下川裕治「週末沖縄でちょっとゆるり」(朝日文庫)

タイ、カンボジア、ベトナムなどの東南アジア、台湾などのフリークで、旅本作家としても大御所である下川裕治氏のひさびさの「沖縄本」である。氏は沖縄フリークとしても有名で、東南アジアや台湾への行き来に、成田や羽田ではなく那覇からの飛行機便やフェリー便を利用した旅行記が数々あることがその証左であろう。
構成は
第1章 沖縄そば 食べるそばを求めて国道58号を北上する
 定食 「シーブン」が生む沖縄定食の迷宮


第2章 カチャーシー カメおばぁが教えてくれる本土の人間の限界


 栄町市場 軒の低い市場に流れる百円以下という物価感覚


第3章 LCC 台風欠航で揺れる沖縄フリークの胸のうち


 石垣空港 LCCが生む節約モードという多忙


第4章 琉球王国と県庁


 名護と愛蔵さん 辺野古移設でもめる街にギャラリーができる


第5章 波照間島 天文おたくのパイパティローマという居場所
 船の欠航 変わりゆく島を結んだ伝説の船
第6章 農連市場 「午前三時の湯気」の現在を撮る(阿部稔哉)
第7章 コザ 世替わりを重ねた街の人生の栄枯盛衰(仲村清司)
 ポーク 主食化したアメリカ世の落とし物
第8章 沖縄通い者がすすめる週末沖縄
 食堂、スナックに立ちはだかる再開発と後継者の問題(はるやまひろぶみ)
第9章 在住者がすすめる週末沖縄
 なるべく金をかけずに子供を喜ばせる穴場スポット大紹介(平良竜次)
 沖縄の週末は公園が賑わっている(嘉手川 学)
 沖縄滞在パターン(高倉直子)


 女子にもおすすめのパワースポット自転車めぐり(及川真由美)
 安里の栄町どおりが変わってきている(新崎栄作)
となっていて、ひさびさの「沖縄本」ということで、どういう新しい「沖縄」の魅力の話かな、と思ったのだが、ちょっとその様相が違った。20年以上前から沖縄に親しんできた筆者が、沖縄の変化に戸惑い、以前の沖縄を求めつつ、なかなか出会えない、あるいは、以前の沖縄は変わってしまった、というあたりが、メインに据えられてているような沖縄紀行である。

それは第1章の「沖縄そば」のところから明らかで
沖縄そばのなかのアジア・・・。それは啜るのではなく、食べるという感覚だった。はじめて食べた沖縄そばは、一見、日本のそばぼ顔をしていたが、箸で麺をつまみ、口の中に入れたあと、僕はご飯を食べるように噛んでいたのだ。・・・食べる感覚のなかに、アジアがあった。日本とアジアのなかほどにある沖縄を確認していたのだ。
それから三十年の年月が流れた。僕は沖縄に行くたびに、ぼんやりと沖縄そばを食べていたのだが、気がつくと、那覇で食べる沖縄そばは啜るそばに変わっていた。
四食の沖縄そばを食べた。どれもしっかりとした味だった。今日の二食は本土からやってくる観光客を意識しているわけではなかった。・・・そこにもう食べる感覚は入り込んでいなかった。
那覇は、本土の文化もどんどんとり入れる。麺が細くなり、コシが強くなる。スープの量が増えていく。それは本土のラーメンやどんに近づいていく傾向である
と「沖縄そば」の変貌に戸惑いつ、沖縄の中心都市である那覇から離れ、かなりの田舎である普天間の「三角食堂」で
半そばを頼んだ。
運ばれてきた丼を目にしたとたん、周囲の空気が二十年前に一気に飛んでいった。那覇の沖縄そばに比べ、丼が小さくなったのだ。昔の沖縄そばは丼がこぶりだった。そこに麺が盛られているから、スープが見えない。
(中略)
麺の上には、柔らか度星二つ半の三枚肉が載っていた。かまぼこの代わりに薄焼き卵が添えられている。麺はやや太めだったが、箸でつまむと、途中でぷつぷつと切れてしまう。これを口の中に入れるのだが、もそもそ感が強いから、つい噛んでしまう。啜る頃ができないのだ。
これだった。
と、やっと慣れしたしんだ。昔ながらの「沖縄」に出合うところが象徴的である。
ただ、変わったといっても、沖縄は、やはり沖縄で、書かれた当時とはまた事情が違っているかもしれないが
頼んだ定食に、想定外のおかずが加わるのも、沖縄大衆食堂の習わしである。
たとえば蕎麦定食を頼んだとする。そばは沖縄では、沖縄そばのことを指す。・・・で、テーブルに置かれたそば定食で一瞬、固まることになる。沖縄そばとジューシー(沖縄風炊き込みご飯)に漬物はあるのだが、立派なとんかつがついていたりする。・・・とんかつが二、三切れ、小皿に載っているのならいいのだが、目の前には、しっかりとしたとんかつ一枚、鎮座しているのだ。
とか
ほとんどの食堂に共通していえるのがメニューの数とおかずの多さだ。
厨房で吸う人のおばぁが忙しく働き、メニューは壁一面に張られた短冊。「ゴーヤーチャンプルー」「ゴーヤーチャンプルー(刺身付き)」「ゴーヤーチャンプルー定食」など、一品のバリエーションも多い。ちなみにこの3つはどれもご飯がつくのだが、最後の「ゴーヤーチャンプルー定食」までになると刺身、チキンカツ、そば小がセットになってきたりして、うっかり頼むと、「あわわわわ」とうろたえることもある。
などといった「シーブン」と沖縄では呼ばれる「おまけ文化」、大衆食堂でカレーライスを頼むと、天ぷら、サラダ、漬物、お吸い物までついてきたといったことが通常のこととしてある限り、沖縄の「異邦感」は健在、といったところであろう。そして、その「異邦感」は、意外にタフな感覚に支えられているようで、人のよい「おまけ文化」と見えて
沖縄の大衆食堂の定食は、不用意な「シーブン」は加わることで、ミステリアスな領域に入り込んでいく。
ただ、定食の「シーブン」はあまるおいしくはない。一応、店側も原価を計算しているのだ。
であったり、
沖縄という島には常に独立論がついてまわる。しかし、独立してもやっていけないことをいちばん知っているのも沖縄の人々である。
(中略)
そこを仕切るひとつの拠点が、沖縄県庁である。琉球大学を卒業し、県の職員になっ
ていくことは、沖縄でのエリートコースである。しかし、国際通りの入口近くに建つ県庁のビルの中に流れているのは、琉球王国の血なのかもしれなかった。中国と日本に挟まれた島が、なんとか生き延びていくというDNAを、この建物で働く人々が引き継いでいるような気にもなるのだ。
などなど、なかなか「沖縄」というところ、一筋では語れないようでありますな。

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