Automatttic社日本在住スタッフのインタビューに思う、日本で「リモートワーク」が普及していない理由

先だって、このブログで「マイクロソフトを辞めて、オフィスのない会社で働いてみた」(スコット・バークン)をレビューしたのだが、そのAutomattic社の唯一の日本スタッフの方を、ノマド・トーキョーの実権で有名な米田智彦氏がインタビューした記事(すべての社員がリモートワークの「WordPress.com」運営会社・Automattic社って? 唯一の日本在住スタッフ、高野直子さんに話を聞いた)をLifeHackerで発見。

この記事で米田氏が「なぜ日本ではリモートワークが普及しないのだろう」という疑問を呈していて、「リモートワーク」「テレワーク」はいつも新しい働き方として取り上げられるのに、いつも絵に描いた餅に終わっている。そのあたり、日本とアメリカの会社文化での違いかな、とも思っていたのだが、

高野:デトロイトで働いていた広告代理店は1000人以上いる会社でしたが、社内政治とか部署同士のいがみ合いなどもあり、そういうことが面倒に感じていました
といった風に、アメリカでも大企業では日本と同じような会社文化にようなものがあるようなので、「アメリカの働き方だから」というわけでもないようだ。
で、ここかな、と思ったのが
高野:アメリカでフリーランスデザイナーをしているときは、ほとんどお客さんと会ったことがなかったです。ミシガンに住みながらニューヨークのお客さんの対応もしていました。WordPressはもともとオープンソースプロジェクトとしてはじまったので、社員を1カ所に集めることが物理的に不可能だったんです。だから、「会議するから会おう」というような発想がそもそもないんですよね。
という件(くだり)の「会議するから会おう、という発想がそもそもない」というところ。
というのが、リモートワークが普及しない理由の一つに、対面で話をする、会議をする場面での、阿吽で方向性を決めていく、という仕事のスタイルが適用できないからではないか、ということがあるのではと考えている。
会議や大部屋仕事の非生産なところは数々指摘されながら、なかなか変わらないのは、私達の仕事の意思決定とか、方向性の決定が、対面あるいは集団のフェイス・トゥ・フェイスで形成される「場の雰囲気」で決められていることが多いからではないかと思い始めているのである。
そのあたり、最初から「会議をする」という発想がなければ、メールとかチャットとか、文字による表現による方向付けの仕方を模索せざるをえないのだが、曖昧な表現がまじりがちである「日本語」環境の中で、それが可能かどうかとなると、ちょっと不安がある。
ただでさえ、日本のホワイトカラー職場は、協議による決定方式に曖昧さを抱えていて、その曖昧さを排除しようとしたのが、今までのアメリカ型のビジネス・スタイルを無邪気に導入しようとしてはいるがなんとも行き詰まり感がある。
この際、こうした「文字」による会議あるいは協議・相談スタイルへの転換を半ば諦めて、フェイス・トゥ・フェイスの仕事の仕方、大部屋型の仕事の仕方をデジタル的に実現する方向に進んではどうだろうか。
幸いにSkypeを始め、ウェブでの映像系の技術はかなり進化してきているし、大多数で喋り合っての協議システムの方式が確立すれば、リモートワーク、テレワークに大きな進化が起きると思うのだが、どうであろうか。

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