都市(まち)は死なない ー 嶋田洋平「ぼくらのリノベーションまちづくり」(日経BP社)

最近、仕事の関係で「空き家問題」について調べたりしている。「空き家」の増加はメディアでもかなり取り上げられているのだが、高度成長で様々なインフラが膨れた後に人口減少社会を迎えつつある「日本」なので、やむを得ないものではあるのだが、やはり数字的な影響以上に地域社会の体力や活力に影響があると思っている。
では、ぶっ壊して新しいものを立てるかといっても、経済的な体力が追いつかないのし、なにより、思い出などがこびりつたものをみすみすと壊してしまうのはもったいない。ということで、最近注目されているのが「リノベーション」という手法で、本書によれば「建物の場合は既存の建物を活かしながら、その価値を新たに想像し直すことがリノベーション」(P55)、「「普通のやり方をちょっと変えること」や「考え方を変えること」がリノベーション。リノベーションとは、自分の手と頭を使って、自分の暮らしやまちを変えていくこと」(P58)ということらしい。
本書の構成は
CHAPTER1 ぼくの仕事はリノベーション
CHAPTER2  まちで暮らす、まちで働く
CHAPTER3 リノベーションがまちを変える
CHAPTER4 リノベーションまちづくりをはじめよう
CHAPTER5 リノベーションで社会の課題を解決する
となっていて、「リノベーションとは」から「リノベーションのいま」までざっくりと読むことができる。なによりリノベーションの動きに主体として関わっている人の著書なので臨場感があるのは間違いない。
で、リノベーションによる「まち」の再生、活性化はなにも、どこかから人材やコンテンツやらを移入させるもではなく、
まちで何かコトを起こしたい。新しいものを生み出したいという「芽」は、実はまちにたくさん眠っている、それらを守り育てる場をつくることで、新たな人のにぎわいが生まれ、人の仕事も生まれる。(P80)
であり、
小倉では、クリエイターたちはいかにも「クリエイター」みたいな顔をして歩いているわけではない。実は彼らの多くは普段、会社員など勤め人として働いていて(クオリティの話ではなく、あくまで収入源という意味で)「趣味」として帰宅後や週末にものづくりを楽しんでいた。そう、クリエイターは、まちではなく家にいたのだ。そういう人たちの趣味の時間を家からまちなかに引っ張りだしてきて(=アトリエ)、しかもそれを仕事として成立させる(=お店)。(P87)
ことであるようだ。そして、かれらとともに、まちに「できごと」を生むこと。そして、その「できごと」を通じて
ぼくは最近、新たな都市生活者が出現しているんじゃないかと思っている。
ひとつには、子育てしながら働き方や就業時間や形態にグラデーション(さまざまな段階・バリエーション)を持って働く女性たち。・・本当は働きながら子育てをするのではなく、あくまで子育てをメインにしながら、自分のペースでゆるく働きたいという人たち・・
 自分の理想の住まいを自分の手作りで実現したい「暮らし家」たち。・・・「自分の部屋をDIYして住みたい」という人たちが世の中にたくさんいる(P187)
といった都市生活者に新しい「まち」のあり方を伝えていくことでもある。
そして「リノベーション」の活動の中心点が
「新しい都市生活者たち」は、「ほしい暮らし」を自分の手でつくりだそうとしている人たち。
リノベーションで、自分がほしいと思う場所やサービスをつくり出そう。それは自分が住む場所や働く場所かもしれない。これまで行政が担っていた(が、本当に自分たちがほしい形ではなかった)保育所のような子育て支援かもしれないし、公共空間としてのカフェかもしれない。そういったものを空き家や空き店舗を使って生み出していけば、自分たちのほしいまちを、自分たちの手でつくっていけると思う。(P270)
であることを見ると、それは「身の丈」にあった、しかし「お仕着せ」でない暮らしを自らの手でつくっていこうということであり、それは。都市開発の方法論にとどまらず、公共政策の新しい運営論であるといってよく、公的セクターへの回帰でもなく、民間への単純な移行でもなく、そこに住まう住民自らが「暮らし」をどうセルフメイドしていくか、の模索であるといっていい。
本書は、人口減少など先行きの暗さばかりが言われる、日本の未来に楯突こうと言う、若い世代の挑戦の書である。本書にいうように「「消滅可能性都市」というネーミングが、ぼくはすごくタチの悪いプロパガンダだと思っている。消滅するのは都市(まち)ではなく、自治体(P190)」であることは間違いない。その地に住んで、その地に思いをいたす人々の要る限り「都市(まち)」は死なないのだ。

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