バックパッカーは体制への反逆者か否か ー 大野哲也「旅を生きる人びと バックパッカーの人類学」(世界思想社)

「旅本」といえば、当然「旅の記録」であって、ここではないどこかの。いつかの時間の放浪の記録である。しかし、「旅本」を読んでも、人は「なぜ旅をするのか」の答えはでてこない。
本来なら定住し、職を得、家族を持つのがレギュラーな社会の中で、何故それからはぐれ、「旅」をしようとするのか、「旅の中」あるいは「移動」の中に安息を感じる人がいるのか、といったことをとらえようとするのが本書 大野哲也「旅を生きる人びと バックパッカーの人類学」(世界思想社)であろう。
構成は
第1章 「自分探し」のメカニズム
 一 ある「日本人バックパッカーの「自分探し」の経験
 二 「自分探し」の帰結
 三 旅の経験を資源として活用する
 四 再肯定されるアイデンテンティ
第2章 日本人宿コミュニティに生きる
 一 タメルで沈潜する旅人
 二 バックパッカーズタウンの誕生
 三 日本人が好む宿の特徴
 四 ある日本人宿の歴史
 五 定宿化という相互依存
 六 沈潜型バックパッカーの限界と可能性
第3章 商品化する冒険
 一 現代日本の海外旅行史
 二 バックパッカー誕生
 三 バックパッキングの商品化と「地球の歩き方」
 四 東南アジアの定番ルート
 五 バックパッキングにおける「放浪」の困難性
第4章 リスクを消費する
 一 日本人バックパッカー殺害事件
 二 バックパッカーのヒエラルキー
 三 エスカレートする冒険心
 四 刑務所に収監されたバックパッカー
 五 刑務所の日常
 六 バックパッカーから運び屋へ
 七 リスク消費の破綻
第5章 二つの社会を同時に生きる
 一 ある日本人バックパッカーの漂着
 二 結婚と移住
 三 ニッチを埋める
 四 二つの社会に生活基盤をつくる
 五 移住型バックパッカーの機知
第6章 旅を生き続ける人びと
 一 漂流するトロン
 二 ニュー・ムーン・ヴィレッジの住人ケン
 三 ヴィレッジの外線
 四 ふらの子育て
 五 旅の機知から生活の機知へ
終章  バックパッカーが切り開く地平
 一 旅で描かれる自画像
 二 生の技法としてのバックパッキング
となっていて、「人類学考察」と標題にあるように、本書の対象は「旅をする人」である。
人間には「ここ」から離れてみたいという欲求が、いくら現状に満足していても出てくるのは常のことではあるのだが、中には「旅」という「移動」の中に自分の生きがいを見出す人がでるようで、本書によれば、バックパッカーの分類は
①移動型・・可能な限り多くの国や町に行くことに喜びや価値を見出すタイプ
②沈潜型・・移動にはそれほどこだわらずに、気に入った町に長期間滞在して、その町に「溶け込む」ことに喜びを見出すタイプ
③移住型・・ほとんどの日本人パッカーが旅を終えると日本社会へと回帰していくが、現地社会が気に入って移住するタイプ
④生活型・・旅を生き続けているバックパッカー。多くの旅人がもっている「旅を終えたら日本に帰って社会復帰する」という考えもなければ、移住型のように特定の社会に定住する気も毛頭ないタイプ
となるらしいのだが、いずれの型も、ここではないどこかを志向し、体制への反逆、あるいは提供者としての側面を持つと思われているのが定番の認識であろう。
しかし、実は日本人のバックパッカーの旅の特徴として

「常道をはずれ」て「現地の文化に浸る」ことがバックパッキングの特徴だとされてきたにもかかわらず、こうした冒険的なイメージとは裏腹に、自文化に包まれながら異文化を味わいたいという屈折した欲望を彼らは根底にもっている。日本人宿が形成されるという事実こそが、それを雄弁に物語っている
現代型バックパッカーは「常道をはずれ」て「現地の文化に浸る」ことによって偶然その場に居合わせた私だけの経験そのものに真正性の基点をおくのではなく、経験による自らの時間に真正性の基点を置くのである
ということをみると、「旅」「バックパッキング」も日常の再確認、心折れそうな状態から「日常へと戻る仕掛け」としてとらえることができ、それは
旅の経験が採用に際して発揮した効果の大小は不問のままに、結果として企業に採用されたという事実によって遡求的に、彼らは旅の経験が資源であったと実感できる。
さらに旅で自己成長と自己変革を遂げたのに加えて、旅の経験を就職に活かせたという彼らのサクセス・ストーリーを目の当たりにしたバックパッカー予備軍は旅に駆り立てられる。こうしてバックパッカーが再生産されるサイクルが確立する。
と、バックパッカーが実は抵抗者に見えて体制への帰還を願う人である、と「旅人」への夢を萎ませてしまうのであるが、半ばやむをえないところか。たしかに「旅」はいつかは終わり、放浪する若者も年齢を重ねると、母国や母社会に帰り、定着することが多いのも事実である。
一方で、バックパッカーあがりの筆者は、「旅人」への夢を忘れられないようで、生活型バックパッカーに、日常から抜け出すテーゼを期待している。
それは
 彼らの旅の実践は、徹底的にん日和見主義的でゲリラ的だ。「制度から自由であること」に最大の価値を置く彼らからすれば、連帯することや計画を立てることが、そもその意に反しているのだから
いきあたりばったり」になることは宿命である
 体制への対抗文化としてのバックパッキングの誕生の経験を思い起こせば、抵抗的であることこそがバックパッカーの真髄であったはずだ。そうであるならば、生活型バックパッカーが他のタイプと決定液に異なっているのは、バックパッキングの神髄を守りぬこうとする決意であるのだろう
という一番最後のくだりにも表れているのだが、果たしてそうか・・
「旅人」は抵抗者であるのか、「順応者」であるのか、回答は似図からが出すよりほかないのだな、と結論にナラない結論づけをして、このレビューは了とする。

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