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「クール・ジャパン」は「夜郎自大」にならずクールな道を行くべき — 鴻上尚史「クール・ジャパン!?ー外国人が見たニッポン」(講談社現代新書)

最近、日本古来の伝統とか「職人の技」であるとかを手放しで礼賛するTV番組が増えてきていて、NHKのクールジャパンのMCでもある鴻上尚史氏の本なので、そういったノリであるのかな、と避けて通っていたのだが、実際は、そんな薄っぺらい「クールジャパン本」ではありませんでした。鴻上先生すいませんでした。

構成は

プロローグー「クール・ジャパン」とはなにか?

第1章 外国人が見つけた日本のクール・ベスト20

第2章 日本人とは?

第3章 日本は世間でできている

第4章 日本の「おもてなし」はやはりクール!

第5章 日本食はすごい

第6章 世界に誇れるメイド・イン・ジャパン

第7章 ポップカルチャーはクールか?

第8章 男と女、そして親と子

第9章 東洋と西洋

エピローグーこれからの「クール・ジャパン」

となっていて、「日本のクール・ベスト20」である、洗浄器付き便座、お花見、100円ショップ、花火、食品サンプル、おにぎり、カプセルホテル、盆踊り、紅葉狩り、新幹線、居酒屋、富士登山、大阪人の気質、スーパー銭湯、自動販売機、立体駐車場、ICカード乗車券、ニッカボッカ、神前挙式、マンガ喫茶が、その他の日本製品とともに外国人の印象とともに語られたり、

「宅配便」にすべての外国人は驚きました。配達員が終始、走っていること。時間を指定して遅れること。誰もいなくて受け取れなかったら、すぐに配達員の携帯に連絡して、その日のうちに再配達が可能なこと 。(P124)

といった、我々の日本人をくすぐるような話とか、定年後、日本人男性が公園の銅像の清掃に精を出す姿を見て

外国人たちは口々に、「自分や家族のために、定年後は時間を使うべきだ」と強くいいました。・・・「なぜ家族に求められる人間じゃなくて、他人に求められる人間になろうとするの?」とスペイン人もまったく理解できない顔でいいました(P89)

といったように日本と外国の違いといった、「クール・ジャパン」本の定番のところももちろんあるのだが、しっかりと読むべきは、「エピローグ」を中心するところで、例えば「Tokyo Otaku Mode」のフィギュア販売について野党議員の質問に端を発した商品と写真の削除に際して

政府ができることはなにか?それは「場」を提供することです。

(中略)

感心のない大衆に「日本のアニメは面白い」と思わせるためには、一般大衆が無視できない質と量がいるのです。

しかし、政府は「場」を提供しないで、「判断」しました。

(中略)

こんなことをしていては、クールジャパン機構に出資を頼もうと思う文化的企業はなくなっていくでしょう(P222)

と政府や官僚の「肚」のなさを批判したり、

クール・ジャパンを海外で展開する時に、一番大切なことがあります。

それは「早急に成果を求めない」ということです「(P229)

と予算年度ごと、あるいは選挙などの政治イベントの度にコスパの判定を迫ったりする世間と、猫の目のように、キャッチフレーズ的な政策を変更していく政府を牽制したり、

(クールジャパンの番組で)「日本人として誇りを持てた」という感覚は、この無気力肯定ビジネス(「今のままでいい」「がんばらなくていい」「ありのままの自分を愛する」というようなタイトルの本と周辺の展開のこと)に近いと僕は見ています。日本人であることだけで、無条件に素晴らしいのなら、自分はなにもしなくてもよくなります(P233)

と安易な「日本礼賛」を諌めるといったところであろう。

G8に参加している先進国中、パスポート取得率が最低の国は・・じつは日本(P214)

という状況で、井の中の蛙、夜郎自大とならずに、日本の良いものをしっかりと見据えていく、そんな冷静な対応と戦略が必要なのかもしれないですね。

「学校と世間の常識」の呪縛から逃れる方法はいかに? — 堀江貴文「すべての教育は「洗脳」である」(光文社新書)

数回続けて、堀江貴文氏の著作をレビューするのだが、いくつかの共通点、ダブっている所はあるのだが、「本音で生きる」から「多動力」へつながっていく著作の間をつなぐと思われるのがこの「すべての教育は「洗脳」である」であろうか。

構成は

第1章 学校は国策「洗脳機関」である

第2章 G人材とL人材

第3章 学びとは「没頭」である

第4章 三つの「タグ」で自分の価値を上げよ

第5章 会社はいますぐ辞められる

となっていて、論述の多くは、「学校」という装置の洗脳機能というか、学校が個人を、国家あるいは集団向きに「仕立て上げてしまうか、ということと、いかにそれから逃れるかといったところ。

そして、それは近代の象徴でもある「工場」からの脱却である。それは氏が「G人材とL人材」の章で述べてもいるのだが、「G人材}=グローバル人材と「L人材」=ローカル人材を対比しながら、よくあるグローバル主義の論述のように「ヤンキー」で象徴される「L人材」を排除しないところにもある。

こので排除されるべきものとして標的にされるのは「N人材」=ネーション人材というものであるのだが、この「N人材」、今まで我々の社会の中心的な存在であったエリート層、指導者層と重なり合っているとこrが、この書の危険性でもあり、また毒性でもある。

それは

大切なのは、GとLの二つから、うまみのありそうな方を選ぶことではない。自分のやりたいこと、大切にしたいものを理解することなのである。その結果どちらを選ぶことになろうと、あなたの”本音”と合致している限り、幸せな生き方は追求できるはずだ。

といったところで明確なように「個人主義」的生き方の宣言でもある。

ただ。この生き方、学校で教わるものではないだけに

「みんながやっている努力」をやってもいきなり突き抜けることは難しいが、「誰もやっていなかった」領域なら、一足飛びで大きなリターンが生まれる確率は高い

とか

自分のやってきたことや、すでに持ってくるものから「やること」を決めてはいけないのだ。

と言った風に、とにかく独創性に基づいた

「老後の楽しみのために苦しい会社勤めに耐える」という考え方を捨て、「楽しく続けられる好きな仕事を、やる気が尽きない限り続ける」

という、結構、ワガママな生き方でもある。

さて、本書は、何かのカタルシスを感じたい時、結構オススメでありますよ。

「調べる」ことの多様さと混沌 — 木村俊介「「調べる論」ーしつこさで壁を破った20人」(NHK出版新書)

世の中の「調べる」に従事している人へのインタビューの記録である。ただ、構成は

第1章 調査取材で、一次資料にあたる

「一次情報を、引いた視点で集めたくて」(フリーライター 鈴木智彦)

「選挙活動って、やっぱりいやなものでしたよね」(ジャーナリスト 出井康博)

「罪深い取材をするからには、まっとうなものを書きたい」

(開日新聞学芸部記者 栗原俊雄)

「15分間で1000字を書かなければならない時もある仕事です」

(スポーツ報知プロ野球担当記者 加藤弘士)

第2章 「世間の誤解」と「現実の状況」の隙間を埋める

「現実の解決策は、面倒な作業の後にしか見つからない」

(教育社会学者 本田由紀)

「少し前まで、日本に貧困は「ない」とされていたんです」

(貧困問題研究者 阿部 彩)

「情報の流通が、病気への誤解を深める場合もある」(内科医 本田美和子)

「本当の話は、何回言っても嘘にならない」(雑誌編集者 浅川芳裕)

第3章 膨大なデータや現実をどう解釈するか

「流れに逆らうと、非効率的なお金の使い方になる」

(為替ストラテジスト 佐々木融)

「調査は折りてくる瞬間に一気にまとまるもの」(文化人類学者 渡部 靖)

「世界初の調査ができ絵も、意味を捉えるのが難しい」(海洋生物学者 佐藤克文)

「私の役目は、企業が改革を進めるための触媒です」

(ヒューマンエラー研究者 中田享)

第4章 新しいサービスや市場を開拓する

「営業の業務を調べなければならなかった」(航空機開発者 宮川淳一)

「M&Aの仕事って、結構、人間くさいですよ」(弁護士 淵辺善彦)

「人の話は、評価しながら聞いてはいけない」(悲嘆ケアワーカー 高木優子)

「業界の常識を調べ、別の常識を作り上げた」(演劇プロデューサー 北村明子)

第5章 自分自身の可能性を調べて発見する

「過去を調べなければ、美しさは生まれない」(狂言師 野村萬斎)

「同じ方針を取り続けたら、時代の変化がよくわかりました」(弁護士 国広 正)

「知性の本質は、アウトプットに宿るもの」(哲学者 萱野稔人)

「調査や経験を、作品にまで高めるために」(漫画家 田島隆・東風孝広)

終章 インタビューを使って「調べる」ということ

人の肉声を使って歴史を記録する

「偉そう」でないのが、聞き書きの魅力

なっていて、「調べる」といっても、単に「調査」や「研究」をしている人だけではなく、「現場で物事を新しく把握し、人に直に伝えることで業務を切り開いてきた実務職や・・・も一種の「調べること」と捉え」(”はじめに”より)て、インタビューし、収録してあるので、一種の「混沌」が生じてくる。

なので、いわゆる「調べる仕事」であるライターなどを中心に取り上げた第1章から第3章までと、第4章と第5章では、かなりの印象が違うといっていい。

それは、シベリア抑留を調査した、毎日新聞記者の栗原氏の

ぼくの著書に登場するのは歴史的な人物ではありません。でも、活字にしておけば「そんなことがあったんだ」という発見がある。それから、・・・残しておけば10年後、20年後に読んでくれる人とつながれるという確信がある。(P45)

その時なら大和のこと、今回ならシベリアのことについて、いろいろな人がいろいろなことをおっしゃるわけですよね。しかし、それが客観的事実とは限らない(P46)

と、悲嘆ケアワーカー 高木優子氏の

私がケアに入ったときに一切の評価をしないのは、つまり、評価というのは話の「伸びやかさ」を奪ってしまうからなんですね(P182)

という言葉の間に、「調べる」という事項についての共通項があるのかないのか、途方にくれてしまうのが正直なところ。

ただ、まあ、本書の持ち味は「調べる」ということを広義に捉えた場合に、それに携わえる人々の多様さ、違いを楽しんだり、「ほう」と意外性に驚いたりすればよいのであって、難しく一本調子に本の主意を汲み取る必要ないのであろう。

さて、この混沌を、あなたは楽しめますかどうか。

最近珍しい「熱い」ビジネス本 — 金川顕教「すごい効率化」(KADOKAWA)

最近、効率的な仕事を目指すノウハウ本やビジネス本も、働き方改革の時代を反映してか、ソフィスティケートされたものが増えているようなのだが、こちらは

一般的に仕事ができる人というのは、孤独な人でもあるのです。やはり人よりも結果を出せるということは、みんながやらないことをやり続けられるからであって、そういう人はどこかで一人孤独に作業しているものです。  そのため、人が遊んでいる時間や寝ている時間に、家族や同僚と離れ、孤独に耐えて朝活・夜活をするのは、一流になるための第一歩と言えます。(位置253)

とあるように、かなりハードボイルドなビジネス本である。

構成は

1日目 決まった場所と時間を作る

2日目 パソコン環境を徹底的に整える

3日目 操作・入力をほぼ自動化する

4日目 時間を断捨離する

5日目 CAPDでまず検証する

6日目 頭が良くなる「箇条書き記録法」

7日目 しないことリストをつくる

8日目 自分だけではなくチームで効率化する

9日目 50%で見切り発車する

10日目 超効率・情報収集術

11日目 超効率・時間管理術

12日目 睡眠を極める

13日目 食事や運動にこだわる

14日目 コミュニケーションを極める

となっていて、本書によれば「これらを14日間で学び、すべて実戦していただければ、たった2週間で理想の自分まで辿り着くための道筋を描くことが可能となります」とのこと。

まあ、そこまで気張らずともよいが、メソッド的には結構豊富に用意されているのは確か。

例えば、「朝活・夜活」の場所については

どこの店がおすすめというのは特にありません。カフェでも、マックでも、夜なら一人居酒屋でもかまいません。  私は店の形態や場所よりも、自分専用の席を確保できることが重要だと考えています。すなわち、「ここにいつも座る」という「マイ席」を持てる店です。(位置266)

とか

いつも注文メニューは同じにすることです。例えば、朝は常にアイスティを頼み、このサンドイッチを食べる、といったように、毎日ルーティン化します。夜、居酒屋でやるなら、常にビール1杯頼んで、その時間だけ集中するとしてもいいでしょう。  意識すべきは、「ここに来たら常に仕事のための作業をする」、その習慣を身体に覚えさせることです。(位置279)

とか、店にこだわるのではなく、シチュエーションに拘るところが、バリバリのビジネス本らしい。

さらには、2日目の「パソコン環境」のあたりでは「資料は紙ではなくデータでとっておくべきです」(位置361)や「手帖やノートは使わず、メモはすべてパソコン化スマホで取るようにするのです」(位置370)など、とかくアナログな記録がメインの日本の昔ながらの職場ではちょっと勇気のいる提案もあるが、すべて出来ないにしても、できるだけ尖った仕事のやり方を心がけたほうがかえって楽になることもあるのは確かである。

また、もう一つ注目しておきたいのは、最近流行りの「PDCA」ではなく「CAPD」のススメ。というのも

普通にPDCAで計画を立てることから始めるのは非常に危険だというのが私の見解です。理由は、まだやっていないことはそもそも有効な計画が立てられないからです。(位置729)

というのは卓見で、

例えば、試験に受かった人はどうやって勉強していたのか? 一方で落ちた人はどうしていたか? 不合格の人はどこを改善すればよかったのか?──そうした評価の視点から、改善点を理解したうえで計画を立て、実行すれば、より確実に結果に結びつくはずです。  世間で広く知られるPDCAではなく、チェック・検証から始まるCAPDサイクルを回すこと。これこそが、本当に効率的な手法なのです。

というのはなるほどね、と思いつつも、身近に「C(チェック)」の手本のない「先例」のない場合のメソッドは、もうひと工夫いるということであろう。

もっとも、情報収集の一番効率的な方法として「本をよむことを」をあげ、しかも「同じテーマのものを何冊も読む」「メモをとったりSNSに投稿したり、インプットと同じ割合のアウトプットをする」といったオーソドックスなこともおさえてあるので、レイト・マジョリティの人も抵抗はなかろう。

さて、後半部分の「見切り発車力」とか

毎日集中力を保ち、やり続けるにはどうすべきか。究極的には集中力を上げようとしない状態になることです。

ではそういった状態に持っていくためには何をすべきか。まずは覚悟を決めて自分を追い込むことだと思います。(位置1462)

とか、力溢れるビジネス本特有の熱っぽさに、ちょっと引いてしまう人もあるかもしれないが、ビジネス本は、その人がその人なりに読めば良い、というのが当方の持論である。そう思えば、この本の「熱さ」も、良い示唆を鋳いく含んでいると思うのだがいかがであろうか。

あなたの会社はイノベーティブ? — 山口 周「世界で最もイノベーティブな組織のつくり方」(光文社新書)

あとがきに

この本は題名に「イノベーション」を謳ってはいるものの、扱っている問題の本質は「組織論」であり、突き詰めて言えば「リーダーシップ論」です(P293)

とあって、確かに、いかにしてイノベーションを生み出すかといったテクニカルな本と思って読むとアテがはずれるので要注意。かといって、「組織論」と言うには、当方には抵抗があって、当方が面白く読んだのは、「イノベーション」を生み出す組織の「メンタル部分の分析論」といったところであろうか。

構成は

第1章 日本人はイノベーティブか

第2章 イノベーションは「新参者」から生まれる

第3章 イノベーションの「目利き」

第4章 イノベーションを起こせるリーダー、起こせないリーダー

第5章 イノベーティブな組織の作り方

となっているのだが、初めのあたりで

日本企業でイノベーションの促進を阻害するボトルネックファクターは何なのか?

それは「組織」です

歴史的に見て多くの領域において個人として発揮されている創造性が、最近の企業組織においてまったく発揮されていないという事実−。これは、組織が個人の創造性をうまく引き出せていないということを示唆しています。(P30)

とあるのは、日本の組織を賞賛する動きに少しの冷水となるだろう。

そして、本書を読んで思ったのが、イノベーションは「尖った小集団」がもっとも起こす可能性が高いという印象で、

「異なる分野のクロスオーバーするところにこそイノベーションな思考が生まれる」 (P40)

重要なのは、人と異なる考え方/感じ方をどれだけ組織成員ができるか。そして考えたこと/感じたことをどれだけオープンに話せるかという問題(P53)

といったところに明確で、そうなると、今、多くの組織で行われている、組織全体で「イノベーション力」「創造力」を育成しようと言った取り組みは、結構残念なものでなる可能性が高いということか。

とりわけ、日本の大企業や公務組織にように、上司に反論することが文化的に難しい「権力格差指標」(詳しくは本書のP60以降を読んでね)の高いところは、いくら研修や社員教育過程でイノベーションを起こす力を育成しようとしても結局は無駄骨に終わる可能性が高いということであるようだ。

では、大組織や公務組織はどうしたらよいの、というところは明確には示されないものの

イノベーションの歴史をひもとくと、この「指令を受けたエリート」対「好奇心に突き動かされた起業家(アントレプレナー)」という戦いの構図がたびたび現れます。そして、多くの場合、本来であればより人的資産、物的資産、経済的資産に恵まれているはずの前者が敗れている(P111)

あるいは

組織を率いて大きなイノベーションを実現する管理職は、高いパワー動機(自分の行為や存在によって組織や社会に影響を与えたいという動機)を持っている傾向が顕著なことが明らかになっています。一方、一般に企業において高業績を上げる人材は高い達成動機(設定した水準や目標を達成したいという動機)を持っている傾向が、やはり明らかになっている。

ここに、人材配置上の落とし穴があります。(P126)

といったあたりがヒントになりそうな気がするんである。つまり、組織を破壊しない程度のパワー動機をもつ職員をうまく見つけ、いわゆる「仕事のできるエリート」は彼らをサポートする側にまわる、といった役割分担が効果を上げるんでは、と思う次第。

まあ、このあたりはいろいろ意見があるだろうし、自分の属する組織に当て嵌めて、いろいろ考えたり、妄想するのが、「組織論」や「人材論」のちょっとひねった楽しみでもある。さて、皆さんの組織はイノベーティブですかな?

僕は文系だから、といってもいられない時代が到来か — 成毛 眞「AI時代の人生戦略ー「STEAM」が最強の武器である」(SB新書)

STEAMとは

サイエンス(科学)の「S」

テクノロジー(技術)の「T」

エンジニアリング(工学)の「E」

マセマティックス(数学)の「M」(P16)

ということで、当方のようなバリバリ文化系には、ちょっと耳に痛い内容であるのだが、どうやら世の中は、「科学」「技術というったやつをなんとか使いこなさないと人並みの生活がおくれないようになってきているようだ。

それはAIによって「仕事が奪われる」という事態にも現れていて、「今ある47%の仕事は近い将来なくなる」という予測があって、それは知的難易度とかなることの難しさとは関係なく、例えば判例や資料を調べたりする「下級弁護士」はAIにとってかわられてもいるようで、なんともうかうかしてはいられないご時世ではある。

構成は

第1章 これからはSTEAMが必須

第2章 STEAMとアート(A)が結びつく

第3章 ”今ある仕事がない世界”がやってくる

イノベーター対談 ×鈴木寛(文部科学大臣補佐官)

第4章 学校では教えてくれないSTEAMを学べ

コラム もはや中国製はあなどれない

第5章 マーク・ザッカーバーグはSF小説に発想を得る

イノベーター対談 ×堀江貴文(ホリエモン)

第6章 残酷な10年後に備えて今すぐ読みたい本

コラム ガソリン車の復権

終章 ゲームで遊ばないような奴に明日はない

となっていて、終章のあたりで「ニンマリ」する人もいるかもしれないが、基本的には、理科系の知識の取得に勤めない輩には、ちょっとペシミスティックな内容ではある。

ただ、科学的な知識を身につけるのは、何も、理系大学や理系大学院に再入学しないといけないと主張しているわけではなく、

そこで独学だ。独学で十分なのだ。基本的にこれからの学びは高等教育でこそ自習になると思う(P118)

独学に最も適しているのは、もちろん読書だ。本は場所を選ばず、自分のペースで読むことができる。まずは一冊、気になっている分野のサイエンス系の読み物を買って読んでみるといい。

途中でわからないところがあっても気にしない。最初の一冊は、とにかく最後まで読み通すことが肝心だ。そのためには、薄い本、文字数が少なめの本を選ぶのもいい。続いて読むのは、最初に読んだ本で引っかかった部分について書いて有りそうな本ではなく、まったく関係のなさそうな本だ。

何かの専門家になるわけではないから、広く浅く理数系に触れるつもりで読んでいくのが基本的なスタンスとなる。(P118)

ということのようであるから、まあ、それぞれの努力の範囲で頑張れるのかな、と勇気づけはしてくれるのである。

何にせよ

AIやロボットを使う側の仕事と、使われる側の仕事が生まれる。

使い側とは、AIやロボットを道具のようにか使ってイノベーションを起こす仕事であり、使われる側とはAIやロボットに命じられるままに働かされる仕事である。(P67)

という社会の到来を睨んで、「理系」の知識に食指を伸ばしておいたほうがよさそうでなのであるが

ゲームや遊びは悪で、勉強は善。それが世間の常識のようだ。

でも、目を覚ましてほしい。この先の残酷な時代を生き抜くには、5教科7科目の勉強や眼の前の仕事だけに必死になるよりも、ゲームで遊んだ方が役に立つ(P210)

ということのようなので、まずは肩の力を抜いて、あれこれ手を伸ばしてみるのがよさそうですね。

ドラマチックでもなくセンセーショナルでもない「女性の貧困」問題は、社会意識の問題もあって、かなり根深い — 飯島裕子「ルポ 貧困女子」(岩波新書)

貧困問題が取り上げられて久しいのだが、「女性」の貧困をとりあげるばあい、とかく”性的”な色合いが加味されたり、シングルマザーに焦点が当てられるものが多いような気がしていたのだが、本書は「ドラマチックなストーリー」のない「センセーショナルでない」「女性の貧困」を取り上げる数少ないものといっていい。

構成は

序章 女性の貧困とは

1章 家族という危ういセーフティネット

2章 家事手伝いに潜む闇

3章 正社員でも厳しい

4章 非正規という負の連鎖

5章 結婚・出産プレッシャー

6章 女性の分断

終章 一筋の光を求めて

となっていて、女性の貧困のうち「実家にパラサイトする女性」「ニート・ひきこもった女性」「パワハラなどで仕事をやめた後、非正規になった女性」などなど、どちらかというと人目はひかないが、確実に、しかも多数存在する「貧困女性」の姿を、多くのインタビューをもとに構成されているのだが

女性の場合、「貧困」と「不安定雇用」はデフォルト(初期値)であることだ。・・取材対象者について、未婚で仕事が不安定(非正規あるいは無職)ということ以外、年収等の条件を設けなかったのだが、・・現在無職の人はもちろん、働いている人も「ワーキングプア」と言われる年収200万円を下回っていた。(P10)

働く女性の数は増え続け、1992年には専業主婦の数を上回った。しかし、その大半はいわゆる”主婦パート”と呼ばれる非正規雇用であった。男性稼ぎ主による包摂が前提のため、彼女たちの労働は家計補助として捉えられ、自立による賃金や待遇は得られない。こうして非正規で働く女性たちは雇用の調整弁として利用されてきたのだ。

しかし、実際には非正規女性=主婦パートばかりではなかった。時間的に非正規でしか働けないシングルマザーや単身で暮らすシングル女性の中にも、非正規雇用に従事している人は多くいた。しかし、待遇の悪さは問題になってこなかった、なぜなら彼女たちは「例外」であり「残余」であったからだ。(P12)

という事情もあるのだが、「男性稼ぎ主モデル」という長らく日本を支配してきた人生モデルのせいで、あたかも「透明」であるかのように扱われてきた「女性」に関する問題を表へ出してくる取組でもある。

とはいうものの、男性の貧困問題が教育環境の問題であったり、不況の問題であったりと、どちらかといえば外形的に捉えやすいものが多いに対し、「女性の貧困」は社会構造に根っこをもっているものが多く、なんとも複雑で、一刀両断に解決、といったことにはならないようである。

もちろん

高卒女性の需要が多いのは販売員やウェイトレスなど、雇用の非正規化が進んでいるサービス系の職種。かつて高卒女性には事務職の需要が多くありましたが、今、事務職は大卒女性で占められるようになっています。結果として高卒女性の仕事は非正規がメインになってしまう(P104)

といったことや

就職氷河期は多くの若者に厳しい試練を与えたが、最も影響を受けたのは、もはや”主流派”ではなくなっった短大卒の女性たちであった(P175)

バブル崩壊のみならず、グローバル化やオフィスのIT化によって「一般職」が担ってきた事務的、補佐的な仕事が減少してきたという背景もある。女子就職の多くを占めてきた「一般職」の削減はその後も進み、「契約」や「派遣」などの非正規に置き換えられていった(P176)

など、労働環境や経済環境に根ざすものも当然あるのだが、それに加えて

女性の場合、実家で家族と暮らしているとその中に潜む問題はほとんど可視化されることがない。これは男性と同棲している場合も同様だ(P41)

といった女性特有の問題が、一層複雑度を増している上に、政府も

政府が目指す、結婚→妊娠→出産→育児という”切れ目のない支援”は、各段階を踏まない家族、たとえば「結婚」を経ない非婚の母などは、望ましい「家族」と認めないという発想の表れに思われてならない。・・・家族の形が多様化しているにもかかわらず、いまだに”古い家族像に拘泥した少子化対策を行っている日本は時代に逆行していると言えるだろう(P161)

といった風で、昔ながらの「家族意識」が施策の考え方の土台になっていることも否めない。

どうもこの問題、「景気がよくなれば解決するさ」、ともいかないようだ。筆者の言う

私は女性が貧困から脱する一つの方法は、この「多様な選択肢」という考え方、すなわち結婚を前提とした意識を捨て「世帯主」としての意識を身につけることだと思っている。それは既婚女性も同様だ。当然、意識だけではなく、税や社会保障など世帯単位のものを個人単位に変えていく必要もある。

貧困率にしても世帯収入で見るため、一人暮らしをしない限り、女性の貧困が不可視化されてしまうことは、これなで書いてきた通りだ。世帯に隠れてしまうと貧困であることすら認めてみらえない女性の状況を可視化させるためにも、”世帯主”を意識することは重要な第一歩であると言える。(P219)

といったソフト面から始めないといけないとしたら、時間もかかるし、かなりの難物ではある。これから、AIによって職業構造も大変化するであろうし、さて、どうしますかね。

「働き方改革」の行方を暗示する、日本人の”勤勉性” — 礫川全次「日本人はいつから働きすぎになったのかー<勤勉>の誕生」(平凡社)

どうやら、「働き方改革」の目指す方向は、”生産性の向上”という極めて日本的な方向を目指し始めたようで、その意味で、多くの経営者・労働者や、コンサルタントの方々には扱いやすい話になりはじめているようだ。

本書はそんな情勢に棹さすという意図はないのであろうが、結果的に、日本人の「働く」ということの根底をぐらりと揺らしているのが面白い。

構成は

序章 日本人と「自発的隷従」

第1章 日本人はいつから勤勉になったのか

第2章 二宮尊徳「神話」の虚実

第3章 二宮尊徳は人を勤勉にさせられたか

第4章 浄土真宗と「勤勉のエートス」

第5章 吉田松陰と福沢諭吉

第6章 明治時代に日本人は変貌した

第7章 なぜ日本人は働きすぎるのか

第8章 産業戦士と「最高度の自発性」

第9章 戦後復興から過労死・過労自殺まで

終章 いかにして「勤勉」を超えるか

となっていて、日本人が「勤勉」になった歴史的な時期の解明に始まって、日本人の「勤勉性」に及んでいくといったところ。

本書によれば、日本人の勤勉性は

日本では江戸時代の中頃に、農民の一部が勤勉化するという傾向が生じた(P27)

能登国鹿島郡の農民たちは、江戸中期以降、長時間労働を苦にしなくなり、むしろ「労役に耐ゆる」のを誇りとするようになったらしい。経緯は不明だが、江戸中期のある時点において、彼ら農民の間に、勤労を誇りとするような「倫理的雰囲気」(勤労のエートス)が形成され、彼らを内側から、勤労へ勤労へと突き動かしていったのであろう(P30)

と言った風で、その象徴として「二宮尊徳」があげられるのだが、そうでありながら、下野国桜町領のように

江戸後期の日本には、断固として「勤勉」になることを拒む農民たちが存在していた、という厳然たる事実である(P71)

といったことは、「日本人は勤勉」という固定観念をぐらつかせていて小気味いい。

とはいうものの、この勤勉性が

「日本的経営」の本質は。従業員の「参加意識」の形成にあった

(中略)

企業への「参加意識」を高めた労働者は、自ら進んで労働し、会社のために働くことを「生きがい」と感ずるようになってくる。「我が家は楽し」ならぬ「わが社は楽し」の世界である。日本の高度成長を支えたのは、このように、働くことを「生きがい」と感ずる労働者の存在であったと言ってよいだろう。(P216)

と、今の日本の経済的な地位を築き上げたことは間違いないのだが、

今日においては、日本人の美徳であるはずの勤勉性が、深刻な社会問題を引き起こすという事態に立ちいたっている(P10)

といったことも事実であろう。

さりとて「働き方改革」が「生産性の向上」改革に変わったという日本のメンタリティを考えると、筆者が最終章でいう

本書が、この終章で主張しようとしているのは、なぜ人間は「勤勉」でなくてはならないのか。なぜ「怠惰」ではいけないのか、「怠惰」でもいいではないか、いや「怠惰」であるべきではないか、といったことである。(P228)

も、なかなか難しいのでは、と思わないでもないのだが、さて、どうなりますか。

「1992年以降の小学校入学+バブル崩壊後+スマホほぼ全員普及+SNS隆盛」という世代の特徴は? — 藤本耕平「つくし世代」(光文社新書)

「世代論」というのはいつの時代でも根強い人気があるもので、たいがいは年齢の上の世代から、下の世代に向かってなされるもので、たいていは「今時の・・・」とかで始まり、「時代も変わった・・・」「あの頃の世代は・・」てな繰り言で終わるのが常であまり生産性がないことが多い。

本書の分析の対象と対象としているのは、1992年に小学校に入学した世代より若い世代で、筆者は1980年生まれと、分析対象に近い世代であるせいか、「今時の・・・」臭から逃れているのが本書の特徴でもある。

構成は

序章 さとっているだけじゃない今時の若者は何を考えている?
第1章 チョイスする価値観ー世間の常識より「自分ものさし」
第2章 つながり願望ー支え合いが当たり前じゃないからつながりたい
第3章 ケチ美学ー「消費しない」ことで高まる満足感
第4章 ノット・ハングリーー失われた三つの飢餓感
第5章 せつな主義ー不確かな将来より今の充実
第6章 新世代の「友達」感覚ーリムる、ファボる、クラスター分けする
第7章 なぜシェアするのかー「はずさないコーデ」と「サプライズ」
第8章 誰もが「ぬるヲタ」ー妄想するリア充たち
第9章 コスパ至上主義ー若者たちを動かす「誰トク」精神
第10章 つくし世代ー自分一人ではなく「誰かのために」
終章 若者たちはなぜ松岡修造が好きなのか

となっているのだが、なぜ、この時代区分なのかというと
・教育環境の変化ー小学校の学習指導要領が大きく改定されたのが1992年
・統計上、共働き世帯数が初めて専業主婦世帯数を上回ったのが1992年
・一家に一台パソコンを持つことが当たり前になり、インターネットも急速に普及し
た時代が中学校に入学する前に始まった世代
・バブルが崩壊したのが1992年
ということであるらしい。

で、この世代の特徴は

かつての若者には、世間で流行っているものや高級とされるものをいち早く入手することが自慢になる、ステイタスになる、という感覚があったと思います。
(中略)
今の若者には、そういう感覚がほとんどありません。「世間の評価が高いもの」よりも、彼らが大事にしているのは「自分っぽさ」「自分のフィーリング」といったものです(P49)

地域に住んで生活しているだけで、自然と人とのつながりを得られる時代ではなくなった一方で、ラインやSNSといったコミュニケーションツールの発達により、つながりを広げようと思えば、いくらでも広げられる時代になった、というのも、今時の若者たちが育ってきた環境だと思います。
その結果として起こっているのが、コミュニケーション能力が極端に高い若者と極端に低い若者の二極化という現象です。
(中略)
この傾向はまた「リア充」と「ぼっち」の二極化と言い換えてもいいかもしれません(P75)

とか

所有欲の少なさ、というのも今時の若者たちの特徴です。(P86)

といったことがあり、ざっくりというと

仲間たちの喜びのために奉仕し、尽くそうとすることが、より日常的な行動原理、消費の原理にもなっている若者たち。それが、私が考える「つくし世代」です(P34)

であるとのこと。
で、こうした世代の特徴が形成されたのは、当方が思うに、やはり経済情勢と、技術環境が大きく影響しているような気がしていて

昔、日本が右肩上がりの経済成長を続けていた時代に人格形成期をづ後した世代には、「努力すれば報われる」という価値観があると思います。
今時の若者たちには、そういう価値観があまりありません。努力が自分のためになるとは限らないし、真面目に頑張れば頑張るほど馬鹿を見ることもある。それよりも「ほどほどに頑張って、ほどほどの生活ができればいい」というマインドを持つようになっています。
それが「物」に対する飢餓感を失わせている面もあるでしょう(P102)

といったところには、戦後や高度成長期のように、まだ「飢え」とかが現実のものであったり、その記憶が生々しく残り、物資がまだ豊かではなかった経済情勢と、物資がそこそこに豊かであるが上昇期のような活気が失われている経済情勢との違いが如実にでていると思うし、

若者たちの通信する手段がパソコンであり、SNSの中心がミクシィであった時代には、ログインしている間だけつながっていればいい、という気楽さがありました。
しかし、スマホを持つのが当たり前になり、連絡手段の中心がメールからラインに、SNSの主流がミクシィからツィッターに移っている現在では、「ログイン/ログオフ」という感覚は消滅しています。スマホの電源を入れている間は、四六時中つながり続けていなければいけない(P138)

状態で「複数の自分のチャンネルを持っている」ことが要求される背景には、インターネットの普及というよりもスマホの急速普及で、個人の領域が融合し始めているという「技術革新+社会環境変化」が色濃く反映している気がする。

さてさて世代論というのは、あまり詳細に分析し、論じてみてもあまり益がないところがあって、しばらくすると「脱・ゆとり世代」「後・つくし世代」といった論もでてくるであろう。ポイントは、こうした世代の違いを理解しつつ、全体最適を導き出すことができるのか、世代対立が高じて全体の破壊をもたらしてしまうのか、といったところでありましょうか。

「働き方改革」の基本施策は、働く意欲のでる職場づくりにおくべきでは — 見波利幸「心が折れる職場」(日経プレミアムシリーズ)

政府から「働き方改革」が声高に言われるようになったな、と思っていたら、いつのまにか「生産性向上」の声に模様替えが始まっていて、いやいや、働き方改革と生産性向上は被さる所はあっても、同一ではないでしょ、とつぶやいてはみるんだが、当方の声が小さいせいか、あちこちには響かないというのが実態。

本書は、そんな小さい声を代弁してくれるような「働きやすい職場とは」、「嫌にならない職場とは」といったことを、おざなりの机上論ではなくて、分析的に提示してくるれる。

構成は

1章 飲み会が少ない職場は危ない

2章 「アドバイス上手」な上司が部下の心を折る

3章 なぜ運動部を経験していないと、心が折れやすいのか

4章 90分のメンタルヘルス研修で、不調者が増える理由

5章 心が折れない職場とは

となっていて、様々な職場の様相を示してくれながら、「心が折れない」職場の姿を明示してくれるつくりとなっている。

そもそも「心が折れる職場」とは

職場におけるコミュニケーションについて「部下からのホウ・レン・ソウが一番重要だ」という意識が強い上司がいて、部下との適切な関係を構築できれいないケースが多すぎます。

「部下からのホウ・レン・ソウが一番重要」ー。この意識をもっているということは、「報告・連絡・相談」を部下に任せて、自分からは能動的なコミュニケーションを図る気がないということだからです。(P24)

であったり、

長時間労働自体は、メンタル不調の「1つの要因」にしかすぎないと確信するようになりました。つまり、長時間労働イコール不調の原因ではなく、その根底にある「仕事との向き合い方」「仕事に対する意識の在り方」が根本的に重要なのです(P37)

「成果主義」というシステム自体が、メンタル面で問題を引き起こす直接の原因になっているとは考えられません。

(中略)

成果主義のどこに問題があるのか。それは多くの会社で、社員の働きをフェアに評価できていないこと、あるいは、制度の導入の動機が、単に人件費をカットするためになってしまっていることです(P51)

といったことであるらしく、よくいわれる労働時間といった外形的なものが要因ではなくて、職場の雰囲気、上司・同僚の雰囲気といったソフトなところが「心が折れる」「折れない」の分岐点であるようだ。

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