古代の隠された主役 ”吉備” の正体 (関 裕二「古代謎解き紀行 Ⅳ 瀬戸内海編」)

 
さてさて「吉備」である。「吉備団子」の「吉備」である、「桃太郎のきびだんごの「吉備」である」、とでも言わないとどうにも印象の薄い「吉備」である。このへんは本書の表題にも表れている気がして「ヤマト」「出雲」「九州邪馬台国」とそれなりの古代史的インパクトのあった表題が続いたあとに「瀬戸内海」となんとも穏やかなネーミングとなっている 関 裕二「古代史謎解き紀行 Ⅳ 瀬戸内海編)(ポプラ社)をレビュー
 
ところが穏やかな表題とは裏腹に、構成は
第1章 日本史を変えた関門海峡
第2章 ヤマト建国と吉備の活躍
第3章 しまなみ海道と水軍の話
第4章 吉備の謎 物部の正体
第5章 没落する瀬戸内海・吉備
となっていて、「藤原」「蘇我」と並んで古代歴史の主役級の大物の「物部」の登場である。
 
著者の言説によれば、古代豪族の「物部」は実は「吉備」の豪族で、纒向の頃から4世紀頃までのヤマト政権で有力な働きと地位を占めてきたのだが、日本書記を編纂した勢力が、わざと無視した、といった構図で、日本書紀の記述でも「吉備」の話はごくごく少なく、ヤマト建国以前の旧勢力は「出雲」一色であることが証左であるとのこと。
で、これは、三世紀から八世紀あたりの権力の裏表を隅々まで知っていたがゆえに、日本書紀編纂時の、とある勢力によって没落させられ、その上に歴史の上からも目立たない存在におとしこまれたという、なにやらの陰謀史観そこのけのお話が出るあたりは絶妙の歴史読み物。(行間のそこかしこに「藤原氏」批判が滲むのが筆者らしいところではある)
 
ただ、「吉備」が単に同情だけしておけばいい存在かというと、古代の有力資材である「鉄」の流通を争っての出雲と共同して北九州いじめをして、北九州の力を削いだら、今度は北九州いじめの先鋒になっていた出雲を後ろから攻撃する、っておいおい極悪非道の仕業を、ヤマト政権の権力確立の頃にやっているらしいので、因果応報といえばいえなくもないところが歴史の複雑なところか。
 
四巻目で、古代の主要キャストと日本書紀がやった悪行といったところの筆者の主張もはっきりして、そろそろ日本古代史の大団円として第五巻の「関東・東京編」へと続くのである。
 
ちなみに、しまなみ海道の自転車のりなどちょっと旅行記っぽいくだりが増えてくるのだが、そこは読者も好みがあろうから適宜すっ飛ばしてもよいとは思う。歴史旅行紀行っぽさがこの巻以降強くなっていて、「歴史モノ」好きはちょっと抵抗あるかもしれない。
 

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