日本古代の”ヤマト”を問いなおす(関裕二「古代史謎解き紀行 Ⅰ ヤマト編」)

「歴史」モノっていうのは、年齢が経過したり、どこか方向に悩んでいる時に読んでみたくなる傾向があるような気がしている。
そして同じ歴史モノといっても、元気にどこへ行こうか悩んでいる時には戦国とか幕末あたりがふさわしいに対し、どことない不遇感や不満足感に悩んでいるときは、古代、特に定説があるようでないような、縄文〜弥生〜古墳〜飛鳥といったところがしっくりくるような気がする。
そこで今回取り上げるのは、関 裕二「古代史謎解き紀行 Ⅰ 封印されたヤマト編」(新潮文庫)である。
その辺り、関 裕二氏のシリーズの多くは、この時代を取り上げることが多く「定番」といっていいい。特に、日本古代の歴史モノは「定説」をきちんと読んでいても面白くなく、かといって、全くどこかあてのないところに行く言説も頼りないもの。
氏の古代シリーズは、我々がいわゆる定説といって教えてもらっていたものと、少し外していて、歴史学者でもない一般読者が日々の徒然の中で読んでいく「歴史読み物」としては良質なできが多い。

本書の構成は

第1章 神々の故郷 奈良の魅力
題2章 元興寺界隈の夕闇
題3章 法隆寺夢殿の亡霊
題4章 多武峰談山神社の城壁
題5章 反骨の寺東大寺の頑固な茶店
題6章 当麻寺と中将姫伝説の秘密
題7章 日本の神・三輪山の正体
となっていて、本書は「藤原氏の正体」や「蘇我氏の正体」にも通ずる、大化の改新あたりから持統天皇、聖武天皇の時代のまだ古代豪族の名残のあった藤原、蘇我両氏の定説を揺さぶる話から、もう少しさかのぼってヤマト王権が成立する時代の政権成立の模様のさわりが中心。
他書と同じく、著者の「藤原」嫌いは健在で、
藤原の勃興によって「葛城」の役小角は弾圧を受けていくのだが・・・役小角が展開した「修験道」は、藤原が構築を目論んだ、国家の国家による国家のために宗教でなく、地の底から湧き出るような民衆の力を動員しているところに特色があったからだろう
とか
「日本書紀」は藤原氏にとって、都合のよい歴史書だったことがわかる
とか
本当は蘇我氏は汗水たらして天皇家のために律令制度の導入に邁進していたのに、その蘇我氏を悪役に仕立て、蘇我氏を滅ぼした正当性を得るだけでなく、行政改革の手柄まで、横取りしてしまった
といった感じでそこかしこに散りばめられていて、このへんも定番。
本書の読みどころは、飛鳥時代を中心とした定説をゆらゆらさせるところで、
・聖徳太子は「祟る存在」、「鬼」
・中臣鎌足の正体は百済の「・・・」(ここは本書の肝のような気がするのであえて伏せる)
・聖武天皇の妃であった藤原光明子の苦悩は「藤原の罪の深さ」と「蘇我」に対する懺悔と鎮魂
といったフレーズで察していただき、詳しくは本書で、といったところでレビューをまとめたい。
ついでに言うと、最後の方で纒向遺跡の話が始まって、ヤマト政権黎明期の話が始まるのだが、中途半端に終わらせて次の「出雲編」へとつながっているところはシリーズ物の故か。本書を読んで気に入った方は「出雲編」へと歩を進めましょうかね。

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