地に絵を描くように、モバイル決済などがどんどん普及した、ということなんだと思うのである。

 

使いこなされてきた古い制度やシステムが安定していて、楽であるのは間違いなくて、そこに、新しい仕組みやシステムをいれようとした場合、古いものときしみが生じるのは通例のこと。ここらは「新しいことに貪欲になる」といった精神論で解決できる話ではないような気がする。要は、古いシステムにどこで見切りをつけて、将来性のある新しいシステムにどう乗り換えていくか、ということなのであって、新しいシステムの優位性がどのあたりで古いシステムを上回るか、あるいは上回るように誘導できるか、といったことではないでしょうかね。

 

このあたりになると、強権的な政治のない「日本」はちょっと不利なことは間違いなくて、じわじわと染み入るように新しいものが入ってくるのを待つ以外なく、寂しいですが、一度は周回遅れになってしまうという宿命を背負っているのかもしれないですね。

 

勝負はいつも勝ち続けることはできないのだから、早めに軽く負けて、体制を建て直して、次の勝負を有利に進める準備をするということが肝なのかもしれないですね。