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あなたの職場も「残念な職場」かもしれない。さて、どう「脱却」する? — 河合薫「残念な職場 53の研究が明かすヤバい真実」(PHP新書)

ビジネスパーソンで、企業や官庁での勤務経験のある方には、大なり小なり「職場」というところは「残念」で「面倒なこと」の宝庫であることは衆知のことであると思うのだが、そういう「残念な職場」について取り上げて、改善策、脱却策を探っているのが本書。
 
構成は
 
第1章 無責任な人ほど出世する職場
第2章 現場一流、経営三流の職場
第3章 「女はめんどくさい」と思われている職場
第4章 残業のリスクを知らない職場
第5章 残念な職場を変えるには
 
となっているのだが、それぞれの職場についての論評が、皮肉のスパイスがたっぷり効いていて刺激的である。例えば「無責任な人ほど出世する職場」では、お決まりの「ピーターの法則」はもちろん披瀝されるのだが、そのほかに
 
米国ではその責任感を個人のパーソナリティ特性と明確に位置づけ、「他責型」と「無責型」に分けるのが一般的です。
具体的には、
●他責型は「人を責める」「人のせいにする」タイプ 
●無責型は「自分の関わりを否定する」タイプ  を示します。
米国企業のトップの7割はこのどちらかに属するとされ、・・・
無責任な人たちはたびたび をつきます。しかしながら彼ら彼女らには、「 をついている」という罪悪感がいっさいありません。・・・実際には、嘘を貫き通すことができると、次第に”チーターズハイ”と呼ばれる高揚感に満たされ、どんどん自分が正しいと思い混みようになっていくのです
 
といったことや、「現場一流、経営三流の職場」の
 
「経営者は孤独」とよく言いますが、物理的に孤立していることが問題なのです。孤立してれば孤独だろうし、「孤立してちゃ、経営はできない」のです。  
 
「組織が厳格すぎたり、階層構造的になると、当事者たちは緊急情報に上手く対処できない。NASAのスペースシャトルの失敗はその典型的ケースだ。NASAでは直属の上司・部下の関係を超えて、情報が行き交うことは絶対になかった。すべての管理職は、直属の部下から上がってくる情報だけに頼っていた。  経営幹部は通常の報告を監督する以上の仕事をしなければならない。自ら探し求めなければ手に入らない情報を、手に入れなければならない
 
といったところに、思わず頷いてしまう向きも多いのではないだろうか。
 
当方が思うに、日本企業の隆盛の原因が、長期雇用や、年功序列の人事体系にあったかどうかは議論があるだろうが、少なくとも、それらを批判して颯爽と登場した成果主義やプロフェッショナル人事が、前評判ほどうまくいってないことは間違いない。そのあたりは、特定の組織に劇的に効くものと、多くの組織に汎用的に効くこととがごっちゃに議論されることが問題で、自分の組織が欧米的な文化に馴染む組織とそうでない組織のどちらに属するのかを、きちんと分析することがまず先決のように思えるのである。
 
さらには「「女はめんどくさい」と思われている職場」での
 
皮肉にも〝ファーストシフト(第1の勤務)〟=職場が働きやすい場であればあるほど、〝セカンドシフト(第2の勤務)〟=家庭より職場に魅了され、仕事に没頭することで自分の存在意義を感じていたのです。 「家庭がいちばん」「家族との時間を大切にしたい」と思いながらも、家庭にいるときの息苦しさから逃れたくて、仕事に没頭する。「子どもに悪い」「夫に申し訳ない」と思いながらも、仕事を選ぶ。そんな〝もうひとりの自分〟と葛藤する。まさしく「時間の板挟み状態(Time Bind)」です。
 
そして、家庭に置き去りにされた子どもは、母親の注意をひこうとわざと反抗したり、問題を起こす。そんな子どもとの関係を 繕うための〝サードシフト(第3の勤務)〟に、母親たちはさらに疲弊します。
 
といったあたりには、女性登用の掛け声のもと行われる「職場環境改善」の皮肉な側面を垣間見るし、
 
男性たちは自分たちの集団に女性がひとり入ると、自分たちが〝男〟という同質な集団だったことに気づき、その一枚岩を壊したくない、壊されたくないという思いが無意識に働き、「男性性」をまとった発言や行動をとるようになります
 
といったところに、ジェンダー間の越えられない裂け目を感じるのは当方だけではあるまい。
 
さて、こうした「残念な職場」からの脱却法として
 
どんなに「 17 時退社」を掲げても、業務量を減らさないことには、サービス残業や隠れ(隠し)残業が増えるばかりです。そこで彼に「業務量はどうやって減らしたのか?」と質問しました。  すると返ってきたのはまさしく「成功の法則」です。 「みんなで考えたんです。よく話しましたね。部長も、課長も、リーダーも、チームも、もちろん私も、『こうしたらどうか? これは○○でやればいいんじゃないか?』と意見を出し合い、上手くいくと『早く帰ったら楽だった』『育児もできる』と報告しあったり。上手く仕事を減らせない人には『こうやったらどうだ』とアドバイスしたり。いい方に回転しだしたら、どんどん加速していきました。
 
心理的安全性。互いに敬意を払い、意見を出し合い、「ああ、ここは大丈夫だ。信頼できる場所」という職場にしていくことで、生産性は上がり、 17 時退社が当たり前になったのです。
 
といったところが特効薬的に注目されるあたりは、ちょっと安易かな、と思ってしまうのだが、当方が重要と思うのは、「疲労」をとること、それは従業員の「疲労」であるし、組織の「疲労」でもある。双方の「疲労回復」を図るのが「残念な職場」からの脱却法である、というあたりが筆者の主張ではなかろうか。
 

ニュータイプの「ジェネラリスト」を求める時代がやってきたかもしれない

大塚英樹「続く会社、続かない会社はNo.2で決まる」(講談社+α新書)で、
 
プロフェッショナルを育てることを人材育成の要とした(コクドの)堤(義明)は、社員に同じ仕事を長いこと続けさせていた。
(略)
こういうやり方をすれば、確かにエクスパティーズ(専門性)のある人材は育つ。しかし、その反面、「職人」と化すために視野が狭められ、自分の担当以外の他部門のことが理解できなくなってしまう。マネジメントの限界が出てくる。
職人の徒弟制度の下では、プロフェッショナルは育つ。しかし、アイデアとアイデアを結びつけた新しいアイデアを創造することはできない(P99)
 
と言った記述があったのだが、BusinessInsiderのサイトでも「専門性を磨くことが足かせに?今注目のシンセサイザー人材とは何か」と題して
 
・今まで専門家によって多くの問題が解決されてきたが、21世紀の問題はより複雑化しているので、既存の専門性だけで解決するのが困難になっている。
・ところが、何か一つの分野を極めた専門家ほど、積み重ねてきた経験からくるアドバイス(偏見)が邪魔をして「分野外」の物事をフェアに判断できないことがある
・これからは、3つ程度の専門性を持ちつつ、ジェネラリストとしての側面を持った人物、シンセサイザー型人材が求められる
 
と、シリコンバレーの教育テクノロジー事業を調査している、橋本智恵さんがレポートしていることあたりを読んで、これからのビジネスマンの方向性として、再び「ジェネラリスト」が評価されるサイクルになってきたのかな、と思えてきた。
 
当方が思うに、ここ数年来、専門家、その道のプロフェッショナルが偏愛される時代が続いていると思っていて、それは、旧来の権威や価値観が崩れ、いろんなものが不確かな状況になる中、「専門性」という核を自分の中に持つことによって、存在意義を確かなものにしようとする現れでもあり、また、雇用情勢が厳しくなる中で、他人に崩せない「聖域」として「専門性」を持って、自己防衛を図ろうとする処世術でもある。
 
ただ、ここに至って、AIの出現や普及によって、「専門性」「プロフェッショナルな知識」が代替可能なものになってきているというのが、今までの「専門家志向」が揺らいでいるのは間違いない。
 
で、引き続き「専門家」「プロフェッショナル」を目指してもいいのだが、自分は浮気性で、飽きっぽいからねーと思っている人は、新しいタイプの「ジェネラリスト」目指すのもあり、と思う。
 
ニュータイプというのは、前述の「センセサイザー」型や「「越境」という言葉に象徴されるように、複数の分野で、そこそこの知識と興味をもっていて、それを使って物事をまとめあげる、コーディネートすることを楽しめる人材、であろう。
そして大事なのは、「そこそこの」というのが肝心で、一つの分野に、心身とものめり込む、のではなく、等距離に興味と労力をつぎ込む、というバランス感覚が必要と思うんですな。
 
とかく「専門家」となるとあれこれ拘りがあって、複雑な問題になればなるほど、角突き合わすところが増えるし、タコツボ化するところも増えるもの。さらにこれにAiによる専門性の代替が絡んでくると、さらに様相は複雑になる。間とスキマを埋める何かが必要になってくるのは、時代の要請なのかもしれんですね。
 

「今の時代」の本当の「働き方」を模索する — 小原和啓「どこでも、誰とでも働ける」(ダイヤモンド社)

昨今の「働き方改革」が一頃の輝きを失った感があるのは、もちろん調査データの不備とかもあるのだが、根本的には、「働き方改革」ではなく「働かせ方改革」の色合いが強調されすぎてきて、働く側が、「働き方」を変えることの魅力を実感できなくなったことにあると思っている。

本書はマッキンゼー、Google、楽天などの誰もがおこがれる先端企業で働いた経験のある筆者による「働き方」改革の提言書である。

構成は

はじめに

 いま起きている3つの大きな変化

第1章 どこでも誰とでも働ける仕事術

第2章 人生100年時代の転職哲学

第3章 AI時代に適用する働き方のヒント

となっていて、本当はもう一レベル下の目次を紹介しないと、本書の構成ははっきりりないのだが、それをやると本書の内容をぶちまけてしまう感じになるので、ここでご容赦いただきたい。

で本書を総括すると

本書のタイトル「どこでも誰とでも働ける」には、2つの意味があります。 1つは、 ① どんな職場で働いたとしても、周囲から評価される人材になる ということ。そしてもう1つは、 ② 世界中のどこでも、好きな場所にいながら、気の合う人と巡り会って働ける ということ

ということらしく、かなり欲張ったものであることは確かですな。

で、こういう経歴の人であるから、認めるのはデジタルだけ、入手する情報はネットからで十分、なんてことを想像しがちなのだが

これはぼくの実家の教えの1つで、「本はメートルで買え」と言われていました。1冊1冊ちまちま選ぶのではなく、本屋の棚の「ここからここまで全部買え」というわけです。 本が高いといっても、たかだか2000円くらいです。その中のたった1行が人生を変えてくれることだってあるわけで、そう考えると、ずいぶん安い投資です。

と言った風に、「本」というものの価値をしっかり認識していたり、

先に行動ありきで何度も試行錯誤を重ねるDCPAサイクルも、コンピュータの処理能力をフル活用した確率論的なアプローチも、インターネットととても相性のよいやり方です。 それと対極にあるのが、プロダクトやサービスを通じて自分たちのこだわりや価値観を提案していく従来型のアプローチです。 この2つの違いは、そのままウェブメディアと紙の雑誌の違いに当てはまります。一長一短ありますが、どちらも必要というのがぼくの考えです。

といった形で、アナログとデジタルのそれぞれに優れたところを偏りなく評価するところは流石である。ただ、日本人特有のクローズドなビジネススタイルには批判的で

自分が思いつくようなことは、世界中で1000人は思いついていると思ったほうがいい。そうなると、自分が隠しても誰かに先にやられてしまう可能性が高いのです。 結局、スピード勝負ということであれば、自分だけでコツコツやるのではなく、オープンにしてまわりの人をどんどん巻きこんでスピーディに実現しないと間に合わないわけです。

とか

成果報酬型の給料だと、営業マンは成果を独り占めするために、情報やノウハウを囲いこみます。自分のノウハウを人に渡したら、売上を奪われてしまうかもしれないからです。でも、「世の中を一緒に変えていこうぜ」というストーリーに乗っかれば、情報やノウハウをシェアした人のほうがエライことになります。

といった風なオープンなすたいるであるところが極めて現代的といっていい。さらに、「働き方」については

働き方も同じです。 昔と比べていまは取り返しのつく世の中になっています。自分の人生を会社に預けていた時代には、会社での失敗は即、仕事人生の終わりを意味しましたが、いまはいくらでも逃げ道があります

1つ言えるのは、何度もトライできる時代だからこそ、みんなと同じゲームで戦うよりも、 みんなと違うゲームに行ったほうが、競争は少ない ということ

というように、トライを重ねることがベターであり、基本的に「ブルー・オーシャン」を信じるところが極めて楽天的で、青空の下を歩くような爽快感を感じる。

さて筆者によれば

いまは打算的に生きようと思えば、本書に詳細に書いているように、人を信じて、ギブをしまくることがいちばんお得な時代になっています。徹底的に打算的に生きると、結果的にいい人がいちばん合理的という時代

で、

会社にしろ、お客様にしろ、取引先にしろ、1つだけに依存すると、人間は自由を失います。だから、いまいる会社、いま取引のある会社、いま取り組んでいるプロジェクトから一歩離れて、別のところで自分の客観的な価値を確認する。会社と適切な距離を保って、自分の立ち位置を俯瞰してみる。普段から意識してそういうことをしておけば、1つのことに縛られることなく、精神の自由を保てます。

といったことを軸にすえておくべきであるらしい。そして、この時、その原点となるのは、自らの「できること」ではなく「好きなこと」であるように思う。

努力と仕事の結果は比例関係ではありません。最初のうちは、いくら努力してもなかなか結果に結びつかない。他の人も同じような努力をしていて差がつきにくいからです。 ところが、諦めずに努力を続けると、あるレベルを超えた瞬間、急激に伸びます。たいていの人は、そこまで努力できません。99・5%努力して、諦めてしまう。残りの0・5%、 最後の最後まで粘って努力し続けた人だけが、結果をごっそり独り占めできる ということです。

という言葉を励みに、もう少し気張ってみましょうか。

「定年」を迎える年齢になったが、さて・・・ — 郡山史郎「定年前後の「やってはいけない」ー人生100年時代の生き方、働き方」(青春新書)

最近、「定年本」が密かなブームになっているらしい。団塊の世代が退職を迎えた数年前にこうしたブームがあったように記憶しているのだが、人口集積的には、団塊世代ほどの圧力をもっていない、昭和30年〜35年ぐらいの年代が定年や役職定年を迎えるこの頃にブームとなっているのは、おそらくは年金の先行き不安があるのと、「働き方改革」とやらで突然「人生100年時代」とかが言われ始め、中高年の不安が増していることの反映でもあろう。
 
本書の構成は
 
第1章 「働かない老後」から「働く老後」
第2章 定年前後のやってはいけない
第3章 いますぐはじめる暮らしの見直し方
第4章 人生100年時代を生き残るヒント
 
となっているのだが、読んだ印象的には「男性向け」の中規模以上の企業に勤務していた人向けの、定年本の印象。ということは、この本の対象範囲はかなり広いといえるだろう。
 
ただ、気をつけておきたいのは、
 
定年後の再就職は、それまでの地位や収入、仕事の内容ときっぱりと決別しなければよい結果は生まれないということだ。  定年を迎えたら、もう一度新入社員になったつもりで、待遇にあまりこだわらず、何でもチャレンジしてみるのがいい
 
といったあたりや
 
起業だけは「やってはいけない」  
  
そもそも、何度失敗を経験しようと立ち直り、新たに事業を起こして軌道に乗せるには、それなりに時間もかかる。そんな時間的余裕は、第2ハーフには残されていない
 
といったところで顕著なように、景気よく「独立開業」を煽る政府広報のような本ではなく、どちらかといえば、保守的な「定年本」である。
 
なので、
 
「私は〝第三新卒〟だからゼロから挑戦する」くらいの気持ちで新しい勤め先を探すのが、定年後の職探しでは適切な態度だといえる
 
というところが基本的な信条であるようだ。
 
とはいっても、83歳になってもいまだに現役のビジネスマンの筆者であるから
 
45 歳を過ぎたらどんな学びもなかなか身につかないのだから、高齢者はあえて学び直す必要などない。新しいことは学べなくても、社会の大きな部分の動きはあまり変化しないから、高齢者はいままでの知識と経験で十分に仕事をしていける。
 
といったあたりは開き直り的な潔さすら感じる。
 
まあ、なんにせよ
「定年」とは社会がつくった便宜上の区切りである。端的には、雇用者側が、その会社で働ける年限を示した規定に過ぎない。要するに、会社の都合にもとづいてつくられた制度ということだ。「定年」の名のもとに会社を追い出された人が、その後どうなるかということは、会社も、社会も、(年金という制度上の手当を除けば)基本的に配慮しない。
 
ものであることは間違いなく、本書の主張の根幹は
 
私はこの本で、「一生働く」ことを推奨してきた。さらにいえば、高齢者が幸福に暮らすために最も大切な要件は、「働く」こと以外に存在しないとさえ思っている
 
とのこと。若い世代が組織や会社に属して働くことへの根源的な問いかけを始めている今にあって、中高年世代も安閑としているときではない。とりわけ、この後には、「定年」の持つ制度的な恩恵をうけることのない「ロスジェネ世代」が続く。「働くこと」そのものをもう一度考えてみますかね。





「いつも疲れている」ビジネスマンのお父さんがたにエールを贈ろう — 渡部 卓「明日に疲れを持ち越さないプロフェッショナルの仕事術」(クロスメディアパブリッシング)

グローバル化やダイバーシティの議論や働き方改革の議論などワークスタイルの議論は数々あるが、そうは言っても日々の仕事に追われているのが現実。議論より、仕事で疲れない、翌日以降に負担をもちこさない術(すべ)を教えてくれよ、というのが本音のビジネスマンも多いはず。
本書は、仕事のやり方とか、モチベーションの視点からだけではなく「仕事の疲れ」ということに着目したあたりがユニーク。
 
構成は
 
序章 プロフェッショナルの定義
 ー「仕事で疲れない」にはコツがある
第1章 疲れと仕事の関係 基礎知識
 ーベストコンディションをキープする
第2章 プロフェッショナルの生活習慣
 ー疲れにくい心と体のベースをつくる
第3章 心の疲れを溜めない思考法
 ーストレス、プレッシャーに強くなる
第4章 超・効率仕事術
 ー残業ゼロでも結果が出まくる
第5章 ムダなストレスを生まない調整力
 ー仕事は人間関係が9割
第6章 働くための休息術
 ー疲れを最速で吹き飛ばす
終章 「仕事で疲れない」人の資質
 ープロフェッショナル総論
 
となっていて、「疲れを溜めない」「ストレスを生まない」といったところから見て、筆者によると、「メランコリー気質」「執着気質タイプ」「自己愛・依存タイプ」は結果に執着しすぎて、自らの心身に負荷をかけ、気づかないうちに過労や睡眠不足で「バーン・アウト(燃え尽き症候群)」になる心配があるそうなのだが、それぞれの特質をみると、日本人の多くがこれらに属するんじゃないか、と思えて、ちょっと憂鬱になる。
 
ただ、そんな多くの日本人に向けて、プレッシャーに打ち勝つには
 
成果主義によるプレッシャーには、どうすればよいのでしょうか。最も大事なのは、成果主義という幻想に惑わされないことです。成果主義といいつつ評価側も絶対的な基準を持ち合わせているわけではないのです。
成果主義が進んでいると言われている米国の企業において、常に満点を目指しているような人は、自滅したり、潰されたりするのを多く眼にしてきました。
(中略)
結果に対してシビアだと言われる外資系企業でも、70点取っていれば、給料は下がることはないというのが実感でした。
 
といった提案があるなど、我々が抱いている「欧米の」成果主義幻想を壊してくれるのが嬉しい。ひょっとすると、我々は自分たちが創り上げた「ファスト・トラッカー幻想」に自ら陥っているのかもしれない。欧米のビジネス社会はもっと幅広いのでは、と思わせる。もちろん、
 
アメリカの企業では、働いている時間の3分の1は手を動かしていません。外資系の企業にいるときは、「3分の1はThinkTimeに充てろ」とか「4分の1は勉強に使え」ということをよく言われました
 
とか
 
外資系の企業に長く勤めていて、常に求められたのは「完璧じゃなくてもいいから、速く」ということでした。
(中略)
失敗を嫌う、失敗を回避したいという文化が日本にはあるのですが、むしろ早く取り組んで、早く失敗して軌道修正した方がコストは安く済むというのが、世界のビジネスの流れです。
 
といった一風変わった、「働き方」の提案もあるのは良いね。
 
そして
 
日本のビジネスパーソンを見ていて感じるのは、集団と同じことをしていないと挫折感を感じる人が多いということです。皆それぞれに違っていいと頭では分かっていても、根本では人と同じでいたいという欲求があるのです。これは根深いものと思わざるをえません。
 
とか
 
日本人が休み方が下手だというのは、ひとつには先述したように休むことに罪悪感を覚えてしまうことがありますが、もう1つには、休んでも何をしたらいいか分からない、休み方を知らないということもあるでしょう。
 
といった日本人のビジネスマンが「はた」と我が身を振り返ってしまうこともあるところが油断のならないところではある。
 
さて、いつも」「疲れてるなー」と感じているビジネスマンが多いのが日本の会社社会。当方も含め、自衛をしていかねばなりませんな。
 

働き方改革の鬼子「残業代の減少」と「フラリーマン」は、第二の「変化朝顔」や「加賀毛鉤」を生み出すか

日経スタイルの日経スタイルの「消える残業代は5.6兆円?働き方改革で消費低迷も」で、

・働き方改革法案が通ると残業は年720時間が上限となり。年5.6兆円の時間外手当が減る。

・一人当たり86.7万円の収入減という試算もある。 ・企業が社員に還元する方法で、賞与や手当で還元するところもあるが、企業にとって労働投入量の減少も意味しており、売り上げ減少などの悪影響も心配される。

・浮いたお金で新規採用を増やそうにも、労働市場はひっ迫してるので困難。限られた人員リソースをどう振り分けるかに知恵をしぼらないといけない時

といったことが記事の主旨なのだが、当方がこれに加えて「ほう」と思ったのは、記事冒頭の

・早く退社できるようになったのに真っすぐ家庭に帰らず、ふらふらと街で時間をつぶす「フラリーマン」が出現している ・アサヒ飲料の調査では、会社員の7割が早く帰れるようになったものの、1割はフラリーマン化している

といったところ。つまり、かなりの数の人が「早く帰れる」ようになっても「やることがない「やることが見つからない」といった状況なんでありますな。

そういえば、「サラリーマンの残業が常態化し、サラリーマンが家庭と切り離されたのは、高度成長期以降で、それまでは夕食は家庭でとるマンガの「サザエさん」の夕食風景が一般だった」といったことを、以前読んだ働き方改革についての本に載っていたような気がするのだが、そうであるなら、およそ40年ぶりの「家庭生活」の変化でもある。

で、この風がどんな方向にいくのかな、というところなのだが、江戸時代の貧乏幕臣たちのように、「お城勤め+〇〇」といった感じで、サラリーマン生活に加えて、その人にあった何か別の生活が多様化していくと面白いかな、と思っているところ。

それも、江戸の貧乏御家人たちが生み出した「変化朝顔」であるとか、武道奨励に替えて鮎釣りを奨励された加賀藩士の生み出した「毛鉤」といったように、江戸期の侍たちが家計を助けるために知恵を絞って副業・複業の数々を考え出し、それが文化の一つにもなったような、そんな動きがおきると面白いんですがね。

そして、それが小さな産業となれば、堅苦しい、正社員論議や、実質的に多くの人にはサラリーマン化しか職業生活がないような状況にも、いろいろ変化がでてくるような気がする。例えば、サラリーマン+毛鉤職人、とか、坂井希久子氏の「居酒屋ぜんや」シリーズの主人公のように、サラリーマン+鴬の鳴き声指南役、とか。

なんにせよ、生計の手段が多様化していくっていうのは、息苦しくなりがちな「一色の職業生活」に風穴をあけてくれそうな気がするんですが、どうですかね

セブン・イレブンやローソンの無人化の試みは、「働き方」に何をもたらすのだろうか

Japan C-netで「店内ならどこでも決済できる「ローソンスマホペイ」・・深夜帯のレジ無人化の実験も」、TABILABOで「セブンーイレブンが「無人コンビニ化」に乗り出す」、とあいついでコンビニに無人化の記事がエントリーされている。

 

双方とも、少数の実験店舗であったり、社員向けであったり、と一般店舗への展開はまだ未知数のようであるのだが、いずれも、「商品棚から自分の好きな食べ物や飲み物を取ったら、あとはセルフレジで精算する」であったり、「商品バーコードを専用のスマホアプリで読み取り、店内のどこでも決済できる」ものであったり、今まで「人手」が必要だったレジ業務の無人化を進めるもので、このあたりAmazonGoの動きと同じである。今回は、日本の大手コンビニ・チェーンでの動きが始まったということで注目していいと思っていて、メリットが確かめられれば、国内コンビニへの普及も進むであろうし、コンビニで普及するシステムは、小売一般に広がっていく可能性がたかい。

 

で、この展開なのであるが、当方的には二つの進む道があるように思える。

一つは、ディストピア的な方向。今、小売を含めて「人手不足」の状態は過熱していて、これから「少子化」「人口減少」の時代を控え、おそらくは解消の目処はたたない気がする。外国人労働力の問題が「移民」問題と重なって進展しないのであれば、向かう所は、「無人化」しかも今までの工場生産などの機械化どころではなく、「人がやる」のが当然であった分野での無人化であろう。

これは、もちろん、労働力の再配分といった面をもたらすのであろうが、どうかすると労働者の二極化を急激に進める方向に行く可能性を秘めている。すなわち、「無人化される職場」から追い出される人々と、「無人化されない職場」に残る人、である。この時に、「無人化される職場」から「無人化されない職場」への労働力移転はおきればいのだが、無人化により「労働のパイ」そのものが減少するから、一番ありえるのは、無人化に影響を受ける人々が、ほそぼそと無人化のサポートをする仕事を低収入で分け合うといった構図。

その時は、きっと貧富の二極化も加速しそうな気がしますね。

 

もう一つは、ユートピアな方で、今まで人手不足や人件費の問題で立地が困難だった地域、多くは地方部なのだが、そこに小ぶりではあるが、店舗展開がされるかも、といったもの。レジなどの対人業務が省力かできれば、人手が必要なのは、商品相談や商品陳列などであるから、意外とコンビニ以外の書店とかファッション系とかの店舗での展開にも広がるかもしれんですね。

 

で、こういった時に、「個人」としてどう対応するか、ということなのだが、いわゆる「労働力」を売る系は、どんどん先細っていく気がしますね。これは、体力を売る系だけでなく、事務的な作業やノウハウも含めた「時間」を売る系も同じ。どんどんAIを始めとする「機械」に置き換わっていく。となると、独自の企画・プランニングを売っていくか、「機械」がうまく動くように環境を整備する、のどちらかは生き残っていきそうではありますね。

もっとも、スマホが出始めた時は、今のようなクラウドやネットに繋がることが前提の職種や、クラウドを利用したサービス系の仕事は想像もできなかった。テクノロジーの変換期にある今、まだまだ暮らしや仕事の地殻変動は続きそうでありますね。

「出世」に変わる職業社会の価値観は「オールラウンダー」ほど身につけるべき

Business Indider Japanで「大企業から“ソーシャル出世”の時代へ。やりたいことができれば利他的になれる」という記事が掲載されている。

 

要点は

 

・一企業の中で「地位を得る」「認知される」という出世の姿が「広く人に認められる」ということに転換しつつある

・これからは「他人との差別化」ではなく「機械との差別化」が問われる時代になる

・企業内での出世が主流のときは、部下の手柄を横取りしたり、誰かに乗っかって出世するフリーライダーはこれから淘汰される。「自分が世の中にどういう価値を生み出せるのか」を基本にビジネス人生を考えるべき

 

といったことであろうか。

 

この論稿にあるように、Aiによる新・機械化が進み、SNSによる発信、インフルエンスが影響を増やしていく中で、大企業や公共セクターのもつ「インフルエンス」機能は弱体化していっている状況では、より多くの人に認められることを出世の根幹と考えれば、「大組織内での出世」ということが昔ほどの輝きを失っていきつつあるのは間違いないことであろう。ただ、気をつけないといけないのは、先端のところでは変わっていても、レイト・マジョリティのところが変わっていくには時間の経過が必要、ということ。今のところは、まだまだ過渡期のような気がするんですな。

こんな時、組織内にとどまってやっていこうという人は、個別化の流れに揉まれて巨木がゆっくりと削られていくように変わっていく企業社会・公的セクターの社会を見つつも、自分の得意とする武器を磨いて独立独歩の準備をしていく、ということが大事になる。全てのビジネスマンが起業したり、独立すると考えるのはちょっと現実的ではない中で、組織に便利使いされないためには、組織内にあっても、しっかりと交渉できるビジネス力を磨くことと、組織に寄っかからない意識を持つことが、大事だと思いますな。いわゆる「雌伏の時」を大事にするということ。

 

今までの職業生活を振り返ると、いくつかの大プロジェクトに関わってきて、実績も上げてきたとは思うのだが、なんとなく「便利使いされたな」という感覚が拭い切れない当方としては、「守ってよし、攻めてよし」のオールラウンダーほど、こういう気持ちで、組織に対峙しておいたほうが良いと思う。組織は、常に、あなたの才能を待っているけど、常に報奨を与えるとは限りませんからね。

「乾けない」世代の新モチベーション論 — 尾原和啓「モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書」(NEWSPICKS BOOKS)

マッキンゼー、リクルート、楽天の執行役員を経て、リゾートワーカーをしている筆者が、「乾けない世代」を主な対象にした、「新しいモチベーション」についての本。
 
構成は
 
はじめに モチベーション革命
第一章 「乾けない世代」とは何か?
第二章 偏愛こそが人間の価値になる
第三章 異なる「強み」を掛け算する最強チームの作り方
第四章 個人の働き方
 
となっていて、筆者のいう「乾けない世代」とは「あなたには生まれたときから「ないもの」がない。だから何かが欲しいと「乾けない」層で、その特徴は
 
「自分が頑張る意味が持てるもの」に「自分が好きな人たち」と「とことんハマる」ことを重要視する。金銭や物理的な報酬とは関係なく〝自分の好き〟を追求
 
していく世代で、他の言葉で言えば「ゆとり世代」「さとり世代」あるいは「ミレニアル世代」といわれている世代のこと。で、ちょっと「おや」と思ったのは、あとがきのところで、実は筆者は日本のこの世代がやる気もなくて「キライ」だったという点。
この点があるからこそ、「今時の若い者」論からの、やたらと煽るモチベーション発揚の啓発本に堕さずに、新しい時代の「モチベーション」論となっている。
 
そしてそれは、
 
時代は変化することが当たり前となりました。昨今の米国では、このことを「VUCA」の時代と呼んでいます。これは米国軍事大学が提唱しはじめた造語で、 Volatility(変動が大きく) Uncertainty(不確実で) Complexity(複雑に絡み合い) Ambiguity(曖昧) な時代に突入した
 
ことと無縁ではなく、今までの工業社会の中で育まれたモチベーション論が効能が少なくなっていることでもある。
当然、それは生活様式、仕事の様式の点でも変化をもたらすもので、例えばオイシックスの「50%社員」に象徴されるように
 
1年中会社勤めをするのではなく、まずは自分が生活者として生きることで、世の中の潜在的なニーズを拾ってきなさいという意図が込められて
 
いて、
 
「インサイト」が重要視され、仕事と遊びの境目があやふやとなった今では、なるべく仕事は「公私混同」で取り組んだほうが効果的
 
という、オフィスに集まって仕事を集団でするという20世紀方「働き方」の大変化をもたらすものでもある。
 
で、こういう時代に肝要なのは
 
これからは「他人から見れば非効率かもしれないけれど、私はどうしてもこれをやりたい」という、偏愛とも言える嗜好性を、個人がどれだけ大事に育て、それをビジネスに変えていけるかが資本になっていく
 
時代であり
 
自分が依存する先が一ヶ所しかないと、その一ヶ所がつぶれたときに路頭に迷うことになってしまう。変化する時代を自由に、自立して生きていくことは、何にも依存しないことではありません。むしろ依存先を一ヶ所にしぼらず、複数持つことが大事
 
であるらしい。そんな風に考えれば、こうしたモチベーション論は、なにも「ミレニアル世代」の独占物とするのではなく、当方のような、「ノンポリ世代」ともいわれる「第二」戦後世代のサラリーマン層が、定年後の人生100年時代の生き方として参考となるな、と感じた次第。本書によれば、
 
あなたの「好き」「あなたの歪み」は、他人にとって、今ある世界を新しい意味で楽しむことができようになるための源泉
 
となるらしい。年齢によらず、「好き」に邁進してみてもよいかと思いますね。
 

東京大学発、マッキンゼー下車、ひとまずお笑い芸人行きの旅路 — 石井てる美「キャリアを手放す勇気」(日経ビジネス人文庫)

まず最初に、東大卒、マッキンゼーの社員だった私がお笑い芸人になって、かくも成功した秘訣は、とか、日々充実した生活を……と言った話ではない。身も蓋もない言い方をすると、「エリート人生を歩んでいた人が、有名会社を辞めた」顛末の話である。
 
構成は
 
第1章 マッキンゼーと私
第2章 私の決断
第3章 決断のその先へ
 
となっているのだが、そうした「会社を辞めた顛末」がなぜ、こうしたビジネス本たりうるか、というのは、辞めるまでの七転八倒と、辞めるに至った理由が、我々がビジネス人生で悩みを抱え、退く際へのヒントになる点であろう。
 
まず第1章は、著者がマッキンゼー・ジャパンに入った経緯と、マッキンゼーの社風というかビジネススタイルが中心で、例えば
 
マッキンゼーでは新入社員であろうと”バリュー(価値)を提供すること”が求められます。
 
とか
 
マッキンゼーでは”カンファタブルゾーン”にいてはいけないともよく言われていました。”カンファタブル”とは「快適な」とか「居心地がいい」という意味です。自分にとって居心地がいい場所にい続けていてはいけない
 
といった、コンサル中のコンサルの尖ったところが縷々紹介される。
 
その後、第2章、第3章では、そのマッキンゼーで壁に当たり、不適合状態になっていったところから、ワタナベエンターテインメントでお笑い芸人として再出発といった展開になるのだが、当方的に、おやと思うのは、著者が、辞めていったマッキンゼーをネガティブに考えていないこと。
 
むしろ、マッキンゼーで学んだ「思考方法」のおかげで、「辞める」決断もできたという感じで、それは
 
「イシュー」と呼ばれる”解決すべき問題”を特定し、その問題に対する解決策の「仮設」を先に立てます。その仮設が正しいかどうかさまざまな上方をもとに検証し、仮設が間違っていると分かればすぐに書き換えるという、強烈な「仮設思考」のもとに進められます。このとき、仮設を検証するための情報を集めるのも、分析するのも、早くて速い。仮設が間違っていると分かった瞬間、それまでのそれに注いだ労力を惜しむこともなく、バッサリと捨てるのも早い。
 
とか
 
自分の状況があまりよくないと感じる時はついネガティブな方向に考えててしまいがちでしたが、それはある意味勝手な思い込みです。これは何も、いつでもポジティブに考えようと言っているわけではなく、挑戦をする環境にいるといつも目の前に壁があると感じるのは当然で、状況が悪いわけでもなければ、ネガティブに考える必要もまるでないのです。
 
といったところに顕著。
 
確かに、筆者の言うように、今までの方向と違うところへ進む時に一番ネックとなるのは
 
決断がときに困難なのは、何かを手見する代わりに、「過去に手に入れてきたもの。今手にしているもの、将来手にいれられるかもしれないもの」を失うリスクがあるから
 
といったことに間違いなく、一歩踏み出すには、「仮設が間違っていたら、バッサリ捨てる」といった乱暴さも時には必要ということなのであろう。
 
筆者は、失礼ではあるがまだ、「売れない芸人」の一人である。ただ、彼女が今までのキャリアを「捨てた」決断と、決断できた方法論は、「退く」あるいは「転身する」ことに臆病になりがちな時、一つの道標となることは間違いない。
 
筆者の言うように
 
人間は、最後になみんな必ず死んで全て終わってしまう。「もったいなkら」と、レールの上でオプションを拡大し続け、それで死ぬときまで本当にやりたいことに挑戦できなかったら、こんなにアホらしいことはありません。
 
というのも、ある意味、真実。「即断・即決・即行動」というのも、ガサツな方法ではあるが、「正しい行動方針」の一つであるかもしれんですね。