中村安希「インパラの朝」ーユーラシア・アフリカ大陸684日(集英社)

最近見ることの少なくなった、世界放浪的な旅の記録である。しかも「女性」。こう書くと世の男女共同参画の論者にっはお叱りを受けてしまうのだろうが、本意は、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの一部の国々などは別として、世界中を旅する時に、女性であることで男性に比べて性的な危険であるとか、宗教的な制約が大きくなる可能性が高いのは否定すべきではないと思う。ただ、筆者は、そうした危険性を軽々と乗り越えて、「旅」をする。そんなところに「素晴らしさ」を感じるのである。
構成は、つまり旅の行程は
序章 向かう世界
第1章 ささやきを聴く ヒマラヤ山系


第2章 カオス 東南アジア〜インド


第3章 小道の花々 インド〜パキスタン


第4章 ウォッカの味 中央アジア


第5章 悪に庭先 中東


第6章 鼓動 東アフリカ


第7章 内なる敵 南アフリカ


第8章 血のぬくもり 西アフリカ


第9章 世界の法則 サハラ北上
終章 去来
となっていて、アジア〜イスラムの国々〜東アフリカ〜南アフリカ〜西アフリカ〜サハラへの、およそ先進国という範疇からは遠くはなれて「旅」である。そして、その行程を「アフリカ」を東、南、西と分けて書いたのは、本書であらためてアフリカの広さ、アフリカの多様さを知ったような気がするからである。
冷静に考えれば、面積だけを競べても、ユーラシア大陸、アメリカ大陸にひけをとらない大きさで、住まう民族の数や言語の数も途方もなく多いのだから、その多様性は感じ取ってしかるねきなのだが、アジアの辺境に住まう私には「アフリカ」はのっぺりとした一枚物としての認識しかもっていなかったことを反省してみるのである。

で、この「インパラの朝」における彼女の旅の特徴をいうなら、「裏筋から見た旅」ということであろうか。それはテロリストの国と欧米から避難される「パキスタン」の市井の人と暮らす旅であり、欧米都の対立の激しい「イラン」の家庭でのホームステイの生活、あるいはイスラム圏に入国する際の偽装結婚など、欧米的あるいは最近台頭しているアジア第一主義の正しくあろうとするのはいいが、どこか傲慢な感じの価値観とはすれ違ったところにある暮らしの体験でもある。
そしてそれは、人々の間もではあるが、国々の貧富の差があまりにも大きく、国情はおろか人々の性質までを格段に違ったものにしている「アフリカ」の多様な暮らしの体験でもある。そうした多様性の暮らしをどうにかうまくやり過ごす秘訣は
旧ソ連の国に入れば、何かにつけて足を止められ賄賂を要求されるだろう。もしも君が急いでいてなおかつお金があるのなら、支払ったって構わない。けれどお金がないのなら、うまく逃げる方法もある。ただ時間をかければいいんだよ。役人も面倒は嫌だから、そのうち勝手に折れていく。止められたときは止まればいい。座らせられたら座ればいい。お金を寄こせと言われたら、慌てずじっとしていればいい。それおど長い時間あはいらない。君に時間の余裕があれば、相手はそれに感づいて自分から諦めてしまうから。(キルギス P92)
といったことかもしれず、あるいは
他にも、キリスト教の寄付と名前でいい学校を立てたりすると、裕福な家の子が殺到して地域の教育が混乱する。改宗騒ぎに発展したり、宗教や民族の間だけでなく、地域間対立にだって改題する。だから学校を建てるなら、公立の学校より悪い設備で、現状よりさらに低い水準に教育の質も落とさなくていけない(インド P56)
といったことを受け入れることであるのかもしれない。
そして、そうした多様性や無秩序の中で
すべては長い時間をかけて、自然と体に溶け込んでいた。ハエがいるのが日常となり、手で食べることが普通になった。
を経て
道を歩けば歩くほど、世界を知ろうとすればするほど、その複雑さと広さを前に、私の知識や想像力はあっという間に打ち負かされた。一つの大陸と思った場所には、知らない国がたくさん含まれ、一つの国だと思っていたら、無数の民族が現れて・・・世界を理解するのはほとんど無謀な試みで、全容を把握することなんて永久に不可能と気がついた。
という「旅」の一面に茫漠としながらも、
世界の女性の生活は大体どこも同じだった。洗濯をして食事を作り、内職や小さなビジネスをしてどうにか生きていくために、あるいは子供を育てるために堅実な努力を重ねながら協力しあって生き抜いてきた。その一方で男性社会は、ほんの一握りが栄華を極め、残りはひまで貧乏だった。貧乏人も金持ちも、権力とカネを手にする姿を青空の中に妄想し、ビールを呑んで夢を語った。いくつかの夢は世界を動かし、多くの夢は破れ去った。その間も女性は忙しかった。夢を語るひまもないほ雑務に追われる一方で、夢が破れるリスクも減らして日々を淡々と生きてきたのだ。(P165 タンザニア)
といった不変の事実の一端を知るのも「旅」というものなのかもしれない。
最後にポルトガルの最西端の岬の石碑に刻まれた文字、「大地が終わる場所、そして、海のはじまり」に、旅の終わりと新たな筆者の旅の始まりを期待して、この稿は了としよう。

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