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セブン・イレブンやローソンの無人化の試みは、「働き方」に何をもたらすのだろうか

Japan C-netで「店内ならどこでも決済できる「ローソンスマホペイ」・・深夜帯のレジ無人化の実験も」、TABILABOで「セブンーイレブンが「無人コンビニ化」に乗り出す」、とあいついでコンビニに無人化の記事がエントリーされている。

 

双方とも、少数の実験店舗であったり、社員向けであったり、と一般店舗への展開はまだ未知数のようであるのだが、いずれも、「商品棚から自分の好きな食べ物や飲み物を取ったら、あとはセルフレジで精算する」であったり、「商品バーコードを専用のスマホアプリで読み取り、店内のどこでも決済できる」ものであったり、今まで「人手」が必要だったレジ業務の無人化を進めるもので、このあたりAmazonGoの動きと同じである。今回は、日本の大手コンビニ・チェーンでの動きが始まったということで注目していいと思っていて、メリットが確かめられれば、国内コンビニへの普及も進むであろうし、コンビニで普及するシステムは、小売一般に広がっていく可能性がたかい。

 

で、この展開なのであるが、当方的には二つの進む道があるように思える。

一つは、ディストピア的な方向。今、小売を含めて「人手不足」の状態は過熱していて、これから「少子化」「人口減少」の時代を控え、おそらくは解消の目処はたたない気がする。外国人労働力の問題が「移民」問題と重なって進展しないのであれば、向かう所は、「無人化」しかも今までの工場生産などの機械化どころではなく、「人がやる」のが当然であった分野での無人化であろう。

これは、もちろん、労働力の再配分といった面をもたらすのであろうが、どうかすると労働者の二極化を急激に進める方向に行く可能性を秘めている。すなわち、「無人化される職場」から追い出される人々と、「無人化されない職場」に残る人、である。この時に、「無人化される職場」から「無人化されない職場」への労働力移転はおきればいのだが、無人化により「労働のパイ」そのものが減少するから、一番ありえるのは、無人化に影響を受ける人々が、ほそぼそと無人化のサポートをする仕事を低収入で分け合うといった構図。

その時は、きっと貧富の二極化も加速しそうな気がしますね。

 

もう一つは、ユートピアな方で、今まで人手不足や人件費の問題で立地が困難だった地域、多くは地方部なのだが、そこに小ぶりではあるが、店舗展開がされるかも、といったもの。レジなどの対人業務が省力かできれば、人手が必要なのは、商品相談や商品陳列などであるから、意外とコンビニ以外の書店とかファッション系とかの店舗での展開にも広がるかもしれんですね。

 

で、こういった時に、「個人」としてどう対応するか、ということなのだが、いわゆる「労働力」を売る系は、どんどん先細っていく気がしますね。これは、体力を売る系だけでなく、事務的な作業やノウハウも含めた「時間」を売る系も同じ。どんどんAIを始めとする「機械」に置き換わっていく。となると、独自の企画・プランニングを売っていくか、「機械」がうまく動くように環境を整備する、のどちらかは生き残っていきそうではありますね。

もっとも、スマホが出始めた時は、今のようなクラウドやネットに繋がることが前提の職種や、クラウドを利用したサービス系の仕事は想像もできなかった。テクノロジーの変換期にある今、まだまだ暮らしや仕事の地殻変動は続きそうでありますね。

「出世」に変わる職業社会の価値観は「オールラウンダー」ほど身につけるべき

Business Indider Japanで「大企業から“ソーシャル出世”の時代へ。やりたいことができれば利他的になれる」という記事が掲載されている。

 

要点は

 

・一企業の中で「地位を得る」「認知される」という出世の姿が「広く人に認められる」ということに転換しつつある

・これからは「他人との差別化」ではなく「機械との差別化」が問われる時代になる

・企業内での出世が主流のときは、部下の手柄を横取りしたり、誰かに乗っかって出世するフリーライダーはこれから淘汰される。「自分が世の中にどういう価値を生み出せるのか」を基本にビジネス人生を考えるべき

 

といったことであろうか。

 

この論稿にあるように、Aiによる新・機械化が進み、SNSによる発信、インフルエンスが影響を増やしていく中で、大企業や公共セクターのもつ「インフルエンス」機能は弱体化していっている状況では、より多くの人に認められることを出世の根幹と考えれば、「大組織内での出世」ということが昔ほどの輝きを失っていきつつあるのは間違いないことであろう。ただ、気をつけないといけないのは、先端のところでは変わっていても、レイト・マジョリティのところが変わっていくには時間の経過が必要、ということ。今のところは、まだまだ過渡期のような気がするんですな。

こんな時、組織内にとどまってやっていこうという人は、個別化の流れに揉まれて巨木がゆっくりと削られていくように変わっていく企業社会・公的セクターの社会を見つつも、自分の得意とする武器を磨いて独立独歩の準備をしていく、ということが大事になる。全てのビジネスマンが起業したり、独立すると考えるのはちょっと現実的ではない中で、組織に便利使いされないためには、組織内にあっても、しっかりと交渉できるビジネス力を磨くことと、組織に寄っかからない意識を持つことが、大事だと思いますな。いわゆる「雌伏の時」を大事にするということ。

 

今までの職業生活を振り返ると、いくつかの大プロジェクトに関わってきて、実績も上げてきたとは思うのだが、なんとなく「便利使いされたな」という感覚が拭い切れない当方としては、「守ってよし、攻めてよし」のオールラウンダーほど、こういう気持ちで、組織に対峙しておいたほうが良いと思う。組織は、常に、あなたの才能を待っているけど、常に報奨を与えるとは限りませんからね。

「乾けない」世代の新モチベーション論 — 尾原和啓「モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書」(NEWSPICKS BOOKS)

マッキンゼー、リクルート、楽天の執行役員を経て、リゾートワーカーをしている筆者が、「乾けない世代」を主な対象にした、「新しいモチベーション」についての本。
 
構成は
 
はじめに モチベーション革命
第一章 「乾けない世代」とは何か?
第二章 偏愛こそが人間の価値になる
第三章 異なる「強み」を掛け算する最強チームの作り方
第四章 個人の働き方
 
となっていて、筆者のいう「乾けない世代」とは「あなたには生まれたときから「ないもの」がない。だから何かが欲しいと「乾けない」層で、その特徴は
 
「自分が頑張る意味が持てるもの」に「自分が好きな人たち」と「とことんハマる」ことを重要視する。金銭や物理的な報酬とは関係なく〝自分の好き〟を追求
 
していく世代で、他の言葉で言えば「ゆとり世代」「さとり世代」あるいは「ミレニアル世代」といわれている世代のこと。で、ちょっと「おや」と思ったのは、あとがきのところで、実は筆者は日本のこの世代がやる気もなくて「キライ」だったという点。
この点があるからこそ、「今時の若い者」論からの、やたらと煽るモチベーション発揚の啓発本に堕さずに、新しい時代の「モチベーション」論となっている。
 
そしてそれは、
 
時代は変化することが当たり前となりました。昨今の米国では、このことを「VUCA」の時代と呼んでいます。これは米国軍事大学が提唱しはじめた造語で、 Volatility(変動が大きく) Uncertainty(不確実で) Complexity(複雑に絡み合い) Ambiguity(曖昧) な時代に突入した
 
ことと無縁ではなく、今までの工業社会の中で育まれたモチベーション論が効能が少なくなっていることでもある。
当然、それは生活様式、仕事の様式の点でも変化をもたらすもので、例えばオイシックスの「50%社員」に象徴されるように
 
1年中会社勤めをするのではなく、まずは自分が生活者として生きることで、世の中の潜在的なニーズを拾ってきなさいという意図が込められて
 
いて、
 
「インサイト」が重要視され、仕事と遊びの境目があやふやとなった今では、なるべく仕事は「公私混同」で取り組んだほうが効果的
 
という、オフィスに集まって仕事を集団でするという20世紀方「働き方」の大変化をもたらすものでもある。
 
で、こういう時代に肝要なのは
 
これからは「他人から見れば非効率かもしれないけれど、私はどうしてもこれをやりたい」という、偏愛とも言える嗜好性を、個人がどれだけ大事に育て、それをビジネスに変えていけるかが資本になっていく
 
時代であり
 
自分が依存する先が一ヶ所しかないと、その一ヶ所がつぶれたときに路頭に迷うことになってしまう。変化する時代を自由に、自立して生きていくことは、何にも依存しないことではありません。むしろ依存先を一ヶ所にしぼらず、複数持つことが大事
 
であるらしい。そんな風に考えれば、こうしたモチベーション論は、なにも「ミレニアル世代」の独占物とするのではなく、当方のような、「ノンポリ世代」ともいわれる「第二」戦後世代のサラリーマン層が、定年後の人生100年時代の生き方として参考となるな、と感じた次第。本書によれば、
 
あなたの「好き」「あなたの歪み」は、他人にとって、今ある世界を新しい意味で楽しむことができようになるための源泉
 
となるらしい。年齢によらず、「好き」に邁進してみてもよいかと思いますね。
 

東京大学発、マッキンゼー下車、ひとまずお笑い芸人行きの旅路 — 石井てる美「キャリアを手放す勇気」(日経ビジネス人文庫)

まず最初に、東大卒、マッキンゼーの社員だった私がお笑い芸人になって、かくも成功した秘訣は、とか、日々充実した生活を……と言った話ではない。身も蓋もない言い方をすると、「エリート人生を歩んでいた人が、有名会社を辞めた」顛末の話である。
 
構成は
 
第1章 マッキンゼーと私
第2章 私の決断
第3章 決断のその先へ
 
となっているのだが、そうした「会社を辞めた顛末」がなぜ、こうしたビジネス本たりうるか、というのは、辞めるまでの七転八倒と、辞めるに至った理由が、我々がビジネス人生で悩みを抱え、退く際へのヒントになる点であろう。
 
まず第1章は、著者がマッキンゼー・ジャパンに入った経緯と、マッキンゼーの社風というかビジネススタイルが中心で、例えば
 
マッキンゼーでは新入社員であろうと”バリュー(価値)を提供すること”が求められます。
 
とか
 
マッキンゼーでは”カンファタブルゾーン”にいてはいけないともよく言われていました。”カンファタブル”とは「快適な」とか「居心地がいい」という意味です。自分にとって居心地がいい場所にい続けていてはいけない
 
といった、コンサル中のコンサルの尖ったところが縷々紹介される。
 
その後、第2章、第3章では、そのマッキンゼーで壁に当たり、不適合状態になっていったところから、ワタナベエンターテインメントでお笑い芸人として再出発といった展開になるのだが、当方的に、おやと思うのは、著者が、辞めていったマッキンゼーをネガティブに考えていないこと。
 
むしろ、マッキンゼーで学んだ「思考方法」のおかげで、「辞める」決断もできたという感じで、それは
 
「イシュー」と呼ばれる”解決すべき問題”を特定し、その問題に対する解決策の「仮設」を先に立てます。その仮設が正しいかどうかさまざまな上方をもとに検証し、仮設が間違っていると分かればすぐに書き換えるという、強烈な「仮設思考」のもとに進められます。このとき、仮設を検証するための情報を集めるのも、分析するのも、早くて速い。仮設が間違っていると分かった瞬間、それまでのそれに注いだ労力を惜しむこともなく、バッサリと捨てるのも早い。
 
とか
 
自分の状況があまりよくないと感じる時はついネガティブな方向に考えててしまいがちでしたが、それはある意味勝手な思い込みです。これは何も、いつでもポジティブに考えようと言っているわけではなく、挑戦をする環境にいるといつも目の前に壁があると感じるのは当然で、状況が悪いわけでもなければ、ネガティブに考える必要もまるでないのです。
 
といったところに顕著。
 
確かに、筆者の言うように、今までの方向と違うところへ進む時に一番ネックとなるのは
 
決断がときに困難なのは、何かを手見する代わりに、「過去に手に入れてきたもの。今手にしているもの、将来手にいれられるかもしれないもの」を失うリスクがあるから
 
といったことに間違いなく、一歩踏み出すには、「仮設が間違っていたら、バッサリ捨てる」といった乱暴さも時には必要ということなのであろう。
 
筆者は、失礼ではあるがまだ、「売れない芸人」の一人である。ただ、彼女が今までのキャリアを「捨てた」決断と、決断できた方法論は、「退く」あるいは「転身する」ことに臆病になりがちな時、一つの道標となることは間違いない。
 
筆者の言うように
 
人間は、最後になみんな必ず死んで全て終わってしまう。「もったいなkら」と、レールの上でオプションを拡大し続け、それで死ぬときまで本当にやりたいことに挑戦できなかったら、こんなにアホらしいことはありません。
 
というのも、ある意味、真実。「即断・即決・即行動」というのも、ガサツな方法ではあるが、「正しい行動方針」の一つであるかもしれんですね。
 

若い「疾走者」、そして良き「伴走者」の”声援”を聞いておこう — はあちゅう『「自分」を「仕事にする生き方』(幻冬舎)

Amazonのレビューを見ると、賛否それぞれにあって、ああ前を行く「疾走者」は、走っていく快感もあるが、向かってくる風も強いのだろうな、と、彼女への風の強さを想像してしまう。ただ、そうした逆風があっても、前へ走っていく筆者の様子は、「スゴイね」とエールを贈りたくなる。
 
構成は
 
1 自分のすべてを有効活用しながら楽しく、無駄なく生きていく
   →自分の中に埋もれた好きを見つける方法
2 仕事は自分が生きやすい世界をつくるためにある
   →好きなことをお金に換える方法
3 会社を辞めることだけが、自由に生きることじゃない
   →自分の肩書をつくる方法
4 楽しそうなことにはどんどん飛び込む
   →行動を多くし、決断を速くする方法
5 あたりさわりのない、いい人のままで終わらない
   →人を惹きつける方法
6 こだわりも熱意もない仕事はただの作業だ
   →信頼を得る仕事のやり方
7 誰だって不安とともに生きている
   →頑張れない時の身のこなし方
8 自分を仕事に。生きることを趣味に。
   →人生をフルに楽しむ方法
 
となっているのだが、基本は著者がネットや執筆活動の中でどこを目指し、目指そうとしているのか、そして、その過程で感じたことを著した「エッセイ的」啓発書といった具合に読んだ。
 
「良いな」と思ったのは、けして他者を無責任に煽り立てていないところと、奇をてらったところはなくとも基本の部分含めた励ましの声をかけているところ(ここを批判している人は多いみたいね)。
 
とかく、若い成功者の啓発本は、自分がこうして成功したので、これしかない、他のやり方やるやつはバカ、みたいな論調のものをよく見かけるのだが、この筆者の場合は、自分の例と思いを喋りながらも押し付けることなく、「伴走者」のように語ってくる感じが好ましい。
 
当方のように会社人間ながらその会社人生も定年間近となった身には、ここはちょっと同じスタンスはとれないな、という部分もあるのだが、総じて、本書は、若い人が、自分の人生を設計し、チャレンジしていく上で、先を行くランナーの助言、声援として認識しておくべきだろう。
 
筆者の走っていく方向は、まだ変化するかもしれないが、夢中で疾走していく人の姿は良いね、と思わせる一冊ですね。

カメラマンもビジネスマンも「マメさ」と「現場の肌感覚」が大事 — 渡部陽一「戦場カメラマンの仕事術」(光文社新書)

その独特の喋り方と、戦場を駆け巡ってきたカメラマンとしての実績が、どうにもマッチしないことがかえって人気がでた原因でもあった、戦場カメラマン・渡部陽一氏の本。表題には「仕事術」とあるが、むしろ戦場の現場に入るスタンスといった気持ちでとらえた方が良い。
 
構成は
 
【第一部】僕が見てきた世界
第一章 取材は準備から始まる
第二章 戦場カメラマンになろうとは思わなかった
第三章 現場で学んだ取材の作法
第四章 戦場取材のリアル
第五章 戦場では活字が心の癒やしになる
【第二部】僕が出会った日本のジャーナリスト
イントロダクション
山本皓一(フォトジャーナリスト)
松浦一樹(読売新聞社)
渡辺照明(産経新聞社)
原田浩司(共同通信社)
 
となっていて、エッセンス的なものをすくい上げると、まずは、現地に入って取材の体制をつくるところだが、
 
僕は信頼関係を構築するためには、小マメな連絡が武器になると思います(P23)
 
マメさというのは、日本人の感覚ではやりすぎといわれるぐらいが外国ではちょうどよかったりします。・・・僕達にしてみれば驚きの連続ですが、その感覚を自分のチャンネル都市手持ちうことができれば大きな力となります。外国ではしつこければしつこいほど、誠意と受け止めてもらえるからです(P48)
 
とあるように、人間関係を濃密に構成するところがキーであるらしく、このへんは、営業活動と共通するところがあるかも。
 
さらに、
 
そうやって何日も安宿に泊まって生活していると、そこの国の人たちの生々しい日常の息吹や生活の知恵を感じ取れるんですね(P55)
 
その地域の考え方や慣習と言うものを、テキストからだけではなく肌で知る。やってはいけないこと、大丈夫だと思っても実はその地域ではタブーであること、一歩引いたほうがいい状況、絶対に土足で踏み込んではダメだというルールを自分からすくい上げて感じ取る。これは取材の基礎力になる経験です(P56)
 
といったあたりには、「現場の肌感覚」の大事さがうかがわれ、ビジネスの場面と同じであるな、と感じる。
 
まあ、カメラマンと言う仕事は、そこで生活している人々の日常にどかどかと入っていって、「写真」をとるのが仕事であるから、一番重要なのは、そこに入っていける「人間力」といったものであろうから、ビジネスとの共通点も多いのも頷ける。
 
渡部氏の人柄が、あとこちに滲み出てくるようなエッセイっぽい一冊でありますな。
 

企業社会を信じて犠牲になった人のことを忘れてはいけない — ルポ「過労社会」ー8時間労働は岩盤規制か(ちくま新書)

働き方改革法案が、裁量労働制についての調査データの問題で右往左往したのもつい最近のことであるのだが、本書は2015年8月の初版。2014年あたりから加速し始めた残業の縮減、それをてこにした裁量労働制の議論のはじまりのあたりのレポートである。
 
構成は
 
第1章 「残業ゼロ制度」の舞台裏
第2章 労働規制緩和を疑う
第3章 はびこる長時間労働
第4章 すさんだ職場
第5章 誰も守ってくれない
第6章 長時間労働からの脱却
 
となっているのだが、労働法制の議論云々は、このブログでは、ひとまず置いておき、当方として記憶にとどめておかなければ、と思うのは、本書がレポートした数々の長時間労働、そしてそれによる過労死の実例の数々である。本書では第4章から第5章のあたりである。
 
そこには、トヨタ自動車の開発のチーフエンジニアやシステム開発会社のSE、菓子メーカー、金融機関、居酒屋チェーンの「大床」や「ワタミ」など数多くのケースがレポートされている。電通の事件は発生が2015年12月であるので本書には掲載されてはいないが、皆、会社を信じ、会社のために、忠誠心をもって”懸命に働いた”末に過労死や過労自殺している、というところを忘れてはなるまい。
 
働き方改革では、高度プロフェッショナル制度や裁量労働制の「生産性向上」の部分と、これにより過労死が増加しないか、といったところに議論が集中しているのだが、長時間労働の問題は、こうした労働制度の話の議論とあわせて、「組織への忠誠心」といった「組織論」のメンタルな部分も考えないと解決しないのでは、と思えてならない。というのも、「組織内での評価」が、「長時間、組織内にいること」であり、会社組織内で評価されること以外に自分の評価基準がない、という状況では、減りようがないのではなかろうか。
 
働き方改革が迷走を始めた今、我々が自衛するには。「会社」や「組織」に対する、こちら側の「スタンス」を変える、といったことを始めたほうがよいのかもしれませんね、
 

Gloogle仕込みの「仕事術」の真髄は「世界一速く結果を出す人は、なぜメールを使わないのか」(SBクリエイティブ)

筆者のグジバナ氏は、モルガン・スタンレーを経てGoogleのアジアパシフィック地域の人材開発などに携わり、今は企業戦略やイノベーションのコンサルティングや人事テクノロジーのベンチャーなどにも関係、といった経歴の人。その経歴にふさわしく、本書の内容も、かなりエンジン吹かし気味で、読者を駆り立てる感じであるのだが、自己啓発書というのは、これぐらいの熱気があったほうがよい。

構成は

第1章 世界より速く動くための仕事術

第2章 ロジカルシンキングなんてしている暇はない

第3章 忙しくても、10倍の結果を出すために

第4章 仕事の加速度を上げる人間関係のつくり方

第5章 必要なことを高速で学ぶ方法

第6章 グーグルの疲れない働き方

終章 自分の仕事を壊せる人が、次の時代をつくる

となっていて、本書の目指すところは一言で言うと、Google流の「常に10倍の成果をあげよう」というところなのだが、

10倍の成果を出そうと思ったら、従来の延長線上の発想ではとても間に合わないので、仕事の在り方そのものを根本から考え直さないといけない
 
ということになるので、本書で提案されるところも、それ相応に(意識の面で)革命的である。
 
ただ、その革命性がそれほど「嫌味」に感じられないのは、祖国がポーランドで、コンプレックスを抱えながらGoogleyaモルガン・スタンレーで働いていたということと、親日家ゆえの日本人ン向けにアレンジされているせいでもあるのだろう。
 
ただ、その提案は結構刺激的で、例えば
 
日本人は議論が下手と言われるわりに、分析がものすごく好き。・・ところが、どれだけ詳しく分析してあったも、結論がすっぽり抜け落ちていることがよくあります
 
売り上げを上げるのは、他社にはない、自社独自の商品であり、サービスです。その元となるのは、ロジックではなく、思いつきやひらめきです。数字やデータは「過去」については語ってくれても、「未来」をつくり出すことはできないのです。
 
と日本人の特性の「イタイところ」をついてきたり、
 
知能・勤勉さ・服従といったものは、すべて機械に置き換えることができます。
 
「AIに仕事をとられないために、今すぐできること」はひとつです、それは自ら自分の仕事をなくしてしまうこと。
つまり、自らの仕事を、テクノロジーに置き換えて、もっと速くデキないかと鑑上げることです。
 
今後は過去の成功例より「これから何があり得るのか」という情報を見ることが大事
 
といったように、我々が立っているところの足下から揺らしてくるから油断がならないのである。
 
ただ、本音のところは
 
今、個人が成功するには、大きく2つのやり方があります。ひとつはとにかく(お金を儲けたいから、お客さんを明確にして戦略的に営業する、というもの。もう一つのやり方は、自分が情熱をもっていること、世の中をよくしたいとか、こういうミッションで社会貢献したいとか、そういったことを大きな声でSNSなどで訴えていく。それで集まってきた人たちと活動していくとお金が入ってくるという方法です。実際、どちらが成功するかというABテストをやってみたのですが、実は後者でした
 
すべての失敗は学びになります。「勝つか」「負けるか」ではなく、「勝つか」「学ぶか」です
 
といったところにあるようで、儲ける・儲けないといった損得勘定でなく、生きがいとかやりがいとかといったところを評価している風情であるのを、当方は評価したい。
 
 
効率を上げることが仕事の目的ではなくて、効率を上げて何に専念するか、何をするかがポイントだよ、と思わせる仕事術の本でありました。

電子国家、電子地方政府の進展は、人手不足対策の有効策と思うが、それには働き方モデルケースの確立が必要と思う

PLANET WAY on ASCIIのサイトで、「安倍首相のエストニア訪問で高まる機運、日本が電子国家に向けて本格稼働」として、

インターネット、クラウド、人工知能などデジタルテクノロジーの発展と普及は世界の変化スピードを加速させている。デジタルテクノロジーをうまく取り込んだ国は、これまでとは異なる発展経路を辿り、猛烈な勢いで変化・成長を遂げている。

そのような状況下で、かつて世界2位の経済大国であった日本の地位や影響力は相対的に弱まっている。少子高齢化や人口減少にも歯止めがかからず、この先さらに国力が衰退していくことも考えられる。

変化スピードが加速する世界で日本が生き残っていくためには、デジタルテクノロジーをフル活用することが必要不可欠といえるだろう。

として、安倍首相のエストニア訪問を題材に日本の電子国家化についてのニュース、提案がされている。

 

エストニアといえば、電子国家の先陰の国といってよく、サイトでも、オンライン上で電子住民になれる制度とか、これにより、エストニア内で会社を設立したり制度が紹介されている。

 

電子国家というとe-Taxとか、電子申請とか一頃大流行であったのだが、今はなんとなく閑古鳥が鳴いている感がする、例えば。鳴り物入りで始まった個人情報カードも、仮カードでなく、本カードをつくっている人は2017年10月時点で10%というぐらいであるので、電子国家の実現には程遠い状況である。

で、安倍首相がエストニアに行ったから、じゃあ電子国家化が格段に進むか、というと当方としてはけして、そうは思えない訳で、それは、日本の今には、ネットとか、電子の世界で生きるという概念がまだ未成就であるからだと思っている。

だって、考えてもみてくださいな、「電子住民」というのは、けして「実体」としてあなたの側に住んでいるわけではないのだが、「住民」として受け入れるということが必要になるわけですよ。そして、ひょっとすると、ネットを通じ自治体の議会や公聴会にも参加ってなことも受け入れる必要もでてくるんである。そして、そのためには、ガチガチのセキュリティを考えつつも、オープンなシステムが前提となると思うんである。

 

当方としては、電子国家化とかなんとか言う前に、テレワークに対応した労働法制とか、あるいはワークスタイルの模索であるとか、その辺を地道に創っていくことが先決であると思うのであるがどうであろうか。例えば、セキュリティを確保した形でのホームワークのモデルケースづくり、とか、テレワークを前提として会議とか、意思決定とか、勤務時間管理とかのシステムづくりとか、民間にあれこれとテストケースを押し付けるんではなく、政府や地方政府がその鉄板のパターンを創ってみるっていうのが、海のものとも山のものともわからない分野には有効な場面も多いのではないだろうか。人口減少の中で、人手不足をどうにかするのは、今の「会社社会」から締め出されている層(老人とか介護離職、育児離職をしている人)をいかに労働力として活用するかにかかっていると思っていて、それにはテレワーク、モバイルワークに代表される「電子ワーク化」と「副業化」ではないかと思うんであるがいかがであろうか。

自然が豊富だからと言って、「自然回帰(バイオフィリア)志向のオフィス」が移転してくわけではないと思うよ

NewsPicksに「バーや卓球台は時代遅れ、オフィスの最新トレンドは「自然回帰」」ということで、Amazonやサムスン、アリババの本社オフィスで、従業員の満足度と生産性を維持するために、今までのバーや卓球台をオフィスに備えることに代わって、オフィス内に植物を大量に植えたり、庭や滝をつくったり、ということがブーム(「バイオフィリア」というらしい。)になっているらしい。

こうした先端企業のトレンドは時間をおいて、日本でも流行するのはGoogleのオフィスを真似たオフィスがあちこちにできたのと同様、きっと東京ででてくるよね、と思う。

で、こうした時、地域振興の従事者が勘違いしがちなのは、自分の地域では自然がもっと豊富なのだがら、オフィス移転も夢ではない、本社機能の移転も現実になるぞ、という幻想に陥ってしまうことだろう。

 

よく考えて欲しいのは、バイオフィリアを導入したといわれる企業のオフィスの所在地は全て都会地にあるということ。

つまりは、企業活動の生産性と便利さを犠牲にするつもりはなく、あくまでも社員の生産性を増加するために一つの手段である、ということ。なので、いくら巨大なバイオフィリアだと、自然の真っ只中のオフィスをつくっても、オフィス移転には結びつかないのでは、と思うのである。

 

むしろ、考えるべきは、会社全体で自然回帰するつもりはなくても、個人として自然回帰したがっている人は増加しているということにいかに対応すべきか、ということであろう。それはおそらく、自然豊かな環境の中でシームレスに仕事ができるテレワーク環境の整備であろうし、地域全体で、テレワークができる環境をつくる、あるいはテレワークに的sた揮毫や個人の移転を支援するといった取り組みなのではないだろうか。

「自然があれば、必ず人はやってくるよ」といった、自然幻想は早々に捨てたほうが良いと思いますね。