岸本葉子 「家もいいけど旅も好き」(講談社文庫)
路地をさらに入っていけば、大通りの喧しさが嘘のような、ひっそりとした家並みだ。どこの家からか、蝿のうなるような、低いラジオの音が聞こえる。
家の前に出した椅子で、涼む老人。同じように涼むとなりの人と、腰かけたまま世間話だ。その家の嫁とおぼしき女性が、木陰で赤ん坊をあやしている。小学校に上がる前ぐらいの女の子が、母親をまねて妹を抱きあげようとし、つぶれてしまい、ふたりして笑いくずれる。
どうかするとその中に、瓦屋根の日本の家が残っていたりする。懐かしい、と感じてはいけない。台湾を戦前の五十年間日本が支配したという、歴史の証しにほかならないのだから。
けれども、軒下に立っていると、胸の中の記憶の揺りかごで、何かがそっと呼び覚まされる。ひと昔もふた昔も前、私が子どもだった頃、家族とはご近所とは、こんなものだった。
なぜだろう。台湾も日本と同じかそれ以上に急な経済成長をしてきたのに、日本人が失ったものが、こうした通り角などに、残っている。そのたびに私は、足をとめる。
はじめてなのに、ほっとする。その感じは、日本時代の名残のためではないはずだ。
というあたりで、昔の姿が、はっきりしてくる。

