岸本葉子「ブータンしあわせ旅ノート」(角川文庫)

「人」と同じで、「国」の毀誉褒貶も遷ろうもので、いっとき持ち上げられたものがストンと評判が落ちてしまうことは常といていい。そのあたり、ブータンと言う国、幸せ度 No.1と持ち上げられて後、さほど評判が落ちるわけではなく、忘却の方向にいくというのは、さほど悪いことではないように思う。
構成は
旅はご近所から
「きんと雲」の国へ
ふわっとヒマラヤ
ティンブー街歩き
山道をドライブ〜トンサへ
ソバ畑の広がる谷〜トンサ・ブムタン
農家にホームスティ〜ブムタン
シャクナゲの峠を越えて〜ウォンディフォダン・プナカへ
中学校にこんにちは〜プナカ・パロ
年に一度のツェチュ祭り〜オアロ
さよならブータン、また来る日まで〜あとがきに代えて
変わるもの、変わらないもの〜文庫版あとがき
となっているのだが、ブータンの都市や地域など、何も知らない当方としては、ブータンの印象は、筆者の言説によるしかなく、そのあたりは、様々なことに恬淡として接する岸本葉子氏の話は偏頗ない気がする。

で、その西洋文明や中華文明に媚びないところは
柳並木に、なるほど「きんと雲」形をした窓の家々が並んでいる。しずかな首都だ。
ジャカルタ、バンコク、クアランプール、今やベトナムのハノイもしかり、外国資本の看板を掲げたビルが、高さを競うようにそびえ立ち・・とおうのが、アジアの首都に共通の風景だ。。・・ティンブーの目抜き通りの子どもたちは、めんこに似た遊びなどをして。市場でと同じく、のびのびしたものである。
建物は伝統様式に従うこと、高さも五階以上はだめと、法律により決められているそうだ。(P70)
といった叡智を評価しつつも、やはりそこは貧乏な国の「幸せ」というところがないわけではなく、
昼食は白いご飯と、おかずはホウレンソウ、ニンジン、ダイコン、インゲン、スライスした豚肉、それにエマ・ダツィだった。エマ・ダツィ意外は、どれもバター、塩、唐辛子で煮たもの。汁気をとばしてあるので、バター炒めのようでもある。(P126)
ブータン式ソバは、どちらかというと餅つきだ。
(中略)
日本のは、各自つゆにつけてどうぞ、となるが、ブータンのは味付けをする。
①凹みのある石に唐辛子を入れ、別の石で突きつぶし、水に溶いておく
②洗面器にとった麺に、①と塩、刻んだ青ネギ、山椒の実の砕いたのをふりかける
③かまどに小鍋をかけ、たっぷりの脂を熱し、卵を割り入れかき混ぜた、超オイリーなスクランブルエッグを、熱々のままじゅっと音をさせて②にかける
④バターを加え、洗面器の中でよく和える。で出来上がり。(P142)
といった風で、けして豊かで芳醇な食生活とはいえず
冬の間は土が凍り、雪も降るため、畑仕事はできない。男たちは森に、枝や針葉樹の葉を拾いに行く。枝は薪に、葉は牛の寝床にしたり、乾かしてフンと混ぜて燃料にしたり、堆肥をつくったりするもする。ムダの少ない生活は、労働の多い生活だ。手をかける時間とゴミの量とは反比例することをあらためて感じる。(P146)
といった双方を同等に扱って、その国の評価をするべきではある。しかし、そうした両面を比較しても、岸本葉子氏が訪れた当時のブータンの人の「心の平らかさ」というのは羨んでよいもので、
ブータンの人の幸福感は、家族や周囲との絆から、しばしば説明される。チベット仏教を背景に来世や生まれ変わりを信じているからだとも、いずれにも私は肯ける。
この世で人と人との間に居場所を見いだせると同時に、それらを超えたさらに大きな連関の中にも自分はいると感じられる、そうした揺るぎなきナラティブなベースによって、心を平らかに保てるのではないかと思うのだ。
といった筆者の言葉に頷かざるをえない。
今後、ブータンという国がどういう歩みをしていくかは、全くの未知数で、将来も「幸せ度」云々といっていられる保障はどこにもない。ではあるものの、「平穏」ということを基礎に据えようとしていた国があったことは記憶しておいてもよさそうである。

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