酒井順子 「ユーミンの罪」(講談社現代新書)

「負け犬の遠吠え」をはじめ、時代の姿をとらえることでは定評のある酒井順子さんの手による日本の安定成長期、高度成長期に行きた女性の姿を、「ユーミンの歌」という「触媒」を使いながら分析をしてみたのが本書といえるだろう。
構成は
1 開けられたパンドラの箱ー「ひこうき雲」(1973年)
2 ダサいから泣かないー「MISSLIM」(1974年)
3 近過去への郷愁ー「COBALT HOUR」(1975年)
4 女性の自立と助手席とー「14番目の月」(1976年)
5 恋愛と自己愛のあいだー「流線型’80」(1978年)
6 除湿機能とポップー「OLIVE」(1979年)
7 外は革新、中は保守ー「悲しいほどお天気」(1979年)
8 ”つれてって文化”隆盛へー「SURF & SNOW」(1980年)
9 旅の終わりー「昨晩お会いしましょう」(1981年)
10 ブスと嫉妬の調理法ー「PEARL PIERCE](1982年)
11 時を超越したいー「REINCARNATION](1983年)
12 女に好かれる女ー「VOYAGER」(1983年)
13 恋愛格差と上から目線ー「NO SIDE」(1985年)
14 負け犬の源流ー「DA・DI・DA」(1986年)
15 1980年代の”軽み”ー「ALARM ‘ala mode」(1986年)
16 結婚という最終目的ー「ダイアモンドダストが消えぬ間に」(1987年)
17 恋愛のゲーム化ー「Delight Slight Light KISS」(1988年)
18 欲しいものは奪い取れー「LIVE WARS」(1989年)
19 永遠と刹那、聖と俗ー「天国のドア」(1990年)
20 終わりと始まりー「DAWN PURPLE」(1991年)
となっていて、年代としては、1973年(昭和48年)から1991年(平成3年)という時代で、ざっくりいうと、1973年(昭和48年)の1月にベトナムの和平協定から始まって、1991年(平成3年)の12月のソビエト連邦崩壊までに至る18年間である。個人的には少年期から、都会での学生生活、就職、子どもが生まれる、といった、本書で描かれる女性像の、相手方(けしてユーミンの歌に描かれる「彼」的な存在ではなかったですが)としてえ、懐かしくもあり、恥ずかしさもある時代である。しかし、それは私だけの感情でなくて、おそらくは同時代に行きた日本人は、同じように将来を信じて浮かれていてもあったし、その中で時代の求める理想像を演じようとし、演じることによって「幸せになる」と信じられた時代でもあったように思う。

女性の姿からいうと「ダサいから泣かない女」であり、
彼女は、単独でツルハシを握って世を拓いてきたわけではない。パートナーが常に存在し、舵取りをするパートナーの助手席にいながら開拓を続けたからこそ、その姿勢は痛々しくならなかったのです。(P53)
「参加しないが、共にいる」という助手席性においてもう一つポイントになるのは「女は男を常に見ている」というところです。(P65)
といった「つれていってもらう幸福」を期待している「助手席」にいる女性像であり、対するは、知らない道でも、必ず自らハンドルを握り、気後れしそうな場所でも、知った風にエスコートする(あるいはしようとする)男性の時代でもあった。
そして、それはある意味、予定調和的に平和で一種の役割分担によって双方が強固に守られた時代であったように思う。
しかし、そうした調和の取れた時代から移ろいゆき、
雇均法世代の女性はその後どうなったのかといいますと、社会においてはかなりの苦戦を強いられたのでした。会社の側は、男性並に働かせていいという総合職の女性をどう扱っていいかわからず、おたおた。働き始めた女性達は、女を捨てて頑張らなくてはならず、心身ともにきつい状態に。
といった男女雇用均等の世界に突入して、男女の性差というものを考慮しない時代へ移り、そして、
バブル崩壊によって自分の人生が激変したわけではありませんが、会社を辞めたことによって、私の中では「一本、裏道に入った」という意識が生まれました。そこで気づいたのは、ユーミンの歌というのは「所属している女」のための歌だ、ということ。それは恋人であれ家族であれ学校であれ会社であれ、何らかの集団に所属し、守られている女性が聴くべき歌なのです。
と男女問わず、「長い不景気」という荒波に揉まれる時代へとうつるわけである。
思えば、「ユーミンの罪」で取り上げられた時代は、男女双方にとって「懐かしい」「夢のような」時代であったのかもしれないのであると思うが如何であろうか。

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