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ベンチャー企業こそ「働き方改革」は必要であるし、効果的であるかもしれない — 駒崎弘樹「働き方革命ーあなたが今日から日本を変える方法」(筑摩Books)

「働き方改革」という言葉が声高に言われれば言われるほど、その実態がよくわからなかくなっているような気がする。というのも、本来は、「Work」の形を考え直してみようという「ライフスタイルの変革」の問題としてとらえるべきものであったと思うのだが、「生産性の向上」とか「仕事の効率化」という、いつもながらの第2次産業の効率的操業的なベクトルで語られることが多くなっているようの思えるからだ。

ただ、まあ労働時間を短くすれば、仕事以外のことにも目が行くじゃね、と割り切って考えるのも、「ライフスタイルの変革」にとっては一つの方策といえ、本書のように「ベンチャー企業で如何に仕事時間を短くするか」というのも、単純ではあるが、有効な手法であるのかもしれない。

構成は

序章 なぜこのような本を書かざるを得なくなったのか

第1章 自分が働くことで、誰かを壊している

第2章 自分のライフビジョンて、何だろう

第3章 「働き方革命」の起点ー仕事のスマート化

第4章 「働き方革命」でたくさんの「働く」を持つ

第5章 「働き方革命」が見せてくれた世界

終章 「働き方」を革命し、日本を変えよう

となっていて、筆者が、国の審議会の委員としてその会議での「なんともいえない齟齬感を感じるところから始まっていて、そのあたりが執筆の動機でもあるようだ。

さて、執筆動機は置いておいて、ベンチャー企業での「時短」の技術論は

目標を言語化し、明示化することによって、とりあえずやることが分かって安心するし、モチベーションが湧いてくる。そう思うと、今まで考えたこともなかったが、仕事を含めて人生全体、それ自身も仕事の、あるいはプロジェクトのようなもので、こうありたいな、というものを描いて、それに向かって手と足を動かしていくとゴールまでは意外と行けるのかもしれないぞ、と。これまで仕事は仕事のやり方でやり、プライベートは仕事よりも相当優先順位が低いところで、特に何も考えず受身でやってきた。けれど、「働き方革命」によって仕事もプライベートも統合(インテグレート)して、それを一つのプロジェクトとして捉えることで、日常の日々そのものが歯ごたえのある、やりがいのある毎日に変わっていくのではないだろうか?

とか

①一つの会議は1時間半を越さない。

②議事録はプロジェクタで映し出しながら、その場で取る

③議題は前日までに出し、議題にないものは議論しない

④タスクは会議の場で期限を決め、次の会議が始まる前までに進捗をグループウェアに貼る

⑤定例会議ごとにファシリテーター(司会)とロガー(議事録作成者)を決め、彼らが会議の内容と時間に責任を持つ  こうしたルールを決め、それを実行させた。

とかあるのだが、「働き方改革」の一番の肝要は

ダイエットと言っても、仕事の量を減らす、ということではない。仕事にかけていた時間を絞る、と言った方が良いかもしれない。つまり、これまで湯水のごとく使っていた時間を節制しつつ、同じだけ、いやそれ以上の成果を出す、ということだ。

と「労働」「働く」というものを捉え直すことにあるような気がするのである。

その反面

社員に残業するなと言う手前、僕がたくさん残業をして働くわけにはいかなかった。その代り朝4時に起きて、彼女が起きてくる7時まで仕事をすることにした。その日にやるべきことで最も重要なことを、朝の3時間で片付ける。朝はタイムリミットが明確なので、集中が強要される。重要だけれども気の重い仕事のオンパレードを、朝のテンションの高さで乗り切る。

といった風に「綺麗事ではないよね」というところをきちんと書いてくれるところが筆者の誠実さであろう。ま、こういった仕事のスタイルの変革が「働くスタイル」の変革に結びつくのが一番よい進め方であるとは思っていて、とりわけ、ブラックと紙一重、あるいは成り上がるためには時間外労働なぞ屁でもない、といった「ベンチャー」から、こういった取組が出るのは、目出度きことであるよな。

さてさて、政府のいう「働き方改革」の行く末がどこなのか、当方のはいまいち見えてこないのも確かではある。それは、地方創生→一億総活躍→働き方改革という流れで進んでいるところに、何かしらきな臭いものを感じて、「進め一億火の玉だ」を連想してしまうのは考え過ぎではあろうが、うーむ、なんとも、という感じである。願わくば、「労働生産性向上」といったことではなく、「ライフスタイルの改革」にまで、この「働き方改革」がすすめばよいのでありますが。

「働き方改革」はWorkの根本課題に取り組めるか — 常見陽平「なぜ、残業はなくならないのか」(祥伝社新書)

過労死問題をきっかけに「働き方改革」が声高に主張されはじめているところで、管理者側、労働者側あるいは政府側から、様々に論じられている最中なのだが、感情論が混じってしまいがちで、熱っぽい議論ほど薄っぺらに感じてしまう。

そうした中にあって、どちらかというと斜向いから論じてくる常見陽平氏の論は、先の「就活」や「モバイルワーク・ノマドワーク」を論じていた時と同様に一面的でない視点を提供してくれて貴重なものといえる。

本書の構成は

第1章 日本人は、どれぐらい残業しているのか

第2章 なぜ、残業は発生するのか

第3章 私と残業

第4章 電通過労自死事件とは何だったのか?

第5章 「働き方改革」の虚実

第6章 働きすぎ社会の処方箋

となっていて、そもそもの労働時間の分析から始まって、

イギリス、スウェーデン、フランス、ドイツなどよりも一人あたり平均年間総実労働時間は長いものの、日本「だけ」が長いわけではない。1980年代から現在にかけての30年の変化をみると、労働時間は徐々に減ってきている

と冷静に現状を分析するあたり、熱に浮かされた議論が始まりがちな労働問題にはちょうどよい冷たさであろう。さらに、こうした「働き方」論における欧米礼賛に向かって

これはシステムの違いとして捉えるべきである。好況期には残業で対応し、不況期には残業と賞与を抑制して乗り切る国と、その分の人員を削減することで乗り切る国のモデルの違いである。

というあたりも小気味よくはある。かといって、単純な「日本優位論」ではもちろんなくて

日本における残業の根本的な問題は、仕事の任せ方である。残業は仕事の任せ方に起因する部分があるのだ。

言うなれば「仕事に人をつける」のか「人に仕事をつける」のかという違いである(P67)

「仕事に人をつける」という世界観では、業務内容や責任などを明確にすることができる。そうであるがゆえに、仕事が定型化しやすい。仕事の引き継ぎもしやすい。採用時も仕事が定型化、標準化しているので、選考時にその業務にあった人材かどうかを判断しやすい。

一方、「人に仕事をつける」という世界観においては、ある人に複数の業務が紐付けられることになる。特に中堅・中小企業においては、営業、企画など職種を超えた仕事が任されることになる。これを繰り返していくと、仕事の範囲が無限に広がっていく (P68)

といったように、日本型の「働き方」の功罪を的確にいいあてるところは、労働問題・働き方について厳しくはあるが冷静な視点が揺るがない筆者らしいところであろう。さらに「労働生産性」「ダイバー・シティ企業」といったものについての

(国際比較でいわれる)労働生産性が高い国とは、金融センターか資源を持っている国、あるいは都市国家など小規模の国だ(P178)

このコンテスト及びレポートについて、1点目は「ダイバーシティ」「ワーク・ライフ・バランス」を推進するメリットについて、擬似相関の疑いがあることだ、2点目は、紹介されている取組の成功要因が、真因だと言えるのかという疑いである。 (P182)

というあたりは少々手厳し過ぎるかもしれない。

途中、電通過労死事件の教訓として、会社の認識の甘さを指摘しつつも、「社内ではいつも新しい仕事が生まれており、変化している」「「なんでもやる」「成長を求められる」日本型正社員モデル」「会社と居場所」という新たな問題の提示もしつつ、最後のほうで

・1週間のうち、働く時間を決める

・一つの仕事にかける時間を決める

・時間が美しく流れるようにする

・仕事の命中率を上げる

・時間のへそくりをつくる

・楽しいアポから先に入れる

・朝の時間を活用する

・自分だけで抱え込まない

・お金で時間を買うという手もある

・自分のキャラを理解してもらう

という筆者なりの「すり減らない働き方」の提案もあるので、詳細は原本で確認してほしいとこ。

筆者も言うように

「働き方改革」は所詮「働かせ方改革」である。・・だからこそ「いかに働かないか(働かせないか)」「いかに一生懸命働かないことを許容するか」という発想がないかぎりは、画餅に帰してしまうのである(P234)

というところを踏まえて、昨今の論議が、「時間外短縮」という些末なことではなく「働き方」の論議となれば、と思うところなのである

ブラック企業問題の芯にある原因は「気綺麗事の社会」であるか — 今野晴貴「ブラック企業2 「虐待型管理」の真相」(文春新書)

前作「ブラック企業」で、日本の労働問題の重要な課題となっている、ブラック企業の実態を赤裸々にしたのであるが、本書は、その第2弾。

構成は

序章 ブラック企業問題とはなんだったのか?

第1章 わかっていても、入ってしまう

第2章 死ぬまで、辞められない

第3章 絡め取り、絞りつくす

第4章 国家戦略をも侵食するブラック企業

第5章 なぜ取り締まれないのか?

第6章 奇想天外な「雇用改革論」

第7章 ブラック企業対策ー親、教師、支援者がすべきこと

終章 「ブラック国家」を乗り越えて

となっていて、前半が「ブラック企業」ということが言われるようになってもなぜ若者はブラック企業に入るのか、後半は著者の「ブラック企業」対策。

当方として興味深く読んだのは、前半の「若者はなぜブラック企業に入ってしまうのか」といったところで、

結論から言えば、被害者の多くはブラック企業に積極的に入社し、また、ムズから「辞めない」で働き続けている(P4)

といったところから始まるところは、「ブラック企業」の原因の複雑さを垣間見せる。

さらに

厄介なことに「上昇志向が強い」学生ほど、巧みにブラック事業に絡め取られ、「自ら」入社してしまうリスクが高いのである。そしてこの事例が意外にも多い(P41)

「ブラックだ」という噂が多少あっても、「自分は大丈夫」「自分を信じているから」「自分の目で確かめたから」といった「殺し文句」で自分自身を煽り立てていくのである(P57)

といったところは、ブラック企業問題が、実は今の「競争こそが正義」という思考の現れであることを示しているし、

問題の根には、日本全体に潜む「過剰労働への憧れ」があるように思うのだ。

両親の話、テレビで見た成功者の物語、ある種の「伝説」のようなかつての成功談を「自分の像」と重ね合わせる。苦労して歴史に残るようなプロジェクトを達成したビジネスマン、リーダーたちを見聞きして育った世代。たとえ、10人に1人の成功者で、うつ病になる人が絶えないといわれようとも、勝ち残った「成功者」こそがめざすべき「自己像」だと思う。そんな若者の心理こそが、ブラック企業が付け入るものの正体ではないだろうか。(P63)

というところは、「ブラック企業」問題が、実は、日本の雇用や成功神話に裏打ちされているもので、けして、アウトロー企業の問題ではない、ということを明らかにしているのである。

であるなら、その解決は、労働意識そのものを変えないといけないわけだが、筆者の言うような

「全員が会社の中核的社員になって、年功賃金をもらうようにしなければならない」「エリートを目指さなければならない」という固定観念が支配している限り、「ブラック企業の労務管理」は成功してしまうのだ。(P152)

ということを解決するために、日本人の意識があちこちと分散するのはちょっと現実的でない。むしろ、

「生きることよりも仕事」という理想像は、あまりにも純粋で、従来の仕事へと没入した日本的「エリート像」からも圧倒的にかけ離れているのである(P149)

といったことを肯定し、仕事はたくさんの生計費を得たいから、といった生な声をより言える社会にするほうが近道のような気がするのだがいかがであろうか。

ブラック企業の悪影響の大きさと悪辣さに愕然とすべき — 今野晴貴「ブラック企業ー日本を食いつぶす妖怪」(文春新書)

残業の削減とか、パワハラ・セクハラといった職場環境の問題は昔からとりあげられてきていたのだが、それが国家的な課題として政府や自治体を動かし始めたのは最近のことのように思う。もちろん、電通事件のようなセンセーショナルなものが引き金となったのは間違いないが、それ以上に、本書で取り上げる「ブラッキ企業」や「ブラックな雇用形態」が、あちこちにはびこり始め、特定の業種や個人の運不運の問題としてかたづけられなくなったことの現れではあろう。

構成は

第一部 個人的被害としてのブラック企業

第1章 ブラック企業の実態

第2章 若者を死に至らしめるブラック企業

第3章 ブラック企業のパターンと見分け方

第4章 ブラック企業の辞めさせる「技術」

第5章 ブラック企業から身を守る

第二部 社会問題としてのブラック企業

第6章 ブラック企業は日本を食い潰す

第7章 日本型雇用が生み出したブラック企業の構造

第8章 ブラック企業への社会的対策

となっていて、もちろん、社会的な課題解決の方策を考えるために本書を読んでもいいし、それが本来なのであろうが、21世紀日本の労働形態の一断面を垣間見るルポ的な眼で読んでもよいだろう。

それは、「ブラック企業」という問題が、雇用という個人的な問題ではなく

「若年者雇用問題=非正規雇用の不安定」という構図の理解は、しかしながら新しい問題を引き起こすことになった。非正規雇用という貧困状態への恐怖が、今度は若者を正社員をめざす苛烈な競争に駆り立てたのである(P18)

という、我が国の雇用に関しての意識が生み出したものに相違なく、ブラック企業の特徴が

共通する特徴は、入社してからも終わらない「選抜」があるということや、会社への極端な「従順さ」を強いられるという点である。また両社とも新興産業に属しており、自社の成長のためなら、将来ある若い人材を、いくらでも犠牲にしていくという姿勢においても共通している。経営が厳しいから労務管理が劣悪になるのではなく、成長するための当然の条件として、人材の使い潰しが行われる。(P61)

ということからしても、現代日本の社会が生み出した、構造的な問題であることが明らかであって、そこは「雇用改善」という表層的なことでは解決せず、「日本の意識」そのものを変えていく壮大な努力が必要な課題であるかもしれないのである。

とはいうものの

選別のために辞めさせるも、辞めさせずに使いつぶすも彼ら次第。いわば、ブラック企業は「生殺与奪」の力を持っている。また、ブラック企業はこうした支配の力を、利益を最大化させるために用いるという意味で、行動に一貫性を持っている。「辞めさせる」ことも「辞めさせない」ことも、同様に、あくなき利益追求に端を発している(P99)

部下や社員には見ず知らずの他人以上に何をしてもいいのだというおかしな価値観が、職場を支配している(P100)

といった職場環境、企業環境が放置されて良いはずはないのだが、さて、政府の「働き方改革」はどこまで、切り込めることができるんでありましょうか。とりわけ、インターシップの利用による過重労働は、日本企業だけでなく、グローバル企業共通の話として聞かないわけでもなく、なんとなく、ラスボスの強敵さにドギマギっしてしまうのであるが・・。