「都」という魔性の存在 ー 森谷明子「葛野盛衰記」(講談社)

この物語をミステリーととらえるかどうか微妙なところであるが、古代に京都府にあった郡で、区域の一部が平安京になっているところ葛野あるいは葛野郡を舞台にした、いかにして「京都」あるいは「平安京」は「都」となり、「都」でありえたのか、という広い意味での時代ミステリーととらえておこう。

構成は

第一部 葛野川

壱之章 兄国弟国

弐之章 宴の松原

参之章 糺の森

第二部 六波羅

壱之章 興隆

弐之章 焼亡

となっていて、第一部は長岡京の建設から始まり、葛野の地に都が築かれ、平城帝の時代を経て、嵯峨帝の時代まで、第二部は、平家一門が権門にのし上がり、清盛の死とともに権勢が衰え、滅ぶまで、という時代背景となっている。

物語の中心となる人々は、各章ごとに替わるのだが、「兄国弟国」では山部皇子の后で乙訓の国出身の伽耶と、その従姉妹の真宗、「宴の松原」では藤原薬子の元夫の藤原縄主、「糺の森」では嵯峨帝の娘の有智子内親王、「興隆」では平忠盛とその妻の宗子、焼亡では忠盛の次男の頼盛と、いずれも、その時代の大きな流れをつくった人の近くにはいるが主流の流れにのってはいない人が「狂言廻し」となっている。

「狂言廻し」と書いたのは、これらの人々が物語の中心ではなく、中心は「都」そのものであるからである。いや「都」というよりも表題の「葛野の松林」が主人公で、そのものがいかにして「都」であり続けることができたか、といった妙な筋の通った物語であるからである。

で、その狂言回しも、中心から少しはずれた人たちを起用したせいで、妙な幻想感をまとっていて、そこが「時代ミステリー」として定義して良いのかな、という冒頭の言葉につながるのである。

少々、読み難い感があるし、人を選ぶミステリーかもしれないが、ガジガジと雰囲気を噛みしだきながら読んでいけば、味わい深い小説であります。

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