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   <title>辺境駐在員のブックレビュー</title>
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   <updated>2008-11-02T04:40:40Z</updated>
   <subtitle>辺境に届く多種多様の書誌の、手当たり次第、出たとこ勝負のブックレビュー。不穏当な記述は御容赦を。</subtitle>
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   <title>吉越誠一郎　「デッドライン仕事術」（祥伝社新書）</title>
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   <published>2008-11-02T00:27:45Z</published>
   <updated>2008-11-02T04:40:40Z</updated>
   
   <summary> 元トリンプ社長の吉越浩一郎氏の仕事の能率をアップさせて、時間外をなくす仕事のや...</summary>
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</div>
元トリンプ社長の吉越浩一郎氏の仕事の能率をアップさせて、時間外をなくす仕事のやり方を開陳したビジネス本。

トリンプ当時から、独特の仕事の進め方で、業績を上げてきた
吉越氏の著作らしく、明解で、わかりやすいノウハウが満載である。

「デッドライン仕事術」とは簡単に言えば「就業時間も仕事も、すべてに明確な締切りを設定する」ということで、この締切りを意識して仕事をするからこそ、時間外もなくなり、能率も上がる、というものなのだが、よく読むと、単純にそれだけではないらしい。

例えば、

締切りを意識し、守らせるために、会議で、かなり厳しく、ボトルネックになっているところを確認して、鞭をいれたり

時間外をなくす意識づけをするために、終業時になると、自動的に電気が切れるシステムを導入したり、

勤務に集中できる時間を確保するために、会社外からの電話を取り次がない時間を設定したり

などなど、「デッドライン」を守るために様々な工夫がされている。

たしかに「締切りを守れ」といったスローガンを叫んでいても、守られないのが「締切り」といったものだから、

そのほかに

「仕事のスピード」は「判断のスピード」だ

とか

社内の「常識」のレベルを上がれば、判断力も高まる

など「うんうん」と頷けるアドバイスも数々。


ところどころ「ワーク」と「ライフ」はまったく別物だ（この時の「ライフ」は私生活という意味らしい）

や

「社員教育」は無駄だ

など、ちょっと欧米っぽすぎたり、過激過ぎるところがなきにしもあらずだが、かなりぐいぐいと引き込まれて読めるビジネス本である。

ただ、このうちの時間外禁止の話は、聞くところによると、吉越氏が社長の時は実行されていたが、社長が変わって、トリンプでも実行されなくなっている、という話を小耳にはさんだことがある。変遷というものは、どこの世界にもあるものなのだ。

まあ、そんなところを割引しても、ちょっとやってみようかな、と思わせるところの多いビジネス本であることには間違いない。さらに、かなり論旨が明快なので、サクサク読めることも確かである。

ちょっとした時間の合間に読むビジネス本としておすすめ。
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   <title>たかのてるこ　「ダライ・ラマに恋して」（幻冬舎文庫）</title>
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   <published>2008-10-19T12:22:26Z</published>
   <updated>2008-11-02T01:29:18Z</updated>
   
   <summary> なんで「ダライ・ラマ」なんだ？と思ったら、どうやら前作で恋仲になったラオス青年...</summary>
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</div>
なんで「ダライ・ラマ」なんだ？と思ったら、どうやら前作で恋仲になったラオス青年に大失恋したのが原因らしい。

前作は、かなりまとまりのない、純愛路線満載で、この旅行記はいったいどうなるんだ、ってな具合だったのだが、今回は恋愛ネタなし（もっとも、ダライ・ラマさま〜ってな具合はあるのだが）のチベット旅行記である。


チベットというところは、ググってみればわかるように、中国の自治区であるところと、インド領とに分かれていて、ダライ・ラマはインド領の方に亡命していて、今回の旅行記は、そのどちらも旅することになる。


チベット自治区では、インド領のダラムサラへの亡命を夢見るチベット人青年や、「もともとチベットは中国のものだから」と言う、近々、チベットの娘さんと結婚する中国人青年に会ったりして、それなりに今のチベットの置かれている状態を考えさせられたりするのだが、まあ、そうした生臭い話は、ちょっとおいておこう。

で、ダライ・ラマと面会できるかもしれないとわずかな期待を抱いて訪れたインドのラダックやダラムサラは民間のシャーマンと会ったり、ナグラン祭りのシャーマンにおもちゃの剣でどつかれたり、前世の記憶のある少女に会ったり、とか、それなりに様々なことはあるのだが、全体として静謐な印象を与えるのは、チベットという土地のもつ性格ゆえなのだろうか。


最後は、ダライ・ラマに会って、目出度し、目出度しになるのだが、このシリーズの中では、ドタバタ感の少ない旅行記であります。

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   <title>たかのてるこ　「モンキームーンの輝く夜に」（幻冬舎文庫）</title>
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   <published>2008-10-12T07:45:32Z</published>
   <updated>2008-11-02T01:30:59Z</updated>
   
   <summary> 「モロッコで断食（ラマダーン）」に続く、たかのてるこさんの旅本第4弾。 この人...</summary>
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</div>
「モロッコで断食（ラマダーン）」に続く、たかのてるこさんの旅本第4弾。

この人の旅本は、冊数を重ねるに従って、恋愛モードが高まっていくのだが、今回の「モンキームーンの輝く夜に」は、もう恋愛、恋愛、恋愛・・・・、と恋愛モード満開といったところである。

訪れる国は「ラオス」。
お決まりのように、「ラオス」ってのは?　と、Wikipediaで調べると、

<font color = Red>
ラオス人民民主共和国（ラオスじんみんみんしゅきょうわこく）、通称ラオスは、東南アジアの内陸国。北西のミャンマーと中華人民共和国、東のベトナム、南のカンボジア、西のタイの5カ国と国境を接する。
</font>

といったところで、社会主義の国らしいのだが、他の社会主義国と同じく西側諸国とのつながりも必須となっているらしく、また、地理的な面からタイやベトナムとの関係ぬきにしては経済が立ち行かない状態のようだ。

で、今回は、恋愛の相手となるラオス青年（なんと10歳年下だ）に、ピエンチャンで、日本語で話しかけられるところがプロローグになっている。

今回は、最初から恋愛モード炸裂である。まあ、本編は、最初は、ピエンチャンの市場で、土産物店の親子に昼ご飯をご馳走になったり、途中で知り合った青年たちとビアパーティーに行ったり、と、いつもの人懐っこい筆者の旅で始まるのだが、途中、今回の純愛旅のお相手であるラオス人青年「シノアン」と出会ったあたりから、話は、どんどん、どんどん、恋愛モード全開になってくるのである。
]]>
      まあ、一旦、ピエンチャン近くの、彼の村で恋愛モードになった後に、一人で北ラオスに旅立って、ルアンパパーンと言う町で若い坊さんばかりの寺に遊びにいったり、ルアンナムターという町で、英語学校の臨時生徒になったり、コンドームの普及に歩いている青年たちに会ったり、とそれなりの旅の風情はあるのだが、どうも、今回は、底の方に「恋愛、恋愛・・・・」があって、どうにも、お尻のあたりがこそばゆい。


だが、そうはいっても旅は旅。旅の終わりは確実にやってくる。留学試験に受かって、日本に行くという青年と泣く泣く、ラオスの空港で、涙ながらの別れをすることになる。
日本とラオスと離ればなれになりながら、「早く一緒になりたいよー」とインターネットメールで、不安を持ちながらも、愛を確かめ会う恋人たち。果たして、二人は、いつ結ばれるのでしょうか・・・・？

といったところで、今回のお話は終わる。
さてさて結末は、というところだが、結果は次作「ダライラマに恋して」を待て、といったところ。

うーむ。年くったおじさんとしては、ちょっと今回のネタは辛かったのが、本音である。


   </content>
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   <title>たかのてるこ　「モロッコで断食」（幻冬舎文庫）</title>
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   <published>2008-10-11T07:42:36Z</published>
   <updated>2008-11-02T01:31:38Z</updated>
   
   <summary> 前作の「サハラ砂漠の王子様」では、ちょっと場違いっぽい恋愛旅物語を演じた、たか...</summary>
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</div>
前作の「サハラ砂漠の王子様」では、ちょっと場違いっぽい恋愛旅物語を演じた、たかのてるこさんの、文庫本3作目。

今度の舞台は、「モロッコ」である。

で、モロッコでどこなんだ？とWikipediaを見ると

<font color = Red>
「モロッコ王国（モロッコおうこく）、通称モロッコは、アフリカの国。首都はラバト。アルジェリアとサハラ・アラブ民主共和国（西サハラ）とスペインの飛び地セウタ・メリリャに接し、大西洋と地中海に面している。アフリカで唯一のアフリカ連合未加盟国。」
</font>

というところらしく、気候も温暖で、経済的にもアフリカ諸国の中では豊かなほうらしいのだが、日本人にはあまりなじみのない,
イメージの薄い国といっていいだろう。
（Wikipediaには「40才以上の人には「性転換のメッカ」という印象の強い国」といった表現があるが、私も４０才以上だが、あんまりそんな印象は持たなかったぞ。）

そんなところで、何をするんだ、ということになるのだが、まあ、有り体にいえば、「断食（ラマダーン）」体験記とモロッコの田舎でのちょっとした純愛旅物語といったところ。

全体に、たかのてるこさんの旅本は、人との出会い（恋愛っぽいものも含めて）が中心で、食べ物には冷たいところがあるのだが、
今回の本は、「断食（ラマダーン）」が根底に流れているせいか、おやっと思う「食べ物」の話が今回は多い。

もともと、ラマダーンも、路線バスに乗り合わせて、地元の人の視線に逆らえず、一緒にラマダーンをやることになったのだが、その日のラマダーン明けの食事のシーンはこんな具合。

<font color = Blue>
　混雑した店内をかき分け、兄ちゃんと席に着くと、すぐにイフタールのセットが運ばれてきた。早速、ハリラを飲んでみる。ハリラはすり潰した豆のスープで、とろみあるドロッとした舌触りだった。細かく刻まれたトマトやタマネギも入っていて、確かにお腹にやさしい感じのする料理だ。
　私はものスゴい勢いでパンを引きちぎってはハリラで流し込み、ゆで卵を口に押し込んでは、水をガブ飲みした。五臓六腑に食べ物と水分が染み渡っていく快感。
</font>

どうです。ちょっと「イフタール」が食べたくなるではないですか？

]]>
      <![CDATA[で、話は、そんなモロッコのマラケシュで知り合ったベルベル人の青年（カリッドという名前だ。）に誘われて、彼の故郷の村に遊びに行き、そこで何日も暮らしているうちに、彼の家族の優しさや彼の人柄に惹かれてってな具合で、純愛旅物語が進展していくのだが、この人、結構惚れっぽいよなー、と思うのは、私だけではないはずだ。

まあ、純愛物語だけではなくて、モロッコの田舎の大家族の暖かさや家族愛、そして澄み切ったような自然（けして荒々しいジャングルや砂漠のようなものではなく、飼い慣らされた牧歌的な自然）とあいまって、なにかしら、のんびりとした気分のさせてくれるのが、この旅行記の一番良いところだろう。

そんな家族の暖かさを象徴するような食事のシーンを引用して、このレビューを終わりにしよう。場面は、筆者が青年の故郷の村を訪れて、始めての、青年の大家族とともにとる夕食（その日のラマダーンが終わってからの食事だから「夜食」というべきか）のシーンだ。

<font color = Blue>
　お母さんとお義姉さんが、大きな皿に入ったタジン（煮込み料理）や、どデカいパンを持ってきてくれる。カリッドが直径４０センチはあるかと思われる平たいパンをちぎり、皿のまわりに置いていく。

　タジンから湯気がモウモウと上がり、煮込んだ牛肉と野菜と、なんともいえないスパイスのイイ香りがしてくる。さっきからお腹が鳴って仕方がなかった私は、早速パンにタジンをつけ、口の中に放り込んでみた。うま〜っ！！ひとくち、ふたくちと食べるうちに、タジンの美味しさと温かさが全身にじわじわと染み渡っていく。
</font>

今夜は、「鍋」にしようかな。
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   </content>
</entry>
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   <title>早瀬圭一　「鮨に生きる男たち」　（新潮文庫） </title>
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   <published>2008-10-05T11:19:37Z</published>
   <updated>2008-10-05T11:41:00Z</updated>
   
   <summary> 鮨に生きる男たち早瀬 圭一新潮社540円Amazonで購入書評/ルポルタージュ...</summary>
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         <category term="180)食べ物" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<div style = "float:left">
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<a href="http://blog.livedoor.jp/books_review/archives/50892730.html" target="_blank"><img src="http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/21qjajV4fIL.jpg" width="110" height="160" border="0" /><br />鮨に生きる男たち<br /></a><ul style="list-style:none;margin:0;padding:0;"><li style="list-style-type: disc;list-style-position:inside;">早瀬 圭一</li><li style="list-style-type: disc;list-style-position:inside;"><a href="http://www.buzz-pr.com/book/book/9/any/any/any/any/list.html">新潮社</a></li><li style="list-style-type: disc;list-style-position:inside;">540円</li></ul><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html%3FASIN=4101390053%26tag=takafamcom-22%26lcode=xm2%26cID=2025%26ccmID=165953%26location=/o/ASIN/4101390053%253FSubscriptionId=090596K8VFHWK71V2782">Amazonで購入</a><br /><a href="http://www.buzz-pr.com/book/book/info291.html">書評</a>/<a href="http://www.buzz-pr.com/book/book/any/any/201/any/any/list.html">ルポルタージュ</a><br /><img src="http://www.buzz-pr.com/img/isbn9784101390055.gif" /><script src="http://www.google-analytics.com/urchin.js" type="text/javascript"></script><script type="text/javascript">_uacct = "UA-918914-3";urchinTracker();</script>
</div>
「鮨」の名店を紹介する本と思いきや、「鮨」に人生をかけた男たちあるいは家族たちの物語である。もちろん、「鮨」に全身全霊をかける職人たちであるから、その店はいわゆる「名店」になっていくのは必然ともいえるのだが、その軌跡をたどる、という性質のものではなく、「鮨」に魅せられ、「鮨」に人生のほとんどを費やしてきた職人たちの歩みの軌跡というべき本である。

とりあげられているのは17人というか１７店。

掲載されている店をあげれば
「喜（正式は　七が三つ）寿司」、「鮨　水谷」「神保町鶴八」「新橋鶴八」「奈可久」「鮨　青木」「鮨　徳助」「あら輝」「鮨処　喜楽」「すし処　司」「鮨処　成田」「寿し銀」「吉野鮓」「千取寿し」「松乃寿司」「鮨処おざわ」「すきやばし次郎」
といったところで、鮨通なり美食家の人が聞けば、「あー」と頷く店ばかりなのだろうが、残念何ら、辺境に住まう私としては、一つとして入ったことのない店ばかりだ。

場所は東京はもちろん一番多いが、千葉、金沢、名古屋、京都、静岡とかなり広範囲にわたっているし、店の思いでも、筆者が学生の頃の戦前から始まっているから、時代的な幅も広い。

一体に鮨店というのは、緊張を誘うもので、これは「お勘定」の話もあるのだが（だって、「時価」なんて値札のある食い物屋なんて、滅多矢鱈にないと思う。フランス料理やイタ飯屋、高級割烹にはたしかにあるが、鮨屋はどんな場末の店でも、しっかり「時価」っていうのがあるからなー）、それよりなにより、カウンター
が店の中心で、鮨職人と直接相対するってあたりにあるのではないだろうか。

]]>
      <![CDATA[ラーメン屋とか定食屋は確かにカウンター中心の店はあるが、鮨屋ほど、「直に相対する」感の強い食い物屋はないだろう。
そうした１対１の関係のところで、「お任せ」ならまだしも、一品づつ注文するのだから、かなりの緊張感とともに食事をすることになるのは当然で、正直いうと、この「緊張感」は、私はあまり心地よくない。

ただし、緊張するのは私だけではないらしく、この本の筆者も、最初の店となると、しかもそれが評判の店となると緊張するものらしく

（「すきやばし次郎」に初めて入った時は）
<font color = “blue”>
もくもくと食べて１４、5分、いやそんなにかからなかったかもしれない。
緊張していて、うまいもまずいもなかった。
</font>
という具合であるが、これは

「鮨屋は手が命だから」と外出するときに必ず手袋をし、指の腹の柔らかさを保つため、直接モノを持たない（「すきやばし次郎」の小野次郎氏）

というぐらいの精進をする職人の出してくれる「鮨」に報いるためには、これぐらい緊張して食さないとダメですよ、という筆者の忠告なのだろうか。
たしかに、この本にでてくる職人のいずれも（店を継いだか、親新規開業かに拘らず）長い修行の末に店を持っているし、店を持ってからも、自分なりの鮨の有り様を創り上げるのに相当の修行をしてきている。そうした職人の努力を思って、心して戴きなさいよ、ということなのだろう。


と、まあ、どことなく説教くさくなってしまったのだが、最後に「鮨　徳助」のこんな場面で〆としよう。

<font color = “blue”>
　白身、小肌、貝類、赤身､カスゴ(もあったと思う）ー次々と握ってもらい、つけ台に置かれるやいなや、間髪を入れず口に放り込むようにして食べ、味わっていった。一カン一カンに煮切りがつけられていて、やや小ぶりの鮨は形もいい。ほどよい大きさの寿しは、それ自体、酒の肴になっている。
　穴子を頼むと、主は右隅のガス台の笹の葉を載せ、そのうえに煮穴子を置いた。直火でなく、笹の葉を通して穴子を焙ろうとしている。やがて笹の葉を燻すような香りが漂い、なんとも香ばしい。しかし焙ってツメをつけ、握られた穴子に笹の香は移っておらず、穴子独特の甘さと柔らかさだけが口の中に広がる。
</font>

うーむ。鮨屋に行きたくなってきたな。

]]>
   </content>
</entry>
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   <title>佐々木俊尚　「フラット革命」（講談社）</title>
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   <published>2008-09-27T08:38:34Z</published>
   <updated>2008-09-27T23:03:55Z</updated>
   
   <summary> 「ウェブ世界」の水先案内人として確かな判断を示してくれる筆者の2007年の論考...</summary>
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</div>
「ウェブ世界」の水先案内人として確かな判断を示してくれる筆者の2007年の論考。


今回取り上げられているのは「インターネットのつくるフラットな空間がマスメディアや人間関係、政治などにどのような影響を与えつつあるのか」ということ。

構成は
第一章　フラット化するマスメディア
第二章　よるべなく漂流する人たち
第三章　組み替えられる人間関係
第四章　公共性をだれが保証するのか
といった構成で

インターネットとマスコミュニケーション、とりわけ、「ネット君臨」に見られる新聞系のマスコミから発信されるインターネット不信あるいはクズ論への論考

から始まり、

インターネットの普及とともに、崩壊と希薄化を増してきた戦後社会の「企業社会にくるまれた」家族主義の姿から、「ミクシィ」で象徴される、個々人を媒体とした新しい関係性の構築の姿

へと展開し、

集団である一定の価値観を共有（それが半ば強制された共有であっても）していた時代、いわば「われわれ」の時代から、インターネットによて、個々の価値観がいくつかの繋がりは持ちながらも、混じらない個体として存立する時代の「公共」のあり方、へと結ばれていく。


　純粋に個人的な感想をいえば、最初の旧来のマスコミが、インターネットの出現によりその足場を侵食されていく姿、本書の言葉を借りれば「匿名言論の出現」「取材の可視化」「ブログ論壇の出現」により、自らの不可侵性を失い、報道する、表現する自らが、報道・表現される客体となってしまう姿は、一種、旧勢力の崩壊の爽快さを感じてしまうところがなきにしもあらずではある。
　だが、章が進み、それでは、旧制度がまがりなりにも担保していた「公共性」あるいは「ぶつかり合う価値観の調整機能」を誰が、どう担っていくか、という問題には「うーむ」と唸って、立ちすくんでしまいそうになる。

インターネットが、個々人の自由なコミュニケーションの領域を開き、あらたな情報共有と議論の場であることを牧歌的に信じていればよかった時代は過ぎてしまい、インターネットの世界が、現実の世界と同じように人間関係の泥臭さにまみれていることがわかり（学校「裏掲示板」なんてのはその典型だろう）、その一方で旧来の人間系の情報システムを破壊してしまっている時代に突入してしまっていることは、おそらく間違いなくて、それは、戦後の「会社」を中心として生活や人生設計すればよかった時代が、「グローバル化」とともに、よるべない「個」の世界へ解体されていっていることと並行している。

そうしたネットの世界を象徴する言葉として。「サラダボウル」という表現が書中にでてきて、それはいわゆる「坩堝」と対比されて使われていて、文章を引用すると

ネットの世界では、坩堝という言葉はあまり使われない。坩堝は投げ込まれたいくつもの素材を溶かし、それらの素材を融合させてひとつにしていく。だが、ネットの世界では、投げ込まれた人々や情報は、決して融合するわけではない。差異はそのままで残されて、融合されることなく混沌とそこに存在しているのだ。
　だからネットの世界は、坩堝ではなく「サラダボウル」のようなものなのだ。サラダボウルの中にはトマトやレタス、キュウリ、セロリなどさまざまな野菜が投げ込まれ、しかし決して交じり合うことなく、しかしひとつの調和を保ってそこに存在している

とうことらしいのだが、そのボウルの中で、トマトとキュウリのぶつかりあいの調整や、レタスとセロリの味の違いを調和を、図っていくのかということが「公共性の確保」ということなのだろう。

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      残念ながら、だからこうすればいい、という万能の処方箋はまだ、本書に限らず、どこからも提案されていない、と私は思っている。本書にも、ひとつの提案というか方向性は示されている。それは、本書の最後の最後のほうで

　批判、それに対する反論、そして再反論、そうした議論のすべてが可視化されていくことこそが、新たな公共性を生み出していくのだ。
　そしてインターネットにおける議論という公共性は、新たな民主主義の可能性へとつながっている。
　それはラディカルな民主主義である。

といったくだりで示されているのだが、この具現化はまだまだ、言葉と実践の集積が必要なのだろう。

ただ、言えることは、インターネット不要論者のいう世界には、もはや戻れないということだろう。いくぶんかの世代やグループが、機械文明を避けて隠遁的な生活送った故事のようにインターネットから逃げ出すような暮らしは可能であっても、すべての人々にネットと無縁の生活を遅らせることは不可能だろう。
であるならば、こうした事実や世界を受け入れながら、新しい表現の形、コミュニケーションの形、公共の形を探っていくしかない、ということなのだろう。

   </content>
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   <title>川崎昌平　「ネットカフェ難民」（幻冬社新書）</title>
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   <published>2008-08-15T12:21:44Z</published>
   <updated>2008-08-23T02:03:46Z</updated>
   
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</div>
もともとは、日本テレビのドキュメントに端を発したものらしいのだが、その放映が２００７年1月で、本書の刊行が2007年9月だから、ほぼ同時代的な「ネットカフェ難民」の記録として考えていいだろう。

筆者は、カバー裏を見ると、ひきこもり＆ニート生活後、電話で連絡を受けて日雇い生活をするワンコールワーカーの生活に入ったらしい。
まさに現代社会のある一面をきちんと一人で体現している。

さて本書は、筆者が実家を出て、ネットカフェ暮らしをはじめ、貯金が心細くなると、携帯で登録して、携帯で連絡を受けて日雇い労働に出かける生活に入り、実家近くで、その日の日雇い労働を終える、という1ヶ月間の暮らしが綴られている。

正直なところ、ネットカフェというものには、ほとんど縁がない。インターネットというものが今のように普及した頃には、既に就職してから十数年が過ぎ、子供もいる境遇で、おまけに実社会に出るには、サラリーマンが普通で、自由業は、それこそ恵まれた才能のある人たち用のもの、会社を辞めるのは倒産した時かリストラされた時という時代を生きてきたため、今のようなフリーター、あるいは非正規が普通という世相は、なんとなくいごごちが悪い。
そうした個人的な感覚を持ちながら本書を読むと、なぜか妙な「明るさ」が漂っている感じがするのが不思議だ。

書かれているのは、けして波瀾万丈のことがあるわけではなく、派遣労働といっても、千葉の鞄会社での鞄の中敷きを入れる作業や、スーパーでの実演販売、イベントの後片付けといったん、なんとも平凡なもの、女性との出会いといえば、その千葉の会社でバイトの間だけ、同じバイトの女性を一緒に作業をするだけのものだし、寝泊まりは、題名どおりのネットカフェかマクドナルドという生活。

ネットカフェ難民に象徴される生活は、最近の陰惨な事件を連想させるように、けして将来に向けての夢とか野望といったことは、かけらも感じさせない生活なのだが、なにか妙な白夜のような明るさを漂わせている。
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      きっと、夜とも昼とも属さず、その間に妙なバランスで挟まれているような生活であるか故の「明るさ」、虚無の前の「黄昏の明るさ」といったものなのかもしれない。


ただ、本書が書かれた２００７年の当初から2008年と時が経っていくにつれ、何かしら壊れていっているものが多くなっているという印象を持つのは、私だけではないはずだ。
「ボヘミアン」という美しい言葉はあるが、本書の内容が指し示していく未来は、黄昏から、夜の暗闇へと移行していく未来のような気がしてならず、願わくば、それが万民の未来でないことを祈るばかりなのである。


夜明け前が一番暗く、夕暮れ時が一番柔らかく明るいのかもしれない。


最後の余計事を一つ。


それぞれの一日の終わりに、用語解説みたいなコラムっぽいのが載ってて、「おじさん」には非常に役立ちます。
   </content>
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   <title>佐々木俊尚　「次世代ウェブ ー グーグルの次のモデル 」（光文社新書）</title>
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   <published>2008-08-12T12:23:27Z</published>
   <updated>2008-08-23T01:57:44Z</updated>
   
   <summary> インターネットのビジネスモデルをリードする「グーグル」を超えようとしているビジ...</summary>
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</div>
インターネットのビジネスモデルをリードする「グーグル」を超えようとしているビジネスモデルの動向を知らせてくれるのが本書。

こうした新しいビジネスモデルを紹介する場合は、アメリカの最新モデルが紹介されることが多くて、なにか遠い世界で起こっている出来事のような印象を受けるケースが多いのだが、本書は、どちらかといえば、日本の新たなビジネスモデルの胎動の紹介に多くのページが割かれていることを評価したい。

取り上げられているのは、ミクシィ、ビジネス寄り、文系寄りのソーシャルニュースコミュニティや日本の新しい検索エンジン開発の動きなど、ネットの世界の住人の方々には、既によく知っている事例も入っているのだが、こうした新書として、広く一般の人々をターゲットとして書かれているものとしては、やむを得まい。

また、若干、時期がずれるせいか、YouTubeは取り上げられているが、「ニコニコ」は出ていないといった、ちょこちょことした不満はあるのだが、ネットビジネスのトレンドを大きく捉えるという目的で読むとすれば、十分目的を達することのできる一冊である。

このうち、気になる言葉などを少し。

それは、楽天のビジネスの話をとりあげている「変化」という章で、faddict.net blogというブログの引用あおしながら語られる「Web2.0」は「地主制度2.0」ではないかという主張だ。

少し引用すると
]]>
      <![CDATA[<font color = blue>
「利益路津は低そうなのに、やらなきゃ乗り遅れるWeb2.0のジリ貧競争に巻き込まれ、同業他社と不毛なサービス合戦をしてボロボロになりながらも、得られるものは５％アフィ程度、どちらが勝とうが結局サービスを提供するGoogle様はしっかり儲かる。まさに氏の死の武器商人に踊らされる紛争地帯、それがWeb2.0なんじゃないだろうか。
　で思うに、マッシュアップやらなんやらというのは、Google様やAmazon様という大地主によって与えられた土地で、小作人として生きる道のことを、なんかキレイに着飾ってごまかしているのにすぎないのではないか
</font>

とか

<font color = blue>
Web2.0というパラダイムのもとでグーグルやアップル、アマゾンなどが垂直統合モデルを再び復活させようとしていて、それはかなりの部分まで成功を収めている。
</font>

というあたり。

つまり、自由でフロンティア的なビジネス・フィールドに見えるネット・ビジネスの世界が、実は、その生産や富を生み出す基盤は既にグーグルやアップル、アマゾンなどの欧米先進企業群に押さえられていて、後発あるいはプラットフォーム化のチャンスをつかみ損ねた「企業」（これには「国家」も含まれるのだろう）は、彼らの提供するプラットフォームの中で、年貢を納めながら、生計を立てるしかなく、彼らの機嫌を損ねぬよう経済活動をしていくしかないということを意味している、ということなのだろうか。

そうだとすると、プラットフォーム化のチャンスをつかみ損ねた「日本」という国家の国民としては、「またアメリカが金メダルかよ」といった具合で、なんとも情けなくなってしまうのである。

この支配を打破する方法として、本書の最後の方に

<font color = blue>
＜リスペクトーアテンションープロフィット＞
という導線をうまく描き出せるかどうかが、今後のアテンションエコノミーにおける収益モデルのカギになるのではないかと思うのである。
　そして、こうしたモデルを確立することができれば、そのときにはグーグルやアマゾン、アップル・コンピュータが支配する「地主制度２．０」を打破し、プラットフォーム支配をはねのけて、新たなエコノミーをつくり出すことができるようになるかもしれないのだ。
　そのモデルをつくり出すのは、これからのインターネットベンチャーの役目である。
</font>

となにやら、道のりは遠そうだが、けして不可能ではない方法が掲げられている。

きっと、日本の若きインターネットベンチャーたちへの「がんばれよ」の言葉なのだろう。
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   </content>
</entry>
<entry>
   <title>梅田望夫　「ウェブ時代　五つの定理」（文芸春秋）</title>
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   <published>2008-08-07T12:01:52Z</published>
   <updated>2008-08-07T13:01:34Z</updated>
   
   <summary> おなじみの経営コンサルタントというか、ウェブ時代の適切な水先案内人である梅田望...</summary>
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</div>
おなじみの経営コンサルタントというか、ウェブ時代の適切な水先案内人である梅田望夫さんが、シリコンバレーの第一級のビジョナリーたちの言葉を紹介しながら、ウェブ時代の新しい作法や起業の道案内をしてくれるのが本書である。

ビジョナリーとは、テクノロジー業界の最先端を走る起業家や投資家、「普通の人」よりも何歩も先を行く天才的技術者、日々の濃密な経験から世界を俯瞰して眺めている企業経営者、複数の専門性を極めた大学教授といった人たちの中で、とりわけ言語表現能力が高い人々のことで、こうした人々が英語で発する切れ味の良い言葉を読み、その言葉の背景にある思考や発想に寄り添って深く考えることで、

未来を見通すことなど誰にもできないが、こうすればクリアに想像できる

世界の成り立ちなど誰にもわからないけれど、こうすれば見晴らしがよくなる

といったことができると発見し、それを繰り返すことで、変化の予兆を捉えるというのが、筆者の勉強法のようだ。


もとより英語力のない私なぞには、及びもつかないが、こうした先達の言葉を紹介し、その意味と示す未来を魅せてくれる本書のような存在は非常にありがたい。


そしてこうしたビジョナリーの言葉は「五つの定理」として整理され、それぞれのテーマ毎に分類・整理され、構造化されている。

「五つの定理」とは
①アントレプレナーシップ
②チーム力
③技術者の眼
④グーグリネス
⑤大人の流儀

で、いずれも、こうした「ウェブ」の世界を端的に現す言葉であるようだ。
]]>
      <![CDATA[紹介されるビジョナリーは、例えば、グーグルのＣＥＯのエリック・シュミットや副社長のマリッサ・メイヤーからアップルのスティーブ・ジョブス、ＤＥＣ社のコンピュータ設計者で、初期コンピュータ産業の育ての親ともいわれるゴードン・ベルなどなど多士済々であり、またその言葉も多種多様である。

その言葉群には、直接、本書にあたって参照していただきたいが、切れ味が良くて、「ふむ」と立ち止まって、考えさせられる言葉ばかりであることには間違いない。

確かに、こうした切れ味のいい言葉に日常的に接して思考を続けていれば、かすみがちな私の目も「時代の変わり目」をうっすらとでもわかるようになるかもしれないなー、と誇大妄想気味に考えてしまうのである。


多くの言葉を引用すると、営業妨害になってしまうので、最後にスタンフォード大学の卒業生向け講演でのスティーブ・ジョブスの元気の出る言葉を引用して〆とする


<font color = blue>
君たちの時間は限られている。
その時間を、他の誰かの人生を生きることで無駄遣いしてはいけない。
ドグマにとらわれてはいけない。
それでは他人の思考の結果とともに生きることになる。
他人の意見の雑音で、自分の内なる声を掻き消してはいけない。
最も重要なことは、君たちの心や直感に従う勇気を持つことだ。
心や直感は、君たちが本当になりたいものが何かを、もうとうの昔に知っているものだ。
だからそれ以外のことは全て二の次でいい。

＝スティーブン・ジョブス＝
</font>


ゆっくり時間をかけて読んでも、けして損をした気にはならない一冊である。
]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>梅田望夫　「シリコンバレー精神」（ちくま文庫） </title>
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   <published>2008-08-02T04:25:17Z</published>
   <updated>2008-08-02T04:55:22Z</updated>
   
   <summary> １９９６年秋から２００１年夏にかけて、筆者のシリコンバレーの経験に基づくエッセ...</summary>
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</div>
１９９６年秋から２００１年夏にかけて、筆者のシリコンバレーの経験に基づくエッセイというか、シリコンバレーの一時期を切り取った、現地にいた当事者の記録の集合体である。

いくつか、ネット関連のエポックとなるものがいつ起こったのか調べてみると

windows95の発売が文字通り１９９５年
グーグルの創業が１９９８年
ネットバブルの崩壊が２０００年

となっている。

そうした意味で、単なるネットに関するエッセイとしてではなく、インターネット時代の幕開けとして「シリコンバレー」が輝き初め、ネットバブルの波の到来と崩壊、そして再生へ、といっためまぐるしくはあるが、私たちの生活に大きな変化を与えた一時代の記録としても貴重な一冊である。

ただ、「シリコンバレー」あるいはそれに代表される「ネットの世界」に住む人たちのスタイルも丁寧に書かれているので、時代の記録集としてだけではなく、「ネット」あるいは「ウェブ」という、一種特殊ではあるが、確実に私たちに浸透してきている思考スタイルや行動スタイルのついての評論集としても読むべきであろう。

いくつか、その一端を引用すると、ベンチャー企業の興廃著しいシリコンバレーのビジネススタイルは

<font color = blue >
第一に、事業の成功・失敗はあくまでもビジネスというルールのある世界でのゲームで、それを絶対に人生に反映させないこと
第二に、事業とは「失敗するのが普通、成功したら凄いぞ」というある種「いい加減な」遊び感覚を心の底から持つこと。「成功するのが当たり前、失敗したら終わり」という「まじめ」発想を一掃しなければならない。
第三に、失敗したときに、「投資家や従業員や取引先といった関係者に迷惑がかかる」という考えを捨てること。皆、自己責任の原則で集まってきているのだと、自分勝手に「都合良く思いこまなければならない
この３つの知恵は、不運や失敗をしたたかに乗り切っていくための救命胴着
</font>
なのであり、その中で挫けることなく挑戦を続ける人々の心の有り様を「マドル・スルー」という言葉で表現している。

]]>
      <![CDATA[「マドル・スルー」とは

<font color = blue >
　文字通りには「泥の中を通り抜ける」だが、「先行きが見えない中、手探りで困難に立ち向かう」の意。中西輝政京都大学教授に よれば、アングロサクソンには「マドル・スルー」の状態自体をプロセスとして楽しむ骨太の行動文化があり、その文化の存在こそが「霧に立ちこめ始めた時 代」にアメリカやイギリスが活力を保持している所以だとのこと（「国まさに滅びんとす」「なぜ国家は衰亡するのか」）

「泥の中を通り抜ける」、「先行きが見えない中、手探りで困難に立ち向かう」とおう意味だが、その状態自体を「目標に到達するための苦難」だと思わずに楽しむこと
</font>

といったもので、そうした「マドル・スルー」を基礎にして、

<font color = blue >
限られた情報と限られた能力で、限られた時間内に拙いながらも何かを判断しつづけ、その判断に基づいてリスクをとって行動する。行動することで新しい情報が 生まれる。行動するモノ同士でそれらの情報が連鎖し、未来が創造される。行動する者がいなかれば生まれなかったはずの未来がである。未来志向の行動の連鎖 を引き起こす核となる精神

人種や移民に対する底抜けのオープン性、競争社会の実力主義、アンチ・エスタブリッシュメント的気分、開拓者（フロンティア）精神、技術への信頼に根ざしたオプティミズム（楽天主義）、果敢な行動主義といった諸要素が混じり合った空気の中で、未来を創造するために執拗に何かをし続ける「狂気にも近い営み」を、面白がり楽しむ心の在り様
</font>

が、シリコンバレーにおける思考スタイルというか行動スタイルである「シリコンバレー精神」だと主張されている。

こうした「シリコンバレー精神」に対する筆者のスタンスは、あくまでも楽天的であり、信頼を寄せているのは、いくつかの章を読めば容易に感じ取れる。

最近、ネットにまつわる、あるいはネットに起因しているといわれるいくつかの陰惨な事件を契機に、ネットの「排斥」運動ないしは、ネットの「ラッダイト運動」的な風向きを感じるのだが、やはり私としても、梅田望夫氏のように、こうした「シリコンバレー精神」に代表される「ネットの未来」、あるいは「ネットによって招来される新しい行動の形」を信頼したいのである。

そして、それは

<font color = blue>
1998年のクリスマス商戦でアメリカの消費者は約50億ドルの買い物をネット上で行ったが、爆発的に普及するネット通販は既存の小売・流通業をかなりの スピードで破壊する。顧客と直接コミュニケーションできる効率よい道具を得たために、製造業ではネット直販方式に転換して必要なくなった人をレイオフする 企業が増えた。金融・証券も同様。具体例を挙げればきりがないが、予想を上回る勢いで大切な何かを失っていく危険
</font>

や

<font color = blue>
世界中の「働きたいヒト」の詳細情報や過去の実績がインターネット上で流通する時代の到来は、「置き換え可能」な人材の報酬がグローバル労働市場とリンク する方向を示唆している。米国の法律で定められた最低時給賃金は州によって異なるが四ドルから七ドルの間くらいである。これを下限とした価格競争メカニズ ムは、これまでブルーカラーや低レベルの対人サービス従業者に対してのみ働いてきたが、この範囲がさらに拡大していく
</font>

といった負の面を抱え込んでいることは事実であるとしても、閉塞感のある現代を切り開く、有力な選択肢の一つとして、（何はともあれ）考えていきたいのである。

]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>西川　治　「世界ぐるっと朝食紀行」（新潮文庫） </title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://takafam.com/weblog/2008/08/post_178.html" />
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   <published>2008-08-01T13:33:47Z</published>
   <updated>2008-08-02T08:40:21Z</updated>
   
   <summary> 旅本でうまいもの紀行というのは、よくある話で、そういうテーマで1冊をものしよう...</summary>
   <author>
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         <category term="110)旅エッセイ・旅本" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
         <category term="180)食べ物" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://takafam.com/weblog/">
      <![CDATA[<div style = "float:left">
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=takafamcom-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4101333513&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=FFFFFF&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>
</div>
旅本でうまいもの紀行というのは、よくある話で、そういうテーマで1冊をものしようとすると、かなりの工夫か味付けか、あるいはグロものか、といったことが必要になるのだが、「朝食」だけにテーマをきめた旅本というのは、ほかにあまり例をしらない。

しかも、とりあげられている国は

トルコ、モロッコ、イタリア、フランス、オーストリア、ドイツ、デンマーク、スコットランド、イギリス、カナダ、アメリカ、メキシコ、オーストラリア、フィジー、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、インド、モルディブ、モンゴル、韓国、香港、台湾、中国、そして日本

とアフリカ、南米以外の国を幅広くカバーしている。

おまけに、旅本というとあやしげな屋台やポン引き、あるいは美しいが危険な美女や、おカマといったものが登場するのがおきまりなのだが、「朝食」をテーマにしているため、そうした胡散臭い色合いはなく、非常に健康的で明るい旅本である。

で、どんな朝食がいいかなー、というのは、もうそれぞれのお好み次第だ。こうした「食べ物」をテーマにした旅本は、冷静な態度
で読むもんじゃなくて、読者それぞれの偏見と独断で、これは美味そうだ、とか、これは勘弁してくれ、とか、こんなスカした食い物はいやだ、とか我が儘勝手な評論をしながら読むのが一番正しい読み方だと、これも勝手に決め込んでいる。

なんにしても、朝、昼、晩の三食の中で、朝食は旅先で食べるのが一番美味い気がしていて、それは国内外を問わず、ホテルのありきたりのバイキングだろうが、市場のガタガタいうベンチとテーブルで食べる食事であろうと変わらない。
そうした「旅先の朝食」が、これでもか、というぐらいにでてくるのだから、これはもう食べる、というか読むしかないだろう。

で、いくつか引用させてもらうと、まずは最初の一篇のトルコのバザール

]]>
      <![CDATA[
<font color = blue>
三分の一ほどに切ったパンを、今度は縦に切り裂き、なかのやわらかいところを毟り取りその空いたところに、先程、刻んだ羊の腸を詰め、やはり、先程、毟り取ったパンをその上にのせた。肉のこんがり焼けた匂いだ。口にすると羊の強い匂いがする。だが、嫌な匂いではない。香ばしい匂いだ。滑らかな舌座割は羊の脂肪だ。肉の塊とおもっていたのは、羊の脂肪、そこに羊の腸をきっちりと強く巻きつけていたのだ。
</font>

美味いものは朝食しかないといわれるイギリスは

<font color = blue>
あのうまいベーコンエッグにカリカリのトースト（トーストもまり厚くてはいけない。それも前の火に買っておいたやつでなくては）にバターと甘ずっぱいマーマレード。もちろんイギリスの朝食時は、ぼくも背広に清潔なワイシャツ、ネクタイというスタイルである。トーストとベーコンエッグだけではない。ステーキがでたり、キッパー（スモークしたニシン）、キドニーのシチュー、ブラックソーセイジ、コールドミート、ポーリッジ、数種類の卵料理が今でもホテルではでてくるところがある。その料理の数が二十種類以上はあるはずだ。
　それに朝からでも伝統的にビールを飲んでもよいとされている。
</font>

という具合であるし、ベトナムの屋台料理の定番フォー・ガー（鶏入りフォー）は

<font color = blue>
　まず、麺ともやしを茹でる、茹でる時間は沸騰している湯にざっとつける程度だ。それをどんぶりにいれる。日本のラーメンのどんぶりより小さい。
　鶏の肉を削り、それをのせる。そこに、熱いスープを注ぐ。このスープは、本来は、ハノイで食べられている犬の骨がもっともうまいらしいが・・・・。ここは鶏のスープ。ちょっと薄いスープだ。テーブルにはそのとき一緒にザウ・ムォンと生のもやしがでてくる。いきなり食べるのではない。食べようとすると、その店の人が目の前のヌクマム、青い柑橘のチャイン、唐辛子を発酵させたトウオンオット、バナナの果汁から作られた酢につけたニンニクをいれ味を調え、自分の味覚にあわせるのだと、手振りで教えてくれた。調味をし、ペラペラのアルミのレンゲで味を見て食べ始めた。
</font>

といった感じだ。どうです、思わず頬が緩んでしまいそうになるでしょ。

まだまだ、たくさんの国、たくさんの朝食がある。まずは御一読あれ。それにしても、また旅先の朝食が食べたくなった・・・。どっか、行くかな。

]]>
   </content>
</entry>
<entry>
   <title>塩野七生　「ローマ人の物語　29」（新潮文庫）</title>
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   <published>2008-07-31T11:15:57Z</published>
   <updated>2008-08-07T13:05:06Z</updated>
   
   <summary> 古代ローマの賢帝の中でも、極めつけの賢帝と評価のある哲人皇帝　マルクス・アウレ...</summary>
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古代ローマの賢帝の中でも、極めつけの賢帝と評価のある哲人皇帝　マルクス・アウレリウスの登場である。

といっても、この巻の最初は、誕生から前の皇帝であるアントニヌス・ピウスの「長い」次期皇帝（皇太子）時代が続く。
この「次期皇帝」時代の印象は、激情家ではなく非常に穏やかで、騒がしいことの嫌いな、前皇帝のもとで、すくすくと（表現としては適当でないかもしれないが、子供の成長の一つの姿を現す、この言葉がぴったりくるんですよね）皇帝修行をしている、「恵まれた若旦那さん」的な暮らしである。

マルクス・アウレリウスといえば、「自省録」など、哲学者の面も有名なのだが、かなりの独裁者で帝国内を飛び歩いているハドリアヌスにかわって統治の責任者を務めているといってもいいヴェルスの孫として、若い頃からかなりの優遇を受け（本書の途中にトラヤヌスからマルクス・アウレリウスまでの執政官などへの就任年齢を比較した表があるのだが、マルクスはやけに若くして就任しているものばかりなのだ）、また、財産もある。そうした若旦那的な生活スタイルが、哲学におぼれさせる一因でもあったのではないか、とも思う次第である。
しかも、ピウスの方針だったのかもしれないが、次期皇帝に指名される前も後も、辺境の地で軍務に就くという経歴もなく、さしずめ、お金持ちで名門のシティボーイといった暮らしを、皇帝就任まで続けることができたということは、それはそれで幸運なことではある。
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      で、なのだが、こうした穏やかな前半生とうってかわって、皇帝となってからの後半生は、帝国のあちこちで反乱ののろしがあがり、その鎮圧に奔走する、といったものだったらしい。そのあたりの原因について、著者は前皇帝アントヌヌス・ピウスの責任もなかったわけではないような件はあるのだが、まあ一番大きな要因は、時代の流れというか、ユーラシア大陸全体の遊牧民族の動きが、古代ローマにも及んで着始めたのと、永らくのパックス・ロマーナの中で、全体的に帝国の気風がトロンとしたものになって、それが帝国の周りの民族につけこめそうな雰囲気を与えだしたということなのだろう。

ということで、この巻は、マルクス・アウレリウスの平穏で学究的な前半生を中心に、波乱怒濤の後半生の幕開けといったところで、次の巻に続くのであった。
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   <title>勝間和代　「新・知的生産術ー自分をGoogle化する方法」（ダイヤモンド社）</title>
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   <published>2008-07-23T12:03:07Z</published>
   <updated>2008-07-23T21:49:27Z</updated>
   
   <summary> 今、売れっ子の経済評論家である勝間和代さんの知的体力アップを図るノウハウと考え...</summary>
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今、売れっ子の経済評論家である勝間和代さんの知的体力アップを図るノウハウと考え方が満載された本である。

こうしたビジネス本の効用の一つには、著者のパワフルさが読んでいるうちに伝染してくるっていうのがあって、
そうした伝染力が強ければ強いほど、読後は、「よし、俺も」っと元気がでるっていうことがあり、この本もそのパワーを十分秘めております。

「捨てる技術で大切なのは「Not to do list」を「つくること。すなわちやってはいけないことのリストをつくること」といった発想の転換に気づかせてくれたり、インプット力やアウトプット力を高める具体的な技術が、キチキチと提案されていたりとか、（「○○を高める６つの技術」とか「▲▲を見極める5つの方法」とか、なんとなくコンサルタントと話をしてきるような気分になるのは、著者の商売柄かもしれないが）、なんとなく勉強の凄くできる生徒会長から、勉強法を懇切丁寧に教わっているような気持ちになってくる。

なかには、ちょっとデジタル依存なんじゃない、と思ってしまったり（オーディオブックはそういった意味で、まだ、私にはなじみが薄いんだよな）、「本を読むときはスピード最優先で、線引きやまとめ書きといった面倒なことはしない」といった、おいおい、頭の良い人はいいけど、それじゃ俺らは頭に残んないんだよね、と思ってしまうところがないわけではないのだが、総じて、ふむふむ、これは良いですよね、といったアイデアと使えそうなノウハウが満載である。 

著者も「１％の本質を見極める5つの技術」の一つとして「本代をケチらずに良書を読むこと」とおっしゃっておられることでもあり、ここは千円札2枚と割り切って購入して、ワシワシ読んだ方が得だと思う一冊である。]]>
      
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   <title>宋　文州　「仕事ができない人は話も長い」（日経ＢＰ出版センター）</title>
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   <published>2008-07-20T02:49:41Z</published>
   <updated>2008-07-23T21:46:26Z</updated>
   
   <summary> 元ソフトブレーンの創業者で、辛口の経済評論の宋　文州さんのメルマガをまとめた著...</summary>
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元ソフトブレーンの創業者で、辛口の経済評論の宋　文州さんのメルマガをまとめた著作。

宋さんのコラムはNikkeiBPにも以前連載されていて（「宋文州の傍目八目」）、まだいくつかは読めるので、興味ある人は読んでみるとよい。
著者は名前で推測できるように、中国籍で、日本に留学したのが縁で、日本でビジネスを始められたのだが、その経歴と日本人の思考スタイルにどっぷりと浸かっていない、そのくせ日本人の思考スタイルを、どうかすると普通の日本人より理解している評論は、辛口ながら教務深く読める。

本書は、2004年から2006年までのメルマガをまとめたもので、宋氏自身もソフトブレーンの取締役を辞任したりしているのだが、世間ではホリエモンや村上氏などのネットバブルを謳歌した人たちが凋落した時と重なっていて、日本のネットバブルのまっただ中にいた人の証言禄として読んでも面白い。

で、いくつか印象に残ったフレーズを引用すると

「我々が他人に言われるから努力するケースは、ほとんどない。努力したい時に努力しているだけである。努力したくなるような環境をつくることが、上司や親ができるせいぜいの「努力」である

とか

他人がまだやったことのない新しいことをやり出すとき、いくら正しいこと、価値のあることであっても、すぐ理解される保証はない。初期段階ではむしろ誤解されたり、白い目で見られてりすることもよくある。開拓精神やベンチャー精神といえば聞こえはいいが、実行する人には大変な信念と勇気と忍耐が必要である。

新人のゴミ拾いと大声挨拶はこのためにある。正しいことだが、恥ずかしいし、泥臭い。それを抵抗なく実行してしまうのは、ベンチャー精神であり、引っ込んでしまうのは大手病である。

とか

いわゆる「統制」がとれている会社や、「戦闘力」あある会社ほど選択肢と柔軟性がない。そんな会社は変化した社会に適応できなくなるとトップが焦ってくる。「変化！変化！」といくら呼びかけても変化できない。社員の多様な選択肢を許し育てない組織の脆さである。

などなど。

ベンチャー企業の経営者らしく、変化と多様性に信頼を寄せている論調で、閉塞感のある時のビジネス書として読めば元気が出る。

最後に、この人の人生へのスタンスを最も現しているな、ともった一文を紹介してレビューの〆としよう。

「群れない。こびを売らない。傲慢にもならない。しっかり自己を持つ」]]>
      
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   <title>奥田英朗　「港町食堂」　（新潮文庫） </title>
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   <published>2008-07-19T08:40:21Z</published>
   <updated>2008-07-21T08:52:01Z</updated>
   
   <summary> 直木賞作家の奥田英朗氏（といっても、すいません、私、この人の小説呼んだことがあ...</summary>
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直木賞作家の奥田英朗氏（といっても、すいません、私、この人の小説呼んだことがありません、ゴメンナサイ。）の日本の港町を訪ねる旅行記。

なんだ、よくある日本の田舎の港町旅行記かと最初は思うのだが、この旅行エッセイは、すべてフェリーか何か船を使って寄港するあたりが斬新なところ。

訪れる港町は
　　土佐清水
　　五島列島
　　男鹿半島
　　釜山（プサン）
　　新潟、佐渡
　　稚内、礼文島
といったところで、貿易やら観光やら、それなりに盛んなところであるはずなのだが、どういうわけか礼文は真冬に訪れたり、なんとなくうらぶれて印象をもってしまうのは、この作家の持ち味なのだろうか。

作家と雑誌社の旅行でありながら、フェリーの個室に泊まらせてもらっているのは最初の時ぐらいで、後は、二等かそれ以下の雑魚寝といった扱いで、そのあたりも、なんとなく貧乏旅行っぽさが漂う。

旅行エッセイというと、初めキャピキャピ、最後は説教、といったところに堕してしまうのが、私の最も嫌いなパターンなのだが、大丈夫、この「港町食堂」は、きちんとそれぞれの港町の定番名物料理から、なんということはない喫茶店のカツカレーまで食べて、余計な美食談義はしない。そこで味わえる料理に、うまければ素直に感心し、夕食のあとの〆は、近くのスナックで、そこの若いおネエちゃんと盛り上がるという具合で、なんというか、安心して、サクサクと読めてしまうのである。

ということで、一番うまそうで、この旅行エッセイの旨味がでていると思う場面の一節を抜粋（「食い意地のせいなのか？　日本海篇」）


<font color = blue >　
　イカの刺身、なかなか到着せず。忘れてるんですかね。時間はかからないでしょう、捌くだけだから。
　タロウ君に厨房をのぞかせると女将さんの姿がなかった。ええと、どこへ？
　窓から外の様子をうかがう。女将さんが港からイカを一杯ぶら下げて歩いてきた。あらま、注文も受けてから仕入れに行ったのか。なにやらうれしくなってきた。
　出てきたイカ刺しは甘くて弾力があって、最高の逸品であった。獲れたてとはこんなにおいしいものなのか。ワサビを醤油に溶かし、ちょいと付け、熱々のご飯に載せて、わしわしとかき込む。ほっほっほ。高笑いしたくなるではありませんか。</font>


どうです。

ちょっと、暇で、でも気難しい気分にはなりたくない時にオススメの旅行エッセイであります。

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