カテゴリー別アーカイブ: 地域振興

キャッシュレス時代を「地域振興」復権・「コミュニティ経済」復権に活かすべき

NewsPicksの共同通信配信の記事「お年玉もキャッシュレス、中国」によれば、中国のIT大手「テンセント」が中国の旧正月のお年玉「紅包」を同社の通信アプリによるスマホの決済サービスで送った人が6億人以上にのぼったらしい。
 
さらに、C-netによれば「屋台でもスマホで決済—首相の”鶴の一声”で加速するシンガポールのキャッシュレス化」ということで、同国の大手電子決済サービス会社が提供するサービスでQRコードに寄る決済システm樹を小売店や飲食店などにも利用範囲を拡大をはじめたとのこと。さらに、スマートウォッチによる電子決済も導入され、小学生に6000個の端末が配布されたらしい。
 
このあたり、中国は国土が広く、しかも国内の出稼ぎ大国なので、遠くの知り合いに現金を渡す必要性と偽札問題といったこともあるだろうし、シンガポールは電子国家はうちが一番ってな矜持があるので、中国には負けたくない、といったところであろうか。
 
ただ、こうしたキャッシュレス時代が広がっていくことは間違いなくて、中国やシンガポールあるいは欧米のカード社会と同等とはいわないまでも、日本へも浸透してくるのは間違いないだろう。
 
で、こうした動きを「地域の活性化」に犯す方策はないかな、と妄想したのが、以前流行した「地域通貨」をキャッシュレスでやっていくことはできないかな、というもの。もちろん、通過管理や決済が、キャッシュレス・システムが応用できるのでは、ということもあるのだが、もっと大きな理由は、キャッシュレス社会の普及で、地域通貨のもつ胡散臭さが緩和できるのでは、というところ。
というのが、地域通貨が普及しないのは、日本人の「現金」に対する信頼の度合いが大きすぎるからでは、と思うからである。「現金」への信頼度が高いがゆえに、「現金」に裏打ちされないものは信用できず、だからこそ、「地域通貨」は玩具の銀行券のように感じられ、普及しないのではないだろうか。
 
現金から「電子マネー」あるいは「電子決済」へ進む過程で、地域通貨が復権し、「コミュニティ経済」の復権へと進むとうれしいですね。
 

”Amazon Go”の持つ「買い物難民救済」の可能性

日経新聞の「100人並んでも待ち10分、AmazonのAIコンビニ開業」によれば

【シアトル=佐藤浩実】米アマゾン・ドット・コムは22日、米シアトルでレジのないコンビニエンスストア「アマゾン・ゴー」を一般向けに開業した。画像認識技術などを駆使した最先端のコンビニをいち早く体験しようと、昼どきには周辺のオフィスで働く人らでにぎわった。ただレジで滞らないため、100人並んでも待ち時間は10~15分ほど。訪れた人たちからは「忙しい人に最適」「クールだ」といった声が上がった。

 アマゾン・ゴーはスマートフォン(スマホ)の専用アプリに表示されるQRコードをゲートにかざして入場すれば、ほしい物を棚から取って店の外に持ち出すだけで自動的に会計が済む仕組み。店の天井にはカメラが確認できただけで130台以上は設置されており、誰が何を取ったかを追跡し続けることで実現した。 

ということで、Amazonの実験的店舗が始まった。

完全に無人かと思っていたら、商品供給のスタッフはいるようだから、どちらかというとセルフのガソリンスタンド式っぽい感じである。

ただ、AIで時間と人手のかかるレジ決済を簡略化したというのは画期的なのだが、こうした取組が出る時につきものの「採算性」や「犯罪危険性」とかの懸念が案の定出ているのだが、当方として、中山間地とか高齢化した団地などの買い物難民への救済策として使えないかと思った次第。

 

というのも、そうした地域での、食料品や日用品の移動販売車や地域住民の運営店は人件費というか、人手の問題が一番のネックであることが多い様子。というのも、移動販売では、現地までの移動距離と滞在時間に必ず人がつかないといけないし、地域住民の店は仕入れのための人手が運転手の確保難(高齢者が多いので事故が若い人より心配なのだ)ということがある。

 

そこで、こうした無人レジサービスがあちこちで可能となれば、そこへの商品供給を担当する人間と、店内での商品供給をする人手を完全に分離することができる。つまりは、店への商品供給さえすれば、店内運営は地域住民(概ね高齢者だ)のボランティアでも可能であろう。商品供給はAIによる決済システムがあれば、欠品になりそうなものの情報共有や、あるいは予測まで可能になるのでは、と思う次第であるのだが、事業化はならんものでありましょうか。

 

 

 

移住定住には「雇用」と「愛郷心」あるいは「地域の魅力」のどれが有効か

今日は、仕事の関係で、地方公共団体の首長さんたちの移住定住についての取組について話を聞く機会を得た。
 
オーソドクスなところでは「働き場所、企業の紹介と言う昔ながらの話」もあり、「出ていく者、若い人の都会志向は止められない。むしろ、都会に出ても、仕事とか都会が自分に合わないと思っている人をどうサポートして。故郷の良さを伝えて、帰住につなげるかだ。」といった話など、多種多様。
 
先日レポートした「地域再生の失敗学」あたりからは、だから田舎の公共団体は、とお叱りがきそうなのだが、「地域の魅力」を増すことが基本であることは分かりつつも、「均質化」が多くの自治体で進んでしまっているのは事実で、「雇用の確保は意味がない」とまで言い切るのは、正直切ない。
 
さらに、「均質化」の先に、それぞれの生まれ故郷なりの馴染みというか、心地よさが田舎の場合存在しているのは間違いなくて、そこが「愛郷心」というか生まれ育ったところへの愛着を産んでいるのは間違いないと思う。ただ、その「愛着」というものが、残念ながら微かなものになってしまっていることも事実で、それ所以に若者が帰ってこない理由に「雇用」を上げてしまう気持ちもわかるのである。
 
ただ、人が来る所、人が来たがる所に「雇用」が生まれていく事も事実。地域の魅力が薄れて帰りたい故郷でなくなったことを、「雇用がない」という言葉で誤魔化しているというのも事実であろう。
つまるところ、腰を据えて、「濃い」地域の魅力を創り上げ、それを「薄い関係」の慣れている若者向けにいかに薄味にアレンジできるか、ってなことが大事かもしれんですね。
 

今までの苦い「地域活性化」の経験をきちんと認識しよう — 飯田泰之ほか「地域再生の失敗学」(光文社新書)

「地方創生」「地域活性化」「地域の活力を取り戻す」・・・、こういうテーマが行政の予算や開発計画、総合計画の中で踊らないことはまずないと思うのだが、いかんせん、成功例となると、これもまた希少な部類の言葉であるような気がする。
本書は、そうした「地域再生」について、今までの行政や政府などの公的セクターっぽい視点からではなく、むしろ研究的な側面から実践者、現場の分析者の目線で語ったのが本書。
 

 

構成は
 

 

第1章 経営から見た「正しい地域再生」
第2章 官民連携の新しい戦略
第3章 フラット化しない地域経済
第4章 人口減少の先進地としての過疎地域
第5章 現場から考えるこれからの地域再生
 

 

となっていて、登場するのは、経営的な視点でのまちこしの専門家、地域経済学の専門家、経営学者といった、およそ今までの「まちおこし」では主流として登場してこなかった層の人たちであり、冒頭でも
 
現在の状況から考えると、これまでの地域再生策は基本的に失敗だったとまとめざるを得ないのではないでしょうか。従来型の政策の多くは失敗だった。これを認めることが、これからの地域再生を考える出発点となるでしょう。(P4)
 

 

とかなり挑戦的である。
 

 

ただ、そう言われるのもしょうがないところがあって、例えば、
 
地域活性化では、貿易黒字が大切です。地域内に来てもらうだけでなく、商品を出して外貨を稼ぐ。活性化を口指す上で、地域から山ていくお金よりも地域に入ってくるお金を多くするのが基本原則
 

 

といったあたりは、とかく目を惹いたり、派手であれば良しとしがちな地域活性化の動きに対する警鐘でもある。
 

 

さらには、
 

 

地域経済の再生は地域の稼ぐ力の向上によってもたらされる。
そして、稼ぐ力を決定するのは人と人が相互にコミュニケーションをとることで発揮されるクリエイティビティであり、人と人との聞で生まれる信用である。
このような観点から地域経済を考えると、その再生のために必要なのは、いかにして地域内でクリエイティブな発想を生みやすい環境を整備していくか、さらには地域外とどのようにして相互に信頼できる人間関係を構築するかであるということになる
 

 

といったあたりは、地域内あるいは地域間の関係性の構築の重要性を教えてくれる。
 

 

そして
 

 

目指すべき唯一の目標、モデルはもはやなくなった、ということも重要なポイントです。都市であれば東京を目指し、田舎は田園都市を目指すといった唯一のビジョンから脱して、将米世代の選択肢を減らさないことを意識する必必があると思います。
今の「正解」が、将米においても正解であり続けるとは限りません。将米どんなことが起こるかわからないという前提に立って、将来世代に多くの選択肢を手渡すことも我々の責務だと思います。
 

 

といったところは、地域が元気になる上で、高度成長からバブル時代、そしてバブル後を通じて、東京への一極集中を促し、地方を疲弊化させてきてしまった、当方のような年配者の「務め」というものを、改めて提示されているような気がするのだが、どうであろうか。