カテゴリー別アーカイブ: ブックレビュー

いろんな読み方のできる経済小説。組織運営論としてもお勧めであるな — 百田尚樹「海賊と呼ばれた男」上・下(講談社文庫)

昨年、昭和シェルとの合併をめぐって、創業家がどうこう、と騒ぎになった「出光興産」の創業者、出光佐三をモデルにした企業小説である。

構成は、上巻が

第一章 朱夏 昭和二十年~昭和二十三年

第二章 青春 明治十八年~昭和二十年

下巻が、

第三章 白秋 昭和二十二年~昭和二十八年

第四章 玄冬 昭和二十八年~昭和四十九年

となっていて、終戦時の国岡商店の再興のところから始まって、戦前・戦中の創業・隆盛第一期から敗戦、欧米の石油メジャーとのビジネス戦争とイランからの石油輸出、そして日本唯一の民族系石油会社としての第二期隆盛、といった流れである。

こうした創業系の企業小説の楽しみは、創業者のとんでもなく個性溢れる姿に自分の心象を重ね合わせながら、成り上がったり、没落したりにハラハラするというところにあると思うのだが

国岡商店は明治四十四年(1911)の創業以来、ただの一度も馘首がない。これは創業以来の絶対的な不文律だった。・・・店主である鐵造の口癖は「店員は家族と同然でる」というものだった。(上巻 P25)

鐵造は石統ができるときから、これに真っ向から反対してきた。自由な競争がなくては本当の商売にならず、また国民のためにも国家のためにもならないという信念のためだった。(上巻 P37)

といった信条をもち

国岡商店には創業以来、五つの社是があった。「社員は家族」「非上場」「出勤簿は不要」「定年制度は不要」、それに「労働組合は不要」というものだった。戦前においても、これらの制度は、多くの他の経営者から「非常識」と嗤われてきたものであったが、鐵造は「家族の中に規則がある方がおかしい」と言って信念を貫き通した。出勤簿のこときは、経営者が社員を信用していないものとして、蛇蝎のごとく嫌っていた(上巻 P120)

といった会社の、日本のライバル石油会社とそれと結託する国・軍隊、そして日本を支配下に置こうとする外資系企業との大死闘であるから、まあ、ほいほいと流れに沿って読んでいるだけで、「ワクワクハラハラ」、「ふぃー」という感じで読了してしなうことは間違いなくて、本筋のレビューはほかの方々に任せておいて、当方は、組織運営というところでいくつかとりあげる。

前述のように、かなり家族的なポリシーをもつ企業であるから、その理念もウエットかなと思うと、小説中で出てくる国岡商店の社員や役員からは

GHQのミラーに石油配給会社の問題点を説明するくだりで

「これは日本のすべての組織について言えることですが、日本ではまず「組織」が先に作られ、トップが決まります。そして下部組織が作られ、その管理者が決まります。順次、そうして下部組織が作られていくために、最終的に非常に大きな組織になってしまうのです。」(上巻 P146)

「末端の職員には決定権がなく、小さなことを決めるにも、上に伺いをたてることになります。そのために巨大な組織はしばしば非常に柔軟性のない組織になります。」

「大事なことは、まずその仕事にどれぐらいの人員が必要なのかということです。そしてそれを適材適所に配置する、そとはそれを管理する上の者を最低限揃えればいい」(上巻 P147)

が聞かれたり、店主の国岡鐵造の

「ぼくの指示ば、ただ待っとるだけの店員にはしとうなか」鐵造は言った。「今の国岡商店は店舗場ひとつしか持っとらんばってん、いずれいろんなところに支店ば出していきたいち思うとる。彼らはその店主になるわけやけん、大事な商いばいちいち本店に伺いば立てて決めるごたる店主にはしとうなか。自分で正しか決断ができる一国一城の主にしたか」(上巻 P296)

といった言葉や

他店を驚かせたのは、国岡商店の支店長には商いのいっさいの権限が与えられていたことだ。本店の店主である鐵造は支店のやり方にはいっさい口出ししなかった。任せたとなれば、全権を与えなければならないというのが鐵造の信念だったからだ。それが店員への信頼であり、それだけの教育をしてきたという自負があった。同業者たちは「無茶なやり方だ」と言ったが、鐵造は意に介さなかった。むしろ、いちいち本社にお伺いを立ててくるような店員では使い物にならないと考えていた。(上巻 P339)

続きを読む

日本人を支配する行動理念は「言霊」の次は「朱子学」? — 井沢元彦「動乱の日本史 徳川システム崩壊の真実」(角川文庫)

日本人の行動性向に「言霊」という概念を持ち込んで、当方的には「ほーっ」と稀代の理論を教えもらったような気がしていたのだが、「江戸幕府」という日本が世界に誇る安定政権が「安定」していた仕掛けと、それが日本の現代にまでもたらした悪癖といったところまで論及しているのが本書。

構成は

第1章 幕藩体制と危機管理 ー 徳川家康のグランドデザイン

なぜ「徳川三百年の泰平」は到来したのか

なぜ薩長の江戸攻略は不可能だったのか

なぜ水戸徳川家は「天下の副将軍」と言われたのか

第2章 平和崩壊への序章 ー 朱子学という劇薬の作用

なぜ幕府は最後まで開国を渋ったのか

なぜ田沼政治を「改革」と呼ばないのか

第3章 黒船とは何だったのか ー 幕府と薩長土肥の明暗を分けたもの

なぜ日露友好は夢物語に終わったのか

なぜ幕府は黒船の問題を先送りにしたのか

なぜアメリカは日本との通商を熱望したのか

なぜ朱子学では外国から学ぶことが悪なのか

第4章 ペリーが来た ー 連鎖する日本人の空理空論

なぜ「ペリーは突然やってきた」が歴史常識になったのか

なぜ攘夷派は目の前の現実を無視し続けたのか

なぜ明治革命ではなく明治維新なのか

となっているが、筆者の「今の◯◯」はけしからん編まで読みたい人は最後まで、「日本人の心理構造にはこんなからくりが」ってなとこで良い人は第3章ぐらいまで、といったところか。

で、本書のキーワードは「危機管理」と「朱子学」

最初の「危機管理」は徳川家康が、徳川幕府が攻め滅ぼされないために講じた「ハード」の側面で、仮想的である薩摩、長州をはじめとした西国大名から、江戸を守り抜く、熊本城、小倉城、広島城、そして駿府。脱出先としての甲州といった武張った防衛論が語られるのが第1章である。「戦国BASARA」的な活劇が本旨という人はこのあたりで満足かもしれない。

ただ、本書の真骨頂は第2章からと、当方は思っていて、家康が幕府防衛のためにとった最終ウェポンである「朱子学」が語られるところは、「ほうっ」と思わず嘆息する。

というのも、徳川幕府がその体制維持のため、「士農工商」という身分制度を今日こに保ち、上下の関係の厳しい道徳を維持したことや、水戸徳川家が勤王家であった理由などは、いろんなところで論説があるのだが、その身分制度を維持する「名分論」が徳川幕府 にとって諸刃の刃となったあたりや、幕末の開国騒ぎとそれにつづく倒幕も「朱子学」がもたらした失策であったといったところは審議は別にして、歴史モノとしてはワクワクすること請け合いである。

人によって好き嫌いはあるかもしれないが、「異説」の面白さというのはそそるもんでありますな。

「新聞」はまだまだ面白いメディアだ — 池上 彰「池上彰の新聞活用術」(ダイヤモンド社)

新聞の発行部数は、日本新聞協会のデータによると2016年現在で一般紙、スポーツ紙あわせて43,276,147部であるらしく、2000年の53,708,831部に比べると15年ほどで1000万部減らしている勘定になるらしい。だが、1世帯あたり部数は2000年が1.13部、2016年が0.78部と、まだまだメディアとしての力、影響力は計り知れないものがあるね、ほとんど世間様への影響力を持たない当方としては恐れいるしかない。

本書の著者の池上彰さんはテレビ出身とはいっても、ニュースキャスターも長年努め、読書術や新聞のスクラップや情報入手の方法など、「紙」ベースの情報収集にもとてつもなく見識のある人で、「新聞の読み方」なども様々な媒体で論じておられているのだが、そんな池上彰氏の「新聞愛」にあふれた著述が本書。

構成は

第1章 ニュース力を磨こう

第2章 数字力を磨こう

第3章 伝える力を磨こう

第4章 書く力を磨こう

第5章 想像・推理力を磨こう

第6章 見せる力を磨こう

第7章 発想・コミュニケーション力を磨こう

となっていて、筆者の朝日新聞の連載コラムをまとめたものである。なので、とりあげる範囲も新聞の活用術だけというわけではなく、「世の中が物騒になった、昔がよかった」という論調に対して、

凶悪事件は減っていても、「凶悪事件報道」は増えている(P76)

といった冷めた視点を提供したり

現場の臨場感を伝えることができない新聞記事は、優れたものとはいえません(P81)

と新聞記事批判を展開したかと思うと、最近、さるスキャンダルのせいか画面や紙面で見かけなくなった、女優の江角マキコさんの早世した「お父さん」と、家族を残して癌に倒れた「弟さん」についての記事を紹介(P120)して「ホロリ」とさせたりと、技は冴えているのである。

で、「うむ」と思わされたのは、新聞記者の資質に関しての

新聞記者に必要な資質、それは世の怒りをいち早く察し、切れ味するどい短文で表現する能力(P154)

であったり、「後期高齢者」という名称をめぐっての騒動に際して、同じく

記者の資質として大切な要素の一つは想像力。世の中の人は、どんな思い出暮らしているのか、何に怒っているのか、そんな気持ちへの想像力です(P165)

といったあたりで、ここらは、「新聞記者」だけでなく、「公」に携わる者が心に刻んでおかねばならないことであろうな、我が身を振り返ったのでありました。

新聞の読み方指南、新聞情報の活用指南というよりは、「新聞にまつわるエッセイ」といった感じで読んだほうが、すっきりする一冊でありますな。

ノートはデカイほど良い? — 横田伊佐男「一流の人は なぜ、A3ノートを使うのか(Gokken)

情報整理や発想のツールはいろいろあれど、「ノート」に拘る人は一番の多数派であって、これはデジタルなガジェットがどれだけ普及しようが、いまだに変わらないように見受けられる。で、そのお勧めされるノートのサイズも、人によって様々ななのだが、中でも最大なのは、この「A3ノート」であろうが、A4はポピュラーではあるが、A3となると「デカすぎる」の一言で片付けられそうにもなりかねない。

構成は

1 なぜA3ノートなのか

2 なぜ「ノート」なのか?PCではダメなのか?

3 書く前に何を知っておくべきか?

4 A3・1枚にあらゆる発想を書き出す

5 A3・1枚をフレーム分割して、発想を整理する

6 A3・1枚で「全体像」を網羅する

7 A3ノート徹底活用術

となっていて、そのあたりを考慮して、なぜA3といあたりから始めないといけないのがまわりくどくはある。

で、その理由は

日本を代表する世界企業のトヨタ自動車では、社内資料はA3で徹底されている

また、大前憲一氏はA2(A4用紙4枚分)という巨大な方眼紙を使って左下から右上に向かって書く(P23)

といったところであって、あまり根拠らしいものは感じられないのだが、当方としては、市販されているものの中では、ノートパッドや用紙ではA3が一番デカイくて入手しやすい、というところであろうと落ち着いた。

続きを読む

いつでも、どこでも「デキる」人の行動法則 — 相原孝夫「ハイパフォーマー 彼らの法則」(日経プレミアムシリーズ

どこの職場でも「エース」と言われる人はいるものなのだが、コンスタントに懸案課題を解決したり、実績を出す人というのはいるようでいない。本書は、そうした人材へのインタビューやゔょうさを通じて、恒常的に高いレベルで成果を上げる人についてのレポートである。

構成は

第1章 前向きなあのひとが、なぜ結果を残せないのか

第2章 良くも、悪くも、すべては循環する

第3章 期待の新人は、なぜ「平凡な社員」になったのか

第4章 失敗から学ぶ彼らにとって、「ゲーム」だ

第5章 彼らは、とにかく「小さな行動」を続ける

第6章 彼らは身近な人を支援し、成功を助ける

第7章 彼らは、たまたまの成果を喜ばない

第8章 彼らは、環境が変わっても瞬時に溶け込む

終 章 職業人生を終える時、どういう思いをもちたいのか

となっていて、こうした「デキる人」のレポートは、能力自慢や明るい性格傾向といった、とてつもなく「正」の部分が強調されすぎるきらいもあるのだが、本書は

どんな境遇もポジティブに捉えて前向きに進むことは生きていく上でたしかに重要なことである。それ自体、否定されるべきことではない。しかし、様々な事象を見てみると、ポジティブ思考が必ず良い成果を引き寄せるとは限らない事が多い。(P26)

ネガティブ思考の人は、「もし別の方法を採っていたら、うまくいっていたかもしれない」と考える。この考えは次回への教訓になるため、次のいい結果をもたらす可能性が高まる。ポジティブ思考の人は、「今回採った方法が最善であったに違いない」と考えてやり過ごす。こうした感揚げは、あまり落ち込まずにすむという点においては有効だが、物事を改善し、次回以降のパフォーマンスを高めたい場合にはあまり役にたたない(P26)

「問題解決力に自信」が悪循環を招く(P42)

自分の技術力や交渉力に自身があることがかえって災いしており、問題の予兆を見過ごしている可能性があり、それが悪循環を招いている可能性があった。問題が発生してから対処するので、付け焼刃的な対応になったり、他のプロジェクトに遅れが生じたりする。(P43)

といったあたりは、世間よくある「成功のためのメソッド」へ高らかに反旗をひるがえしており、「うむ、なかなかですな」と頷くところも多い。

そして、結構以外なのが、ハイパフォーマーとされる人の、行動傾向、性格軽傾向で

「プロセス重視」の姿勢や「他者尊重」「周囲との関係性重視」の姿勢は好循環につながりやすく、一方、「過度な結果重視」や「周囲との関係軽視」は悪循環を招きやすい (P74)

ハイパフォーマーの多くは、失敗体験についても躊躇することなく語った。しかも、成功体験を語り場合とほとんど変わりなく、事細かにその時の状況を記憶していた。自分の役割だけでなく、関係していた人たちの特徴や役割についても詳細に語った。

一方、アベレージパフォーマーの多くは、成功体験については雄弁に語るものの、失敗体験となると途端にトーンダウンした。(P99)

ハイパフォーマーたちを分析していて分かったことがある。失敗の受け止めは「楽観性」とセットになっているということだ。深刻になり過ぎずに比較的さらりと受け止めることができる。感情面はスルーし、事実だけ受け止めるため、必要以上にダメージを受けない。

「ビジネスは所詮ゲームだから」という意見をハイパフォーマーの人たちから幾度も聞いたことがある。これも不思議にハイパフォーマー以外の人たちからは聞くことのない意見である。もちろん、不真面目なわけではない。仕事に対して真剣に取り組んでも、深刻にはなり過ぎない。「最悪でも、会社をクビになるくらいなもの」といった割り切った意見が聞かれる。

そのような人たちは、失敗しても、自分自身を否定するわけではなく、その時の状況やその中での自分の判断や行動を客観的に振り返れるのだ。(P106)

といったところは、ハイパフォーマーと呼ばれる人は、能力がべらぼうに高いというよりは、精神的なしなやかさ、強さといったものの特性によることが多いようであり、

続きを読む

「デザイン」という視点からの仕事術の提案 — 佐藤オオキ「問題解決ラボ」(ダイヤモンド社)

仕事術にも流行り廃りがあるのは当然のことで、一頃は数値やデータをやけに強調した分析的な仕事術の流行が、その几帳面さゆえか盛りをすぎたように思ったら、「デザイン」という直感的なところに基礎を置く仕事術が隆盛となってきた。

その先頭にいると思えるのが、デザイナーであるとともにアイデア、発想法の著述など八面六臂の活躍している本書の筆者「佐藤オオキ」氏であろう。

構成は

第1章 デザイン目線で考えると、正しい問いが見えてくる

第2章 デザイン目線で考える、とありそうでなかったあ「アイデア」が見えてくる

第3章 デザイン目線で考えると、ホントの「解決法」が見えてくる

第4章 デザイン目線で考えると、刺さる「メッセージ」が見えてくる

第5章 デザイン目線で考えると、見えない「価値」が見えてくる

となっていて、「デザイン」という視点から、仕事の様々な面をとらえ、うまいやりかた(あえて効率的とはいわない)を提案するのが本書。

ただ、「デザイン」目線でやればすべてがうまくいくとは思うべきではなくて、むしろ、データや数値に重点を置いた経営分析、効率一辺倒の仕事のやり方の行き過ぎ部分を修正したり、うまくいってないところの置き換えといった形で考えるべきかなと思う。

その意味で

間違えてもいいからできるだけ早く行う(P81)

といったところは、一般の仕事術と共通するところであるし、

「半歩前がちょうどいい」

「誰も見たことがないもの」は「誰も求めていないもの」と紙一重(P7)

本物の「いいアイデア」とは1つのアイデアからどんどん派生していく、広がっていくもの。

多くの人の頭の中で化学反応を起こし、様々な問題解決に応用され、自分の知らないところで成長して独り歩きしていくのが、本当に良いアイデア(P13)

アイデアは探さないほうがいい。周りにあるものを「ボヤッと見」する(P40)

アイデアの原材料となる情報を収集するコツとしては、白黒をつけずに「グレー」な状態を維持すること

数字でも文字でも人の感情でも、どんな情報であっても必ず頭の中で「ビジュアル化」する

できるだけ、ポジティブに物事を考える(P70)

といったところは、通常の仕事術で壁にぶつかった時に有用な「デザイン」目線ならではのものであるだろう。

さらに

「めんどうくさいこと」こそ、全力でトライするように意識すれば、チャンスは自然と寄ってくる。めんどうくさいことを避けていると、決して真の問題に気づかない(P37)

ものごとをフラットに観察し、新しい切り口を発見する「眼」と、それをしっかり形にしていく「根気強さ」、それと自分の考えを正しく伝える「コミュニケーション能力」さえあれば、デザイナーとして食いっぱぐれることはない。その適性を見分ける方法は「例え話が上手かどうか」(P165)

といったあたりは、「デザイン」目線をこえて、仕事術の根本の提案ともいっていい。

ともすれば、我々の仕事のスタイルは硬直しがちである。「デザイン」という文系・理系どちらの視点にも属さない立場からの「仕事術」「アイデア術」は、軽いショックとともに新しい視点を提供してくれるのではないかな。

「伝達すること」の難しさを吹き飛ばすテクニック — 池上 彰「伝える力」(PHPビジネス新書)

フリージャーナリストとして、様々な場面で顔をみる池上 彰氏による物事を「伝える」ための技術論。
もともとはアナウンサー、キャスターであるので、「喋り」自体はプロであるのだが、そjのプロがこうした平易な技術論を書くということは、ネタバレであるとともに、読者がえっと思うと、本業のほうにも影響があるので、結構勇気のいるものと推察されて、そのあたりは「おわりに」の「この本は”陰謀”によって実現しました」といったあたりに表れている。

構成は

第1章 「伝える力」を培う
第2章 相手を惹きつける
第3章 円滑のコミュニケーションする
第4章 ビジネス文書を書く
第5章 文章力をアップさせる
第6章 わかりやすく伝える
第7章 この言葉・表現は使わない
第8章 上質のインプットをする

となっていて、奇をてらう構成になっていないところが、実は「能ある鷹は爪を隠す」というところでもある。で、その「伝える力」は、

意味がわからないまま読んだり話したりすると、それを聞いている相手も意味がわからない(P19)

「伝える力」を高めるためには、自分が深く理解することが必要であるとわかります。
では、理解を深めるにはどうしたらよいのか。そのためにはその前段階として、「自分がいかに物事を知らないか」を知ることからスタートするしかありません。(P29)

といったところ基礎にしていて、オーソドクスなところに立脚点がある。
そして、その技術とは「「つかみ」が大切」「10秒あれば、かなりのことを言える」「「型をくずす」のは型があってこそ」「会議では一人一人の目を見ながら話す」といったわかりやすくはあるが、不自由なく使いこなすには結構練習が必要であろうようだ。

ついでに言うと、「伝える」技術論だけでなく、

日本にはいわば「けしからん罪」が存在しています。
それは、法律には違反していないけれど、何かけしからんよね、という多くの人たちの気持ちであり、感覚、空気です(P77)

謝ることは危機管理になる。
一言謝られることで、なんとなく納得し、なんとなく許してしまう。非常に日本的といえば日本的ですが、これが多くの日本人の感性です。(P93)

といった処世の技も披露されると思うと

仮説を立てて現場に臨めば、たとえ仮説とは状況が大きく異なっていたとしても、土台があるので、軌道修正をすれば、対応は比較的容易にできるのです。
つまり、白紙の状態で調査を開始するよりも、効率はずっとよいといえます。(P115)

現地にいって問われるのは「五感」や「雑感」(P117)

といった取材の技術のようなものもあって、結構おトクな本であるようだ。
「伝える」ということは、何の苦労もなくひょいとできる人もいれば、汗水たらして頑張っても「よくわからない」という無情な一言で全てを破壊されてしまう人もいる。どちらかというと後者のほうが圧倒的多数であるように思われるのだが、こうした「方法論」を地道に学んで練習する、っていうのが「伝達力」上達の近道なのかもしれないな。

こうした「歴史放談」は家呑みの肴にもってこいなのである。 — 竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける 環境・民族編』(PHP文庫)

「日本史の謎は「地形」で解ける」「日本氏の謎は「地形」で解けるー文明・文化編」の第三弾。一頃の「地形で解ける」ブームも一段落しているのと、三冊目ともなると当初の「地形という視点からみると、この風景や事象はこう見えるのか」といった驚きも一段落してはいるのだが、「歴史」の通常の目線とは違った地平線を見せてくれるのは間違いない。

収録は

第1章 なぜ信長は「安土の小島」に壮大な城を築いたか

ー水面と湿地に囲まれた「原風景」

第2章 なぜ「日本の稲作文明」は湿地帯を克服できたか

ー田植えは「胸まで浸かる」もの

第3章 なぜ家康は「街道筋の駿府」を終の棲家に選んだか

ー最後まで頼朝に学んだ「鎌倉の相似形」

第4章 なぜ世界一の「リサイクル都市」江戸は崩壊したか

ー近代下水道と「におい」の追求

第5章 なぜ日本列島は「生きたリン鉱床」の宝庫なのか

ー受け継がれる「天然の肥料工場」

第6章 なぜ江戸城の「天守閣」は再建されなかったか

ー「過去の幻」と「未来への洞察」

第7章 なぜ勝海舟は「治水と砂防」で明治新政府に怒ったか

ー沖積平野に潜む「八岐の大蛇」

第8章 なぜ正倉院の「神秘の宝物」は盗掘されなかったか

ー「肩を寄せ合う」濃密な奈良の迷路

第9章 なぜ江戸時代には、車の動力が「人間」に退化したか

ー「道路後進国」1000年の空白

第10章 なぜ9歳の本因坊秀策は「東海道を一人旅」できたか

ー江戸の「追いはぎ」「雲助」の謎

第11章 なぜ京都が日本の「線路誕生の地」となったか

ー「車石」がもたらした交通革命

第12章 なぜ大阪の街は「五・十日」渋滞が名物なのか

ー「不合理」に基づく商売の原点

第13章 なぜ大阪は日本の「都市の原点」であり続けるか

ー「空間・歴史・人情」の密度の濃さ

第14章 なぜ「間引きされた地図」は伝える力を高めるか

ー情報を「削り取る」高度な知的作業

第15章 なぜ「世界屈指の雪国」で高度文明が創られたか

ー「島」と「雪」が日本人を閉じこめた

第16章 なぜ日本文明は「海面上昇」でも存続できるか

ー温暖化で30m上昇した「if」

第17章 なぜ日本は分裂せず、現代まで生き残ったか

ー参勤交代が生んだ「束ねる力」

第18章 なぜ日本は「100年後の未来」にも希望があるか

ー「縮小」に打ち克つ日本史の知恵

となっていて、今回の主流は、戦国時代末期から江戸時代が中心。
続きを読む

「わかったつもり」の解消は結構シンドそうだ — 西林克彦「わかったつもり」(光文社新書)

本を読んだり、人から話を聞いたり、生きていく上で、「理解する」「わかる」ということは必要不可欠なのだが、これほど頼りないものもない。小さな子供が「わかった?」と聞かれて「わかった」と答えるが、問い詰められると茫漠としてしまって泣き出すことはよくある光景だが、大人でも泣かないぐらいで実質のところは子供と同じである。

本書は、「わかったつもり」なのだが、実は「わかっていない」状況に着目して、なぜそうした現象が起こるのか。防止策は何なのかを解き明かしてくれる。

構成は

第1章 「読み」が深まらないのはなぜか?

1 短い物語を読む

2 「わからない」と「わかる」と「よりわかる」

3 「わかったつもり」という困った状態

第2章 「読み」における文脈のはたらき

1 文脈がわからないと「わからない」

2 文脈による意味の引き出し

3 文脈の積極的活用

第3章 これが「わかったつもり」だ

1 「全体の雰囲気」という魔物(その1)

2 「全体の雰囲気」という魔物(その2)

3 「わかったつもり」の手強さ

第4章 さまざまな「わかったつもり」

1 「わかったつもり」の”犯人”たち

2 文脈の魔力

3 ステレオタイプのスキーマ

第5章 「わかったつもり」の壊し方

1 「わかったつもり」からの脱出

2 解釈の自由と制約

3 試験問題を解いてみる

4 まとめ

となっていて、「わかったつもり」の分析と解消法の実践の舞台は大学をはじめとする学校の授業であるようだ。

このあたり、「わかったつもり」が一番出現するのは、「教育」「学習」の場面が¥であろうから、「実」に即したものといっていい。

筆者によると「わかったつもり」の状態とは

「わかった」状態は、ひとつの安定状態です。ある意味、「わからない部分が見つからない」という状態だといってもいいかも知れません。したがって、「わかった」から「よりわかった」へ到る作業の必要性を感じない状態でもあるのです。浅いわかり方から抜け出すことが困難なのは、その状態が「わからない」からではなくて、「わかった」状態だからなのです。

間違ったわかったつもり」の状態では、部分が「読み飛ばされ」て、しっかりとした意味が引き出されていません。全体の大雑把な文脈を打ち破るほどには、部分が読まれていないので、間違った状態が維持されているというわけです。  簡単にいえば、部分の読みが不充分だったり間違ったりしているので、間違った「わかったつもり」が成立

という状態であるらしく、けして物事がちんぷんかんぷんで何を言っているか不明、という状態ではなく、ある程度「わかっている」からだという、なにやら面倒な状態であるらしい。

続きを読む

大量の読書の秘訣は、「寝る前に1時間本を読む」を続けることか? — 出口治明『本の「使い方」』(角川ONEテーマ21)

ライフネット生命の創業者の出口治明氏の読書論。もともと氏は、かなり読書家として知られているし、「1行たりとも読み飛ばしてはいけなう」という結構人を恐れさせる帯もついているので、その読書法や大量の読書をするコツもさぞかし、と思ったのだが、意外にも、

本は、移動時間や就寝前の1時間、週末に読んでいます。趣味として読む場合と、まとまった知識を得るために読む場合があります。  読書は私の趣味そのものなので、功利的な目的を考えずに、ただ「楽しい」「おもしろい」という理由だけで読む場合がほとんど

というところにちょっと驚く。

構成は

1章 本とは「何か」ー教養について考える

2章 本を選ぶー「おもしろそうな本」という鉄則

3章 本と向きあうー1行たりとも読み飛ばさない

4章 本を「使う」ー著者に左右される人、されない人

5章 本を「愛する」ー自分の滋養、他者への架け橋

となっていて、「本」の隅々まで味わってやるぞ、という「読書家」の心意気が反映されているようでもある。「読書論」というのは、ちょっと間違うと、スノッブの風味が強くなすぎて、うっぷ、と胸焼けがしてしまうものだが、本書がするすると読めるのは、そのオーソドクスさによるのかもしれない。

そのあたりは

私の場合、新しい分野の勉強を始めるときは、 ①関連書籍を「7~8冊」手に入れる ②「厚くて、難解そうな本」から読み始めて、輪郭をつかむ ③最後に「薄い入門書」を読んで、体系化する ④本で学んだあとは、実際に体験してみる  というマイルールを決めています。そして、一旦マイルールを決めたら、あとは迷いません。ルールのとおり行動するだけです。

私は、目次をほとんど読みません。  繰り返しますが、私は、本を読むことと、人の話を聞くことは同じだと考えています。人の話には、目次がありません。聞き飛ばすこともできません。 「この人の話、おもしろそうだな」と思ったら一所懸命聞けばいいし、途中で「なんか、おもしろくないな」と思えば、話を切り上げてしまえばいい

といったところにも現れているといえそう。

もっとも

私は、一般にビジネス書はあまり読みません(実務書は別です)。ビジネス書があまり好きでないのは、 ①ビジネス書は、後出しジャンケンである ②ビジネス書は、抽象化されすぎている  という、おもに2つの理由からです

成功体験は、いくらでも後づけで考えられます。でも、歴史書や優れた小説には、成功した人間だけでなく、失敗した人間も同じく克明に描かれています。ひどい人とか、いいかげんな人とか、生身の人間が等身大で描かれているので、後出しジャンケンよりもはるかに役に立つ、というのが、私の基本的な認識

と、読むなら「歴史書」と力説されているところには、あれこれとビジネス書を読んで簡単に感化されてしまう当方としては赤顔するしかない。

まあ、幸いなことに読書の本質は

人、本、旅には、それぞれ一長一短があって、どれがいい、どれが悪いと決めつけられるものではありません。大学の4年間を「本を読んで過ごす」のと、「世界を放浪して過ごす」のとでは、どちらが賢くなるのか、それはわかりません。その人次第です。「旅は大好きだけれど本は大嫌い」という人は、旅を続けたほうが、賢くなるはずです。

人、本、旅で、どのジャンルの教養を身に付けたらいいのか、というと、 ・自分の興味が持てるもの ・自分の好きなもの  から始めてかまわないと思います。好きこそものの上手なれで、興味が持てるジャンルであれば、続けることも、工夫することもできるでしょう。好きなものを究めるほうが、何でも身に付きやすいと思います。  一方で、他人に薦められたら、騙されたと思って試してみる、という方法もあります。

ということであるらしいので、力を抜いて、好きなジャンルを、とにかくたくさん読んでいくというのでよろしいようでありますな。