カテゴリー別アーカイブ: ブックレビュー

「クール・ジャパン」は「夜郎自大」にならずクールな道を行くべき — 鴻上尚史「クール・ジャパン!?ー外国人が見たニッポン」(講談社現代新書)

最近、日本古来の伝統とか「職人の技」であるとかを手放しで礼賛するTV番組が増えてきていて、NHKのクールジャパンのMCでもある鴻上尚史氏の本なので、そういったノリであるのかな、と避けて通っていたのだが、実際は、そんな薄っぺらい「クールジャパン本」ではありませんでした。鴻上先生すいませんでした。

構成は

プロローグー「クール・ジャパン」とはなにか?

第1章 外国人が見つけた日本のクール・ベスト20

第2章 日本人とは?

第3章 日本は世間でできている

第4章 日本の「おもてなし」はやはりクール!

第5章 日本食はすごい

第6章 世界に誇れるメイド・イン・ジャパン

第7章 ポップカルチャーはクールか?

第8章 男と女、そして親と子

第9章 東洋と西洋

エピローグーこれからの「クール・ジャパン」

となっていて、「日本のクール・ベスト20」である、洗浄器付き便座、お花見、100円ショップ、花火、食品サンプル、おにぎり、カプセルホテル、盆踊り、紅葉狩り、新幹線、居酒屋、富士登山、大阪人の気質、スーパー銭湯、自動販売機、立体駐車場、ICカード乗車券、ニッカボッカ、神前挙式、マンガ喫茶が、その他の日本製品とともに外国人の印象とともに語られたり、

「宅配便」にすべての外国人は驚きました。配達員が終始、走っていること。時間を指定して遅れること。誰もいなくて受け取れなかったら、すぐに配達員の携帯に連絡して、その日のうちに再配達が可能なこと 。(P124)

といった、我々の日本人をくすぐるような話とか、定年後、日本人男性が公園の銅像の清掃に精を出す姿を見て

外国人たちは口々に、「自分や家族のために、定年後は時間を使うべきだ」と強くいいました。・・・「なぜ家族に求められる人間じゃなくて、他人に求められる人間になろうとするの?」とスペイン人もまったく理解できない顔でいいました(P89)

といったように日本と外国の違いといった、「クール・ジャパン」本の定番のところももちろんあるのだが、しっかりと読むべきは、「エピローグ」を中心するところで、例えば「Tokyo Otaku Mode」のフィギュア販売について野党議員の質問に端を発した商品と写真の削除に際して

政府ができることはなにか?それは「場」を提供することです。

(中略)

感心のない大衆に「日本のアニメは面白い」と思わせるためには、一般大衆が無視できない質と量がいるのです。

しかし、政府は「場」を提供しないで、「判断」しました。

(中略)

こんなことをしていては、クールジャパン機構に出資を頼もうと思う文化的企業はなくなっていくでしょう(P222)

と政府や官僚の「肚」のなさを批判したり、

クール・ジャパンを海外で展開する時に、一番大切なことがあります。

それは「早急に成果を求めない」ということです「(P229)

と予算年度ごと、あるいは選挙などの政治イベントの度にコスパの判定を迫ったりする世間と、猫の目のように、キャッチフレーズ的な政策を変更していく政府を牽制したり、

(クールジャパンの番組で)「日本人として誇りを持てた」という感覚は、この無気力肯定ビジネス(「今のままでいい」「がんばらなくていい」「ありのままの自分を愛する」というようなタイトルの本と周辺の展開のこと)に近いと僕は見ています。日本人であることだけで、無条件に素晴らしいのなら、自分はなにもしなくてもよくなります(P233)

と安易な「日本礼賛」を諌めるといったところであろう。

G8に参加している先進国中、パスポート取得率が最低の国は・・じつは日本(P214)

という状況で、井の中の蛙、夜郎自大とならずに、日本の良いものをしっかりと見据えていく、そんな冷静な対応と戦略が必要なのかもしれないですね。

「学校と世間の常識」の呪縛から逃れる方法はいかに? — 堀江貴文「すべての教育は「洗脳」である」(光文社新書)

数回続けて、堀江貴文氏の著作をレビューするのだが、いくつかの共通点、ダブっている所はあるのだが、「本音で生きる」から「多動力」へつながっていく著作の間をつなぐと思われるのがこの「すべての教育は「洗脳」である」であろうか。

構成は

第1章 学校は国策「洗脳機関」である

第2章 G人材とL人材

第3章 学びとは「没頭」である

第4章 三つの「タグ」で自分の価値を上げよ

第5章 会社はいますぐ辞められる

となっていて、論述の多くは、「学校」という装置の洗脳機能というか、学校が個人を、国家あるいは集団向きに「仕立て上げてしまうか、ということと、いかにそれから逃れるかといったところ。

そして、それは近代の象徴でもある「工場」からの脱却である。それは氏が「G人材とL人材」の章で述べてもいるのだが、「G人材}=グローバル人材と「L人材」=ローカル人材を対比しながら、よくあるグローバル主義の論述のように「ヤンキー」で象徴される「L人材」を排除しないところにもある。

こので排除されるべきものとして標的にされるのは「N人材」=ネーション人材というものであるのだが、この「N人材」、今まで我々の社会の中心的な存在であったエリート層、指導者層と重なり合っているとこrが、この書の危険性でもあり、また毒性でもある。

それは

大切なのは、GとLの二つから、うまみのありそうな方を選ぶことではない。自分のやりたいこと、大切にしたいものを理解することなのである。その結果どちらを選ぶことになろうと、あなたの”本音”と合致している限り、幸せな生き方は追求できるはずだ。

といったところで明確なように「個人主義」的生き方の宣言でもある。

ただ。この生き方、学校で教わるものではないだけに

「みんながやっている努力」をやってもいきなり突き抜けることは難しいが、「誰もやっていなかった」領域なら、一足飛びで大きなリターンが生まれる確率は高い

とか

自分のやってきたことや、すでに持ってくるものから「やること」を決めてはいけないのだ。

と言った風に、とにかく独創性に基づいた

「老後の楽しみのために苦しい会社勤めに耐える」という考え方を捨て、「楽しく続けられる好きな仕事を、やる気が尽きない限り続ける」

という、結構、ワガママな生き方でもある。

さて、本書は、何かのカタルシスを感じたい時、結構オススメでありますよ。

私は「他者」のために存在しない。他者も「私」のために存在しない — 岸見一郎「嫌われる勇気」(ダイヤモンド社)

カウンセリング、心理学といえば、まずはフロイト、すこし変わったところでユングといったところがメジャーで、正直、岸見先生のアドラー本が出た初っ端は、一時の流行ものかなとも思っていたのだが、どうしてどうして、その人気が衰えない。さらには、「本音で生きる」で、堀江貴文氏も賛辞をおくっていて、どうやら、「多動力」型の人たちには親和性の高い思想のようだ。

構成は

第一夜 トラウマを否定せよ

第二夜 すべての悩みは人間関係

第三夜 他者の課題を切り捨てる

第四夜 世界の中心はどこにあるか

第五夜 「いま、ここ」を真剣に生きる

となっていて、芝居にもなったように、”哲学者と人生に悩んでいる青年との対話の形で、アドラー心理学が語られる”といった形式。アメリカのビジネス書にはよくある形だが、好みが分かれるところかもしれないが、フロイトなどの学識ばった心理学とはちょっと経路が違うので、こういう形式をとるのは、一種の執筆上の戦略であるかもしれないね。

で、その中身は、哲学者でもある岸見先生らしく、アドラー心理学をその成り立ちから本論まで、かなり丁寧に追ってあって、読みやすいものに仕上がっている。

とはいうものの、アドラー心理学の特徴である「トラウマの否定」、例えば『「経験それ自体」ではなく、「経験に与える意味」によって自らを決定する』といったところや『「怒りに駆られて大声を出した」のではない。ひとえに「大声を出すために、「怒った」』とし、「目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえている」という「目的論」のあたりは、乗れる人と乗れない人に別れそうだ。

さらには

「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」

とか

アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。・・・他者から承認される必要などありません、むしろ、承認を求めてはいけない。

といったところは、二重三重に意味が畳まれていて、ここらあたりが、アドラー本の解り難さかもしれない。ただ、このへんにも、先述の堀江氏であるとか、世の中を尖って生きている人が共感する糸口は現れていて、当方的に見ると、

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」

(中略)

もしもあなたが、「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです

自分の生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

とか

たとえ組織を飛び出したところでほんとうの自由は得られません。他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。

といったところが、その真髄であろか。

さて、当方的に岸見流アドラー心理学の興味を惹かれたところを切り取ってみたが、レビューの限界は、万人向けの切り取りなどできないというところ。あなたなりに「アドラー心理学」を切り取ってみてはいかがであろうか

時は経過しても、「旅人の心」は変わらない — 下川裕治「シニアひとり旅 バックパッカーのすすめ アジア編」(平凡社)

思えば、海外の旅行記といえば、下川裕治氏のタイをはじめとしたバックパッカーの旅あたりからちょっと様相を変えてきている気がして、それまでの美食やら地元で出会う珍事件といったものが旅行記の中心であったものを、「ただ、滞在する」「そこでフツーに生活する」といったことを旅行記として仕立ててしまったという画期的なものであった。

今回の旅行記は、シニア向けの旅ということなのだ、「アジア編」という表題にふさわしく、構成は

第1章 中国ー戦跡、面影、寝台列車・・・

第2章 香港ー海外へのあこがれを抱いた街

第3章 台湾ー遠い「日本」といまを知る

第4章 韓国ー食、酒、そして安宿・・・

第5章 タイー陸路で国境を越える

第6章 ベトナムー庶民料理と反戦ソング

第7章 カンボジアー新たな聖地になっていく

第8章 ラオスー静けさが恋しくなったら

第9章 ミャンマーー自由な度はやはりいい

終章 シニア世代に必要な旅のノウハウ

となっていて、まさにアジア満載という雰囲気ではある。ただ、ここで今回気をつけないといけないのは、下川氏も、やはり年齢がいったせいか、今回の旅行記は、力任せにリュックを担いでずんずん前に進んでいくパターンから、例えば「香港」の章で

茶餐廳に辿り着いたのは、はじめて訪ねたときから何年かが経ち、重慶大厦が香港の常宿になりかけていた頃だった気がする。それは僕にとって、香港の大発見というより、「ま、こういうことか……」という、諦めが入り交じった心境だった。バックパッカー風の歩き方は、すでに僕の旅のテンプレートのようになっていた。それを香港という街にあてはめていくと、茶餐廳のテーブルに座らざるをえなかったのだ。

とか、タイのバンコクでは

そこそこの旅の資金をもち、コースを練ってバンコクにやってきた人には申し訳ないが、いまのバンコクが、バックパッカー旅の起点にふさわしい街かというと、僕は懐疑的だ。バンコクという街は、変わりすぎてしまった気がする

といったように、「数十年前」の現地と「現在」の現地の落差、変化にとまどってしまう旅でもる。

もともと下川氏の旅行記は、タイのバンコクに定住するかのような旅行記から、移動を続ける旅行記へと変貌してきていて、そうした「移動」の旅は、いつかループを描くように、ずっと以前に旅したところに還ってきて、その頃の「思い出」が今の自分に悪さをしかけてくるものであるらしい。

とはいうものの、そうしたノスタルジーに浸るだけのものだけではなく、最近の「茶のシルクロード」旅行にちなんだものもあって、ああ、旅人は健在であるな、と安心するところもある。

さらには、終章のところではLCCの運賃比較であるとか、スマホのフリーSIMの格安情報であるとかも掲載されていて、バックパッカーの旅は、時が経過しても変わらないものでもあるらしい。

 

さて、若い時の旅とシニアになってからの旅は、体力面や使える金銭面でも結構の違いはあるのは間違いないが、「バックパッカーの心」は変わらないらしい。鉄板のバックパッカー旅行記を楽しみたい方にオススメでありますな。

 

 

やはり登場人物の多さと複雑さは変わらないな — 石ノ森正太郎「マンガ日本の歴史 22ー王法・仏法の破滅−応仁の乱」(中央公論新社)

久々の歴史書のベストセラーとなった呉座勇一氏の「応仁の乱」を買ってみたはいいのだが、登場人物の多さと人間関係・政治的関係の複雑さに目と脳が眩んでしまって、あえなく頓挫。

そんな折に、知人から勧められたのが、この「マンガ日本の歴史22ー王法・仏法の破滅ー応仁の乱」。

こういった、歴史の通史シリーズは、最初発刊の頃は、発行する側も読む側も勢いが良くて、元気よく購入し読むのだが、時間が経過するにつれ気力も萎えてくるもの。おかげで、邪馬台国やせいぜい平安朝の頃までは、シリーズは変わっても読むのだが、室町時代あたりになると、とっくに興味は別のものに移っていて、恥ずかしながらこの時代の歴史書を読んだ記憶がほとんどない。

本書の目次は

序章 都、灰燼に帰す

第1章 幕府の乱れと守護家の内紛

第2章 仏法王法ともに破滅す

第3章 山城国一揆の興亡

となっていて、年代的には1454年頃から1493年9月までのほぼ40年間で、おおまかにいえば、人の一生分の期間というところ。

で、マンガ版であるから少しは・・・、と思ったんだが、やはり時代のもつ特徴のせいか、政治模様の複雑さと離合集散の激しさは変わらない。室町幕府の将軍家が跡目争いで叔父甥が争えば、有力大名の山名・細川の争いと畠山家の家督争いなどなど、おまけに後半の方では、いままで都の有力者に牛耳られていた地方の国人たちが反乱を始めるし・・と言ったことに加えて、それぞれが結託する先が、敵の敵は味方といった考えでやるので、素人目にはハチャメチャにしか映らない

ただまあ、歴史の研究家ではない当方としては、その時代の歴史の持つ雰囲気とかうねりのような感覚が味わえればよくて、人の名前はある程度すっ飛ばしても実害はない。戦国時代に続く、応仁の乱当時の室町時代の、あちこちで人の思いや欲望が、ぷつっ、ぷつっと、中から発酵して吹き出していく感じを体感するのはマンガ版で十分するぐらいであろう。

お盆の帰省中の箸休めにいかがであろうか。

 

 

「調べる」ことの多様さと混沌 — 木村俊介「「調べる論」ーしつこさで壁を破った20人」(NHK出版新書)

世の中の「調べる」に従事している人へのインタビューの記録である。ただ、構成は

第1章 調査取材で、一次資料にあたる

「一次情報を、引いた視点で集めたくて」(フリーライター 鈴木智彦)

「選挙活動って、やっぱりいやなものでしたよね」(ジャーナリスト 出井康博)

「罪深い取材をするからには、まっとうなものを書きたい」

(開日新聞学芸部記者 栗原俊雄)

「15分間で1000字を書かなければならない時もある仕事です」

(スポーツ報知プロ野球担当記者 加藤弘士)

第2章 「世間の誤解」と「現実の状況」の隙間を埋める

「現実の解決策は、面倒な作業の後にしか見つからない」

(教育社会学者 本田由紀)

「少し前まで、日本に貧困は「ない」とされていたんです」

(貧困問題研究者 阿部 彩)

「情報の流通が、病気への誤解を深める場合もある」(内科医 本田美和子)

「本当の話は、何回言っても嘘にならない」(雑誌編集者 浅川芳裕)

第3章 膨大なデータや現実をどう解釈するか

「流れに逆らうと、非効率的なお金の使い方になる」

(為替ストラテジスト 佐々木融)

「調査は折りてくる瞬間に一気にまとまるもの」(文化人類学者 渡部 靖)

「世界初の調査ができ絵も、意味を捉えるのが難しい」(海洋生物学者 佐藤克文)

「私の役目は、企業が改革を進めるための触媒です」

(ヒューマンエラー研究者 中田享)

第4章 新しいサービスや市場を開拓する

「営業の業務を調べなければならなかった」(航空機開発者 宮川淳一)

「M&Aの仕事って、結構、人間くさいですよ」(弁護士 淵辺善彦)

「人の話は、評価しながら聞いてはいけない」(悲嘆ケアワーカー 高木優子)

「業界の常識を調べ、別の常識を作り上げた」(演劇プロデューサー 北村明子)

第5章 自分自身の可能性を調べて発見する

「過去を調べなければ、美しさは生まれない」(狂言師 野村萬斎)

「同じ方針を取り続けたら、時代の変化がよくわかりました」(弁護士 国広 正)

「知性の本質は、アウトプットに宿るもの」(哲学者 萱野稔人)

「調査や経験を、作品にまで高めるために」(漫画家 田島隆・東風孝広)

終章 インタビューを使って「調べる」ということ

人の肉声を使って歴史を記録する

「偉そう」でないのが、聞き書きの魅力

なっていて、「調べる」といっても、単に「調査」や「研究」をしている人だけではなく、「現場で物事を新しく把握し、人に直に伝えることで業務を切り開いてきた実務職や・・・も一種の「調べること」と捉え」(”はじめに”より)て、インタビューし、収録してあるので、一種の「混沌」が生じてくる。

なので、いわゆる「調べる仕事」であるライターなどを中心に取り上げた第1章から第3章までと、第4章と第5章では、かなりの印象が違うといっていい。

それは、シベリア抑留を調査した、毎日新聞記者の栗原氏の

ぼくの著書に登場するのは歴史的な人物ではありません。でも、活字にしておけば「そんなことがあったんだ」という発見がある。それから、・・・残しておけば10年後、20年後に読んでくれる人とつながれるという確信がある。(P45)

その時なら大和のこと、今回ならシベリアのことについて、いろいろな人がいろいろなことをおっしゃるわけですよね。しかし、それが客観的事実とは限らない(P46)

と、悲嘆ケアワーカー 高木優子氏の

私がケアに入ったときに一切の評価をしないのは、つまり、評価というのは話の「伸びやかさ」を奪ってしまうからなんですね(P182)

という言葉の間に、「調べる」という事項についての共通項があるのかないのか、途方にくれてしまうのが正直なところ。

ただ、まあ、本書の持ち味は「調べる」ということを広義に捉えた場合に、それに携わえる人々の多様さ、違いを楽しんだり、「ほう」と意外性に驚いたりすればよいのであって、難しく一本調子に本の主意を汲み取る必要ないのであろう。

さて、この混沌を、あなたは楽しめますかどうか。

最近珍しい「熱い」ビジネス本 — 金川顕教「すごい効率化」(KADOKAWA)

最近、効率的な仕事を目指すノウハウ本やビジネス本も、働き方改革の時代を反映してか、ソフィスティケートされたものが増えているようなのだが、こちらは

一般的に仕事ができる人というのは、孤独な人でもあるのです。やはり人よりも結果を出せるということは、みんながやらないことをやり続けられるからであって、そういう人はどこかで一人孤独に作業しているものです。  そのため、人が遊んでいる時間や寝ている時間に、家族や同僚と離れ、孤独に耐えて朝活・夜活をするのは、一流になるための第一歩と言えます。(位置253)

とあるように、かなりハードボイルドなビジネス本である。

構成は

1日目 決まった場所と時間を作る

2日目 パソコン環境を徹底的に整える

3日目 操作・入力をほぼ自動化する

4日目 時間を断捨離する

5日目 CAPDでまず検証する

6日目 頭が良くなる「箇条書き記録法」

7日目 しないことリストをつくる

8日目 自分だけではなくチームで効率化する

9日目 50%で見切り発車する

10日目 超効率・情報収集術

11日目 超効率・時間管理術

12日目 睡眠を極める

13日目 食事や運動にこだわる

14日目 コミュニケーションを極める

となっていて、本書によれば「これらを14日間で学び、すべて実戦していただければ、たった2週間で理想の自分まで辿り着くための道筋を描くことが可能となります」とのこと。

まあ、そこまで気張らずともよいが、メソッド的には結構豊富に用意されているのは確か。

例えば、「朝活・夜活」の場所については

どこの店がおすすめというのは特にありません。カフェでも、マックでも、夜なら一人居酒屋でもかまいません。  私は店の形態や場所よりも、自分専用の席を確保できることが重要だと考えています。すなわち、「ここにいつも座る」という「マイ席」を持てる店です。(位置266)

とか

いつも注文メニューは同じにすることです。例えば、朝は常にアイスティを頼み、このサンドイッチを食べる、といったように、毎日ルーティン化します。夜、居酒屋でやるなら、常にビール1杯頼んで、その時間だけ集中するとしてもいいでしょう。  意識すべきは、「ここに来たら常に仕事のための作業をする」、その習慣を身体に覚えさせることです。(位置279)

とか、店にこだわるのではなく、シチュエーションに拘るところが、バリバリのビジネス本らしい。

さらには、2日目の「パソコン環境」のあたりでは「資料は紙ではなくデータでとっておくべきです」(位置361)や「手帖やノートは使わず、メモはすべてパソコン化スマホで取るようにするのです」(位置370)など、とかくアナログな記録がメインの日本の昔ながらの職場ではちょっと勇気のいる提案もあるが、すべて出来ないにしても、できるだけ尖った仕事のやり方を心がけたほうがかえって楽になることもあるのは確かである。

また、もう一つ注目しておきたいのは、最近流行りの「PDCA」ではなく「CAPD」のススメ。というのも

普通にPDCAで計画を立てることから始めるのは非常に危険だというのが私の見解です。理由は、まだやっていないことはそもそも有効な計画が立てられないからです。(位置729)

というのは卓見で、

例えば、試験に受かった人はどうやって勉強していたのか? 一方で落ちた人はどうしていたか? 不合格の人はどこを改善すればよかったのか?──そうした評価の視点から、改善点を理解したうえで計画を立て、実行すれば、より確実に結果に結びつくはずです。  世間で広く知られるPDCAではなく、チェック・検証から始まるCAPDサイクルを回すこと。これこそが、本当に効率的な手法なのです。

というのはなるほどね、と思いつつも、身近に「C(チェック)」の手本のない「先例」のない場合のメソッドは、もうひと工夫いるということであろう。

もっとも、情報収集の一番効率的な方法として「本をよむことを」をあげ、しかも「同じテーマのものを何冊も読む」「メモをとったりSNSに投稿したり、インプットと同じ割合のアウトプットをする」といったオーソドックスなこともおさえてあるので、レイト・マジョリティの人も抵抗はなかろう。

さて、後半部分の「見切り発車力」とか

毎日集中力を保ち、やり続けるにはどうすべきか。究極的には集中力を上げようとしない状態になることです。

ではそういった状態に持っていくためには何をすべきか。まずは覚悟を決めて自分を追い込むことだと思います。(位置1462)

とか、力溢れるビジネス本特有の熱っぽさに、ちょっと引いてしまう人もあるかもしれないが、ビジネス本は、その人がその人なりに読めば良い、というのが当方の持論である。そう思えば、この本の「熱さ」も、良い示唆を鋳いく含んでいると思うのだがいかがであろうか。

あなたの会社はイノベーティブ? — 山口 周「世界で最もイノベーティブな組織のつくり方」(光文社新書)

あとがきに

この本は題名に「イノベーション」を謳ってはいるものの、扱っている問題の本質は「組織論」であり、突き詰めて言えば「リーダーシップ論」です(P293)

とあって、確かに、いかにしてイノベーションを生み出すかといったテクニカルな本と思って読むとアテがはずれるので要注意。かといって、「組織論」と言うには、当方には抵抗があって、当方が面白く読んだのは、「イノベーション」を生み出す組織の「メンタル部分の分析論」といったところであろうか。

構成は

第1章 日本人はイノベーティブか

第2章 イノベーションは「新参者」から生まれる

第3章 イノベーションの「目利き」

第4章 イノベーションを起こせるリーダー、起こせないリーダー

第5章 イノベーティブな組織の作り方

となっているのだが、初めのあたりで

日本企業でイノベーションの促進を阻害するボトルネックファクターは何なのか?

それは「組織」です

歴史的に見て多くの領域において個人として発揮されている創造性が、最近の企業組織においてまったく発揮されていないという事実−。これは、組織が個人の創造性をうまく引き出せていないということを示唆しています。(P30)

とあるのは、日本の組織を賞賛する動きに少しの冷水となるだろう。

そして、本書を読んで思ったのが、イノベーションは「尖った小集団」がもっとも起こす可能性が高いという印象で、

「異なる分野のクロスオーバーするところにこそイノベーションな思考が生まれる」 (P40)

重要なのは、人と異なる考え方/感じ方をどれだけ組織成員ができるか。そして考えたこと/感じたことをどれだけオープンに話せるかという問題(P53)

といったところに明確で、そうなると、今、多くの組織で行われている、組織全体で「イノベーション力」「創造力」を育成しようと言った取り組みは、結構残念なものでなる可能性が高いということか。

とりわけ、日本の大企業や公務組織にように、上司に反論することが文化的に難しい「権力格差指標」(詳しくは本書のP60以降を読んでね)の高いところは、いくら研修や社員教育過程でイノベーションを起こす力を育成しようとしても結局は無駄骨に終わる可能性が高いということであるようだ。

では、大組織や公務組織はどうしたらよいの、というところは明確には示されないものの

イノベーションの歴史をひもとくと、この「指令を受けたエリート」対「好奇心に突き動かされた起業家(アントレプレナー)」という戦いの構図がたびたび現れます。そして、多くの場合、本来であればより人的資産、物的資産、経済的資産に恵まれているはずの前者が敗れている(P111)

あるいは

組織を率いて大きなイノベーションを実現する管理職は、高いパワー動機(自分の行為や存在によって組織や社会に影響を与えたいという動機)を持っている傾向が顕著なことが明らかになっています。一方、一般に企業において高業績を上げる人材は高い達成動機(設定した水準や目標を達成したいという動機)を持っている傾向が、やはり明らかになっている。

ここに、人材配置上の落とし穴があります。(P126)

といったあたりがヒントになりそうな気がするんである。つまり、組織を破壊しない程度のパワー動機をもつ職員をうまく見つけ、いわゆる「仕事のできるエリート」は彼らをサポートする側にまわる、といった役割分担が効果を上げるんでは、と思う次第。

まあ、このあたりはいろいろ意見があるだろうし、自分の属する組織に当て嵌めて、いろいろ考えたり、妄想するのが、「組織論」や「人材論」のちょっとひねった楽しみでもある。さて、皆さんの組織はイノベーティブですかな?

僕は文系だから、といってもいられない時代が到来か — 成毛 眞「AI時代の人生戦略ー「STEAM」が最強の武器である」(SB新書)

STEAMとは

サイエンス(科学)の「S」

テクノロジー(技術)の「T」

エンジニアリング(工学)の「E」

マセマティックス(数学)の「M」(P16)

ということで、当方のようなバリバリ文化系には、ちょっと耳に痛い内容であるのだが、どうやら世の中は、「科学」「技術というったやつをなんとか使いこなさないと人並みの生活がおくれないようになってきているようだ。

それはAIによって「仕事が奪われる」という事態にも現れていて、「今ある47%の仕事は近い将来なくなる」という予測があって、それは知的難易度とかなることの難しさとは関係なく、例えば判例や資料を調べたりする「下級弁護士」はAIにとってかわられてもいるようで、なんともうかうかしてはいられないご時世ではある。

構成は

第1章 これからはSTEAMが必須

第2章 STEAMとアート(A)が結びつく

第3章 ”今ある仕事がない世界”がやってくる

イノベーター対談 ×鈴木寛(文部科学大臣補佐官)

第4章 学校では教えてくれないSTEAMを学べ

コラム もはや中国製はあなどれない

第5章 マーク・ザッカーバーグはSF小説に発想を得る

イノベーター対談 ×堀江貴文(ホリエモン)

第6章 残酷な10年後に備えて今すぐ読みたい本

コラム ガソリン車の復権

終章 ゲームで遊ばないような奴に明日はない

となっていて、終章のあたりで「ニンマリ」する人もいるかもしれないが、基本的には、理科系の知識の取得に勤めない輩には、ちょっとペシミスティックな内容ではある。

ただ、科学的な知識を身につけるのは、何も、理系大学や理系大学院に再入学しないといけないと主張しているわけではなく、

そこで独学だ。独学で十分なのだ。基本的にこれからの学びは高等教育でこそ自習になると思う(P118)

独学に最も適しているのは、もちろん読書だ。本は場所を選ばず、自分のペースで読むことができる。まずは一冊、気になっている分野のサイエンス系の読み物を買って読んでみるといい。

途中でわからないところがあっても気にしない。最初の一冊は、とにかく最後まで読み通すことが肝心だ。そのためには、薄い本、文字数が少なめの本を選ぶのもいい。続いて読むのは、最初に読んだ本で引っかかった部分について書いて有りそうな本ではなく、まったく関係のなさそうな本だ。

何かの専門家になるわけではないから、広く浅く理数系に触れるつもりで読んでいくのが基本的なスタンスとなる。(P118)

ということのようであるから、まあ、それぞれの努力の範囲で頑張れるのかな、と勇気づけはしてくれるのである。

何にせよ

AIやロボットを使う側の仕事と、使われる側の仕事が生まれる。

使い側とは、AIやロボットを道具のようにか使ってイノベーションを起こす仕事であり、使われる側とはAIやロボットに命じられるままに働かされる仕事である。(P67)

という社会の到来を睨んで、「理系」の知識に食指を伸ばしておいたほうがよさそうでなのであるが

ゲームや遊びは悪で、勉強は善。それが世間の常識のようだ。

でも、目を覚ましてほしい。この先の残酷な時代を生き抜くには、5教科7科目の勉強や眼の前の仕事だけに必死になるよりも、ゲームで遊んだ方が役に立つ(P210)

ということのようなので、まずは肩の力を抜いて、あれこれ手を伸ばしてみるのがよさそうですね。

ドラマチックでもなくセンセーショナルでもない「女性の貧困」問題は、社会意識の問題もあって、かなり根深い — 飯島裕子「ルポ 貧困女子」(岩波新書)

貧困問題が取り上げられて久しいのだが、「女性」の貧困をとりあげるばあい、とかく”性的”な色合いが加味されたり、シングルマザーに焦点が当てられるものが多いような気がしていたのだが、本書は「ドラマチックなストーリー」のない「センセーショナルでない」「女性の貧困」を取り上げる数少ないものといっていい。

構成は

序章 女性の貧困とは

1章 家族という危ういセーフティネット

2章 家事手伝いに潜む闇

3章 正社員でも厳しい

4章 非正規という負の連鎖

5章 結婚・出産プレッシャー

6章 女性の分断

終章 一筋の光を求めて

となっていて、女性の貧困のうち「実家にパラサイトする女性」「ニート・ひきこもった女性」「パワハラなどで仕事をやめた後、非正規になった女性」などなど、どちらかというと人目はひかないが、確実に、しかも多数存在する「貧困女性」の姿を、多くのインタビューをもとに構成されているのだが

女性の場合、「貧困」と「不安定雇用」はデフォルト(初期値)であることだ。・・取材対象者について、未婚で仕事が不安定(非正規あるいは無職)ということ以外、年収等の条件を設けなかったのだが、・・現在無職の人はもちろん、働いている人も「ワーキングプア」と言われる年収200万円を下回っていた。(P10)

働く女性の数は増え続け、1992年には専業主婦の数を上回った。しかし、その大半はいわゆる”主婦パート”と呼ばれる非正規雇用であった。男性稼ぎ主による包摂が前提のため、彼女たちの労働は家計補助として捉えられ、自立による賃金や待遇は得られない。こうして非正規で働く女性たちは雇用の調整弁として利用されてきたのだ。

しかし、実際には非正規女性=主婦パートばかりではなかった。時間的に非正規でしか働けないシングルマザーや単身で暮らすシングル女性の中にも、非正規雇用に従事している人は多くいた。しかし、待遇の悪さは問題になってこなかった、なぜなら彼女たちは「例外」であり「残余」であったからだ。(P12)

という事情もあるのだが、「男性稼ぎ主モデル」という長らく日本を支配してきた人生モデルのせいで、あたかも「透明」であるかのように扱われてきた「女性」に関する問題を表へ出してくる取組でもある。

とはいうものの、男性の貧困問題が教育環境の問題であったり、不況の問題であったりと、どちらかといえば外形的に捉えやすいものが多いに対し、「女性の貧困」は社会構造に根っこをもっているものが多く、なんとも複雑で、一刀両断に解決、といったことにはならないようである。

もちろん

高卒女性の需要が多いのは販売員やウェイトレスなど、雇用の非正規化が進んでいるサービス系の職種。かつて高卒女性には事務職の需要が多くありましたが、今、事務職は大卒女性で占められるようになっています。結果として高卒女性の仕事は非正規がメインになってしまう(P104)

といったことや

就職氷河期は多くの若者に厳しい試練を与えたが、最も影響を受けたのは、もはや”主流派”ではなくなっった短大卒の女性たちであった(P175)

バブル崩壊のみならず、グローバル化やオフィスのIT化によって「一般職」が担ってきた事務的、補佐的な仕事が減少してきたという背景もある。女子就職の多くを占めてきた「一般職」の削減はその後も進み、「契約」や「派遣」などの非正規に置き換えられていった(P176)

など、労働環境や経済環境に根ざすものも当然あるのだが、それに加えて

女性の場合、実家で家族と暮らしているとその中に潜む問題はほとんど可視化されることがない。これは男性と同棲している場合も同様だ(P41)

といった女性特有の問題が、一層複雑度を増している上に、政府も

政府が目指す、結婚→妊娠→出産→育児という”切れ目のない支援”は、各段階を踏まない家族、たとえば「結婚」を経ない非婚の母などは、望ましい「家族」と認めないという発想の表れに思われてならない。・・・家族の形が多様化しているにもかかわらず、いまだに”古い家族像に拘泥した少子化対策を行っている日本は時代に逆行していると言えるだろう(P161)

といった風で、昔ながらの「家族意識」が施策の考え方の土台になっていることも否めない。

どうもこの問題、「景気がよくなれば解決するさ」、ともいかないようだ。筆者の言う

私は女性が貧困から脱する一つの方法は、この「多様な選択肢」という考え方、すなわち結婚を前提とした意識を捨て「世帯主」としての意識を身につけることだと思っている。それは既婚女性も同様だ。当然、意識だけではなく、税や社会保障など世帯単位のものを個人単位に変えていく必要もある。

貧困率にしても世帯収入で見るため、一人暮らしをしない限り、女性の貧困が不可視化されてしまうことは、これなで書いてきた通りだ。世帯に隠れてしまうと貧困であることすら認めてみらえない女性の状況を可視化させるためにも、”世帯主”を意識することは重要な第一歩であると言える。(P219)

といったソフト面から始めないといけないとしたら、時間もかかるし、かなりの難物ではある。これから、AIによって職業構造も大変化するであろうし、さて、どうしますかね。