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私は「他者」のために存在しない。他者も「私」のために存在しない — 岸見一郎「嫌われる勇気」(ダイヤモンド社)

カウンセリング、心理学といえば、まずはフロイト、すこし変わったところでユングといったところがメジャーで、正直、岸見先生のアドラー本が出た初っ端は、一時の流行ものかなとも思っていたのだが、どうしてどうして、その人気が衰えない。さらには、「本音で生きる」で、堀江貴文氏も賛辞をおくっていて、どうやら、「多動力」型の人たちには親和性の高い思想のようだ。

構成は

第一夜 トラウマを否定せよ

第二夜 すべての悩みは人間関係

第三夜 他者の課題を切り捨てる

第四夜 世界の中心はどこにあるか

第五夜 「いま、ここ」を真剣に生きる

となっていて、芝居にもなったように、”哲学者と人生に悩んでいる青年との対話の形で、アドラー心理学が語られる”といった形式。アメリカのビジネス書にはよくある形だが、好みが分かれるところかもしれないが、フロイトなどの学識ばった心理学とはちょっと経路が違うので、こういう形式をとるのは、一種の執筆上の戦略であるかもしれないね。

で、その中身は、哲学者でもある岸見先生らしく、アドラー心理学をその成り立ちから本論まで、かなり丁寧に追ってあって、読みやすいものに仕上がっている。

とはいうものの、アドラー心理学の特徴である「トラウマの否定」、例えば『「経験それ自体」ではなく、「経験に与える意味」によって自らを決定する』といったところや『「怒りに駆られて大声を出した」のではない。ひとえに「大声を出すために、「怒った」』とし、「目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえている」という「目的論」のあたりは、乗れる人と乗れない人に別れそうだ。

さらには

「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」

とか

アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。・・・他者から承認される必要などありません、むしろ、承認を求めてはいけない。

といったところは、二重三重に意味が畳まれていて、ここらあたりが、アドラー本の解り難さかもしれない。ただ、このへんにも、先述の堀江氏であるとか、世の中を尖って生きている人が共感する糸口は現れていて、当方的に見ると、

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」

(中略)

もしもあなたが、「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです

自分の生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。

とか

たとえ組織を飛び出したところでほんとうの自由は得られません。他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。

といったところが、その真髄であろか。

さて、当方的に岸見流アドラー心理学の興味を惹かれたところを切り取ってみたが、レビューの限界は、万人向けの切り取りなどできないというところ。あなたなりに「アドラー心理学」を切り取ってみてはいかがであろうか