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「魔法の時代」「バーチャルの時代」の流行行動を読み解く ー 三浦 展「100万円で家を買い、週3日働く」(光文社新書)

最初の序章のところに「本書は、最近の若い世代の中から、私が関心を持ってものを選んで取材したレポート集である」とある。
本書の表題だけをみて、いわゆるミニマリストを中心とした若い人のレポートと思っては読み間違ってしまう。ここで取り上げられているのは、「昭和の時代」をはじめとする「古き時代」に価値を見出し始めた若者の姿の数々のレポートなのであるが、それを媒介にしながら、「現代」の時代性を捉え直すレポートとしてとらえたほうがよさそうだ。

【構成は】

序 魔法の時代と「再・生活化」の時代
第1章 生活実験
 1−1 家賃1万円で利用で豊かに暮らす
 1−2 狩猟採集で毎月の食費1500円で暮らす
 1−3 100万円で東京郊外に家を買い、週3日働く
 1−4 夫婦2組、赤ちゃんも一緒にシェアハウスに暮らす
 1−5 8700坪の農地を買って週末を過ごす
 1−6 地域の人が老若男女一緒に食べる
 1−7 マンション街に「自由解放区」をつくった女性
第2章 昭和の官能
 2−1 遊郭とストリップにはまるアラサー女子
 2−2 スナックのママをしたがる平成時代
 2−3 昭和喫茶に恋し全国1700店舗を訪ねたOL
 2−4 全国の花街を集める大イベントを開いたアラフォー芸妓
 2−5 日本最古の映画館と歓楽街をつなぐ
 2−6 エロなおじさんを描くアラフォー女子
第3章 郊外の夜の娯楽
 3−1 「私は郊外に快楽を提供したい」というアラフォーママ
 3−2 空き家に住み、流しと屋台で歌う東京藝大OG
 3−3 退屈なニュータウンの自宅兼事務所をスナックにする
 3−4 街道沿いの宿場町を再生する
第4章 新旧をつなぐ
 4−1 現代の長屋をつくる
 4−2 東京のど真ん中で古い商店をホテルに改造
 4−3 街全体をホテルに変える
 4−4 すたれた郊外商店街に「縁側空間」をつくる
 4−5 改造アパートからコミュニティをつくる
 4−6 空き店舗から街をつなぐ
最後の分析 あとがきにかえて

となっていて、デジタル生活から逃れて自然の中でミニマルに暮らす生活や、はるか遠くなってしまった「昭和」のエロスを再興する動きであったり、高度成長期の申し子であった「郊外」を夜の娯楽や人のつながりを紡ぎ直すことによって再生する取り組みを取り上げ、「最後の分析」で現代社会論を語る、といったつくりである。

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地方の人口減対策の決め手は「キャッシュレス決済」

最近、当方の住んでいる地方都市の近くの町で、地元の金融機関が支店を廃止すると発表して、地元自治体と大バトルになっているところがある。
こういうサービスは、どうしても地方部から割をくうのが通例なんだが、ちょっとここで利用できないかなと思うのは、QR決済やスマホ送金といったことは、アフリカやアジアの金融機関が少ないところから爆発的に始まったということ。

人口の多寡は別として、金融などの公共インフラの設置が難しいという点では、共通しているし、日本の地方部では隙あらば撤退しようとしている金融機関や物販店も多いのは自明のこと。

日本全体が人口減少トレンドに入っている中で、Iターン・Uターンによる人口増促進といったところで、全ての地方部に人口を集めるってのはトレンドではないし、無理がある。
さらに、IターンやUターンで田舎に帰ってきたいと思っている人は、自然派志向が多くて、いわゆる「ホワイトカラー志向」でない人も多い、といったジレンマが存在する。

であるなら、お金の送金や預金、あるいは決済といった「金融」サービスは、実店舗はすっぱりあきらめて、デジタルに疎い人へのサポート・システムをしっかりつくって、「バーチャル」に地域をあげて移行してしまう、ってのも一種の戦略かもしれない。

経済産業省をはじめ国のほうでも、「キャッシュレス社会」に向けて本腰を入れ始めたようだが、その中心は、店舗であるとかの「キャッシュレス」をして、外国人観光客対策をなんとかしようというのが主流のようだ。
それよりも、「地域の生活」の日々の生活の「キャッシュレス化」を進めていけば、誰が、どこに住んでも同じサービスが享受できる「分散型社会」の実現にも一役かえると思うのでありますが、どうでありましょうか。

地方の企業の宣伝をしておこう — 鳥取の注目企業15社 ”強小パワー”で鳥取の未来を切り開く(ダイヤモンド社)

当方のブログでは、ベタネタに地域に密着したものは、楽屋落ちの感があってあまりとりあげないのだが、縁あって出版発表会に出席したのと、こういう地方の企業に関する出版物は、東京のメディア視点に書かれたものが多いのだが、ここは地方のライターや出版人に頑張ってほしいな、というところで取り上げた次第。

構成は

第1章 世界を見据えた鳥取の注目企業

第2章 人づくりにこだわる鳥取の注目企業

第3章 地元とともに成長する鳥取の注目企業

第4章 地元も暮らしを支え続ける鳥取の注目企業

となっていて、取り上げられている企業は、旅館業、製造業、学校、飲食業、建設業と多種多様なんであるが、どこも魅力ある良い企業であるのは、地元で公的な仕事をしている当方が太鼓判を押したい。

 

ただ、こういう企業があっても、地元への回帰が進まない理由の一つは、著者の遠藤氏が言うように、親が地元の企業を勧めないといった側面があるのも事実で、このあたり、「都」信仰が、平安時代から続いて、さらに江戸時代に至って、参勤交代でそれが強化された「日本文化」の持つ中央集権性が大きく影を落としているのは間違いない。最近は田舎志向も高まっているよ、という主張もあるのだが、「田舎」を礼賛する層は今も昔も数は変わりないように思うので、地元回帰のキーは、泥臭いようだが「郷土愛」「地元ラブ」の醸成であるように思う。

まあ、なんにせよ、地方の活力ある企業の情報は世間に出ていくのは喜ばしいことには間違いない。ぜひ、日本各地の「地方」でこんなことがはじまるとよいのだが。

若者は「地元」は好きだが、田舎が好きなわけではない — 阿部真大「地方にこもる若者たち」(朝日新書)

地方に在住し、上昇志向よりも地元で仲間たちと仲良く暮らしていく、新しい地方在住層を見出した「ヤンキー経済」が2014年に出版されている、本書は2013年出版であるので、ほぼ、「ヤンキー経済」の論考と軌を一にする。しかも、本書の対象が「岡山・倉敷」といった地方中枢都市をとりあげていることで、「ヤンキー経済」の現象が全国的な現象であることを証明しているようだ。
構成は
現在編 地方にこもる若者たち
 第1章 若者と余暇
 第2章 若者と人間関係
 第3章 若者と仕事
歴史編 Jポップを通して見る若者の変容
 第4章 地元が若者に愛されるまで
未来編 地元を開く新しい公共
 第5章 「ポスト地元の時代」のアーティスト
 第6章 新しい公共のゆくえ
となっていて、本書の注目点は、今現在の分析だけではなく、「歴史編」で
BOOWYの楽曲で歌われる自分らしさとは、何らかの充実した中身がそこにあるわけではなく、(あるとしてもたいして重要ではなく)自分らしさを抑圧するものに背を向けること自体にある(P101)
から
(B’Zの)曲には、社会への反発というモティーフは一切なく、現状のシステムのなかでいかに生き抜き、自分の夢を叶えるかということが歌われる(P115)
へと、そして、
ミスチルは、不安定な社会において変わらないもの(キミとボクの世界)を探し求め、そこに精神の安らぎを見いだす「関係性」とでも余分べき表現の方法をとった。・・・ここで重要になるのは、890年代後半の「関係性の時代」はB’Z的なギラギラした「自分らしさ」をも消し去ったということである(P129)
と、時代のヒット・ソングに、その時代の若者をリードする「思想性」を明らかにしたことであろう。
筆者の分析する、「いまどきの若者」像を見てみると、イオンモールが
彼らにとって、それは楽しむ場所のない家のまわりを離れ、1日かけてドライブを楽しみ、ショッピングを楽しみ、映画を楽しみ、食事を楽しむことのできる、極めてよくできたパッケージであり、まさしく「遠足」と呼ぶにふさわしい余暇の過ごし方なのである(P25)
であって、一見すると「地元が好き」といった平板な分析に陥りがちなのだが、筆者はその先の
若者の「地元志向」が強まっていると言うとき、彼らの思い描く「地元」の姿は、旧来の「地元」の姿とまったく違うものになっていることに注意しなくてはならない。彼らがノスタルジーを感じる「地元」とは、モータライゼーション以降の「ファスト風土」、ショッピングモールやマクドナルドの風景なのである。そしてそんな郊外の姿に若者たちはノスタルジックな気持ちすら抱き始めている(P87)
(地元志向の若者が)地元が好きなのはわかるのだが、都会と田舎という単純な二項対立で彼らの地元志向を理解しようとすると間違うことになる。・・彼らが愛してやまないのは、昔ながらの田舎ではなく、ショッピングモールやコンビニ、ファミレスが立ち並び、マイホームとそれらの間を自由に車で行き来することのできる快適な消費空間である。つまり彼らは地元は好きだが田舎が好きなわけではない(P150)
といったところに及ぶことによって、地方公共団体の繰り広げる「移住定住」策が陥りがちの「田舎賛美」が、実は、呼び返したい若者の志向とは微妙にずれてしまう可能性のあることを示していることは、地方行政関係者はもっと認識しておくべきであろう。
さて、筆者は
彼女ら(ギャル)が「地方にこもる若者たち」を外に向かって開くポテンシャルをもっていることは明らかである。
彼女らの特徴は、第一に身近な人間関係の多様性に意識的だということである。だから同室的な仲間集団に対する愛着心は強い(だからギャルはギャル同士でつるむ)。・・・そのうえで、異質な他者とのコミュニケーションのチャンネルを確保している。これは「統合」と呼ばれるモノで、極めて高度なコミュニケーション能力が必要とされるものである。
と、地方のこもる若者たちが新しいステップに上がっていくキーワードに「ギャル」のもつ「聞き上手」な点に注目し、彼女たちに、今までの男性文化からの強制的な「同化」ではなく、それぞれの個性を尊重しながら、まとまる「統合」への可能性を期待している。
これから、AIやテレワークの進化によって、彼女たちの手法が中心となって、今までの強権的な「統合」や「吸収」ではなく、地方に若者が「在住」しながら、緩やかに「まとまっていく」。そんな社会のあり方がでてくると嬉しいですね。

時代小説の意外な中央集権構造にみる「東京一極集中」意識の勧業さ

最近、時代小説を重点に読んでいるのだが、そこで思ったのが、意外な「中央集権」。

なによりも舞台が江戸で、主人公は幕府の役人か町人といったところが、時代小説の大勢を占めているような気がする。

もちろん、時代考証をする上での資料の多さとか、あるいは全国の読者向けとして多くの人に共通の舞台が提供できるのが「江戸」であることは否定しないのだが、実は、多くの人の意識の根底に「江戸」への憧れがあるのではないだろうか。

 

で、それは大概の国であるような、「人口集中している都市」への憧れ以上に、租庸調あるいは参勤交代を通じて、庶民レベルまで浸透した「江戸」を中心とする意識が江戸期を通じて培われ、日本人のDNAになっているような気がする。

 

となると、世上言われる「東京一極集中の是正」といった話は、単純な国機関の移転や、民間企業の本社機能の移転の優遇といったレベルでは、解決しない課題であるといわざるをえない。極端なことを言えば、総ノマド化ぐらいの気持ちで、かなりの人が「移動」を前提とした暮らしをする。といったぐらいの意識変革が必要なのかもしれんですね。

 

ただ、それが現実的にできうるかとなる心もとなくて、今の「田舎志向」も一部の人の嗜好にとどまっていることからみると「東京一極集中是正」ってのは、とてつもなく困難な課題なような気がしてきましたな。

キャッシュレス時代を「地域振興」復権・「コミュニティ経済」復権に活かすべき

NewsPicksの共同通信配信の記事「お年玉もキャッシュレス、中国」によれば、中国のIT大手「テンセント」が中国の旧正月のお年玉「紅包」を同社の通信アプリによるスマホの決済サービスで送った人が6億人以上にのぼったらしい。
 
さらに、C-netによれば「屋台でもスマホで決済—首相の”鶴の一声”で加速するシンガポールのキャッシュレス化」ということで、同国の大手電子決済サービス会社が提供するサービスでQRコードに寄る決済システm樹を小売店や飲食店などにも利用範囲を拡大をはじめたとのこと。さらに、スマートウォッチによる電子決済も導入され、小学生に6000個の端末が配布されたらしい。
 
このあたり、中国は国土が広く、しかも国内の出稼ぎ大国なので、遠くの知り合いに現金を渡す必要性と偽札問題といったこともあるだろうし、シンガポールは電子国家はうちが一番ってな矜持があるので、中国には負けたくない、といったところであろうか。
 
ただ、こうしたキャッシュレス時代が広がっていくことは間違いなくて、中国やシンガポールあるいは欧米のカード社会と同等とはいわないまでも、日本へも浸透してくるのは間違いないだろう。
 
で、こうした動きを「地域の活性化」に犯す方策はないかな、と妄想したのが、以前流行した「地域通貨」をキャッシュレスでやっていくことはできないかな、というもの。もちろん、通過管理や決済が、キャッシュレス・システムが応用できるのでは、ということもあるのだが、もっと大きな理由は、キャッシュレス社会の普及で、地域通貨のもつ胡散臭さが緩和できるのでは、というところ。
というのが、地域通貨が普及しないのは、日本人の「現金」に対する信頼の度合いが大きすぎるからでは、と思うからである。「現金」への信頼度が高いがゆえに、「現金」に裏打ちされないものは信用できず、だからこそ、「地域通貨」は玩具の銀行券のように感じられ、普及しないのではないだろうか。
 
現金から「電子マネー」あるいは「電子決済」へ進む過程で、地域通貨が復権し、「コミュニティ経済」の復権へと進むとうれしいですね。
 

”Amazon Go”の持つ「買い物難民救済」の可能性

日経新聞の「100人並んでも待ち10分、AmazonのAIコンビニ開業」によれば

【シアトル=佐藤浩実】米アマゾン・ドット・コムは22日、米シアトルでレジのないコンビニエンスストア「アマゾン・ゴー」を一般向けに開業した。画像認識技術などを駆使した最先端のコンビニをいち早く体験しようと、昼どきには周辺のオフィスで働く人らでにぎわった。ただレジで滞らないため、100人並んでも待ち時間は10~15分ほど。訪れた人たちからは「忙しい人に最適」「クールだ」といった声が上がった。

 アマゾン・ゴーはスマートフォン(スマホ)の専用アプリに表示されるQRコードをゲートにかざして入場すれば、ほしい物を棚から取って店の外に持ち出すだけで自動的に会計が済む仕組み。店の天井にはカメラが確認できただけで130台以上は設置されており、誰が何を取ったかを追跡し続けることで実現した。 

ということで、Amazonの実験的店舗が始まった。

完全に無人かと思っていたら、商品供給のスタッフはいるようだから、どちらかというとセルフのガソリンスタンド式っぽい感じである。

ただ、AIで時間と人手のかかるレジ決済を簡略化したというのは画期的なのだが、こうした取組が出る時につきものの「採算性」や「犯罪危険性」とかの懸念が案の定出ているのだが、当方として、中山間地とか高齢化した団地などの買い物難民への救済策として使えないかと思った次第。

 

というのも、そうした地域での、食料品や日用品の移動販売車や地域住民の運営店は人件費というか、人手の問題が一番のネックであることが多い様子。というのも、移動販売では、現地までの移動距離と滞在時間に必ず人がつかないといけないし、地域住民の店は仕入れのための人手が運転手の確保難(高齢者が多いので事故が若い人より心配なのだ)ということがある。

 

そこで、こうした無人レジサービスがあちこちで可能となれば、そこへの商品供給を担当する人間と、店内での商品供給をする人手を完全に分離することができる。つまりは、店への商品供給さえすれば、店内運営は地域住民(概ね高齢者だ)のボランティアでも可能であろう。商品供給はAIによる決済システムがあれば、欠品になりそうなものの情報共有や、あるいは予測まで可能になるのでは、と思う次第であるのだが、事業化はならんものでありましょうか。

 

 

 

移住定住には「雇用」と「愛郷心」あるいは「地域の魅力」のどれが有効か

今日は、仕事の関係で、地方公共団体の首長さんたちの移住定住についての取組について話を聞く機会を得た。
 
オーソドクスなところでは「働き場所、企業の紹介と言う昔ながらの話」もあり、「出ていく者、若い人の都会志向は止められない。むしろ、都会に出ても、仕事とか都会が自分に合わないと思っている人をどうサポートして。故郷の良さを伝えて、帰住につなげるかだ。」といった話など、多種多様。
 
先日レポートした「地域再生の失敗学」あたりからは、だから田舎の公共団体は、とお叱りがきそうなのだが、「地域の魅力」を増すことが基本であることは分かりつつも、「均質化」が多くの自治体で進んでしまっているのは事実で、「雇用の確保は意味がない」とまで言い切るのは、正直切ない。
 
さらに、「均質化」の先に、それぞれの生まれ故郷なりの馴染みというか、心地よさが田舎の場合存在しているのは間違いなくて、そこが「愛郷心」というか生まれ育ったところへの愛着を産んでいるのは間違いないと思う。ただ、その「愛着」というものが、残念ながら微かなものになってしまっていることも事実で、それ所以に若者が帰ってこない理由に「雇用」を上げてしまう気持ちもわかるのである。
 
ただ、人が来る所、人が来たがる所に「雇用」が生まれていく事も事実。地域の魅力が薄れて帰りたい故郷でなくなったことを、「雇用がない」という言葉で誤魔化しているというのも事実であろう。
つまるところ、腰を据えて、「濃い」地域の魅力を創り上げ、それを「薄い関係」の慣れている若者向けにいかに薄味にアレンジできるか、ってなことが大事かもしれんですね。
 

今までの苦い「地域活性化」の経験をきちんと認識しよう — 飯田泰之ほか「地域再生の失敗学」(光文社新書)

「地方創生」「地域活性化」「地域の活力を取り戻す」・・・、こういうテーマが行政の予算や開発計画、総合計画の中で踊らないことはまずないと思うのだが、いかんせん、成功例となると、これもまた希少な部類の言葉であるような気がする。
本書は、そうした「地域再生」について、今までの行政や政府などの公的セクターっぽい視点からではなく、むしろ研究的な側面から実践者、現場の分析者の目線で語ったのが本書。
 

 

構成は
 

 

第1章 経営から見た「正しい地域再生」
第2章 官民連携の新しい戦略
第3章 フラット化しない地域経済
第4章 人口減少の先進地としての過疎地域
第5章 現場から考えるこれからの地域再生
 

 

となっていて、登場するのは、経営的な視点でのまちこしの専門家、地域経済学の専門家、経営学者といった、およそ今までの「まちおこし」では主流として登場してこなかった層の人たちであり、冒頭でも
 
現在の状況から考えると、これまでの地域再生策は基本的に失敗だったとまとめざるを得ないのではないでしょうか。従来型の政策の多くは失敗だった。これを認めることが、これからの地域再生を考える出発点となるでしょう。(P4)
 

 

とかなり挑戦的である。
 

 

ただ、そう言われるのもしょうがないところがあって、例えば、
 
地域活性化では、貿易黒字が大切です。地域内に来てもらうだけでなく、商品を出して外貨を稼ぐ。活性化を口指す上で、地域から山ていくお金よりも地域に入ってくるお金を多くするのが基本原則
 

 

といったあたりは、とかく目を惹いたり、派手であれば良しとしがちな地域活性化の動きに対する警鐘でもある。
 

 

さらには、
 

 

地域経済の再生は地域の稼ぐ力の向上によってもたらされる。
そして、稼ぐ力を決定するのは人と人が相互にコミュニケーションをとることで発揮されるクリエイティビティであり、人と人との聞で生まれる信用である。
このような観点から地域経済を考えると、その再生のために必要なのは、いかにして地域内でクリエイティブな発想を生みやすい環境を整備していくか、さらには地域外とどのようにして相互に信頼できる人間関係を構築するかであるということになる
 

 

といったあたりは、地域内あるいは地域間の関係性の構築の重要性を教えてくれる。
 

 

そして
 

 

目指すべき唯一の目標、モデルはもはやなくなった、ということも重要なポイントです。都市であれば東京を目指し、田舎は田園都市を目指すといった唯一のビジョンから脱して、将米世代の選択肢を減らさないことを意識する必必があると思います。
今の「正解」が、将米においても正解であり続けるとは限りません。将米どんなことが起こるかわからないという前提に立って、将来世代に多くの選択肢を手渡すことも我々の責務だと思います。
 

 

といったところは、地域が元気になる上で、高度成長からバブル時代、そしてバブル後を通じて、東京への一極集中を促し、地方を疲弊化させてきてしまった、当方のような年配者の「務め」というものを、改めて提示されているような気がするのだが、どうであろうか。