2006年09月16日

嵐山光三郎 「文人悪食」(新潮文庫)

一体、「文士」という輩は、どんな食い物を好んでいたか、というよりは、どんな食い物に取り付かれ、彼らの中で「食事をする」というのはどういう位置を占めていたのか、といったあたりを、これでもかってな感じで見せてくれる本である。

著者の嵐山光三郎さんは、編集者あがりの作家で、この本に紹介されている文士(小説家じゃないですよ。「文士」ってな表現はがぴったりくるような、教科書の日本文学史にでてくるような人達ですよ)の人の幾人かとも面識が会ったようで、その筆致もやさしいようで、かなり厳しい。まるで、こうした「文士」たちの彼らが隠しておきたかった部分を、ぐいぐいとえぐってくるのである。

こうした「文士」たちの性癖というか食癖も、それぞれで、なんとなく作品から想像できるものから、えーっといいたくなるような悪趣味なものまでさまざまである。

泉鏡花は、大根おろしを煮て食うほどの潔癖症であったあたりや、

三島由紀夫は食い物を食うというよりは、食い物の知識を食っているような人であったり

とか「やはりね」と思わせるものもあるのだが、

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2006年06月23日

小林智子 「主婦もかせげる アフィリエイトで月収50万」

アフィリエイト本とかは、滅多に買わないのだが、アフィリエイトの草分けの通称「藍玉」さんの著作とあって、ちょっとアフィリエイトを真面目に勉強してみようかと、買ってみた。

買う前は、こうしたらアクセスがあがるとか、こうしたら売上げアップといった、アフィリエイトの売上げ向上のノウハウだけの本かと思っていたら、どうしてどうして、アフィリエイトに熱心な奥さんのアフィリエイト・エッセーみたいな感があって、意外に楽しめた。

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2006年05月07日

小川洋子 「博士の愛した数式」

家政婦さんが次々とかわる札付の家に派遣されてきた家政婦の「私」と数学者の「博士」、そして「私」の息子「ルート」の物語である。


若い頃の事故のせいで、物事を記憶する能力が失われ、1975年で記憶の蓄積がとまり、それ以降は80分だけ記憶が蓄えられると、自動重ね録りのように1975年に戻って記憶が上書きしてしまう、という「博士」。


彼は、毎80分後に更新される記憶をとどめるため、生活に必要なことは全てメモに書き留め、背広にピンでとめておいている。そして、「私」は毎回毎回、毎日毎日、いつも初対面の家政婦勤めを始めることとなる。

また、「私」の子供がいることを知った「博士」の強い要請で、「私」の勤め先に学校が終わると立ち寄り、勤務時間が終わるまで一緒に時間を過ごすことになった息子の「ルート」。

三人の少し奇妙な生活は、「博士」が医療施設に入るまで続く。といった流れなのだが、これは、ちょっと乱暴な要約をすると、「新たに出会った家族」の「家族としての暮らし」の記録である。


80分間という短い時間の連続の中で、血のつながらない、あくまで偶然に出会った人達が、「家族」としての関係をつくりあげていく物語、といえよう。

その「家族」をつくりあげていく道具は、数学上の様々なもの、「素数」であり「三角数」であり、完全数「28」を背番号に持つ江夏 豊と、「ルート」も「博士」も大ファンの「阪神タイガース」。
「数学の数式」と「阪神タイガース」が「家族づくり」の上で等価に扱われて行くのは、今までにない斬新さを覚える。


結局、身体というか、脳の衰弱で、「博士」の記憶は1975年より先に進むことを止めてしまうようになるのだが、成長した「ルート」が中学校の教師になったことを報告する場面、身を乗り出し「ルート」を抱きしめようとする「博士」の姿に、記憶や想い出を共有できないまでも成立した、ひとつの「家族」のお互いへのあふれんばかりの愛情を感じるのである。

映画の方からブレイクして大ヒットになったのかもしれないが、「小説」として読むのもいい。最後の方で、ちょっと、鼻の奧が"つん"として目頭が熱くなること請け合いである。

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2006年01月22日

畠中 恵 「ぬしさまへ」(新潮文庫)

「しゃばけ」でデビューした廻船問屋兼薬種問屋長崎屋の若旦那”一太郎”と手代の佐助と仁吉、妖の鳴家や屏風のぞきのシリーズの2作目。


1作目は中編であったが、今回のこの本には

「ぬしさまへ」「栄吉の菓子」「空のビードロ」「四布の布団」「仁吉の思い人」「虹を見しこと」の6編が収められている。

いずれも、独立した短編なのだが、1作目の「しゃばけ」のいくつかの場面の補遺とも思える短編もある。


全体を通じてキャストやそれぞれの役回りは前作と同じ。若旦那は相変わらず病弱で、ちょっと外に出たかと思うとすぐ熱を出して寝込んでしまうし、犬神と白沢の変化である手代の佐吉と仁吉は一太郎に大甘だし、妖たちは、一太郎のまわりをうろちょろしている。ただ、前作とちょっとかわってきたのかなと思うのが、一太郎の毎夜の菓子や酒の振る舞いになついたのか、鳴家や屏風のぞきが喜々として一太郎の事件捜査を手伝うようになってきていることと、一太郎が大店長崎屋の将来の大旦那としての自覚をもたなきゃ、と思い始めていること。
特に、後段の一太郎の変化の兆しは、次の作品の伏線ともなっていくのだろうと思わせる。



さて、この本の作品について、ネタバレにならない程度にレビューをしよう。


「ぬしさまへ」は苦味走ったイケメンの仁吉の袂に、付け文(ラブレターですよ。念のため)らしきものが入っていたことから始まる。”らしき”ものと書いたのは、その手紙の字が付け文らしからぬ、とんでもない金釘流で、なかなか読めないという代物。いったいこれはなんじゃと皆で思案中に、どうもこの付け文の出し主らしい、小間物屋天野屋の一人娘が殺される、という事件がおきる。さて犯人は・・・、というもの。


色恋のもつれであることは間違いないのだが、底意地の悪い女は怖いな、といったところ

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2006年01月21日

畠中 恵 「しゃばけ」(新潮文庫)

江戸を舞台にしたファンタジーは、ちょっと手を出し辛かったのだが、登場人物たちの設定と語り口の軽妙さに惹かれ、思わず手にしてしまったのが、この「しゃばけ」
このシリーズは、「ぬしさまへ」「ねこのばば」「おまけのこ」とあるが、シリーズの第一作目にあたる作品。


江戸ものの主人公というと、やおいっぽい御役者か過去をもってる岡っ引、あるいはニヒル浪人か剣豪マッチョ・・・といったところが定番で、定番くずれでも、暇を持て余す旗本か大店の次男坊といったところ。

犯人探しとはいっても、若旦那はすぐ熱を出して寝込んでしまうような質だから、捜索の主体鳴家で、あとは店出入りの岡っ引や幼馴染の菓子屋からの情報といったアームチェア・ディクティティブ。しかし、若旦那が、どっちかというと”ぽー”とした”のほほん”タイプでなんとも頼りないので、こうした安楽椅子探偵にありがちのスノッブな臭みがないのが嬉しいところ。

この「しゃばけ」の主人公は廻船問屋の一人息子の”一太郎”というところは定番を掠めているのだが、小さな頃から病弱で、店では、とんでもなく過保護にされている。 おまけに屏風のぞきや鳴家(やなり)といった妖がまわりをうろうろしているし、幼い頃から一緒に育った手代の佐助の仁吉は、これまた犬神と白沢という妖怪変化。

このシチュエーションを考え付いた時点で、この話を面白くなるよな、と感じさせるような仕掛けである。

で、こうした若旦那と妖が何をするかというと、若旦那が店に内緒で外出した帰りに、大工の棟梁が殺されるところに出くわしたところから、次々とおこる殺人事件の犯人捜しに手を出してしまうという筋立て。

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