カテゴリー別アーカイブ: ワークスタイル

「世間」から如何に逃れるか。といってもグローバリズムは鬼畜の仕業と心得るべし — 鴻上尚史「「空気」と「世間」」(講談社現代新書)

政策選択ではなく、どの「空気」を選択するのか?といった選挙が始まったところなのであるが、もともと日本の閉塞感を生み出したと思う人達に、あれこれ言われてもな、と思う反面、それを選択したのは我々だよな、と思うと、気が滅入ってくる昨今なのであるが、そうした「日本の閉塞感」とそれがもたらした新しい時代風景についての論述が本書。
 
構成は
 
はじめに
第一章 「空気を読め!」はなぜ無敵か
第二章 世間とは何か
第三章 「世間」と「空気」
第四章 「空気」に対抗する方法
第五章 「世間」が壊れ「空気」が流行る時代
第六章 あなたを支えるもの
第七章 「社会」と出会う方法
おわりに
 
となっていて、帯に「「空気」を読まずに、息苦しい日本を生き抜く方法」とあるのだが、そう単純化して語るものではないだろうと思う次第。
というのも、「空気読め」といった言葉が市民権を得たのは、いわゆるグローバル化信仰で、日本の雇用形態とかなにやらが、ぐずぐずに崩れたあたりと時期を同じくするようで、それは、ワーキングプアとか官製ワーキングプアとか、「働く」という美徳が崩れ去ったときと符合しているような気がしている。そして、その「空気」の正体は、筆者によると
 
僕は「空気」とは「世間」が流動化したものと考えていると書きました。
「世間」とは、あの「世間体が悪い」とか「世間を騒がせた」とかの「世間」です。
その「世間」がカジュアル化し、簡単に出現するようになったのが、「空気」だと思っているのです。
けれど「世間」と「空気」を共に内側から支え、構成しているルールは同じだと考えています。(P32)
 
ということであるので、実は「日本的価値観」と同一視していいものであろう。
 
で、当然、この「旧来の日本的価値観」へのアンチテーゼとして論陣が張られるのであるが、残念ながら、その旧来の価値観がすでに崩壊寸前であることが少し異質ではある。ただ、いわゆる新自由主義者や渡航帰りのMBA取得者や声高の教条主義者のいうこととちょっと違って
 
あらかじめ言っておきますが、こうやって相対化できるからアメリカ人の方が成熟している、なんていう言い方を信じてはいけません、
彼らは、神のこと以外は、すべて相対化の視点で語ることができるのです。
 けれど、神のことに関しては、まったく相対化できません。(P126)
 
であったり、
 
相手を批判するうちに、批判する言葉が絶対的なものになってしまって、批判していた本人自信がにっちもさっちも動けなくなる、という状況が日本では普通の光景だということです。
(中略)
そして、結果は、相手に対する100%の勝利か0%の負けかという、相手を殺すか自分が死ぬか、という絶対的な選択しかないと思いこんでしまうのです。(P132)
 
 
「空気」の支配は、議論を拒否するのです。それが自分にとって都合がいいと思っていても、必ず、都合の悪い「空気」が支配的になる時がきます。どんなに怒っていても、議論を放棄して「空気」の支配に身を任せてはまずいのです。いつかきっと、強烈なしっぺ返しが来るのですから(P134)
 
といったところに妙に信頼感を感じてしまうのは当方だけであろうか。
 
まあ、本書での「空気」の支配から逃れるには
 
日本人が「共同体」と「共同体の匂い」に怯えず、ほんの少し強い「個人」になることは、実は楽に生きる手助けになるだろうと僕は思っています(P213)
 
つまり、前向きに「世間」と「社会」を往復するのです。
それは「複数の『共同体』にゆるやかに所属する」ということです(P243)
 
不安ゆえに、ひとつの共同体にしがみつけば、それは「世間」となります。・・・不安だからこそ、複数の共同体に所属して、自分の不安を軽くするのです。(P247)
 
といった、身軽な所作が大事であるようだ。精神的に自らを拘束したり、どこかに縛ってしまうようなことはできるだけ切り離していくことが大事でありますかな。

「自分商店」化ってどういうこと? — 谷本真由美「日本人の働き方の9割がヤバい件について」(PHP)

2015年8月の著作であるので、今、政府が言い出して、選挙でチャラになりそうな「働き方改革」より前の出版。最近の「働き方」に関する議論は、ネットワーキング、在宅勤務といった「働き方のツール」に関するものが大半で、「働き方の理念」「働き方のスタイル」を扱うものが少ないように思うのだが、さすが辛口の論客の谷本真由美氏は真っ向からこのあたりに論陣をはるのが流石というところ。
 
構成は
 
第1章 働き方に悩みまくる日本のサラリーマン
第2章 あなたが悩むのはニッポンの「働き仕組み」がおかしいから
第3章 働き方の激変はグローバルな潮流
第4章 生き残りたければ「自分商店」を目指せ
第5章 来るべき時代に備えよ
 
となっているのだが、イギリス在住というアドバンスを活かして
 
イギリスでも1980年代に20代〜30代だった人々というのはバブル世代です。(P134 )
 
当時のサラリーマンはローリスク、ローリターンで、現在のように、ホワイトカラーの仕事までもが海外に外注されるとは夢にも思っていませんでした。また、サッチャー改革があったとはいえ、今よりも、製造業の仕事が多く、ロースキルの若い人でも安定した雇用にありつけた時代でした(P134)
 
と今の日本人の働き方だけが特殊だったのではなく、かなりの国に共通の働き方であったことを看破しながら、
 
親がバブル世代の子供たちは、誰もが「自分商店」、つまり、組織に頼らずに、知識やスキルを売りに、不安定な一雇用の中で生きていかなければならない世界で大人になりました。
彼らの競争相手は他国の人々であり、圏内の人々とだけ競争していればよかった時代は過ぎてしまったのです。
 
と日本の労働者の未来を予言するのであるが、その働き方の姿は
 
OECDの報告書によれば、多くの先進国で、労働規制の改革により、レイオフが簡単になったり、非正規雇用の社員を雇いやすくなったりしています。一方で、働く人の流動性が高まったので、能力がある人は以前より高収入を得るようになっています。
つまり、組織に依存するのではなく、スキルを売りにする個人が、自分の都合に合わせて、様々な組織を渡り歩いて働く、という形態が増えているのです。(P188)
 
というスタイルであるらしい。
 
もっとも、このスタイル、氏が指摘するように
 
一方で、日本やインドのようなハイコンテクストカルチャーは、その反対です。
この文化圏では、社会の基本単位は集団です。
ハイコンテクストとは、同じ集団の中であれば、はっきりとものを言わなくても意味が通じることを指します。
つまり、それだけ、集団の中における個人の距離が近いのです。
このような文化閣では、個人は、その人の考え方よりも、どこに所属するかで判断されます
 
といった社会で、スムーズに浸透するかどうかは、今の「働き方」議論が「働くツール」や「働く場所(しかも会社か家か)」の議論が中心となっている現状をみると「黒船」的にどっと変化の波に襲われるという状況が一番ありうるかもしれない。
 
まあ、筆者によれば
 
働く人の自分商店化は、50年前の状態に回帰しただけであり、そもそも、終身届用や働く人の多くが、正社員として、新卒で一括採用される仕組みの方が異常であった、ということがいえるでしょう。
たかだか50年程度しか歴史のない仕組みが、「日本固有の雇用体系」といえるかどうかは疑わしいですし、戦後の高度成長期の産業構造に合わせて、最適化された雇用体系にすぎなかったというわけです
 
であるらしいから、ここらで無理やりにでも自分なりに意識を変えて、来そうな未来に備えたほうがよろしいかもしれんですね。

昔の定年ノウハウ本を、マイルドな「組織からの逃げ方」の仕方として読む — 江坂 彰「あと2年」(PHP研究所)

2005年の出版で、Amazonでも新刊の紹介はなく中古でしか手に入らないようであるし、直接には「団塊の世代」へ向けた「定年を迎える書」である。定年への手引書としては少々古びているのかもしれないのだが、当方的には、定年を前にした「仕事」や「組織」への向き合い方、という感じで読ませてもらった。
 
構成は
 
プロローグ 人生八十年時代の定年の迎え方
一 「妻と二人生活」が基本スタイル
二 モノより思い出
三 定年までに捨てるもの
四 あなたの住処はどこにする
五 熱中できる趣味を最低二つ
六 旅は定年後の必修科目
七 自分の健康法を持っている?
八 最後には貯金通帳をゼロに
九 仕事意外の友人をつくろう
十 好みの外食店を見つける
十一 物事を好きか嫌いかで決める
十二 しっかりと認めよう、体の衰え
十三 ゲートボールより若い友人
十四 親の世話をそうするか
十五 人生は起承転々で進むべし
エピローグ 団塊の世代へのメッセージ
 
となっているのだが、先述のように、今の若い世代のようにドライに「組織」に向き合えない「旧世代」に属する身としては
 
人によってはむずかしい立場にいる場合もある。
サラリーマンでソフト・ランディングに失敗した人たちを兄ると、役員直前で「はい、お終い」とやられた人が多い。
こういう人は自分も嫁さんも、会社を離れて生きる準備ができていない。
 
 
自分がもしもそんな立場になってしまったら、役貝と定年のどちらでも行けるようにしておくのがよい。
好き嫌いをはっきりさせながら、それをあまり目立たせない
 
といったあたりは、我が身に結構堪える言葉で、おもわず「そうか」と頷いた次第。
もともとサラリーマンを長くしてきた当方と同じような年代・環境の方は、高度成長の後のバブルとその後の冷え切った経済環境のどちらも経験してはいるものの、やはり組織の中で働いてきた人が多いはず、今の若い世代のようにフリーランスにもなかなかなる勇気もないが、それなりの一所懸命働いてきた、というところである。
ところが、年金の支給も心もとなく、働く期間だけは長くなりそうな気配であって、「うむむ」という思いにかられる時は、組織との付き合い方を、本書のようにソフトに替えていくというところが精神的にもハードルが低い。
 
それは
 
嫌いなほうは意思を明らかにせず、やらなければいいというだけの話である。
大事なことは、「好きか嫌いか」「自分がやりたいことか、やりたくないことか」の価価尺度を自分の中に持つという一点だ。
 
 
人生とはこういうものだと妙な結論をつけないで、起承転々で流れていけばいいではないか。
六十歳で人生の「結」に入ったなどと考えなくてもよろしい。
会社の定年と自分の定年は関係ない。
定年は人生が終わったのではなくて、階段で言えば「踊り場」だ。
 
といった風。どうです、これなら人目を気にするあなたもデキそうな気がしませんか。
なんにせよ、組織に属し、組織内で働くことが常態であった、当方と同じような団塊アフターの世代こそ、こういうソフトトランディング的な「組織からの逃走」の仕方が精神的にも楽でありそうですね

「生涯、一つの職場で勤務すること」が崩壊した「今」の職業人生とは — 山口 周「天職は寝て待て 新しい転職・就活・キャリア論」(光文社新書)

転職、天職が探しが、仕事人生の一コマとして当たり前のように語られるのは、リーマンショック以降、一生を通じて一つの会社に勤めることが、個人的な原因ではなく社会的原因で困難な時期と符合している気がする。ただ、言われるようになって久しいにもかかわらず、相変わらず、日本型雇用形態批判やアメリカ型雇用形態を手放しで礼賛するものが多くて、多くの勤め人あるいは勤め人予備軍の肌感覚とはちょっと遠いところにあるような気がしている。

本書は、そのちょうど間ぐらいの立ち位置で、今の仕事を取り巻く環境に少しでも疑問を持っている、大多数の人にとって、読みやすい内容といっていい。

 

構成は

 

はじめに

天職探しの旅

本書の読者について

第1章 転職はなすべきか、なさざるべきか

転職の是非

転職の技術がなぜ求められているか

転職はなぜ不道徳と考えられるのか?

第2章 従来の転職の「方法論」の問題

従来のキャリア戦略の問題点

第3章 いい偶然を呼び込むには

第4章 「攻め」の転職と「逃げ」の転職

「逃げの転職」の注意点

「攻めの転職」の注意点

第5章 エモーショナル・サイクル・カーブへの対処

 

となっている。

 

もっとも、最初の方で

 

産業や社会が安定的に発展していた 2 0世紀後半のような時期ならともかく 、現在のような変化の速い時代には 、こういったバックキャスティングのキャリア設計はうまく機能しないのではないかと私は考えています 。これは当の産業組織論をベ ースにしたロジカルな競争戦略論の限界が露呈しつつあるのと同じことで 、次に紹介する研究結果もこの仮説を支持しています 。

 

と、2012年の出版ということもあって、日本型雇用批判が根っこにあるのは間違いないのであるが、

 

いまの制度下では 、 3 0歳を過ぎたころから自分で働いて得た金の一部をデポジットとして会社に預け続け 、定年前の 1 0年間に 、実質的には仕事をせずに年金のような形で払い戻してもらう仕組みになっているので 、ある程度以上の年齢になると 、預けているデポジットの累積額が大きくなり 、転職できなくなるからです 。会社にロックインされてしまうわけですね 。まさに飼い殺しになるわけです 。私が常々 「会社と従業員との関係は貸し借りなしがいい 」と主張しているのも 、その点に大きな理由があります 。

 

という主張とともに

 

実際に仕事をやってみて 、自分がどういうときに達成感や幸福感を得られるか 、が少しずつ見えてくる 。そういう経験を経た上であれば 、より達成感や幸福感を得られる仕事の純度を高めるような転職を志向することも可能ですが 、こういった達成感は 、最低でも 2 ~ 3年程度の経験を積まないと得られないものではないかと思います.

 

であるとか

 

自分が何かの意思決定をしようとしているとき、その選択は本当に内発的な同期なのかどうかをいま一度考えてみる、といおうのも、転職を検討する際の大事なポイントだと思います。

 

といった風に、無闇矢鱈の転職の勧め、フリーへの勧めではないところに、勤め人として古い世代に属する当方としては、ぞわぞわせずに冷静に話を聞くことができる。

 

そして、数度の転職経験をもとに

 

従業員にとって実は最も虚意宇力な反対意見表明の方法は「退職」なのだ、ということがお分かりいただけると思います。是非の判断は留保するとしても、とにかく実態として日本企業のガバナンス構造においては、従業員が経営者に対して強く反対表明をする方法は退職以外にない、ということなのです

 

といったあたりは、日本企業の雇用構造ないしは内部の権力構造の本音のところ言い当てている。

 

で、当方が、転職の賛否双方に目配りがされている本書に注目するのは、年金受給年齢も上がり、平均寿命も上がり、という時代になって、一頃のように「人生で一つの職場」というのが、多くのサラリーマンで不可能になる。つまり退職後の「第二の人生」ではなく、退職後の勤め先も人生最初のそれと「対等な勤め先」になった時代を迎え、「転職」の持つ意味が変わっているのではと思うからなのである。

極論を言えば、人生100年となり、多くの人が「転職」をして、第二、第三の職場を経験せざるを得ない時代になりつつあるのでは、ということで、このあたり「LIFE SHIFT」の主張と重なってくる。

 

さて、そんな時代にあっては、

 

「転機」というのは単に「何かが始まる」ということではなくて、むしろ「何かが変わる」時期なのだ、ということです。逆に、「何かが終わる」ことで初めて「何かが始まる」とも言えるのです。

 

であったり、

 

ここで重要になるのが「中立圏」です。一見、どっとつかずの宙ぶらりんな段階に見えるかもしれませんが、それは決して消極的なものではない、ということに注意してください。慣れ親しんだもの、去りつつあるものを見つめつつ、それがなくなてもやっていけるように過去を統合しながら、わくわくもするけれど不安もある世界に、気持ちを少しづつ向けていく、という大事な時期なのです

 

といった風に、「職を変わる」といったことに対する意識も変化させないといけないかもですね。

イノベーションはベンチャーの専売特許ではない? — 中野剛志「真説・企業論ービジネススクールが教えない経営学」(講談社現代新書)

一頃のベンチャー企業の育成施策が大流行りの状況が今も続いているとはいえないが、大企業が逼塞したり、ものづくりの勢いが鈍ったり、さらには「働き方改革」といった状況から、何か困るとベンチャーがどうこう、という状況は変わっていない。

 

本書は、そんな中で、ベンチャー企業、起業というものについて、ちょっと斜めからではあるが、冷静な分析であろう。

構成は

第1章 日本でベンチャー企業を増やすには
第2章 起業大国アメリカの真実
第3章 ベンチャー・キャピタルの目利き術
第4章 最強の起業家は誰か
第5章 オープン・イノベーションの本質
第6章 なぜイノベーティブな企業の方が負けるのか
第7章 なぜ日本経済は、いつまでも停滞から抜け出せないのか

となっているのだが、例えば、アメリカのベンチャービジネスについての

1990年代以降、アメリカでは世界的なIT企業がいくつも誕生しましたが、アメリカ全体の生産性は停滞しており、アメリカの労働者の実質賃金も低迷し続けています。IT企業の隆盛が、アメリカ国民を豊かにしたのかどうかは、必ずしも明らかではないのです(P57)

といった「政府の偉い人が言ってたことと違うんじゃん」と文句をいいたくなるあたりから始まる。

そして、日本のベンチャーや企業風土の遅れを指摘する識者がよく言う「長期雇用」については、

競争力のある企業が長期雇用を採用しているというのは、日本に限ったことではない。例えば、驚くべきことに、アメリカ最強の投資銀行であるゴールドマン・サックスは長期の人材育成を重視しており、しかも、2000年代以前までは、上級幹部は社内の生え抜きに限定する慣行があった(P149)

長期の競争力が強い企業は、長期雇用を重視するのか。・・長期の競争力の厳選は人材にあり、そして人材の育成や見極めには、その人材と長期にわたって付き合う必要があるからだというのです(P150)

とよく言われる「アメリカ」の別の姿を示したり、ベンチャー企業の生産性についても
シェーンは、一般的なベンチャー企業は、生産性が低いと述べています。もし、そうだとすると、景気と開業率の間の関係は、やはり景気が良いと開業率が上がるのであって、開業率が高いと景気が良くなるのではない(P53)

と冷や水を浴びせてくるところは、主流派には煩く感じるだろうな、と推測する。

ただ、筆者もベンチャーを否定しているわけではなく、

イノベーションには、多様な価値観がぶつかりあって、新たなアイデアが生まれるような環境が必要。まさに、シリコンバレーは、そういう場だとして賞賛されてきたが、事業を多角的に展開している大企業グループもまた、そのような多様性を生み出す環境を提供している(P108)

シリコンバレーの成功の秘訣が、その濃密な人的ネットワークにあるとするならば、私たちはシリコンバレーを羨ましがる前に、そもそも企業組織というものは、濃密な人的ネットワークのかたまりであることを思い起こすべき(P116)

といったようにイノベーションの解答が「ベンチャー」だけにあるのではなく、イノベーション環境の構築が実は組織的な大小よりも重要であることを主張し、ともすれば単純な大組織批判、日本批判に全てを帰そうとする論調を戒めていると拝察する。

もちろん大企業病というように組織の大きさが必然的に内包してしまう問題もあるし、組織の小ささゆえの限界もある。ただ、日本のイノベーションが生まれないという指摘への解答は、組織の大小でも、日本的特徴でもなく

共同体的な集団を解体してオープン化すればするほど「個」は見失われていくのです。そして、イノベーションも生まれなくなるのです。イノベーションを生み出したければ、企業を本当の意味で「共同体的な集団」へ変えることです。そして、社外のアイデアを取り入れる場合には、社外との関係をも共同体的にすることです。
まさに、シリコンバレーという地域共同体がそうであるように。(P158)

「長期の競争」とは成果が出るまでに時間のかかるイノベーションにおける競争です。これに対して「短期の競争」とは、収益性の競争であると言いかえられます。そして短期の競争には、イノベーションの競争はあり得ません。なぜなら、イノベーションは短期間では生まれないからです(P163)

と、イノベーションを生む環境というものを、具体的に考えないとね、というしてきてのように思える。

そして最後の方では

つまり「アメリカではの守」が提唱する経営手法や制度は、日本にはなじまないというだけではなく、アメリカでもうまくいっていないのです。言い換えれば、「アメリカではの守」は、実は、自分ちが憧れてやまないアメリカのことをよく知らないのです。
そう考えると、過去20年以上にもわたって、いくら構造改革をしても日本で起業が増えず、経済が活性化しないのも、当然であると言えるのではないでしょうか。なぜといって、イノベーションを起きにくくし、開業率を下げたアメリカの1980年代の政策を次々と模倣してきたのですから。
要するに、構造改革が足りないから日本経済がダメになったのではなく、構造改革をしたからダメになったのです。(P220)

と最後っ屁のようなことも漏らされてはいるのであるが、ここは「ではの守」の方もそうでない方も、冷静に「日本のイノベーション」を活性化する方策を力を合わせて考えるべきなんでしょうね。

勤め人の最大関心事「人事と左遷」を分析してみる — 楠木 新「左遷論ー組織の論理、個人の心理」(中公新書)

会社であれ公務組織であれ、勤め人ぐらしをしていると、いつの間にか組織内の序列や出世の速い遅いの月旦が身に沁みてくるもの。
当方のような定年間際の年齢ともなると、勤め人最後のところの上がりのポストも見えてくるのだが座る席は限りがあるので、それなりに納得してみたり、イソップの「酸っぱいブドウ」のようなつぶやきをしてみる事も増えてくる。
本書の構成は
第1章 菅原道真、失意の晩年ー左遷とは何か
第2章 定期移動日は大騒ぎー人事異動と左遷
第3章 転職か、じっと我慢かー欧米に左遷はない
第4章 誰が年功序列を決めているのかー左遷を生み出すしくみ
第5章 出世よりも自分なりのキャリアー消える左遷、残る左遷
第6章 池上さん大活躍の理由ー左遷は転機
第7章 「道草休暇」が社員を救うー左遷を越えて
となっているのだが、「左遷人事」の大御所である菅原道真や森鴎外に始まり、定期異動時の「会社員心理」や、退職後大飛躍の池上彰さんまで取り上げてあって、「左遷」だけというよりも、「人事の陰陽」を扱ったものといっていい。
その中で「人事部は左遷をつくっているのではなく、人事部のやることは欠員のところに人をがはめるだけ」とか「自己評価は、他人のそれより3割増し」とかは当方の人事部経験に照らして納得するところが多い。ただ、ふと我が身に当て嵌めて、自己評価を3割減してみると「ああ」と我が身と才能の小ささに嘆息得ざるをえなくなって、「いやいや」と2割ぐらいは自己評価を戻してみたりするのである。
そして左遷という概念は
終身雇用や年功賃金に加えて、日本の組織には共同体的な正確が強いことも特徴である。欧米のように転職市場が十分ではないので、その共同体は唯一のもおであると社員に思い込まれやすい。これが左遷という概念を補強している(P96)
新卒一括採用は、決まった業務しかやらない職種別採用よりは、はるかに柔軟性のある運用が可能になる。・・単に採用方式の問題ではなく、日本型の雇用システムの表れに一つなのである。
同質的な社員を一列に並べて競争させることが左遷を生み出す一つの要因にもなっている(P114)
とあるように日本固有の概念に近くて、
欧米では、個々の仕事が個人と結びついているので、そもそも定期異動自体が存在しない。欠員が出た時にその仕事に見合った人材を募集して補充すれば足りるからである。そのため、左遷という概念は生まれにくい。(P74)
なのであるが、
欧米の人事評価の特徴は、エビデンス(証拠)を求めることだという。・・・評価しtあ根拠を社員に対して言葉で説明できなければならない。上司と部下との人間関係が人事評価に入り込む余地は小さく、逆に実績数値に酔って短期的に評価が行われがちになる。(P87)
ともあって、どちらが良いかは昨今のグローバリズムの陰陽もあわせて即座に判断できることではない。
そして本書では、NHK退職後の池上彰氏の大活躍を例にしながら
左遷を会社という組織の枠組みの中だけで考えていれば、挫折や不遇だという受け止め方しかないかもしれない。しかし池上彰氏のように、あらたな世界が開けることがある。
窓際になると本人は左遷されたと思うかもしれない。しかし視点を変えてみれば、余裕のある恵まれた場所ということにもなり得る。開き直ってその余裕を自分のたじぇに十分活用することも考えられる。(P174)
といった提案や
会社を辞めて独立・起業するわけでもなく、また会社の中のしごとだけに埋没して扠せんや不遇をかこつだけでもない。第三の道を目指すことが可能になる、会社を辞めずに、仕事以外に、もう一人の自分を発見するというやり方である。もちろん、いきなり「もう一人の自分」を作り上げることはできないので、コツコツと時間をかけて取り組めばいい(P218)
といった、別のルート、第三のルートも示されている。
なんにせよ「左遷」という言葉が気になってくるのは、出世レースの最中で火花を散らしていたり、レースに勝ち残っている時ではない。レースの終盤にさしかかり、結果も予測できるようになり、自分の位置も自覚されて、なんとなく黄昏れる時に気になる言葉。ただ本書の「そのまま最後まで上位職に上がれないという意味では、ほぼ全員が何らかの左遷体験をすると言えなくもない」であることも事実。
不遇をかこって愚痴をいっているよりは、別天地の青空や今まで気づかなかった足元の花に目を向けることがよいのかもしれないですね。

「リモートワークの働きすぎ」の原因は、時間外労働が減らない原因とひょっとして同じ?

Lifehackerで『「リモートワークのデメリット」から見える「本当の課題」』という記事が出ていて、最後のあたりは「リモートワークをすると「仕事と生活への満足度」は上がる」といったところで締めくくられているのだが、今回、当方で注目したいのは「リモートワークでも長時間働く人が出てきた」というところで「働く場所を選ぶ事ができる男性の17.3%が週に55時間以上働いている」とし、

リクルート研究所の研究員さんによると、その原因は

「早く成果を出さないとサボっていると思われる」と感じて、働きすぎる人がいるだろうなと思います

といったところのようだが、ひょっとして、根本は「周囲の人が残業しているので、帰り辛い」という、時間外勤務が減らない要因と同じ「人目があるから」といったことに帰着してしまうのかも。

もともと、欧米に比較して時間外労働が多く、しかもいろんな政府広報があっても減らないのは、もちろん「忙しいことは良いこと」という日本人特有の職人意識もあるのだろうが、人目を気にするという性向が大きく影響しているように思っていて、それが几帳面に「リモートワーク」の場合も反映されているといえるのではないだろうか。

リモートワークにおける仕事の成果を図るものさしが明確でないということもあるのだろうが、こいつは通常のデスクワークでも同じことで、成果主義の導入で評価基準の設定や明確化は以前よりかなり進んできていると思うのだが、さて働き方が欧米のように長期休暇をとったり云々となったかというと、多くの職場では、まだまだのような気がする。

それと同じことが「リモートワーク」でも起きていて、今までのデスクワーク中心の働き方とは形態が違っているが、多くのところで、「日本型の働き方」の影響を受けている状態なのであろう。

意外と日本型リモートワークの一番の利点は「通勤地獄の緩和」といったところにとどまるのかもしれないですね

IBMの「在宅勤務廃止」は地方部の崩壊をもたらすのではないか

NewslnによるとIBMが在宅勤務の廃止を決め、社員に通告を始めたそうで(IBM:自宅勤務制度の廃止を従業員に通告)、その理由は

私たちは自宅勤務の問題に関して長時間に渡って議論を積み重ねてきました。その結果、チームは一緒になり、肩と肩を寄せ合いながら働くことがベストだという結論に達しました。IBMが西海岸のMicrosoftのような企業と競争を続けていくためには、チームが一丸となって働くことが唯一の処方箋であると考えています

ということであるらしい。

早速にイケダハヤトさんらが批判を始めているのであるが、アメリカのIT企業が在宅廃止を始めたということは、以前Yahoo Americaのメリッサ・マイヤーが在宅廃止を打ち出したように、結構な反響を生むのではないだろうか。当然、国土の広さが桁違いであるから、在宅を廃止すれば社員の居所の移動も半端ないであろうが、ひところ一世を風靡した、モバイル勤務、ノマド勤務も陰りを見せ、「WORK SHIFT」の世界は遠くなっているのか、と思わざるをえない。

で、これが地域経営にどう影響するかといえば、都市集中の加速化を招くことは間違いないであろう。社員を集中させるとすれば、交通の便、また相手先企業との連絡の便のよいところに勤務地を移していくのが企業論理であろうし、現実にIBMの場合も「従業員をテキサス州オースティン、カリフォルニア州サンフランシスコ、ニューヨーク州ニューヨーク、マサチューセッツ州ケンブリッジ、ジョージア州アトランタ、ノースカロライナ州ローリーの6カ所の戦略的な拠点に集約」するというもので、日本に置き換えると、おそらくは東京中心になるのが予測できるのである。

で、そのはては人口減少の傾向の中で、地方部から人の姿が消え、都心部にすし詰めになって暮らすという、あまりウキウキしない結論であるような気がしていて、国家的にも好ましいことではないよ言うな気がする。おまけに、地方部、辺境部の人が極度に少なくなって、一体、国土は誰が守るの?、日本はシンガポールのような都市国家に変貌させて、地方部は他国の支配に任せるということなの?と不謹慎にも思ってしまう次第である。

そろそろ企業論理だけでなく、国家論理から地方部への人口移転を真面目に考えるときではないでしょうかね。

大雪被害に思うテレワークの重要性

山陰地区で大雪被害が相次いでいるのだが、こうした山間部を中心とした地方部で交通途絶が起きると日常生活の不便さはもとより、様々な公的サービスが機能不全に陥いるのでは、という不安にいつもかられる。

これは、こうした自然災害だけではなくて、例えば感染症の流行が起きる場合も同様。

で、ここで提案であるのだが、この際、こうした地方部においては、民間企業だけではなく、公的セクターもテレワークあるいはモバイルワークの導入を大々的にやってはどうか、ということである。

テレワークの重要性や必要性は都会地などでは通勤ラッシュの緩和を中心に言われるんであるが、地方部においても、交通途絶や外出がままならない事態に公的サービスの継続を図るには、テレワークによる公的サービス・ネットワークの構築が有効ではないかと思うんである。

特に、公的セクターの場合、首長を中心としたヒエラルキー的な組織形態が主流であるせいか、どうしても一極集中型の業務処理が中心になりがちなもの。

地方部における定住(つまり広い面積の国土に薄く住むということだよね)を進めるためにも、広い地域において効率的な行政を行うことが必須となるのだが、その基礎がテレワークになるんじゃないか、と思う次第なんである。

「デジタルより紙とペンが優れている」というのは本当か?

Lifehackerで「デジタルから紙とペンに回帰すべき理由」という記事が掲載されている。
趣旨的には仕事の効率面ではデジタル(PC)より紙とペンのほうが優れているという論調で、その理由は

・PCを使う場合より紙の場合が集中力が高まり、練られていることが多い
・テクノロジーは集中力を削ぐ傾向がある。紙だと会議室にいる人と自分の考えに集中せざるえなくなる
・手書きのごちゃごちゃ感がが先入観を打ち砕いて思いもよらないアイデアがでることがある

といったところ。

これを読むといますぐにでもPCを放り出して紙に回帰したくなる向きもあるかもしれないが、ちょっと待ってほしい。
というのも、紙のメリットとして挙げられているのは、周囲への寄り道をできるだけ少なくできることやアイデアの自由度とかランダム性を発生させる機会が多いということで、「紙」でないとできないというわけでもなく、「紙」でやれば全てうまくいくというわけでもなさそうなこと。

子育て中の女性や障がいのある人など多様な人材の活用が求められていて、しかもそのためにはモバイルワークや在宅勤務のシステムを整えることが必須のなっている今日、「紙」だけによる仕事のシステムでは対応できないことは明らかで、その意味で、デジタルで「紙を使った場合」と同じような効果を持つワーキング環境をどうつくるか、といったことがむしろ課題なのではないですかね