塩野七生の最近のブログ記事

長く、長く続いてきた「ローマ人の物語」もこれが最終巻である。そして、千年以上続いてきた、ローマ帝国も、この巻で終焉を迎える。もっとも、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)はこの後も存続するのだが、これはもう、いわゆる「ローマ帝国」とは異なるという説に私も賛成したい。

この巻では
・紀元395年~410年までが「第一部 最後のローマ人」
・紀元410年~476年までが「第二部 ローマ帝国の滅亡」
・紀元476年~が「第三部 帝国以後」
という構成で、西ローマ帝国が瓦解するまでが語られる

しかし、この時代のローマ帝国をめぐる人々の名前が、なんと蛮族的なことか・・・。敵である人は当たり前だが、帝国を支えた人の名前すら蛮族的なのだ。
典型的なのは、皇帝テオドシウスから、死後の息子を託された将軍スティリコであろう。
彼は、ヴァンダル族出身なのだがテオドシウス帝に抜擢され、彼から、若年の皇帝の後見を頼まれるのだが、その彼が、ローマ人よりもローマ人らしく、ローマ帝国の存続に力を尽くし、非業の最期を遂げるたあたりは、衰えた国家を象徴するものなのだろう。

ローマ帝国を根本から変えたといっていい、コンスタンティヌス大帝の死後、跡をついだ息子のコンスタンティウス、そして背教者といわれたユリアヌスと続くのが、この巻である。そして非常に象徴的なことに、この巻の最後の第三部は「司教 アンブロシウス」とされていて、皇帝ではなく、キリスト教会の司教の名前が表題である。

まず最初は、コンスタンティヌス大帝の次男であるコンスタンティウスである。とはいっても、最初から、コンスタンティウスが帝国全土を継ぐという形になっていたわけではない。
最初は、コンスタンティヌスの息子三人、甥二人で帝国を5分して統治することとなっていたらしい。
それが、大帝の葬儀の際に、甥二人が暗殺され、その後帝国を三分して統治していた兄弟が、最初は、長兄のコンスタンティヌス二世が、末弟のコンスタンスと北アフリカをめぐって対立して敗死し、コンスタンスは、圧政による民衆の不満を背景にした配下の将軍の謀反により自滅する・・といった経緯をたどって帝国を一人で支配することになったもので、この流れをみて想像出来るように、なんとも疑り深い皇帝であったようだ。そうした皇帝が副帝を任命するというのも不思議なのだが、もう、この時代のローマ帝国は、一人で全土を治めるには、皇帝によほどの能力と体力を必要とするほど、国家の体力が弱っていたということかもしれない。

塩野七生氏の代表作といっていい、「ローマ人の物語」もこの巻あたりになると終幕に近づいてくる。

この巻で語られるのは、三世紀終わりから4世紀はじめの、ディオクレティアヌス帝から、コンスタンティヌス帝の時代である。歴史家によれば、ディオクレティアヌス帝から、ローマ帝国は、元首制から独裁君主制に移行したといわれていて、5世紀には、ローマ帝国も迎えるのだから、このデイオクレティアヌス帝、コンスタンティヌス帝の治世というのは、蝋燭が燃え尽きる前に炎が大きくなる現象に似ていなくもない。

ディオクレティアヌスは、帝国を2人で治める「二頭制」や4人で治める「四頭制」といった、国力の落ちてきているローマ帝国がペルシアや蛮族の侵攻をくいとめる苦肉の策ともいえる統治策を打ち出す。この統治方式はローマ帝国を蛮族から守るシステムとして有効に作用するのだが、このシステムの本質は、長年、苦楽を共にし、心の通じ合った友人や部下と、帝国の統治を分担しあうという美しい側面ではなく、

分担とは、現にあるものを分割したのでは済まないという問題を内包している。分担とは各自の責任を明らかにすることでもあるから、その人々の間に競争状態が生まれるのは、人間の本性からもごく自然な方向とするしかない。四人はいずれも、自分が責任を負うと決まった地域の成績をあげようとする。

システムであるらしい。
しかし、この制度も、彼の引退後の、正帝、副帝の食い合いともいえる内乱が頻発する。やはり、国力の衰えというものは、統治制度だけでは補いきれないものなのだろうと、嘆息せざるをえない。

いつもは安価な文庫本で済ますのだが、今回はちょっと奮発して単行本で読むことにした「ローマ人の物語」である。

時代背景としては、セプティミウス・セヴェルスがイングランドで客死した後、後を継いだカラカラから始まり、ローマ帝国の危機ともいわれ、軍人皇帝が乱立した時代、ディオクラティヌスの即位直前までの3世紀のローマ帝国が描かれている。

紀元211年から284年の、百年間にも満たない期間なのだが、あれあれ、という声が出てしまうほどに様々な出来事、国難満載の世紀である。

例えば、カラカラ帝がローマ帝国の市民権を、帝国住民全員に広げ、ローマ軍の弱体化を招き、オリエント出身のあやしげな(失礼!)宗教の祭司も務める皇帝ヘラガバルスが登場したりして、なんか雲行きが怪しくなったぞ、と思ったら、案の定、新興国ササン朝ペルシアが登場して、皇帝が捕囚の身になるという前代未聞の失態はおきるは、ゲルマンの蛮族がやたら暴れ出して、あろうことか、ガリアが独立したり、シリアのあたりがパルミラとして割拠したり、といったいったことが、次々とおこるのである。

塩野七生氏のエッセイ。ほとんどの人が、一度は手に取るか、一部を読んだことがあるであろう「ローマ人の物語」から、ちょっとこぼれたエピソードや論述などがまとまっている。 古代ローマ史の年表的位置関係でいえば、ローマの建国からアウグストゥスの初代皇帝への就任あたりまでで、エピソード的には、カルタゴとの戦争とカエサルやその周辺の人々にまつわるものが印象に残る。

本編の「ローマ人の物語」はすでに完結していて、今は、古代ローマ帝国後の地中海世界の話に最近の筆者の著作は動いているのだが、残念ながら、私は五賢帝後の軍人皇帝時代のはじめあたりまでしか読んでいないので、全体を俯瞰したものいいは注意しなければいけないのだが、ローマ帝国にとって、上り調子で、まだ爛熟に達していない時代が、カルタゴとのフェニキア戦争やカエサルとその近辺の時代だと思うので、読んでいても、


例えば、「改革」ということについても、今までの勝者が一夜明けたら落魄していたといわんばかりの市場主義批判が頻出する現代とひき比べながら

コモドゥス帝暗殺後の内乱の時代。 4年間の期間らしいのだが、これを長いととるか、短いととるかは、諸説あろう。

はじめに登場するのは、ペルティナクス。66歳の老将である。
キャリアはほんとの叩き上げ。解法奴隷の子として生まれ、シリアの軍団を振り出しに、最後は皇帝までのぼりつめるのだが、近衛兵の長官に裏切られて失脚。理由は、この長官レトーをエジプトの長官にしなかったから

「小事」にまで批判を受けてはならぬという想いで進めると、「大事」が実現できなくなる。大胆な改革を進める者には、小さなことには今のところは眼をつむるぐらいの度量は必要

で、次が、ディディウス・ユリアヌス。この人は、元老院階級に生まれた、根っからのエリート。
このライヴァルになったのが、ペルティナクスの妻の父でフラヴィウス・スルピチアヌス。
この二人は近衛兵の信任投票で皇帝の座を争ったらしいが、決め手は近衛兵へいくら金をわたすかだったらしい。
こんなことをやっていたら、皇帝の信頼が失せるのは、まあ当然で、案の定、皇帝の座を巡って、軍隊を握っていた将軍たちが名乗りをあげる。セブティミウス・セヴェルス、クロディウス・アルビヌス、ペシャンニウス・ニゲルの三人である(あー、名前長くて面倒くさい)。
勝者は、兵力の多いドナウ河防衛戦担当の軍団の支持を受けたセヴェルス。
やはり、実力主義の時代は、良くも悪くも実力(兵力)が決め手なのだね、と思わせるのだが、実は、アルビヌスもリゲルも、セヴェルスと戦うまでに時間を無駄に浪費していたりしたのが敗因になっていて、勝者は勝者なりに、単に兵力が多ければ勝てるというものでもないらしい。

本書では、最後の五賢帝 マルクス・アウレリウスの治世とその息子のコモドゥスの治世を描いている。

これにでてくるマルクス・アウレリウスは、即位当時の哲人皇帝の静かではあるが、知性的で凛々しい印象が、なんとなく影を潜めているような印象となっている。まあ、始めたはいいが、先の見えないゲルマン諸族との戦いが泥沼状態になっていたこともあるだろうし、エジプトあたりでの反乱も起こっている。

この危機を、マルクス・アウレリウスは実は、現地のドナウ川の前線で、皇后などの家族と一緒に過ごしていて、そこでは

「皇帝の仕事ぶりは、勤勉を超えていた。・・・非常な小食だった。それも日が落ちた後でなければ食事をとらなかった。日中は何も口にせず、テリアクと呼ばれた薬を溶かした水を飲むだけだった。この薬も、多量に飲んでいたのではない。習慣になるのを怖れたのかもしれない」

といった暮らしぶりは、なんとも生真面目ではあるが、ちょっと鬱陶しさを感じさせる。

古代ローマの賢帝の中でも、極めつけの賢帝と評価のある哲人皇帝 マルクス・アウレリウスの登場である。

といっても、この巻の最初は、誕生から前の皇帝であるアントニヌス・ピウスの「長い」次期皇帝(皇太子)時代が続く。
この「次期皇帝」時代の印象は、激情家ではなく非常に穏やかで、騒がしいことの嫌いな、前皇帝のもとで、すくすくと(表現としては適当でないかもしれないが、子供の成長の一つの姿を現す、この言葉がぴったりくるんですよね)皇帝修行をしている、「恵まれた若旦那さん」的な暮らしである。

マルクス・アウレリウスといえば、「自省録」など、哲学者の面も有名なのだが、かなりの独裁者で帝国内を飛び歩いているハドリアヌスにかわって統治の責任者を務めているといってもいいヴェルスの孫として、若い頃からかなりの優遇を受け(本書の途中にトラヤヌスからマルクス・アウレリウスまでの執政官などへの就任年齢を比較した表があるのだが、マルクスはやけに若くして就任しているものばかりなのだ)、また、財産もある。そうした若旦那的な生活スタイルが、哲学におぼれさせる一因でもあったのではないか、とも思う次第である。
しかも、ピウスの方針だったのかもしれないが、次期皇帝に指名される前も後も、辺境の地で軍務に就くという経歴もなく、さしずめ、お金持ちで名門のシティボーイといった暮らしを、皇帝就任まで続けることができたということは、それはそれで幸運なことではある。

ローマ帝国のインフラを描いた巻の下巻が本書。

とりあげられるのは

ハードなインフラとして、水道

ソフトなインフラとして、医療、教育

である。

で、最初は「水道」である

ローマ帝国の代表である「アッピア水道」というのは、本書によれば、全長16.617キロ、うち地下が16.528キロで、ローマの東に連なる山地からローマ市内まで、延々と引いたもので、この距離を、当時、水道を引こうというのは、よほどの理念というか執念がないとできそうもない。おまけにローマというのは水資源はかなり豊富だったらしいから、同じように水資源の豊富な日本の住む管理人としては、わざわざなんでそこまでやるの、とツッコミをいれたくなるような代物である。

この「アッピア水道」以外にも「ユリア水道」やら「アルシエティーナ水道」やら「クラウディア水道」やら何本も水道を建設しているから、こいつはもう「道」や「橋」と一緒で、とにかく「繋ぎたい」という民族的な衝動なんだろうか、と非合理的な理由で片付けたくもなる。

ローマの五賢帝のうちアントニヌス・ピウスとマルクス・アウレリススの時代を描く巻の間に挟まれるようにして置かれているのが、この「すべての道はローマに通ず」の巻である。

ローマ帝国は、マルクス・アウレリウスの死後、その力を衰えさせていくのだが、その要因はマルクス・アウレリウスの時代に既に仕込まれていたといえなくはないので、いわば、ローマ帝国の物語の上り坂と下り坂のちょうど中間、峠のようなポジションで描かれているのが、この「すべての道はローマに通ず」の巻といっていい。

で、何が描かれるかといえば、人物ではなくモノ、「インフラ」である。当然、「インフラ」というのは、自然発生してくるものではないので、それをつくる人、つくるように計画した人はあるのだが、主役は「インフラ」である。いや、これも正確ではないな。「インフラ」にシンボライズされた「ローマ人の精神」とでもいうべきだろう。


この27巻では、そのインフラのうち

街道

といったものがとりあげられていて、インフラのうちでも、まあデカイものだ。

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