コンピュータの最近のブログ記事

本書は、こんなセンセーショナルな言葉から始まっている。


 いまや論壇は、雪崩を打つような激しい勢いで、インターネットの世界へと移行しはじめている。

 研究者たちが深めている分析は社会に対して何らかの影響力ももてなくなり、一方で影響力の強いマスメディアからは論考が失われるといういびつな状況に陥った

雨後の筍のように、猛増殖し、今や「世間の声」というものの一つを占めているといっていい「ブログ」について、その社会性、影響力、内包する危険性などについて、多方面から論考したのが本書だ。

構成は

はじめにーブログ論壇とは何か

Ⅰ ブログ論壇はマスコミを揺さぶる
 第1章 毎日新聞低俗記事事件
 第2章 あらたにす
 第3章 ウィキペディア

Ⅱ ブログ論壇は政治を動かす
 第4章 チベット問題で激突するウヨとサヨ
 第5章 「小沢の走狗」となったニコニコ動画
 第6章 志位和夫の国会質問
 第7章 安倍の窮地に活躍した広告ロボット

Ⅲ ブログ論壇は格差社会に苦悩する
 第8章 辛抱を説く団塊への猛反発
 第9章 トリアージ
 第10章 承認という問題
 第11章 ケータイが生み出す新たなネット論壇世界

Ⅳ ブログ論壇はどこへ向かうのか
 第12章 「JJ」モデルブログ
 第13章 光市「1.5人」発言ーブログの言論責任は誰にあるのか
 第14章 青少年ネット規制法
 第15章 「ブログ限界論」を超えて

となっていて、おおまかにいえば、

Linuxの創始者、リーナス・トーパルズの半生記。彼が、PCにどう親しむようになって、どうやってUnixに出会い(この本ではミニックスとなっていて、どうやら、Unixの変形判に出会ったのが最初らしいね)、これをLinuxにつくりかえ、そしてアメリカに渡り、オープンソースの領袖となり、といった、今もなお現在進行形で進んでいるトーパルズの人生でもあり、Linuxの歩みでもある、間違いなく、情報工学の重要な歴史の流れが綴られている。

構成は

第1部 オタクの誕生
第2部 オペレーティング・システムの誕生
第3部 舞踏会の王

となっていて、第1部では、幼少期から大学時代までの間が、第2部ではLinuxの誕生、第3部では、アメリカのシリコンバレーに移住と、オープンソース運動が語られている。

しかし、リーナス・トーパルズの半生記を読みながら、つくづく思うのは、Linuxの創世が、こうした人物の手でよかったよな、ということである。FedoraやDebian、Ubuntu(和製ではVineというのもあるね)などなどの流れに別れてしまっているとはいえ、マイクロソフトのWindowsへ対抗しうる、ただ一つのOSが、仮に、ビル・ゲイツばりのビジネスにも長けた人物であったら、PCの普及も、もっと混迷をきたしていただろうし、フリーなオープンソースといった概念も生まれてこなかっただろう。
(もっとも、WindowsがすべてのPCのOSを支配している、というマイクロソフト長年の夢が叶っていたかもしれないが)

「ウェブ世界」の水先案内人として確かな判断を示してくれる筆者の2007年の論考。


今回取り上げられているのは「インターネットのつくるフラットな空間がマスメディアや人間関係、政治などにどのような影響を与えつつあるのか」ということ。

構成は
第一章 フラット化するマスメディア
第二章 よるべなく漂流する人たち
第三章 組み替えられる人間関係
第四章 公共性をだれが保証するのか
といった構成で

インターネットとマスコミュニケーション、とりわけ、「ネット君臨」に見られる新聞系のマスコミから発信されるインターネット不信あるいはクズ論への論考

から始まり、

インターネットの普及とともに、崩壊と希薄化を増してきた戦後社会の「企業社会にくるまれた」家族主義の姿から、「ミクシィ」で象徴される、個々人を媒体とした新しい関係性の構築の姿

へと展開し、

集団である一定の価値観を共有(それが半ば強制された共有であっても)していた時代、いわば「われわれ」の時代から、インターネットによて、個々の価値観がいくつかの繋がりは持ちながらも、混じらない個体として存立する時代の「公共」のあり方、へと結ばれていく。

インターネットのビジネスモデルをリードする「グーグル」を超えようとしているビジネスモデルの動向を知らせてくれるのが本書。

こうした新しいビジネスモデルを紹介する場合は、アメリカの最新モデルが紹介されることが多くて、なにか遠い世界で起こっている出来事のような印象を受けるケースが多いのだが、本書は、どちらかといえば、日本の新たなビジネスモデルの胎動の紹介に多くのページが割かれていることを評価したい。

取り上げられているのは、ミクシィ、ビジネス寄り、文系寄りのソーシャルニュースコミュニティや日本の新しい検索エンジン開発の動きなど、ネットの世界の住人の方々には、既によく知っている事例も入っているのだが、こうした新書として、広く一般の人々をターゲットとして書かれているものとしては、やむを得まい。

また、若干、時期がずれるせいか、YouTubeは取り上げられているが、「ニコニコ」は出ていないといった、ちょこちょことした不満はあるのだが、ネットビジネスのトレンドを大きく捉えるという目的で読むとすれば、十分目的を達することのできる一冊である。

おなじみの経営コンサルタントというか、ウェブ時代の適切な水先案内人である梅田望夫さんが、シリコンバレーの第一級のビジョナリーたちの言葉を紹介しながら、ウェブ時代の新しい作法や起業の道案内をしてくれるのが本書である。

ビジョナリーとは、テクノロジー業界の最先端を走る起業家や投資家、「普通の人」よりも何歩も先を行く天才的技術者、日々の濃密な経験から世界を俯瞰して眺めている企業経営者、複数の専門性を極めた大学教授といった人たちの中で、とりわけ言語表現能力が高い人々のことで、こうした人々が英語で発する切れ味の良い言葉を読み、その言葉の背景にある思考や発想に寄り添って深く考えることで、

未来を見通すことなど誰にもできないが、こうすればクリアに想像できる

世界の成り立ちなど誰にもわからないけれど、こうすれば見晴らしがよくなる

といったことができると発見し、それを繰り返すことで、変化の予兆を捉えるというのが、筆者の勉強法のようだ。


もとより英語力のない私なぞには、及びもつかないが、こうした先達の言葉を紹介し、その意味と示す未来を魅せてくれる本書のような存在は非常にありがたい。


そしてこうしたビジョナリーの言葉は「五つの定理」として整理され、それぞれのテーマ毎に分類・整理され、構造化されている。

「五つの定理」とは
①アントレプレナーシップ
②チーム力
③技術者の眼
④グーグリネス
⑤大人の流儀

で、いずれも、こうした「ウェブ」の世界を端的に現す言葉であるようだ。

1996年秋から2001年夏にかけて、筆者のシリコンバレーの経験に基づくエッセイというか、シリコンバレーの一時期を切り取った、現地にいた当事者の記録の集合体である。

いくつか、ネット関連のエポックとなるものがいつ起こったのか調べてみると

windows95の発売が文字通り1995年
グーグルの創業が1998年
ネットバブルの崩壊が2000年

となっている。

そうした意味で、単なるネットに関するエッセイとしてではなく、インターネット時代の幕開けとして「シリコンバレー」が輝き初め、ネットバブルの波の到来と崩壊、そして再生へ、といっためまぐるしくはあるが、私たちの生活に大きな変化を与えた一時代の記録としても貴重な一冊である。

ただ、「シリコンバレー」あるいはそれに代表される「ネットの世界」に住む人たちのスタイルも丁寧に書かれているので、時代の記録集としてだけではなく、「ネット」あるいは「ウェブ」という、一種特殊ではあるが、確実に私たちに浸透してきている思考スタイルや行動スタイルのついての評論集としても読むべきであろう。

いくつか、その一端を引用すると、ベンチャー企業の興廃著しいシリコンバレーのビジネススタイルは


第一に、事業の成功・失敗はあくまでもビジネスというルールのある世界でのゲームで、それを絶対に人生に反映させないこと
第二に、事業とは「失敗するのが普通、成功したら凄いぞ」というある種「いい加減な」遊び感覚を心の底から持つこと。「成功するのが当たり前、失敗したら終わり」という「まじめ」発想を一掃しなければならない。
第三に、失敗したときに、「投資家や従業員や取引先といった関係者に迷惑がかかる」という考えを捨てること。皆、自己責任の原則で集まってきているのだと、自分勝手に「都合良く思いこまなければならない
この3つの知恵は、不運や失敗をしたたかに乗り切っていくための救命胴着

なのであり、その中で挫けることなく挑戦を続ける人々の心の有り様を「マドル・スルー」という言葉で表現している。

ずいぶん読むのに時間がかかってしまったな、というのが読み終えて、まず思ったこと。

章立ては

序 章 混沌として面白い時代
第一章 グーグルと「もう一つの地球」
第二章 新しいリーダーシップ
第三章 「高速道路」と「けものみち」
第四章 ロールモデル思考
第五章 手ぶらの知的生産
第六章 大組織VS小組織
第七章 新しい職業
終 章 ウェブは自ら助くる者を助く

序章では福沢諭吉の「一身にして二生を経る」という言葉を引いて、ウェブ進化、そしてリアルとネットの境界の話が語られ、第一章では、題名どおり、現在のネットの世界を牛耳っているといっても過言ではない「グーグル」は何者であり、何を目指そうとしているのかが、第二章では、Rubyの生みの親であり、育ての親でありつづけている、島根県出身のプログラマである「まつもとゆきひろ」やLinuxの生みの親である、リーナス・トーパルズに代表されるオープンソースの世界の中での、「リーダー」はどういうスタイルをとるのか、そして第三章では、「知」の高速道路とその先の大渋滞、高みを目指す道ではなく、その周辺で自らの興味に最大限に従いながら模索する「けものみち」の生き方が語られる。

このあたり、梅田氏の「ウェブ進化論」や脳学者の茂木健一郎や作家の平野啓一郎との対談や、氏のブログの読者であれば、「ああ、あれか」と思い当たるとこ所も多いに違いない。まさに氏の、現時点における、「ウェブ」についての思索の「まとめ」的な位置づけの本である。そういった意味で「時間がかかってしまった」のは、今までの「ウェブ」をめぐる様々な論考のあちこちに連想が及んで、思考が寄り道をしすぎた所為かもしれないと思っている。

一貫して流れるのは、ウェブの進化、あるいは、ウェブのあちら側の世界への、(若干、無理をしながらも)楽観的な期待であろう。

Linuxサーバ構築の入門書的解説本はあまり数がないように思うが、この本は、Wevサーバからメールサーバ、Sambaなど広範囲にわたって解説がされているので重宝している。

こまかな設定とかは、ネットなどで検索もしたが、かなりこの本の記述にも助けられた。
Linuxサーバ構築をする前に、要所要所を拾い読みしておくだけでも参考になる。

醸造学、発酵学の権威にして、名だたる食いしん坊の、小泉武夫さんの食べ物本。



しかし、「不味い!」とは、いかにも人を食った書名である。
なぜこんな書名なのかと「あとがき」から引用すると


「不味いもの」は「美味いもの」があってはじめて成立するものなのだから、味覚文化の上からは実はちても大切なことなのである。人はその長い歴史の中で、常にその「不味いもの」を見本として、いかにそれより「美味いもの」をつくり上げるかの繰り返しであった。だからこそ「不味いもの」はいつの世にも残しておくべき「負の食文化」ともいえよう。


といった尤もらしいことから始まるのだが、どうしてこうして、ついつい本音がでてきて、





美味しそうだなあと思って入った食堂、買った食べ物などが、とんでもなく不味いものであった時の悔しさと怒りは、誰だってそう簡単には治まらない。


( 中 略 )


かくいう俺も、ずいぶんと遣り切れない悔しさを長年積み重ねてこれまで来たものである。
そこで俺は、いつかはこの鬱憤を晴らしてやろうと機を狙い、文章でそれを遂げたのが本書である。



といった不敵な本が、本書である。


とはいっても、この人の「不味いもの」は、いわゆるグルメ本によくある、どこそこの産じゃないとか、昔はよかった、あそこはよかった的な本ではない。第一、この先生、発酵学の権威らしく、臭いのきつい(普通の人なら、うっとなりそうなものだろうなきっと)食品から虫まで、かなり、その間口が広い人である。
(「世界怪食紀行」などを読むと、およそとんでもないものも旨い、旨いと食べているのである)


修道士カドフェル・シリーズの2作目である。

ハヤカワ・ミステリマガジンで、カドフェルものは掌編的なものは読んだことはあるのだが、きちんとまとまった中編は初めてだ。リサイクルショップで、とびとびに買い込んだので順々にレビューしよう。


まずは、この「死体が多すぎる」である。
時は1138年。舞台はイギリスのシュールズベリ。

といってもシュールズベリってのはどこだ・・・とググッてみると、「中世の都市」ってページがある。このページによると、イギリスの本島の真ん中より下の辺りかな、ウェールズの近くで、11世紀のノルマン・コンクエストの時に防衛の要としてつくられたとある。

ノルマン・コンクエストってのは何だ、と今度は、この本の解説を見ると、1066年にノルマンディー公ウィリアム、イングランドを征服して「ノルマン王朝」ってのが始めたことのよう。 要はフランス人にイギリス人が負けちゃって王様になられてしまった、っていうことか。とはいっても、フランスといった国家意識が芽生えている時代ではないから、ノルマンの王様がイングランドも支配下にいれてしまったぐらいの意識だろう。

このウィリアム1世の没後、三男のウィリアム三世、四男のヘンリー一世が後を継いだが、このヘンリー一世が跡継ぎに娘のモード(この女性はフランス北西部のアンジューの伯爵と結婚していたらしい)を指名するが、旦那の支配地にいる間に、イングランドの貴族がヘンリー一世の妹の息子のスティーブンを王にすることに同意してしまったから、モードがおさまらない。王位を返せって訳で十数年、内戦が続く、といったあたりが、この小説の時代風景。

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