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「生涯、一つの職場で勤務すること」が崩壊した「今」の職業人生とは — 山口 周「天職は寝て待て 新しい転職・就活・キャリア論」(光文社新書)

転職、天職が探しが、仕事人生の一コマとして当たり前のように語られるのは、リーマンショック以降、一生を通じて一つの会社に勤めることが、個人的な原因ではなく社会的原因で困難な時期と符合している気がする。ただ、言われるようになって久しいにもかかわらず、相変わらず、日本型雇用形態批判やアメリカ型雇用形態を手放しで礼賛するものが多くて、多くの勤め人あるいは勤め人予備軍の肌感覚とはちょっと遠いところにあるような気がしている。

本書は、そのちょうど間ぐらいの立ち位置で、今の仕事を取り巻く環境に少しでも疑問を持っている、大多数の人にとって、読みやすい内容といっていい。

 

構成は

 

はじめに

天職探しの旅

本書の読者について

第1章 転職はなすべきか、なさざるべきか

転職の是非

転職の技術がなぜ求められているか

転職はなぜ不道徳と考えられるのか?

第2章 従来の転職の「方法論」の問題

従来のキャリア戦略の問題点

第3章 いい偶然を呼び込むには

第4章 「攻め」の転職と「逃げ」の転職

「逃げの転職」の注意点

「攻めの転職」の注意点

第5章 エモーショナル・サイクル・カーブへの対処

 

となっている。

 

もっとも、最初の方で

 

産業や社会が安定的に発展していた 2 0世紀後半のような時期ならともかく 、現在のような変化の速い時代には 、こういったバックキャスティングのキャリア設計はうまく機能しないのではないかと私は考えています 。これは当の産業組織論をベ ースにしたロジカルな競争戦略論の限界が露呈しつつあるのと同じことで 、次に紹介する研究結果もこの仮説を支持しています 。

 

と、2012年の出版ということもあって、日本型雇用批判が根っこにあるのは間違いないのであるが、

 

いまの制度下では 、 3 0歳を過ぎたころから自分で働いて得た金の一部をデポジットとして会社に預け続け 、定年前の 1 0年間に 、実質的には仕事をせずに年金のような形で払い戻してもらう仕組みになっているので 、ある程度以上の年齢になると 、預けているデポジットの累積額が大きくなり 、転職できなくなるからです 。会社にロックインされてしまうわけですね 。まさに飼い殺しになるわけです 。私が常々 「会社と従業員との関係は貸し借りなしがいい 」と主張しているのも 、その点に大きな理由があります 。

 

という主張とともに

 

実際に仕事をやってみて 、自分がどういうときに達成感や幸福感を得られるか 、が少しずつ見えてくる 。そういう経験を経た上であれば 、より達成感や幸福感を得られる仕事の純度を高めるような転職を志向することも可能ですが 、こういった達成感は 、最低でも 2 ~ 3年程度の経験を積まないと得られないものではないかと思います.

 

であるとか

 

自分が何かの意思決定をしようとしているとき、その選択は本当に内発的な同期なのかどうかをいま一度考えてみる、といおうのも、転職を検討する際の大事なポイントだと思います。

 

といった風に、無闇矢鱈の転職の勧め、フリーへの勧めではないところに、勤め人として古い世代に属する当方としては、ぞわぞわせずに冷静に話を聞くことができる。

 

そして、数度の転職経験をもとに

 

従業員にとって実は最も虚意宇力な反対意見表明の方法は「退職」なのだ、ということがお分かりいただけると思います。是非の判断は留保するとしても、とにかく実態として日本企業のガバナンス構造においては、従業員が経営者に対して強く反対表明をする方法は退職以外にない、ということなのです

 

といったあたりは、日本企業の雇用構造ないしは内部の権力構造の本音のところ言い当てている。

 

で、当方が、転職の賛否双方に目配りがされている本書に注目するのは、年金受給年齢も上がり、平均寿命も上がり、という時代になって、一頃のように「人生で一つの職場」というのが、多くのサラリーマンで不可能になる。つまり退職後の「第二の人生」ではなく、退職後の勤め先も人生最初のそれと「対等な勤め先」になった時代を迎え、「転職」の持つ意味が変わっているのではと思うからなのである。

極論を言えば、人生100年となり、多くの人が「転職」をして、第二、第三の職場を経験せざるを得ない時代になりつつあるのでは、ということで、このあたり「LIFE SHIFT」の主張と重なってくる。

 

さて、そんな時代にあっては、

 

「転機」というのは単に「何かが始まる」ということではなくて、むしろ「何かが変わる」時期なのだ、ということです。逆に、「何かが終わる」ことで初めて「何かが始まる」とも言えるのです。

 

であったり、

 

ここで重要になるのが「中立圏」です。一見、どっとつかずの宙ぶらりんな段階に見えるかもしれませんが、それは決して消極的なものではない、ということに注意してください。慣れ親しんだもの、去りつつあるものを見つめつつ、それがなくなてもやっていけるように過去を統合しながら、わくわくもするけれど不安もある世界に、気持ちを少しづつ向けていく、という大事な時期なのです

 

といった風に、「職を変わる」といったことに対する意識も変化させないといけないかもですね。

イノベーションはベンチャーの専売特許ではない? — 中野剛志「真説・企業論ービジネススクールが教えない経営学」(講談社現代新書)

一頃のベンチャー企業の育成施策が大流行りの状況が今も続いているとはいえないが、大企業が逼塞したり、ものづくりの勢いが鈍ったり、さらには「働き方改革」といった状況から、何か困るとベンチャーがどうこう、という状況は変わっていない。

 

本書は、そんな中で、ベンチャー企業、起業というものについて、ちょっと斜めからではあるが、冷静な分析であろう。

構成は

第1章 日本でベンチャー企業を増やすには
第2章 起業大国アメリカの真実
第3章 ベンチャー・キャピタルの目利き術
第4章 最強の起業家は誰か
第5章 オープン・イノベーションの本質
第6章 なぜイノベーティブな企業の方が負けるのか
第7章 なぜ日本経済は、いつまでも停滞から抜け出せないのか

となっているのだが、例えば、アメリカのベンチャービジネスについての

1990年代以降、アメリカでは世界的なIT企業がいくつも誕生しましたが、アメリカ全体の生産性は停滞しており、アメリカの労働者の実質賃金も低迷し続けています。IT企業の隆盛が、アメリカ国民を豊かにしたのかどうかは、必ずしも明らかではないのです(P57)

といった「政府の偉い人が言ってたことと違うんじゃん」と文句をいいたくなるあたりから始まる。

そして、日本のベンチャーや企業風土の遅れを指摘する識者がよく言う「長期雇用」については、

競争力のある企業が長期雇用を採用しているというのは、日本に限ったことではない。例えば、驚くべきことに、アメリカ最強の投資銀行であるゴールドマン・サックスは長期の人材育成を重視しており、しかも、2000年代以前までは、上級幹部は社内の生え抜きに限定する慣行があった(P149)

長期の競争力が強い企業は、長期雇用を重視するのか。・・長期の競争力の厳選は人材にあり、そして人材の育成や見極めには、その人材と長期にわたって付き合う必要があるからだというのです(P150)

とよく言われる「アメリカ」の別の姿を示したり、ベンチャー企業の生産性についても
シェーンは、一般的なベンチャー企業は、生産性が低いと述べています。もし、そうだとすると、景気と開業率の間の関係は、やはり景気が良いと開業率が上がるのであって、開業率が高いと景気が良くなるのではない(P53)

と冷や水を浴びせてくるところは、主流派には煩く感じるだろうな、と推測する。

ただ、筆者もベンチャーを否定しているわけではなく、

イノベーションには、多様な価値観がぶつかりあって、新たなアイデアが生まれるような環境が必要。まさに、シリコンバレーは、そういう場だとして賞賛されてきたが、事業を多角的に展開している大企業グループもまた、そのような多様性を生み出す環境を提供している(P108)

シリコンバレーの成功の秘訣が、その濃密な人的ネットワークにあるとするならば、私たちはシリコンバレーを羨ましがる前に、そもそも企業組織というものは、濃密な人的ネットワークのかたまりであることを思い起こすべき(P116)

といったようにイノベーションの解答が「ベンチャー」だけにあるのではなく、イノベーション環境の構築が実は組織的な大小よりも重要であることを主張し、ともすれば単純な大組織批判、日本批判に全てを帰そうとする論調を戒めていると拝察する。

もちろん大企業病というように組織の大きさが必然的に内包してしまう問題もあるし、組織の小ささゆえの限界もある。ただ、日本のイノベーションが生まれないという指摘への解答は、組織の大小でも、日本的特徴でもなく

共同体的な集団を解体してオープン化すればするほど「個」は見失われていくのです。そして、イノベーションも生まれなくなるのです。イノベーションを生み出したければ、企業を本当の意味で「共同体的な集団」へ変えることです。そして、社外のアイデアを取り入れる場合には、社外との関係をも共同体的にすることです。
まさに、シリコンバレーという地域共同体がそうであるように。(P158)

「長期の競争」とは成果が出るまでに時間のかかるイノベーションにおける競争です。これに対して「短期の競争」とは、収益性の競争であると言いかえられます。そして短期の競争には、イノベーションの競争はあり得ません。なぜなら、イノベーションは短期間では生まれないからです(P163)

と、イノベーションを生む環境というものを、具体的に考えないとね、というしてきてのように思える。

そして最後の方では

つまり「アメリカではの守」が提唱する経営手法や制度は、日本にはなじまないというだけではなく、アメリカでもうまくいっていないのです。言い換えれば、「アメリカではの守」は、実は、自分ちが憧れてやまないアメリカのことをよく知らないのです。
そう考えると、過去20年以上にもわたって、いくら構造改革をしても日本で起業が増えず、経済が活性化しないのも、当然であると言えるのではないでしょうか。なぜといって、イノベーションを起きにくくし、開業率を下げたアメリカの1980年代の政策を次々と模倣してきたのですから。
要するに、構造改革が足りないから日本経済がダメになったのではなく、構造改革をしたからダメになったのです。(P220)

と最後っ屁のようなことも漏らされてはいるのであるが、ここは「ではの守」の方もそうでない方も、冷静に「日本のイノベーション」を活性化する方策を力を合わせて考えるべきなんでしょうね。

最近珍しい「熱い」ビジネス本 — 金川顕教「すごい効率化」(KADOKAWA)

最近、効率的な仕事を目指すノウハウ本やビジネス本も、働き方改革の時代を反映してか、ソフィスティケートされたものが増えているようなのだが、こちらは

一般的に仕事ができる人というのは、孤独な人でもあるのです。やはり人よりも結果を出せるということは、みんながやらないことをやり続けられるからであって、そういう人はどこかで一人孤独に作業しているものです。  そのため、人が遊んでいる時間や寝ている時間に、家族や同僚と離れ、孤独に耐えて朝活・夜活をするのは、一流になるための第一歩と言えます。(位置253)

とあるように、かなりハードボイルドなビジネス本である。

構成は

1日目 決まった場所と時間を作る

2日目 パソコン環境を徹底的に整える

3日目 操作・入力をほぼ自動化する

4日目 時間を断捨離する

5日目 CAPDでまず検証する

6日目 頭が良くなる「箇条書き記録法」

7日目 しないことリストをつくる

8日目 自分だけではなくチームで効率化する

9日目 50%で見切り発車する

10日目 超効率・情報収集術

11日目 超効率・時間管理術

12日目 睡眠を極める

13日目 食事や運動にこだわる

14日目 コミュニケーションを極める

となっていて、本書によれば「これらを14日間で学び、すべて実戦していただければ、たった2週間で理想の自分まで辿り着くための道筋を描くことが可能となります」とのこと。

まあ、そこまで気張らずともよいが、メソッド的には結構豊富に用意されているのは確か。

例えば、「朝活・夜活」の場所については

どこの店がおすすめというのは特にありません。カフェでも、マックでも、夜なら一人居酒屋でもかまいません。  私は店の形態や場所よりも、自分専用の席を確保できることが重要だと考えています。すなわち、「ここにいつも座る」という「マイ席」を持てる店です。(位置266)

とか

いつも注文メニューは同じにすることです。例えば、朝は常にアイスティを頼み、このサンドイッチを食べる、といったように、毎日ルーティン化します。夜、居酒屋でやるなら、常にビール1杯頼んで、その時間だけ集中するとしてもいいでしょう。  意識すべきは、「ここに来たら常に仕事のための作業をする」、その習慣を身体に覚えさせることです。(位置279)

とか、店にこだわるのではなく、シチュエーションに拘るところが、バリバリのビジネス本らしい。

さらには、2日目の「パソコン環境」のあたりでは「資料は紙ではなくデータでとっておくべきです」(位置361)や「手帖やノートは使わず、メモはすべてパソコン化スマホで取るようにするのです」(位置370)など、とかくアナログな記録がメインの日本の昔ながらの職場ではちょっと勇気のいる提案もあるが、すべて出来ないにしても、できるだけ尖った仕事のやり方を心がけたほうがかえって楽になることもあるのは確かである。

また、もう一つ注目しておきたいのは、最近流行りの「PDCA」ではなく「CAPD」のススメ。というのも

普通にPDCAで計画を立てることから始めるのは非常に危険だというのが私の見解です。理由は、まだやっていないことはそもそも有効な計画が立てられないからです。(位置729)

というのは卓見で、

例えば、試験に受かった人はどうやって勉強していたのか? 一方で落ちた人はどうしていたか? 不合格の人はどこを改善すればよかったのか?──そうした評価の視点から、改善点を理解したうえで計画を立て、実行すれば、より確実に結果に結びつくはずです。  世間で広く知られるPDCAではなく、チェック・検証から始まるCAPDサイクルを回すこと。これこそが、本当に効率的な手法なのです。

というのはなるほどね、と思いつつも、身近に「C(チェック)」の手本のない「先例」のない場合のメソッドは、もうひと工夫いるということであろう。

もっとも、情報収集の一番効率的な方法として「本をよむことを」をあげ、しかも「同じテーマのものを何冊も読む」「メモをとったりSNSに投稿したり、インプットと同じ割合のアウトプットをする」といったオーソドックスなこともおさえてあるので、レイト・マジョリティの人も抵抗はなかろう。

さて、後半部分の「見切り発車力」とか

毎日集中力を保ち、やり続けるにはどうすべきか。究極的には集中力を上げようとしない状態になることです。

ではそういった状態に持っていくためには何をすべきか。まずは覚悟を決めて自分を追い込むことだと思います。(位置1462)

とか、力溢れるビジネス本特有の熱っぽさに、ちょっと引いてしまう人もあるかもしれないが、ビジネス本は、その人がその人なりに読めば良い、というのが当方の持論である。そう思えば、この本の「熱さ」も、良い示唆を鋳いく含んでいると思うのだがいかがであろうか。

ドラマチックでもなくセンセーショナルでもない「女性の貧困」問題は、社会意識の問題もあって、かなり根深い — 飯島裕子「ルポ 貧困女子」(岩波新書)

貧困問題が取り上げられて久しいのだが、「女性」の貧困をとりあげるばあい、とかく”性的”な色合いが加味されたり、シングルマザーに焦点が当てられるものが多いような気がしていたのだが、本書は「ドラマチックなストーリー」のない「センセーショナルでない」「女性の貧困」を取り上げる数少ないものといっていい。

構成は

序章 女性の貧困とは

1章 家族という危ういセーフティネット

2章 家事手伝いに潜む闇

3章 正社員でも厳しい

4章 非正規という負の連鎖

5章 結婚・出産プレッシャー

6章 女性の分断

終章 一筋の光を求めて

となっていて、女性の貧困のうち「実家にパラサイトする女性」「ニート・ひきこもった女性」「パワハラなどで仕事をやめた後、非正規になった女性」などなど、どちらかというと人目はひかないが、確実に、しかも多数存在する「貧困女性」の姿を、多くのインタビューをもとに構成されているのだが

女性の場合、「貧困」と「不安定雇用」はデフォルト(初期値)であることだ。・・取材対象者について、未婚で仕事が不安定(非正規あるいは無職)ということ以外、年収等の条件を設けなかったのだが、・・現在無職の人はもちろん、働いている人も「ワーキングプア」と言われる年収200万円を下回っていた。(P10)

働く女性の数は増え続け、1992年には専業主婦の数を上回った。しかし、その大半はいわゆる”主婦パート”と呼ばれる非正規雇用であった。男性稼ぎ主による包摂が前提のため、彼女たちの労働は家計補助として捉えられ、自立による賃金や待遇は得られない。こうして非正規で働く女性たちは雇用の調整弁として利用されてきたのだ。

しかし、実際には非正規女性=主婦パートばかりではなかった。時間的に非正規でしか働けないシングルマザーや単身で暮らすシングル女性の中にも、非正規雇用に従事している人は多くいた。しかし、待遇の悪さは問題になってこなかった、なぜなら彼女たちは「例外」であり「残余」であったからだ。(P12)

という事情もあるのだが、「男性稼ぎ主モデル」という長らく日本を支配してきた人生モデルのせいで、あたかも「透明」であるかのように扱われてきた「女性」に関する問題を表へ出してくる取組でもある。

とはいうものの、男性の貧困問題が教育環境の問題であったり、不況の問題であったりと、どちらかといえば外形的に捉えやすいものが多いに対し、「女性の貧困」は社会構造に根っこをもっているものが多く、なんとも複雑で、一刀両断に解決、といったことにはならないようである。

もちろん

高卒女性の需要が多いのは販売員やウェイトレスなど、雇用の非正規化が進んでいるサービス系の職種。かつて高卒女性には事務職の需要が多くありましたが、今、事務職は大卒女性で占められるようになっています。結果として高卒女性の仕事は非正規がメインになってしまう(P104)

といったことや

就職氷河期は多くの若者に厳しい試練を与えたが、最も影響を受けたのは、もはや”主流派”ではなくなっった短大卒の女性たちであった(P175)

バブル崩壊のみならず、グローバル化やオフィスのIT化によって「一般職」が担ってきた事務的、補佐的な仕事が減少してきたという背景もある。女子就職の多くを占めてきた「一般職」の削減はその後も進み、「契約」や「派遣」などの非正規に置き換えられていった(P176)

など、労働環境や経済環境に根ざすものも当然あるのだが、それに加えて

女性の場合、実家で家族と暮らしているとその中に潜む問題はほとんど可視化されることがない。これは男性と同棲している場合も同様だ(P41)

といった女性特有の問題が、一層複雑度を増している上に、政府も

政府が目指す、結婚→妊娠→出産→育児という”切れ目のない支援”は、各段階を踏まない家族、たとえば「結婚」を経ない非婚の母などは、望ましい「家族」と認めないという発想の表れに思われてならない。・・・家族の形が多様化しているにもかかわらず、いまだに”古い家族像に拘泥した少子化対策を行っている日本は時代に逆行していると言えるだろう(P161)

といった風で、昔ながらの「家族意識」が施策の考え方の土台になっていることも否めない。

どうもこの問題、「景気がよくなれば解決するさ」、ともいかないようだ。筆者の言う

私は女性が貧困から脱する一つの方法は、この「多様な選択肢」という考え方、すなわち結婚を前提とした意識を捨て「世帯主」としての意識を身につけることだと思っている。それは既婚女性も同様だ。当然、意識だけではなく、税や社会保障など世帯単位のものを個人単位に変えていく必要もある。

貧困率にしても世帯収入で見るため、一人暮らしをしない限り、女性の貧困が不可視化されてしまうことは、これなで書いてきた通りだ。世帯に隠れてしまうと貧困であることすら認めてみらえない女性の状況を可視化させるためにも、”世帯主”を意識することは重要な第一歩であると言える。(P219)

といったソフト面から始めないといけないとしたら、時間もかかるし、かなりの難物ではある。これから、AIによって職業構造も大変化するであろうし、さて、どうしますかね。

「働き方改革」の行方を暗示する、日本人の”勤勉性” — 礫川全次「日本人はいつから働きすぎになったのかー<勤勉>の誕生」(平凡社)

どうやら、「働き方改革」の目指す方向は、”生産性の向上”という極めて日本的な方向を目指し始めたようで、その意味で、多くの経営者・労働者や、コンサルタントの方々には扱いやすい話になりはじめているようだ。

本書はそんな情勢に棹さすという意図はないのであろうが、結果的に、日本人の「働く」ということの根底をぐらりと揺らしているのが面白い。

構成は

序章 日本人と「自発的隷従」

第1章 日本人はいつから勤勉になったのか

第2章 二宮尊徳「神話」の虚実

第3章 二宮尊徳は人を勤勉にさせられたか

第4章 浄土真宗と「勤勉のエートス」

第5章 吉田松陰と福沢諭吉

第6章 明治時代に日本人は変貌した

第7章 なぜ日本人は働きすぎるのか

第8章 産業戦士と「最高度の自発性」

第9章 戦後復興から過労死・過労自殺まで

終章 いかにして「勤勉」を超えるか

となっていて、日本人が「勤勉」になった歴史的な時期の解明に始まって、日本人の「勤勉性」に及んでいくといったところ。

本書によれば、日本人の勤勉性は

日本では江戸時代の中頃に、農民の一部が勤勉化するという傾向が生じた(P27)

能登国鹿島郡の農民たちは、江戸中期以降、長時間労働を苦にしなくなり、むしろ「労役に耐ゆる」のを誇りとするようになったらしい。経緯は不明だが、江戸中期のある時点において、彼ら農民の間に、勤労を誇りとするような「倫理的雰囲気」(勤労のエートス)が形成され、彼らを内側から、勤労へ勤労へと突き動かしていったのであろう(P30)

と言った風で、その象徴として「二宮尊徳」があげられるのだが、そうでありながら、下野国桜町領のように

江戸後期の日本には、断固として「勤勉」になることを拒む農民たちが存在していた、という厳然たる事実である(P71)

といったことは、「日本人は勤勉」という固定観念をぐらつかせていて小気味いい。

とはいうものの、この勤勉性が

「日本的経営」の本質は。従業員の「参加意識」の形成にあった

(中略)

企業への「参加意識」を高めた労働者は、自ら進んで労働し、会社のために働くことを「生きがい」と感ずるようになってくる。「我が家は楽し」ならぬ「わが社は楽し」の世界である。日本の高度成長を支えたのは、このように、働くことを「生きがい」と感ずる労働者の存在であったと言ってよいだろう。(P216)

と、今の日本の経済的な地位を築き上げたことは間違いないのだが、

今日においては、日本人の美徳であるはずの勤勉性が、深刻な社会問題を引き起こすという事態に立ちいたっている(P10)

といったことも事実であろう。

さりとて「働き方改革」が「生産性の向上」改革に変わったという日本のメンタリティを考えると、筆者が最終章でいう

本書が、この終章で主張しようとしているのは、なぜ人間は「勤勉」でなくてはならないのか。なぜ「怠惰」ではいけないのか、「怠惰」でもいいではないか、いや「怠惰」であるべきではないか、といったことである。(P228)

も、なかなか難しいのでは、と思わないでもないのだが、さて、どうなりますか。

「働き方改革」の基本施策は、働く意欲のでる職場づくりにおくべきでは — 見波利幸「心が折れる職場」(日経プレミアムシリーズ)

政府から「働き方改革」が声高に言われるようになったな、と思っていたら、いつのまにか「生産性向上」の声に模様替えが始まっていて、いやいや、働き方改革と生産性向上は被さる所はあっても、同一ではないでしょ、とつぶやいてはみるんだが、当方の声が小さいせいか、あちこちには響かないというのが実態。

本書は、そんな小さい声を代弁してくれるような「働きやすい職場とは」、「嫌にならない職場とは」といったことを、おざなりの机上論ではなくて、分析的に提示してくるれる。

構成は

1章 飲み会が少ない職場は危ない

2章 「アドバイス上手」な上司が部下の心を折る

3章 なぜ運動部を経験していないと、心が折れやすいのか

4章 90分のメンタルヘルス研修で、不調者が増える理由

5章 心が折れない職場とは

となっていて、様々な職場の様相を示してくれながら、「心が折れない」職場の姿を明示してくれるつくりとなっている。

そもそも「心が折れる職場」とは

職場におけるコミュニケーションについて「部下からのホウ・レン・ソウが一番重要だ」という意識が強い上司がいて、部下との適切な関係を構築できれいないケースが多すぎます。

「部下からのホウ・レン・ソウが一番重要」ー。この意識をもっているということは、「報告・連絡・相談」を部下に任せて、自分からは能動的なコミュニケーションを図る気がないということだからです。(P24)

であったり、

長時間労働自体は、メンタル不調の「1つの要因」にしかすぎないと確信するようになりました。つまり、長時間労働イコール不調の原因ではなく、その根底にある「仕事との向き合い方」「仕事に対する意識の在り方」が根本的に重要なのです(P37)

「成果主義」というシステム自体が、メンタル面で問題を引き起こす直接の原因になっているとは考えられません。

(中略)

成果主義のどこに問題があるのか。それは多くの会社で、社員の働きをフェアに評価できていないこと、あるいは、制度の導入の動機が、単に人件費をカットするためになってしまっていることです(P51)

といったことであるらしく、よくいわれる労働時間といった外形的なものが要因ではなくて、職場の雰囲気、上司・同僚の雰囲気といったソフトなところが「心が折れる」「折れない」の分岐点であるようだ。

続きを読む

ベンチャー企業こそ「働き方改革」は必要であるし、効果的であるかもしれない — 駒崎弘樹「働き方革命ーあなたが今日から日本を変える方法」(筑摩Books)

「働き方改革」という言葉が声高に言われれば言われるほど、その実態がよくわからなかくなっているような気がする。というのも、本来は、「Work」の形を考え直してみようという「ライフスタイルの変革」の問題としてとらえるべきものであったと思うのだが、「生産性の向上」とか「仕事の効率化」という、いつもながらの第2次産業の効率的操業的なベクトルで語られることが多くなっているようの思えるからだ。

ただ、まあ労働時間を短くすれば、仕事以外のことにも目が行くじゃね、と割り切って考えるのも、「ライフスタイルの変革」にとっては一つの方策といえ、本書のように「ベンチャー企業で如何に仕事時間を短くするか」というのも、単純ではあるが、有効な手法であるのかもしれない。

構成は

序章 なぜこのような本を書かざるを得なくなったのか

第1章 自分が働くことで、誰かを壊している

第2章 自分のライフビジョンて、何だろう

第3章 「働き方革命」の起点ー仕事のスマート化

第4章 「働き方革命」でたくさんの「働く」を持つ

第5章 「働き方革命」が見せてくれた世界

終章 「働き方」を革命し、日本を変えよう

となっていて、筆者が、国の審議会の委員としてその会議での「なんともいえない齟齬感を感じるところから始まっていて、そのあたりが執筆の動機でもあるようだ。

さて、執筆動機は置いておいて、ベンチャー企業での「時短」の技術論は

目標を言語化し、明示化することによって、とりあえずやることが分かって安心するし、モチベーションが湧いてくる。そう思うと、今まで考えたこともなかったが、仕事を含めて人生全体、それ自身も仕事の、あるいはプロジェクトのようなもので、こうありたいな、というものを描いて、それに向かって手と足を動かしていくとゴールまでは意外と行けるのかもしれないぞ、と。これまで仕事は仕事のやり方でやり、プライベートは仕事よりも相当優先順位が低いところで、特に何も考えず受身でやってきた。けれど、「働き方革命」によって仕事もプライベートも統合(インテグレート)して、それを一つのプロジェクトとして捉えることで、日常の日々そのものが歯ごたえのある、やりがいのある毎日に変わっていくのではないだろうか?

とか

①一つの会議は1時間半を越さない。

②議事録はプロジェクタで映し出しながら、その場で取る

③議題は前日までに出し、議題にないものは議論しない

④タスクは会議の場で期限を決め、次の会議が始まる前までに進捗をグループウェアに貼る

⑤定例会議ごとにファシリテーター(司会)とロガー(議事録作成者)を決め、彼らが会議の内容と時間に責任を持つ  こうしたルールを決め、それを実行させた。

とかあるのだが、「働き方改革」の一番の肝要は

ダイエットと言っても、仕事の量を減らす、ということではない。仕事にかけていた時間を絞る、と言った方が良いかもしれない。つまり、これまで湯水のごとく使っていた時間を節制しつつ、同じだけ、いやそれ以上の成果を出す、ということだ。

と「労働」「働く」というものを捉え直すことにあるような気がするのである。

その反面

社員に残業するなと言う手前、僕がたくさん残業をして働くわけにはいかなかった。その代り朝4時に起きて、彼女が起きてくる7時まで仕事をすることにした。その日にやるべきことで最も重要なことを、朝の3時間で片付ける。朝はタイムリミットが明確なので、集中が強要される。重要だけれども気の重い仕事のオンパレードを、朝のテンションの高さで乗り切る。

といった風に「綺麗事ではないよね」というところをきちんと書いてくれるところが筆者の誠実さであろう。ま、こういった仕事のスタイルの変革が「働くスタイル」の変革に結びつくのが一番よい進め方であるとは思っていて、とりわけ、ブラックと紙一重、あるいは成り上がるためには時間外労働なぞ屁でもない、といった「ベンチャー」から、こういった取組が出るのは、目出度きことであるよな。

さてさて、政府のいう「働き方改革」の行く末がどこなのか、当方のはいまいち見えてこないのも確かではある。それは、地方創生→一億総活躍→働き方改革という流れで進んでいるところに、何かしらきな臭いものを感じて、「進め一億火の玉だ」を連想してしまうのは考え過ぎではあろうが、うーむ、なんとも、という感じである。願わくば、「労働生産性向上」といったことではなく、「ライフスタイルの改革」にまで、この「働き方改革」がすすめばよいのでありますが。

「働き方改革」はWorkの根本課題に取り組めるか — 常見陽平「なぜ、残業はなくならないのか」(祥伝社新書)

過労死問題をきっかけに「働き方改革」が声高に主張されはじめているところで、管理者側、労働者側あるいは政府側から、様々に論じられている最中なのだが、感情論が混じってしまいがちで、熱っぽい議論ほど薄っぺらに感じてしまう。

そうした中にあって、どちらかというと斜向いから論じてくる常見陽平氏の論は、先の「就活」や「モバイルワーク・ノマドワーク」を論じていた時と同様に一面的でない視点を提供してくれて貴重なものといえる。

本書の構成は

第1章 日本人は、どれぐらい残業しているのか

第2章 なぜ、残業は発生するのか

第3章 私と残業

第4章 電通過労自死事件とは何だったのか?

第5章 「働き方改革」の虚実

第6章 働きすぎ社会の処方箋

となっていて、そもそもの労働時間の分析から始まって、

イギリス、スウェーデン、フランス、ドイツなどよりも一人あたり平均年間総実労働時間は長いものの、日本「だけ」が長いわけではない。1980年代から現在にかけての30年の変化をみると、労働時間は徐々に減ってきている

と冷静に現状を分析するあたり、熱に浮かされた議論が始まりがちな労働問題にはちょうどよい冷たさであろう。さらに、こうした「働き方」論における欧米礼賛に向かって

これはシステムの違いとして捉えるべきである。好況期には残業で対応し、不況期には残業と賞与を抑制して乗り切る国と、その分の人員を削減することで乗り切る国のモデルの違いである。

というあたりも小気味よくはある。かといって、単純な「日本優位論」ではもちろんなくて

日本における残業の根本的な問題は、仕事の任せ方である。残業は仕事の任せ方に起因する部分があるのだ。

言うなれば「仕事に人をつける」のか「人に仕事をつける」のかという違いである(P67)

「仕事に人をつける」という世界観では、業務内容や責任などを明確にすることができる。そうであるがゆえに、仕事が定型化しやすい。仕事の引き継ぎもしやすい。採用時も仕事が定型化、標準化しているので、選考時にその業務にあった人材かどうかを判断しやすい。

一方、「人に仕事をつける」という世界観においては、ある人に複数の業務が紐付けられることになる。特に中堅・中小企業においては、営業、企画など職種を超えた仕事が任されることになる。これを繰り返していくと、仕事の範囲が無限に広がっていく (P68)

といったように、日本型の「働き方」の功罪を的確にいいあてるところは、労働問題・働き方について厳しくはあるが冷静な視点が揺るがない筆者らしいところであろう。さらに「労働生産性」「ダイバー・シティ企業」といったものについての

(国際比較でいわれる)労働生産性が高い国とは、金融センターか資源を持っている国、あるいは都市国家など小規模の国だ(P178)

このコンテスト及びレポートについて、1点目は「ダイバーシティ」「ワーク・ライフ・バランス」を推進するメリットについて、擬似相関の疑いがあることだ、2点目は、紹介されている取組の成功要因が、真因だと言えるのかという疑いである。 (P182)

というあたりは少々手厳し過ぎるかもしれない。

途中、電通過労死事件の教訓として、会社の認識の甘さを指摘しつつも、「社内ではいつも新しい仕事が生まれており、変化している」「「なんでもやる」「成長を求められる」日本型正社員モデル」「会社と居場所」という新たな問題の提示もしつつ、最後のほうで

・1週間のうち、働く時間を決める

・一つの仕事にかける時間を決める

・時間が美しく流れるようにする

・仕事の命中率を上げる

・時間のへそくりをつくる

・楽しいアポから先に入れる

・朝の時間を活用する

・自分だけで抱え込まない

・お金で時間を買うという手もある

・自分のキャラを理解してもらう

という筆者なりの「すり減らない働き方」の提案もあるので、詳細は原本で確認してほしいとこ。

筆者も言うように

「働き方改革」は所詮「働かせ方改革」である。・・だからこそ「いかに働かないか(働かせないか)」「いかに一生懸命働かないことを許容するか」という発想がないかぎりは、画餅に帰してしまうのである(P234)

というところを踏まえて、昨今の論議が、「時間外短縮」という些末なことではなく「働き方」の論議となれば、と思うところなのである

ブラック企業問題の芯にある原因は「気綺麗事の社会」であるか — 今野晴貴「ブラック企業2 「虐待型管理」の真相」(文春新書)

前作「ブラック企業」で、日本の労働問題の重要な課題となっている、ブラック企業の実態を赤裸々にしたのであるが、本書は、その第2弾。

構成は

序章 ブラック企業問題とはなんだったのか?

第1章 わかっていても、入ってしまう

第2章 死ぬまで、辞められない

第3章 絡め取り、絞りつくす

第4章 国家戦略をも侵食するブラック企業

第5章 なぜ取り締まれないのか?

第6章 奇想天外な「雇用改革論」

第7章 ブラック企業対策ー親、教師、支援者がすべきこと

終章 「ブラック国家」を乗り越えて

となっていて、前半が「ブラック企業」ということが言われるようになってもなぜ若者はブラック企業に入るのか、後半は著者の「ブラック企業」対策。

当方として興味深く読んだのは、前半の「若者はなぜブラック企業に入ってしまうのか」といったところで、

結論から言えば、被害者の多くはブラック企業に積極的に入社し、また、ムズから「辞めない」で働き続けている(P4)

といったところから始まるところは、「ブラック企業」の原因の複雑さを垣間見せる。

さらに

厄介なことに「上昇志向が強い」学生ほど、巧みにブラック事業に絡め取られ、「自ら」入社してしまうリスクが高いのである。そしてこの事例が意外にも多い(P41)

「ブラックだ」という噂が多少あっても、「自分は大丈夫」「自分を信じているから」「自分の目で確かめたから」といった「殺し文句」で自分自身を煽り立てていくのである(P57)

といったところは、ブラック企業問題が、実は今の「競争こそが正義」という思考の現れであることを示しているし、

問題の根には、日本全体に潜む「過剰労働への憧れ」があるように思うのだ。

両親の話、テレビで見た成功者の物語、ある種の「伝説」のようなかつての成功談を「自分の像」と重ね合わせる。苦労して歴史に残るようなプロジェクトを達成したビジネスマン、リーダーたちを見聞きして育った世代。たとえ、10人に1人の成功者で、うつ病になる人が絶えないといわれようとも、勝ち残った「成功者」こそがめざすべき「自己像」だと思う。そんな若者の心理こそが、ブラック企業が付け入るものの正体ではないだろうか。(P63)

というところは、「ブラック企業」問題が、実は、日本の雇用や成功神話に裏打ちされているもので、けして、アウトロー企業の問題ではない、ということを明らかにしているのである。

であるなら、その解決は、労働意識そのものを変えないといけないわけだが、筆者の言うような

「全員が会社の中核的社員になって、年功賃金をもらうようにしなければならない」「エリートを目指さなければならない」という固定観念が支配している限り、「ブラック企業の労務管理」は成功してしまうのだ。(P152)

ということを解決するために、日本人の意識があちこちと分散するのはちょっと現実的でない。むしろ、

「生きることよりも仕事」という理想像は、あまりにも純粋で、従来の仕事へと没入した日本的「エリート像」からも圧倒的にかけ離れているのである(P149)

といったことを肯定し、仕事はたくさんの生計費を得たいから、といった生な声をより言える社会にするほうが近道のような気がするのだがいかがであろうか。

ブラック企業の悪影響の大きさと悪辣さに愕然とすべき — 今野晴貴「ブラック企業ー日本を食いつぶす妖怪」(文春新書)

残業の削減とか、パワハラ・セクハラといった職場環境の問題は昔からとりあげられてきていたのだが、それが国家的な課題として政府や自治体を動かし始めたのは最近のことのように思う。もちろん、電通事件のようなセンセーショナルなものが引き金となったのは間違いないが、それ以上に、本書で取り上げる「ブラッキ企業」や「ブラックな雇用形態」が、あちこちにはびこり始め、特定の業種や個人の運不運の問題としてかたづけられなくなったことの現れではあろう。

構成は

第一部 個人的被害としてのブラック企業

第1章 ブラック企業の実態

第2章 若者を死に至らしめるブラック企業

第3章 ブラック企業のパターンと見分け方

第4章 ブラック企業の辞めさせる「技術」

第5章 ブラック企業から身を守る

第二部 社会問題としてのブラック企業

第6章 ブラック企業は日本を食い潰す

第7章 日本型雇用が生み出したブラック企業の構造

第8章 ブラック企業への社会的対策

となっていて、もちろん、社会的な課題解決の方策を考えるために本書を読んでもいいし、それが本来なのであろうが、21世紀日本の労働形態の一断面を垣間見るルポ的な眼で読んでもよいだろう。

それは、「ブラック企業」という問題が、雇用という個人的な問題ではなく

「若年者雇用問題=非正規雇用の不安定」という構図の理解は、しかしながら新しい問題を引き起こすことになった。非正規雇用という貧困状態への恐怖が、今度は若者を正社員をめざす苛烈な競争に駆り立てたのである(P18)

という、我が国の雇用に関しての意識が生み出したものに相違なく、ブラック企業の特徴が

共通する特徴は、入社してからも終わらない「選抜」があるということや、会社への極端な「従順さ」を強いられるという点である。また両社とも新興産業に属しており、自社の成長のためなら、将来ある若い人材を、いくらでも犠牲にしていくという姿勢においても共通している。経営が厳しいから労務管理が劣悪になるのではなく、成長するための当然の条件として、人材の使い潰しが行われる。(P61)

ということからしても、現代日本の社会が生み出した、構造的な問題であることが明らかであって、そこは「雇用改善」という表層的なことでは解決せず、「日本の意識」そのものを変えていく壮大な努力が必要な課題であるかもしれないのである。

とはいうものの

選別のために辞めさせるも、辞めさせずに使いつぶすも彼ら次第。いわば、ブラック企業は「生殺与奪」の力を持っている。また、ブラック企業はこうした支配の力を、利益を最大化させるために用いるという意味で、行動に一貫性を持っている。「辞めさせる」ことも「辞めさせない」ことも、同様に、あくなき利益追求に端を発している(P99)

部下や社員には見ず知らずの他人以上に何をしてもいいのだというおかしな価値観が、職場を支配している(P100)

といった職場環境、企業環境が放置されて良いはずはないのだが、さて、政府の「働き方改革」はどこまで、切り込めることができるんでありましょうか。とりわけ、インターシップの利用による過重労働は、日本企業だけでなく、グローバル企業共通の話として聞かないわけでもなく、なんとなく、ラスボスの強敵さにドギマギっしてしまうのであるが・・。