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News Week 「イギリスで進む「脱」民営化」で思う「顧客」の変化と民営化の理念の風化

News Weekで「イギリスで進む「脱」民営化」という記事がでていて、サッチャー時代に一世を風靡し、日本でもいまだに影響力の強い「民営化」について批判的な内容。

この記事の筆者は電気サービスとか年金とか、公営から民営に移管されたサービスを比較し、最後に

どうやら公営企業は、民間企業に改善を促すような新基準を打ち立てる役割を果たしているようなのだ(たとえば公営のNESTの「脅威」に対抗するために、民間企業の年金ファンドは手数料を下げるようになってきた)。

さらに公営企業は、民間よりしっかりと顧客ニーズに対応できる(民間企業では株主と経営者の利益が最優先だ)。そして公営企業は、大量の顧客を獲得し、効率的な経営ができる。

僕は民営化に対して賛成、反対の確固たる自説があるわけではない。でも僕(自由市場でいろいろな情報を手にしている一消費者だ)の最近の行動を見てみれば、おのずと見えてくる。僕が「消費行動という投票」によって、民営化に反対票を突きつけているということが。

といったことで締めくくっている。

サッチャー首相以来のイギリスの民営化といえば、鉄道からエネルギー産業、年金システムまで、ほぼありとあらゆるものを民営化の対象とし、国営や公営は非効率の極みであるような扱いがされていたもの。この影響は、日本にも強く及んで、いまだに行政改革といえば「民営化」「民間委託」がいの一番にでるぐらい。

その民営化の本国というところでの「批判」なのだが、記事を見て思ったのが、「民営化」のシステムがどうこうというのではなく、民間企業ではあるが、サービスの基本、「顧客は誰」というところがおろそかになっているのが原因では、と思った次第。

もともと、国営や公営の欠点といわれるのが、いわゆる「お役所仕事」で顧客たる国民や県民をみていない、ということであったのだが、どうやら、物事が安定化すると「顧客」を見失ってしまうのは、国営だろうが、公営だろうが、民営だろうが関係なくて、要は「惰性」によるシステム疲労を来しているかどうかということであったのかもしれない。

となると、運営主体をどうこうすれば物事は解決するんじゃなくて、いかに「顧客」をブレさせないシステムを維持するかっていうのが大事であって、それは、競合状態を常に確保しておく、つまりは「独占」をいかに排除するかっていうことにつきるのかもしれないですね。

フェイスtoフェイスなしのSNSでは孤独感は癒やされない

c-net Japanに「SNSで過ごす時間が長い人ほど孤独感を強く感じている」という記事が出ていて

Primack氏の研究チームは今回、19~32歳の1787人を対象に聞き取り調査を実施した。そのデータに対し、社会的孤立の程度を測定する一般に受け入れられた手法を適用した。

結論はこうだ。社会的要素と人口統計的要素を除外した場合でさえ、1日のソーシャルメディアの利用時間が2時間を超える人は、30分未満の人と比較すると、社会的孤立を2倍強く感じていた。

「人間は生まれつき社会的な生き物だが、現代の生活は、われわれをひとつにまとめるのではなく、区分する傾向がある。ソーシャルメディアは、そうした社会的な隙間を埋める機会を提供するように思えるかもしれない。しかしこの調査は、ソーシャルメディアが人々の望んだ解決法ではない可能性があることを示唆していると、私は考えている」(Primack氏)

ということであるのだが、SNSだのなんだの、と難しい理屈でなくて「リア充」かそうでないかということでは、という思いにかられる。

というのも孤独感を感じるかとどうかというのは、かなり原始的なもので、他者と皮膚的な接触があるかどうか、物体的に近しい状態にあるかということが重要であって、精神的な近さ、特にSNSのような「ユルイ」関係で孤独感がなくなるようには、多くの人は進化あるいは変化しきれていないように思う。

それは、テレワークやモバイルワークが、面談とか会議とかでフェイスtoフェイスという物理的なこと抜きではうまくいかない例が多い、というのと共通であろう。

生物的な衣をまとっている以上、身体的な接点をまったくもたずに「ネットワーク」するということでは「孤独感」という根源的な感情は払拭できないんでしょうな。

「大学の学費無償化」のための教育国債ってのは・・・

Yomiurli Online(http://sp.yomiuri.co.jp/politics/20170203-OYT1T50001.html)によると

自民党は、大学などの高等教育の授業料を無償化した場合の財源として、使い道を教育政策に限定する「教育国債」発行の検討に着手する方針を決めた。

 高等教育の無償化は、安倍首相が検討に前向きな姿勢を示している。1月20日の施政方針演説では「憲法が普通教育の無償化を定め、義務教育制度がスタートした。高等教育も全ての国民に真に開かれたものでなければならない」と述べた。

ということなのだそうだが、これって返済の停滞とかで問題も出てきている貸与型の奨学金制度の姿をかえ、しかも返済を全国民に広げたものじゃないの、という疑問を覚えた。

もちろん、義務教育と高等教育の境界が曖昧になってきていて、大学全入時代もすごそこに来ているのかもしれないのだが、その経費を安易に「国債」として後世の世代の負担にもっていくというのはどうかな、と思う次第。

もともと奨学金自体、就職難などの影響で返済が困難になっている個人が増えたために、給付型やあるいは、地方や故郷へのUターンや地元就職を条件にした無償化などの動きが強まっていて、その方向には異論はないのだが、それを均質にしかも「国債」という全国民負担の形で行うことで、都会(東京都)と地方のアンバランス、東京集中の問題を助長するだけのような気がするんである(ここらは東京在住の人には異論があるよな、多分)。

日本全体の人口減少が言われる中、個人的には都会への集中、いわゆるスマート・シティ化をめざすんではなく、地方、田舎への偏在というかバラけた居住をすすめるべきで、ITの整備と合わせれば、そのほうが国土全体の有効活用と地域の力ひいては国力の担保にもつながると思っているので、ここは一律な国債による対応ではなく、地方への紐付き財源の提供と進むべきでないか、と妄想するんであるがいかがか。

初売りの終了に気づかずMacbookを注文したついでに、”移動生活”を今年のテーマにする

Macbook Airもそろそろ3年間になるし、プチ単身が続く中では、記憶容量とかメモリとかWindowsの共存を図る上で、PCを新調したいなと思っていたのだが、奥さんの許しも出たのでMacbookを更新することにした(実は1月2日なら初売りのサービスもあったのだが、これは後の祭り。まあしょうがない。)

メモリは8Gあるのでしばらくは大丈夫と思ったのでこれはデフォルトで。ただSSDはWindowsのBootCampでインストールしたいので、奢って512Gに。

ここまで使うとは思わないのだが、Windowsに100Gぐらいは割り当てたいと思ってのこと。

ところが、車の買い替え注文をすると乗っている車の調子が悪くなる、という原則に従うように、今使っているWindowsデスクトップの調子が悪くなってきた。特にエクスプローラーでファイルコピーをやるとファイルの数が大量になるとフリーズしてしまうのである。

SSDも結構年数が経過するのでそのせいかと思うのではあるが、やはり新車がくると旧車はへそを曲げるの原則が適当な気がする。

ということで、今年はPCも本格的にモバイル・クラウドへの移行を図るかもしれません。

なにせ、週の半分は実家、半分は単身赴任先、途中で県外といった生活なので、どうも本拠がひとつにあることを前提にした生活にしないほうがよいのでは、今更ながら思った次第。かといって単身先を本拠にするのはちよっとな〜ということで、”移動すること” “移動を前提とした生活を構築すること” を今年の生活のテーマにしようかと思います。

今年の「目標」というか「方向性」を書いておくことにする

あけましておめでとうございます。

年初の投稿ということで、おせちをつまみながら、今年の”目標”ないしは”方向性”をメモしておこうかと。

昨年はじめに家族の不幸があって、その後、100Kmほど離れたところではあるが異動し、交通不便な辺境に住まうがゆえに、プチ単身赴任が始まったのが昨年4月から。今年は、年齢のこともあり本社に復帰するかどうかの岐路となる年でもあるのだが、個人的には復帰する場合、しない場合双方にチップを一所懸命はっていく年にしたいな、と思っているところ。

というのも年末に「Life Shift」を読んだところ(またブックレビューはしますね)で、一社だけで全うするというのは、生涯働くにはリスクが大きいな、と感じた次第で、とにかくいろんな選択肢を太くしないといけないな、と改めて思ったところである。

本業の方は大化けしないでも、ともかく大ゴケせずにいっているところであるので、引き続きいろんな布石を張り巡らすとともに、サブの方は、PVの伸びないすっかり「寂れブログ」と化しているこの「辺境駐在員の備忘録」のエントリーを頑張ってみようか、ということと、その基礎となるインプットを飛躍的に増やすアクションを起こすつもりである。

そのためにも、できるだけ荷物を身軽にして、移動性を高めるとともに、ガジェットもそろそろブラッシュアップしたい。まだ勤め人ゆえ具体性にはなはだ欠ける宣言であるのだが、引き続きよろしくお願いします。

女官と廷臣は遠ざけるべきであるか・・・

久々にリアルに大河ドラマの最終回を見た。

今年は「真田丸」ということで、判官びいきで、敗者の好きな日本人のはしくれである当方としても好みのネタで、大蔵卿であるとか、大野修理の迂闊さとか、豊臣秀頼の若ぼんらしい優柔不断であるとか、あちこちにはまりどころが三谷幸喜氏の絶妙な手練卓だが仕掛けられている。

とはいうものの、真田幸村の大阪の陣の敗戦は、やはり豊臣秀頼自らの出陣が叶わなかったということにつきるように思え、そこはやはり、彼を出陣させなかった体制というか周囲の人材の影響が全てのような気がする。

で、その原因はやはり、宮中の中にしか情報と判断の基礎をもっていなかった女官と廷臣が影響力を持ちすぎたのであろうな、と当方として確信している。

もちろん、女官、廷臣とも主君のことを思わないではないし、むしろ、野戦の将より主君大事であるとは思うだが、如何せんその判断の基礎が限定的なことが大局を誤ったというべきことであろう。

ただ、野戦の中にこそ情報があり、野戦のなかにこそ戦の勝機もあるということが大事であるということに気づかないことがよくあるのではないでしょうかね。

「二拠点生活」の試み

職場が本拠より離れて十数日が経過した。
特急電車で1時間、車で1時間45分程度なので、まあ通勤も可能ではあるのだが、緊急時とかの対応もあるので、いわゆる「単身赴任生活」となった次第。
ただ、これぐらいの距離であると、車での日帰りも十分可能で、実家の家族と長期間離れたままというのも味気ないので、「単身赴任」ではなく、将来的なリタイアに備えて、「二拠点生活」の試みをしてみようと思い立っている。
そんなに難しいことは考えてなくて、ひとまず、実家と赴任先でどちらでも同じように仕事や下準備、ブログ書きなどが両方で同じような環境でできるようにしておき、その時の気分に応じて生活する所を選べるようにしてみようか、と思っていて、それがいわゆるテレワークであったりの実験にもなるのかな、と思っている次第である。
もっとも二拠点を用意するといっても、服やら電子機器をそっくり同じものをダブルで用意するほど財力もないので、そこらは必要最低限にならざるを得ないが、テラバイトレベルのクラウドストレージサービス、スキャナ、モバイルの通信環境、そして両拠点での光レベルの通信環境・据え置きPCは一先ず用意出来たところである。
あとは両拠点の滞在日数を如何に平均化していくか、ということであるのだが、こいつばかりはおいおい実態をみてやっていくしかないようですね。

フィクションは本当に劣勢なのか

日経Asocie 2015.12号の「男と女の言い分な関係」というコラムを読んでいたら、

男性、女性問わずm現代はこうしたフィクションや物語といった文化そのものが劣勢に立たされているのは、間違いのないところです。・・・ビジネスの現場に身を置いていると、小説やテレビドラマ、映画やマンガ・アニメに触れる機会は減る一方です。代わりに私たちを取り巻き、時間やエネルギーを半ば強制的に費やさせているのは「情報」

というところにでくわして、納得の半分、どうかな、と思うこと半分。

というのも、フィクションに触れなくなるのは現代と過去の比較ではなくて、年齢の重ね具合といったところもあるのではないかということ。特に現役世代であれば、仕事に追われる具合が強くて、フィクションが負けてきている、あるいは興味が持たれなくなってきている以上に「隙がない」といったことが多いせいでは、と思う次第。

当方とて若い頃よりフィクションを読まなくなってきているのは確かなのだが、それは興味が云々というより、仕事のアイデアを出したり、書類を読んだりといったことに時間を取られて、フィクションに使う精神の力が残らないなー、と思っているところである。

フィクションgあ読まれなくなったのは、フィクションが「劣勢」なのでなくて、フィクションへまわす精神のキャパが「乏しい」のではなかろうか。

 

エコプロダクツ展 その2 オフィス内で紙の再生をするマシンを見た

今回、出張の合間にエコプロダクツ展に行った目的の一つが、このエプソンのPaper Labというオフィス内で、紙を再生する機械を見ること。

オフィス内の紙をそのまま細かく砕いて、また再び紙にする機械。紙を溶かして再生する形式ではなく、水をほとんど使わないところに特徴がある。最初はコピー機を少々でかくしたぐらいかな、と思っていたのだが実際は結構デカイ。

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はじめは前の方にある小さなものがそうかと思ったのだが、やはり、後ろのマシンでありました。

実演では調整してあるせいか、そんなに時間を待たずに紙が再生されて出てくる。色も真っ白で新品っぽい。

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再生する様はイメージ映像しかなかったが、こういうのを見ると、題名を失念してしまったのだが、諸星大二郎の将来の人類が、あらゆるものを分子状態まで分解して再構成する機械を発明して、地球やら月やらを食い尽くしてしまうという短編を思い出してしまうのだが、こうした紙の再生は二酸化炭素や水の問題を考えても早急な実用化が望まれるもの。実際のところPCが普及して「紙は減る」といった言説がまことしやかに流されたこともあったが、実際は紙を増やしたことにつながっている。紙の視認性の素晴らしさもあるのだが、書類やデータを「モノ」として所有するという欲求のせいもあるような気がする。

当然その中には機密っぽい情報もはいっているわけで、この処理が自分の目の前でされれば安心して処理できるというものであるし、また古紙の輸送と新紙の輸送コストと手間を減らすことにもなる、といったことはエプソンさんのプレゼンのとおり。

ただ、妄想すれば、こうして自社内での紙循環が進み、さらに3Dプリンターの普及が進むと、今、ネット通販やらグローバル化などがあっても、「モノ」を運ぶというカタチで馬喰の時代からの原型を残している「流通」というものは、どんなものになってしまうのかな、と思ってしまいますな。

エコプラダクツ展にいってきた

仕事の関係で、東京ビッグサイトに来たついでに、エコプロダクツ展にいってみた。

先日は、東京モーターショーにお呼ばれして行って以来なのだが、最終日とはいえモーターショーの熱気と人出に及ばないのは致し方ないところなのだが、学生さんとか、老人クラブっぽい人とか勉強熱心そうなむきが多くて、コンパニオン目当てが多いモーターショーとは雰囲気が違う。(もっとも派手さと露出度ではモーターショーの方が上であるのは当然なのですが・・)

さらには、プレゼント。記念品企画の多いのも、こうした展示会ならでは。

これはCanonのブース

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車メーカーも出展しているのだが、どうしても控えめで、主力はこうした事務器メーカーが主力になるのが地味になる所以か。

これはカシオ。お笑い芸人との掛け合いのプレゼンなのだが、お勉強風味がやはり漂っている。

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トッパンのブースでクイズに答えて、カレンダーと紙の缶に入ったお茶をもらって会場を後にしたのでありました。

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