本を読んだり、人から話を聞いたり、生きていく上で、「理解する」「わかる」ということは必要不可欠なのだが、これほど頼りないものもない。小さな子供が「わかった?」と聞かれて「わかった」と答えるが、問い詰められると茫漠としてしまって泣き出すことはよくある光景だが、大人でも泣かないぐらいで実質のところは子供と同じである。
本書は、「わかったつもり」なのだが、実は「わかっていない」状況に着目して、なぜそうした現象が起こるのか。防止策は何なのかを解き明かしてくれる。
構成は
第1章 「読み」が深まらないのはなぜか?
1 短い物語を読む
2 「わからない」と「わかる」と「よりわかる」
3 「わかったつもり」という困った状態
第2章 「読み」における文脈のはたらき
1 文脈がわからないと「わからない」
2 文脈による意味の引き出し
3 文脈の積極的活用
第3章 これが「わかったつもり」だ
1 「全体の雰囲気」という魔物(その1)
2 「全体の雰囲気」という魔物(その2)
3 「わかったつもり」の手強さ
第4章 さまざまな「わかったつもり」
1 「わかったつもり」の”犯人”たち
2 文脈の魔力
3 ステレオタイプのスキーマ
第5章 「わかったつもり」の壊し方
1 「わかったつもり」からの脱出
2 解釈の自由と制約
3 試験問題を解いてみる
4 まとめ
となっていて、「わかったつもり」の分析と解消法の実践の舞台は大学をはじめとする学校の授業であるようだ。
このあたり、「わかったつもり」が一番出現するのは、「教育」「学習」の場面が¥であろうから、「実」に即したものといっていい。
筆者によると「わかったつもり」の状態とは
「わかった」状態は、ひとつの安定状態です。ある意味、「わからない部分が見つからない」という状態だといってもいいかも知れません。したがって、「わかった」から「よりわかった」へ到る作業の必要性を感じない状態でもあるのです。浅いわかり方から抜け出すことが困難なのは、その状態が「わからない」からではなくて、「わかった」状態だからなのです。
や
間違ったわかったつもり」の状態では、部分が「読み飛ばされ」て、しっかりとした意味が引き出されていません。全体の大雑把な文脈を打ち破るほどには、部分が読まれていないので、間違った状態が維持されているというわけです。 簡単にいえば、部分の読みが不充分だったり間違ったりしているので、間違った「わかったつもり」が成立
という状態であるらしく、けして物事がちんぷんかんぷんで何を言っているか不明、という状態ではなく、ある程度「わかっている」からだという、なにやら面倒な状態であるらしい。
たしかに、「わからない」状態よりも「わかったつもり」の状態が、実生活やビジネスの場面でも一番面倒なことであって、どうかすると「わかったつもり」のクライアントや上司が、プロジェクトを妙な方向に持っていってわちゃわちゃにすることはよくあって、「わからない」人の元ではそもそもプロジェクトが始まらないので「得べかりし利益」が失われるだけだが、「わかったつもり」の人にわちゃわちゃにされると、プロジェクト全体が巻き込まれて損失を拡大することになるのはよくあること。
では、「わかったつもり」を解消する方策は
読んだ文章について、意識的に自分なりの「まとめ」をしてみることを奨めます。 その「まとめ」が、あまりに簡単なものであった場合には、私たちは「ステレオタイプのスキーマによる魔物」か、「文章構成から誘われやすい魔物」に、搦め取られている可能性があります
や
ですから、「わかったつもり」の状態を乗り越えるためには、それぞれの「魔物」に対して、有効な手だてを講じればよいことになります。すなわち「魔物」という大雑把な「文脈」にかえて、もっと「部分」に焦点が当たるような「新たな文脈」を、大胆に導入する
といった自らの判断を「疑う」、「地味に検証する」ことが必要になるようで、これはこれでシンドいな、と思わないでもない。どちらかというと「俺の判断は間違っていないっ」と大見得を切って、ドンドン進んでいくというのが勇ましくてよろしいのだが、それではイカンということであるらしい。
「物事には近道はない」「着々と王道を行きなさい」という、「景気いい話」に思わず浮き立ってしまう当方への戒めでもあるようですね。
コメント